大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2022年09月

心優しい医師の診察を受けて


 名古屋第一赤十字病院

 玄関周辺

雲ひとつない晴天 

 精算窓口

ハートフル キッチン

 手作りパン

 各種メニュー

注文カウンター 

本日の写真です。

本日は中村日赤への通院ですが、現在加療中となる膠原病の診察ではなく、昨年10月に受けた前立腺肥大症の手術後の定期検診に訪れました。

手術後の経過は良く、主治医の説明通り順調に回復しており、診察を終了しても良さそうな雰囲気ながら、主治医との縁を残したいため2ヶ月先の診察をお願いしました。

病気が完治するのは嬉しいことですが、大きな病院の優秀な医師との縁が切れるのも切ないものがあります。

「何かあった時は直接僕を受信してくれれば良いよ」と、完治後の先々の心配を払拭する主治医の言葉から大きな安心感をいただきました。

そして、主治医が運営発信する Facebookに、友達として登録申請することをお願いして本日友達登録が終わり、これから老いるばかりの私にとって大きなお守りともなりました。

こんな要望にも応えていただけた赤十字病院の医師には本当に感謝しかありません。

さて、本日は午前9時からの診察ですが、時間に追われる私のために、主治医が待ち時間の心配がない1番目の予約を入れてくれるため、9時前に診察が終わってしまい、家内とともに病院レストランでモーニングコーヒーを楽しむ余裕の通院となりました。


 下記の添付記事は、私と同じ中村日赤を舞台とした、昨日と本日の知人のフェイスブックです。



添付した知人は私の発信したブログの病状写真から、私の病気が自分と同じ膠原病ではないかとアドバイスを頂いて以来の知人であり、膠原病の先輩であるだけでなく、私にとっての先達でもあります。

不治の病と言われる膠原病ですが、同じ苦しみを背負う先人としての仲間の存在は大きく、大きな支えともなっています。

本日もかかりつけ医までリハビリへ


病院前の夕暮れです 


 昨日ワクチン接種を受けたかかりつけ医へ、本日は交通事故見よる首のリハビリに訪れました。

本日から同級生の庭師さんが我が家の剪定作業をしており、午前中の休憩後にかかりつけ医へ行く予定でしたが、別の同級生から電話があり一緒に昼食に出かけたため夕方のリハビリとなりました。

 夕暮れの彼岸花

 夕方でも鮮やかです

本日の写真です。         車のライトで照らしました

 明日も朝の9時から名古屋第一赤十字病院(中村日赤)の診察があるため、昨日から三日連続の病院通いとなりました。

庭師の同級生がスルスルと木に登っていく姿を見ながら、思うように動かない我が身をなんとか元通りの体調に戻したいと思う一日になりました。

さて、明日の診察は現在罹患中の膠原病の診察ではなく、昨年10月に受けた前立腺肥大症の手術後の経過診察で、順調に回復し何も悪いところがないため明日は最後の診察になるかもしれません。
主治医との縁が切れるようで少し寂しさもありますが、これだけ通院が続くと中では朗報としか言いようがありません。

新型コロナワクチン接種前のハプニングに



昨日よりオミクロン株対応2価の新型コロナワクチン接種が始まり、本日は摂取のためかかりつけ医を訪れました。

「体温は測りましたか?」
   「36.6度でした」
「37.4度ありますよ」
   「えっ、そんな馬鹿な?」

受付で測りなおしたもののやはり体温は高いままで、とりあえず診察室へ案内されました。

診察室で改めて計測したもののやはり体温は高く、医師からこのまま摂取しても大丈夫とは思うけどどうするか問われますが、無症状で体温が高い原因がわかりません。

「もしかして、無症状でコロナに感染してるってることも?」の私の一言に診察室が凍りつきました。

「検査しますか?」と問われ、検査しないままでは次に進まないため、検査を受けることにすると、速やかに玄関を出て病院の裏口へ行くように言われ、待合室の患者さんの刺すような視線の中を病院裏口へ歩きました。

建物の軒先の下とはいえ小雨が降る中で検査を受け、検査結果が出るまで一人で寂しく待つことになりました。

ここで感染が確定したら、月末から月初めにかけての約束や、ボランティアで病院へ移送する患者さんたちの予約はどうするのか、わずかでも私と接触した人たちの顔を思い浮かべながら、重大な局面に置かれていることを実感させられました。


幸いにして結果は陰性で、コロナには感染していないことが判り、改めて診察室を訪れ医師からワクチンの接種を受けましたが…

検査料は2100円でした 

 接種済み証明書


 本日は病院入り口玄関の顔面で計測した体温は36.5度で、脇の下で継続すると37.4度だったことと、自宅へ帰宅直後に脇の下で計測した体温は36.3度でした。

私が現在罹患している膠原病の影響で、午前中は身体の動きが悪く、冷えた足が温たまるまで身体が硬いため、温まる 時に発熱している可能性もありそうです。

膠原病の症状の中に発熱も記されており、膠原病の炎症が出ている時には発熱している可能性も高いため、本日から食事の前後や朝の起床時など、一日の体温の変化を調べることにしました。

 開花した我が家のひまわり
本日の写真です。

私より深刻な病気や病状と戦う人々も多く存在しますが、6月に膠原病と診断されてから一日たりとも普通の生活ができない現実を、本日はつくづくと実感させられました。

三弘法神光院と仁和寺の朱印を比べて


神光院 山門

京都市北区西賀茂神光院町120

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

東寺(教王護国寺)、仁和寺と並ぶ京都三大弘法として有名であり、地元では「西賀茂の弘法さん」の愛称で親しまれる。空海が42歳の時に、当院で九十日間の修行を行ったとされる。修行を終えて寺を去る際に、境内の池に映る自らの姿を見て木像を彫り、厄除を祈願したといわれている。この木像は本堂に安置されている。同時に彼が眼病治癒の祈祷をしていたことから、眼病に利益のある寺としても広く知られるようになった


木札

手水舎

空海が自分の姿を写して木造を彫った池

本堂

中興堂

弘法大師像

納経所 庫裡

三弘法の案内

鎮守社

神光院の朱印帳
日曜日の写真です。

 三弘法といえば京都の東寺と仁和寺は有名ですが、神光院についてはあまり知られてはおらず、私自身は初めての参拝となりました。

しかしながら、世界文化遺産として大きな境内を半日がかりで巡る東寺や仁和寺とは違い、心安らぐ静かな環境は、42歳の空海が神光院で90日間修業したとの伝承や、上賀茂神社の懇望で藍染明王や自像を刻んで安置したとの伝承が妙に説得力を持ってきます。


手にした朱印帳は私のこだわりのある朱印帳で、一緒に添付した四国遍路の納経帳と比べれば大きさの違いが分かりますが、普通の小さな朱印帳よりもさらに小さい胸ポケットに入る朱印帳です。


さて、神光院の朱印の右側は三弘法仁和寺の朱印ですが、2ページにまたがって朱印が押されました。

「こんな小さな朱印帳には書けない」と、2ページにまたがるだけでなく、仁和寺では500円の朱印代を請求されました。

「朱印が重なるけどお許しくださいね」と言われた神光院の納経所の女性の心遣いを実感するとともに、「小さいからかけない」の一言で2ページとなった仁和寺の納経所との心遣いの大きな違いも実感させられました。

8月・9月の体重と歩数

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8月の体重と徒歩数
 歩=散歩 不=体調不良
 水=水汲み   通院=通
 上=上高地 

日時     体重   徒歩数
  1日        70.5         
  2日        70.4         1654       
  3日        70.7         2364     
  4日        71.4          1202           
  
5日        71.1           728 不     
  6日        70.4          3911          
  7日(日)   70.3           825 不
  8日        70.9         3141
  9日        71.2          1957      
10日        71.5          2132
11日       71.0          2130        
12日        71.3           2073     
13日                        5032 上       
14日(日)                  4598 上      
15日        71.0           5679        
16日               
17日        70.3           1663
18日        71.4           4257        
19日                          
20日        72.3           2316       
21日(日)                  7881
22日        72.1           5138
23日                       1491
24日        72.1           6199       
25日        72.3           5493       
26日        71.6           5164         
27日        70.8           5305
28日(日)   71.2          5168       
29日        71.3           6070
30日        71.2          6356
31日     71.3             6647   


9月
  1日       71,7       6724             
  2日       72.0       5852
  3日       71,3       5315    
  4日(日)   70,4      2061              
  
5日        70.9      5549
  6日        71.1      2477         
  7日        71.2      5134
  8日                   5379   
  9日                   3077    
10日                   9827 上 
11日(日)             8943 上          
12日       71,9       5654    
13日       71.2       3900
14日                   2875
15日                   4235     
16日                   3407  
17日      71,0      11826 四国
18日(日)              5006 京都      
19日(休)              2017                  
20日                   4667      
21日      71,3       5563
22日                 10852   
23日(休) 71,2       6621                 
24日      70,9       2781         
25日(日) 70,4      7614 京都        
26日                  3508            
27日      71,3       2006    
28日     
29日       
30日     

 

京の三弘法 仁和寺


 仁和寺 仁王門

 駐車場

寺標 

山門から見える境内

本坊表門

本堂境内 

御殿 

しん殿 

 勅使門

案内図 

中門までの参道 

 中門

 五重塔

 壮大な五重塔

金堂 

 本殿前

水掛 不動尊

水をかけます 

 御影堂入口

 御影堂

 鐘楼

 大黒堂

 成就山八十八ヶ所


御室八十八ヶ所霊場は、文政10年(1827)当時、四国八十八ヶ所への巡拝が困難であったため、時の仁和寺29世門跡済仁法親王の御本願により四国八十八ヶ所霊場のお砂を持ち帰り、仁和寺の裏山である成就山山道に埋め、その上に諸堂を建て霊場を整備したのが始まりです。成就山(236.0m)



 観音堂

金剛華菩薩像

御室会館 

 仁和寺東門
昨日の写真です。

仁和寺は仁和4年(888)に創建された真言宗御室派の総本山ですが、規模が大きいだけではなく参拝できる環境が整っており、成就山には四国八十八カ所のそれぞれのお堂を建てた本格的な八十八ヶ所が存在します。

全国各地のお寺にミニ八十八ヶ所が存在しますが、境内や裏山に石仏が置かれただけの霊場が多く、仁和寺のような大掛かりな八十八ヶ所は初めて目にしました。

2時間ほどで回れる霊場との案内ですが、それぞれの札所のお堂で真言を上げると半日がかりになるため、今回は後日への先送りとして、改めて巡拝に訪れたいと思います。

参考にしてください。
仁和寺 成就山八十八ヶ所ウォーク 護摩祈祷会
・10月2日(日)・11月6日(日)・12月4日(日)

京都三弘法仁和寺と神光院へ


仁和寺 

 山門から中門までの参道

 五重塔



蓮華寺 


神光院

京都三弘法まいり

 大原 宝泉院



 宝泉院内の三地蔵 


大原女の小径

法然上人の腰掛石

本日の写真です。

先週訪れた京都の東寺に続いて、本日は三弘法の仁和寺と神光院を参拝し、同級生が住職を務める大原宝泉院を訪れて最近の近況報告に花を咲かせてきました。

本日は家内と妹に加えて、三男夫婦と孫の6人で京都を訪れ、亀岡のトロッコ列車を楽しみたい孫達とは別行動で参拝を続けました。

三連休の京都は観光客の列が繋がり、京都駅に近い京都水族館を待ち合わせ場所にしたため、合流に手間取るとともに、高速道路の渋滞し名古屋への到着は一時間ほど遅れましたが、久しぶりに孫と夕食を共にすることもできました。

三弘法と大原宝泉院については後日紹介したいと思います。

家内の芋掘りに同行して


檀那寺で夕暮れの空 午後5時56分

我が家のお墓へ

お彼岸には少し遅れましたが我が家のお墓になんとかお花を供えて帰宅しました。

夕日が沈み、暗くなる直前の空に茜色の見事な雲が出現しましたが、一瞬の景色となりました。

家内の在所のお墓です

家内は畑で芋掘りへ

掘りたてのさつまいもです

大量に収穫しました

 エノコログサ

 キビ

ヒメジョオン 


コセンダングサ 

 ニラ

 イヌタデ


 買い物中
本日の写真です。

 最近は調子の良い日が続いていたものの、本日は朝から絶不調の一日となり、両手首と右膝が痛むため横になって静養することを決めていましたが、家内に促されて畑の芋掘りに同行しました。

車の助手席に座っているだけのつもりでしたが、畑の周辺に生える雑草を写真に収め、日ごろ見慣れた植物であっても何一つ名前がわからない現実を実感させられました。

ちなみに上高地で担当しているセンダングサも大量に群生していますが、秋になりタネをつけると駆逐することが難しくなります。

笑い話になりますが、昨年秋にコスモスのタネと勘違いしてセンダングサのタネを保存しており、コスモスが生えてくると期待していたらセンダングサが生えてきました。

明日は京都まで足を伸ばしますが、本日のような体調ではお寺の石段を登り下りするのが苦痛になるため、快調な目覚めになることを祈るばかりです。

台風前の休息(静養)の一日へ


 本日の夕暮れ 午後5時49分

本日のひまわり 

 2日前のひまわり

7月22日のひまわり


先週の台風に耐えた我が家のひまわりが開花しました。


7月にまいた種が発芽し、2ヶ月経過した今になって花を咲かせましたが、同時期に種を蒔いた黄色いコスモスとキバナコスモスも成長を続けており、花が咲くのを楽しみにしております。


夕方のマック 

私の居場所です 

スーパーヤマナカ 

徳島産なると金時 

 北海道産とうもろこし
本日の写真です。

台風の襲来を控えて本日は朝から雨が降り続けていますが、3連休の初日のため仕事の無い完全なる休養日となりました。

膠原病の病気療養中のため横になっていても身体は重く、このままでは何もしないままに夜を迎えるため家内に同行して買い物に行きました。

商品棚にあった徳島産のなると金時を眺めて、先週土曜日に訪れた四国遍路第17番札所井戸寺の本堂でご接待を受けたなると金時を思い出しました。

とうもろこしは北海道産でしたが、8月に長野県の開田高原で朝採れのトウモロコシを購入してきたことが懐かしく思い出されました。

病気で身体が重い現状でも、旅の思い出や旅立つ予定を考えると、なんだか体が軽くなるような気がします。

 そんなわけで…

ちょっと寄り道の四国遍路


第九番法輪寺納経所前の猫


第十六番観音寺の仏足石


 仏足石とはインドのお釈迦様の足跡を石に刻んだもので、インドに現存する仏跡石野復刻で、礼拝した手で自分の悪い部分をさすると改善すると言われています。

第十三番大日寺の香炉


石の語り部と言われる伊藤萬蔵さんが寄進した香炉です。現在の愛知県一宮市で生まれ、名古屋で財を成した実業家で、全国各地の神社やお寺に石灯籠や香炉を寄進した人物です。

沖縄と北海道を除く全国各地の社寺で伊藤万蔵さんの寄進した鳥居や香炉を目にしますが、寄進先は1000基を超えるとも言われています。

第十二番大日寺

第十二番焼山寺

ニホンヒキガエル 

杖杉庵の弘法大師と衛門三郎


杖杉庵(じょうしんあん)は徳島県名西郡神山町に所在する高野山真言宗の寺院。本尊は地蔵菩薩弘法大師伝説の残る四国八十八箇所霊場番外札所である。

最初に四国八十八カ所を廻ったと言われる伝説の人物衛門三郎の終焉の地と言われています。

弘法大師に詫びるため21回も四国を廻ったと伝わりますが、当時は遍路道も整備されていない山や海岸線を歩いて21回も歩いたのは驚きです。

自分自身と比較するとまだまだ修行が足らないことを実感させられます。

第十一番藤井寺の八十八ヶ所

参道


 四国の八十八ヶ所の寺院にはそれぞれの奥の院が存在し、お寺の裏山に設置されたミニ八十八ヶ所も参拝して行くと大変な時間がかりますが機会があれば立ち寄ってみたいものです。


 第九番 法輪寺

 第八番 熊谷寺

 また来てね~
先週土曜日の写真です。

明日からの三連休も台風が近づく予報になっており、台風に逆らってまで四国遍路はできませんが、こんな環境下でも情報もないままに歩くお遍路さんが存在します。

さて、徳島県の阿波踊りに参加していた819人がコロナに感染したとの報道がありましたが、マスクをつけない歩き遍路の存在に警戒する地元住民も存在することから、お遍路と地元との良好な関係が続くこと祈るばかりです。

不調(笑)の患者が患者を運ぶボランティア


日の入りの瞬間
本日の写真です。

2週間前の週末は上高地に出かけ、先週末は四国と京都へ出かけましたが、上高地では1日一万歩歩き、四国遍路では手すりに頼ることなく石段や山道を歩けました。

もっとも、帰宅した翌日の月曜日は身体中に疲れが残り、昨日は好調だったものの、本日は絶不調に陥りました。

 台風が通り過ぎたことで本日は気温がいっきに低下しており、睡眠中に身体が温まらなかったのが原因かもしれませんが、本日は午前中だけでなく午後まで身体の不調が続きました。

膠原病と診断され7月から薬を処方されていますが、症状は少しずつ改善しているものの、その日の朝に起床してみないことその日の体調がわかりません。

何よりも体調の良い日と悪い日の格差が大きく、上高地や四国で元気に動く姿を見た家族は勝手に仕事の予定を入れるようになり、本日は絶不調ながら二人の患者さんを病院へ搬送しました。

明日も私を希望する患者さんがあり、絶不調の早朝からボランティアが始まるため、午前6時に起床して身体中のストレッチが、必要となります。

世界文化遺産 京都の教王護国寺東寺へ


 東寺 南大門と五重塔

 境内見取り図

 慶賀門 東門

駐車場

 宝蔵


 小野道風ゆかりの柳


大師堂入口 


 御影堂


 天皇陛下お手植えの松


 食堂



拝観入口  

 五重塔

 講堂

 金堂

 南大門



 南大門から見る金堂

 鎮守八幡宮

 社殿





 北大門


 開運大元師明王



 観智院

 洛南高校東付属中学

 洛南会館



 日曜日の写真です。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

東寺(とうじ)は、京都市南区九条町にある真言宗総本山寺院山号は八幡山。本尊薬師如来真言宗の根本道場であり、教王護国寺(きょうおうごこくじ)とも呼ばれる(名称については「寺号」の節を参照)。寺紋は雲形紋(東寺雲)。食堂(本尊・十一面観音)は洛陽三十三所観音霊場第23番札所。

東寺は、平安京鎮護のための官寺として建立が始められた後、嵯峨天皇より空海(弘法大師)に下賜され、真言密教の根本道場として栄えた。


 四国八十八カ所のお遍路へ旅立つ前に京都の東寺へ安全祈願に訪れる慣習がありますが、江戸時代には京都にある弘法大師ゆかりの三弘法へ参拝する習慣があったようです。

現在でも弘法大師とゆかりの深い「東寺」「仁和寺」「神光院」、この三つの寺を”三弘法”と呼び、東寺で菅笠、仁和寺で金剛杖、神光院で納札箱を授かり、それを身に着けて人々はお遍路修行へと向かったとされています。

全国各地に三弘法や四国八十八カ所を模したミニ八十八ヶ所が存在しますが、車のない江戸時代に当時のお遍路は四国を歩くだけではなく、その前に京都の三弘法へ挨拶に訪れ、四国の満願を果たした後に高野山まで御礼参りに歩いたこと考えると、公共交通機関や道路が整備された現代社会においては、四国に行けないから近場の八十八ヶ所なんて参拝はお遍路のカケラもありません。

空海が62年にわたる修行や体験から伝承されてきた真言密教の原点に近づきたいと思わせる今回の東寺への参拝となりました。

四国の土柱麺とすだち


 阿波の新名物 土柱麺

2食分 350円
本日の昼食です
すだち 270円
本日の写真です。

今回の四国遍路のお土産は、土柱の「土柱麺」と徳島県の名産「すだち」です。

讃岐麺の製法を取り入れた、ダイシモチ麦を配合した新しい食感で、本日は蕎麦やうどんとは違う食感を味わいました。
そして何よりも、とれたて徳島産すだちの香りがよく合います。 

土柱

阿波の土柱は、阿讃山脈より流れ出た土砂が長年の風雨や地震によって崩壊し、長い年月をかけて作られた自然景観で国の天然記念物にも指定されています。

夜は1年を通じてライトアップされており、幻想的な世界が広がります。 

 すだちは「道の駅温泉の里神山」で購入し、土柱麺は入浴のため立ち寄った「土柱ランド新温泉」で購入しました。

17日の行程
24時自宅発 東名阪自動車道名古屋西 IC … 名神高速 … 新名神 … 宝塚北 SA(休) … 山陽自動車道 … 神戸淡路鳴門自動車道 … 淡路 SA(休) … 淡路南 PA(仮眠) … 鳴門 IC …

この日の四国遍路は、午前8時30分よりスタートし、第17番井戸寺から第8番熊谷寺まで逆打ちで巡回しました。

鳴門市内で夕食をとり、台風が接近していたため明石海峡大橋が見える淡路サービスエリアまで移動してから車中泊としました。

台風のため四国遍路から京都の東寺へ


明石海峡大橋 

 淡路サービスエリア 上り

動画


 昨晩は神戸淡路鳴門自動車道淡路サービスエリア上り線側を車中泊の場所としました。


過去最大級といわれる台風14号のため、三日間の四国遍路を一日のみとし、強風により明石海峡大橋が通行止めになる可能性を考え、1日目に本州へ戻る予定でしたが、台風のスピードが遅くほとんど影響がなかったため車中泊に一番良いと思われる淡路サービスエリアにとどまりました。 


サービスエリアの中には夜間無人となる施設が多い中で、淡路サービスエリアは上下線とも24時間営業のため夜間でも明るく駐車場も広いため安心な施設と思えます。


神戸ポートアイランド 

 みなと異人館

 動画


 私の四国遍路は帰り道に高野山以外どこにも立ち寄ったことがありませんが、今回は病気療養中のため車の運転など家内の負担が多いため、神戸ポートランドに立ち寄りました。


こんな旅程を考えればこれからの四国遍路も楽しくなりそうです。


東寺 駐車場 

 動画

東寺 南門と五重塔
東門
動画

 食堂(じきどう)

大師堂 

 動画

五重塔 

 本日の写真です。

本日の京都行きは東寺だけでなく、ご縁のあるお寺やお店にも立ち寄る予定でしたが、弘法大師が残した真言密教の修業の場所であることと、これまで駆け足の参拝ばかりだったためここだけの参拝にしました。

詳細は後日に添付します。

台風へ向かって四国遍路へ

 本日の夕暮れ

コメダ前 

自宅前 

13日のキノコ

14日のキノコ

本日のキノコ

本日の写真です。


 大型台風が日本に近づいており、3連休の外出は見直すようにテレビから繰り返し放送されていますが、とりあえず安全な一日だけでも四国遍路へ出かけます。


7月に膠原病と診断され、病気療養が優先されますが、医師からこれまでの日常生活を続けるように言われており、身体が重いため休んでいるとますます身体が重くなるため、あえて外出するように心掛けています。


身体の不調を考えると、台風に向かって外出するよりも自宅で休養していた方が楽ではありますが、病気や休養ばかり考えていると外出する意欲が失せてしまうため、病に打ち勝つためにも鞭打って今晩深夜に四国へ向かって外出します。


さて、添付した写真でお分かりのように我が家のキノコが大きく成長しました。

このキノコはヤナギマツタケと言い、食べると美味しいと記されていますが、今回はこのまま食べずに残し、キノコ菌が周辺へ拡大することに期待しています。


上高地 田代橋から大正池まで散策

田代橋周辺


サルオガセ 苔に近い仲間地衣類

田代湿原

田代池

田代湿原周辺

 道標
散策路
焼岳と大正池樹木の立ち枯れ
大正池



早朝の大正池と穂高連峰
9月10日の写真です。

先週土曜日に河童橋から大正池まで歩いた時の、田代橋から大正池までの写真です。

ほとんどの観光客は大正池のバス停で降りてから田代橋、河童橋へと歩きますが、逆コースは人の流れを気にせず自分に合ったマイペースで散策することができます。

河童橋から大正池への逆コースを歩くと、上高地バスターミナルまで往復歩いて戻る必要があると思われがちですが、今回は発想の転換で、大正池バス停からバスターミナルまで430円の料金を払ってバスで戻ってきました。

十数年前の話になりますが、小梨平キャンプ場から大正池まで歩き、帰りは大正池から帝国ホテルまでバスを利用し、.帝国ホテルのモーニングコーヒーと先着20名限定のケーキセットを味わって戻ったこともありましたが、今では懐かしい思い出となってしまいました。

上高地梓川右岸 河童橋から穂高橋まで

 河童橋 左岸から

 河童橋上から見える焼岳

 右岸からの河童橋

パークボランティアの拠点 





木道 散策路

 ウエストン園地


 ウエストン碑


 上高地温泉ホテルから見える風景

 ゴリラ岩と六百山


山の神 

 西穂高岳登山道入口

 穂高橋へ

 梓川
9月10日の写真です。

 私のセカンドライフの居場所となる上高地ですが、ボランティアを目的に訪れているため美しい自然環境が紹介されていませんでした。

4日前の土曜日に、外来植物調査で歩いた河童橋から大正池までの風景を今日と明日の2回に分けて添付します。

本日は河童橋から梓川の右岸を穂高橋まで歩いた写真です。

アキニレの木にキノコが生えて


  本日駐車場裏のアキニレの木にキノコのヤナギマツタケが生えていました。
 我が家伝来のキノコですが、3年前から毎年生えるようになり2年前からは食べるようになりました。

2019-11-05

 アキニレの木

 根元にキノコが




  私が子供の頃には自宅の裏庭に大きなアキニレの木があり、毎年その根元に大量のキノコが生えてその都度食卓に上がっていました。


 そのアキニレの子孫が大木となり3年前からキノコが生えるようになりました。


 さすがに食べるにあたっては各所に問い合わせ、上高地のパークボランティアの先輩たちに確認した上で、覚悟を決めて口にしました。


 昨年一緒にきのこを食べた知人と、今年のキノコが生えたらまた一緒に食べようと約束してありましたが、小さいキノコが1本のため、もう少し大量に生えるのを待つことにしました。


名鉄電車 



本日の写真です。

 毎日五千歩のウォーキングをノルマとしていますが、本日は夕暮れ時に少し離れた村から自宅へ歩き始めました。

「大鹿さん、こんにちわ」
    「はい、こんにちわ」
だけど、誰なんだろうか?

 薄暗い畑から声がかかり返事はしたものの、誰かわからず恐る恐る足を運ぶと、そこには若い頃からお互いをよく知る知人達の姿がありました。

 お互い年齢を重ねておじいさんとおばあさんになってしまいましたが、久しぶりの出会いに雑談のため足止めです。

 体調は決して良くはありませんが、上高地へ出かけたり、ウォーキングする姿から、膠原病の病気療養中と説明してもなかなか理解されないものの、外出することで顔を合わせる知人達と次の約束ができ、身体のリハビリとなっていきます。

8月オープンの御嶽山ビジターセンターへ

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釜トンネルから松本方面へ 


昨日午後から上高地釜トンネルを抜けて、奈良井ダムから藪原経由で木曽路へ入り、国道19号の木曽町木曽福島から道の駅三岳へ立ち寄りました。


木曽町 道の駅三岳 

みたけグルメ工房 

御嶽山 ビジターセンター


8月にオープンしたばかりの御嶽山信仰の歴史と、平成27年に噴火した火山の歴史など御嶽山の歴史を展示した新しい施設です。


 さとテラス三岳入口

 展示ホールへの入り口

名古屋大学の看板 

展示ホール 

御嶽山信者の白衣姿 

 覚明行者

普寛行者 

 信仰の歴史


 かつては、白衣姿の御嶽山信仰の行者や信者で山頂まで登山の列が続いた参拝風景は今や見る影もありません。

四国遍路や西国巡礼だけでなく、熊野古道や修験道など信者の姿が絶えない現状と比較すると、何故に御嶽山から白衣姿の信者が消えてしまったのか真剣に考えてみたいものですね。

太古の 御嶽山

 視聴覚ホール

 平成 令和の噴火
平成26年9月 噴火直前の頂上

 噴火直後

 噴火直後

噴火直後の山頂社務所 

 噴火鎮静後の社務所石段

 現在の防災状況

 くつろぎのスペース

 施設裏 王滝川にかかる赤い橋

昨日の写真です。

 昭和50年代にも大きな噴火がありましたが、平成26年の噴火によって多くの人々が犠牲になり、山頂に立ち寄れなかったことから御嶽教の信者だけでなく、観光客が姿を消したため御嶽山の観光施設や宿泊施設は壊滅的なダメージを残しました。

さらに2年前からのコロナ禍により、御嶽山周辺の観光施設は更なる苦境にあり、今年度中におんたけロープウェーやスキー場の指定管理者が撤退を決めており、益々大変になっていきそうです。

私の祖父は御嶽教の先達で亡くなる直前まで極寒の冬にも水をかぶるなど厳しい修行を続けていました。

同じ先達とはいえ四国遍路の先達である私とは全く修行の厳しさが違いますが、御嶽教を信仰する信者が激減した大きな原因には先達の誤った振る舞いにもあります。

科学万能の現代社会の中においては非科学的な信仰には限界があり、科学的に説明ができる教えに転換していく必要は急務です。

さて、とは言っても四国遍路や真言密教の中心となる弘法大師(空海)が若かりし頃に、四国の山や岩穴で厳しい修行を重ねていたことと、御嶽山信仰には共通するものでもあり参考にしたいものでもあります。

今回道の駅三岳の隣にオープンした御嶽山ビジターセンターによって、観光客だけでなく安全な参拝登山と信者に信頼される御嶽教に変わるきっかけにしてもらいたいものです。

昨日はビジターセンター見学後に、御嶽山明栄講霊神場と弘法堂に参拝してから愛知県へ帰りました。

上高地のガイドウォークに同行して

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コケ探訪会の案内

 レクチャールームて簡単な説明

 ガイドの鈴木安裕さん

 ビジターセンター前のコケの説明から

ビジター前の小梨の木の説明

小梨(ズミ)の果実 

清水川の前で 

一緒に花の説明も

 風穴前のコケの説明

 上高地は苔の宝庫です

中川の水生植物の説明 

樹木につく苔の説明 

 スギゴケ

 終了後の挨拶
本日の写真です。

 本日は上高地ビジターセンターが主催するガイドウォーク特別編「コケの探訪会」に同行してきました。

ガイド役は上高地パークボランティアの先輩鈴木安裕さんで、自宅が近いため3年前我が家のアキニレの木に生えたキノコ「ヤナギマツタケ」の確認をしてもらい、一年後に覚悟を決めて食べました。

2年前に鈴木さんとパークボランティアの竹重会長らが企画したコケ觀察会に参加し、我が家にも数点の苔テラリウムが残されています。

そんなこともあって、本日は私の勉強とともに、しばらく参加していないガイドウォークのリハビリとしてお願いして同行させてもらいました。

参加して何よりも驚かされたことは、パークボランティアの会発足時から参加する鈴木さんの蓄積した知識は当然ですが、参加された人々の豊富なコケの知識と次々と出される質問に驚かされました。

さて、数年前に「大丈夫」、「大丈夫」と言われて松本市の中学校のガイドを引き受け、中学生をビジターセンターから明神池まで引率したことがありますが、いかに自分の引き出しが少ないかを実感させられる本日の観察会同行にもなりました。

本日は、上高地から御嶽山経由で帰宅しました。

本日の一言


隣の洋食屋さん

 本日の夕暮れ

 夕暮れの東の空

 一日の終わり

 美しい雑草

 本日の写真です。

本日は一人だけですが患者さんを搬送してきました。

朝起きてから午前中は体調不良のためうろうろしていると昼食となり、昼食後に再放送の鬼平犯科帳を見ていると引き続き再放送の刑事ドラマが始まります。

本日は途中でボランティアの仕事がありましたが、何もなければこれも再放送の水戸黄門が放映されます。

最近は私が何もできないため家内が二人分働いており、やっと仕事から開放された家内の休憩に珈琲店かマックへ行くと西の山に夕陽が沈んでいきます。

こんなことで一日が終わっていきます。

明日からは少しだけ新鮮な生活となります。

支払いばかりの生活を実感して

 かかりつけの彦坂外科

 かかりつけの調剤薬局
本日の写真です。

本日の唯一の仕事はかかりつけ医まで通院したことで、3月に受けた交通事故による指の痺れがいまだに続いていることから診察と投薬を受けました。

 実際には通院する前にガソリンを給油して珈琲店へ出かけており、何もしないままにお金だけ使う役立たずの生活というか、老害でしかありませんね。

 さて、かかりつけ医から帰り車を停めてから、毎日のノルマとする5千歩のウォーキングに出かけました。

考えてみれば、年金受給者となった老人と思えば寂しいものの仕方のない現実かもしれません。

名古屋まで病院と運輸局へ

台風一過 

 朝のモーニング 院内ハートフルキッチン

 医療費の自動支払機

 愛知運輸支局車検場

 愛知運輸支局 中川区

 一階フロア

 本日の写真です。

 本日は名古屋市の中村区にある名古屋第一赤十字病院の診察に訪れましした。

午前9時から整形外科で膠原病の診察ですが、診察前に血液検査と尿検査があり、検査結果が出るまで約一時間かかるため、8時には病院へ到着して検査を受けました。

これまでの診察は2時間から3時間待ちも当たり前でしたが、外来の診察開始直後の診察のため3人目の患者となり、あっという間に診察は終わりました。

もっとも、診察室には家内が同行したため、主治医が家内にも解るように説明し、私が心配性で次々と質問する度に家内を見て話す姿は、私がまるで保護者に付き添われているようでもありました。

さて、日常生活で身体に異変があった場合はどうしたら良いかとの質問に、「ボクに電話して」と返事があり、「手術中か学会に出ている時以外はつながるから」と言われたことで、大病院でありながら町医者のような心遣いに大きな安心感を頂いて診察室を退出しました。

本日は診察前に病院内にあるハートフルキッチンで家内とモーニングコーヒーを楽しむ余裕の通院となりました。

病院のある名古屋市中村区から中川区へ移動し、中部運輸局愛知運輸支局へボランティアで活動している福祉有償運送の実績報告書を提出して本日の仕事は終わりでしたが、主治医から発症前のような普通の生活をするよう言われたたものの、午前中は思うように身体がうごきません。

台風の進路よりも病院が心配な人たち

満杯の日光川

海南病院 愛知県弥富市

本日は患者さんの移送ボランティアです
本日の写真です。

日本海へ抜けた台風は愛知県にはほとんど影響がなかったものの、時折激しい雨が降り、植木鉢が倒れるような強風が吹き荒れる一日となりました。

こんな荒天の日でも重病患者や重篤な病気をもつ人は、診察とかかせられない薬を求めて病院へ行くことが必要です。

そんな訳で膠原病患者の私が移送することになり、本日は弥富市の海南病院まで私より症状の軽い患者さんを搬送してきました。

明日は私の通院の日となりますが、朝起きてみないとその日の調子が分からないため家内の車で送迎してもらうことになります。 闘病中の身にありながら果たすべき仕事もあり、明日はボランティアで活動する福祉有償運送の実績報告書を運輸局に届けてからの帰宅となります。

さて、週末は上高地を訪れますが、小梨平のケビンを問い合わせたところ、一泊5千200円の宿泊代が県民割により2千500円の値引きとなり、さらに2000円の商品券ももらえるとの話です。

 まさにタダ同然のようなサービスですが、病気療養中のため好きなだけ上高地に滞在できないことが残念です。

鉛色の空模様のような体調に

 昼のランチ 中華そば


 同級生が誘ってくれた昼食は昔ながらの中華そばですが、大と小の2つを合わせても千円でお釣りが返ってくる良心的なお店です。


ここで昼食後にマックへ立ち寄り雑談に花を咲かす機会が増えました。


ほとんどの同級生が会社や仕事を引退している中で、唯一頑張っている同級生ですが、こんな生活が彼が引退するまで元気でおられることを祈るばかりです。

 

夕方のマックの西方  15:32

同じく北西 

 18:00

18:01 

↓ 

 マックの西方

健康のため夕方にマックをめざして家内が歩き、車で合流した私とマックで休憩後に買い物に立ち寄り、帰り道は私が歩いて帰るというパターンも毎日の行事のようになりました。

 台風の進路予想 午後8時00分

我家の南方の空  19:12
本日の写真です。

 膠原病と診断され薬の処方を受けて2ヶ月になりますが、少しずつ回復しているとは思うものの、朝の起床時の体調の変化が大きく、朝にならないとその日の行動が定まりません。

午前中は基本的に療養と決めていますが、膠原病になってから体調が良い日は一日もなく、調子が悪いから何もしなければますます体が不調になっていきます。

身体に負担のかからない生活のノルマが必要だと実感させられます。

三重県桑名市の古刹 大福田寺へ

神宝山 法皇院 大福田寺

              三重県桑名市大字東方1426

大福田寺は、三重県桑名市東方にある高野山真言宗の仏教寺院。日本三大歓喜天のひとつに数えられ、毎月1日の聖天祭には多くの参詣者で賑わう。


縁起 | 大福田寺 (daifukudenji.jp)


 門前

山門

山門から見る境内

 本堂への境内

 大銀杏

 本堂

 本殿入口
大師堂 (右) と本殿

 手水舎

 聖天堂山門

聖天堂の鳥居

聖天堂 

聖天堂 (左) と本堂



伊勢七福神 伊勢西国三十三所

 納経所

 縁起
本日の写真です。

 本日添付したお寺は三重県桑名市の古刹大福田寺です。創建は飛鳥時代で、聖徳太子が開いたと伝わる真言宗の歴史あるお寺です。

本尊は阿弥陀如来で、三重四国八十八ヶ所霊場の一番札所で、伊勢七福神と伊勢西国三十三所の札所でもあります。

本日は偶然にスマホを見て大福田寺へ立ち寄ったため、真言宗のお寺であることも知らず、朱印帳も持参しておらないため、改めて参拝する旨を納経所に伝えて山門を出ました。

ところが、駐車場で偶然にも帰られた直後のご住職に声をかけられ、お寺の歴史や由来を聞くことができました。

そして、ご自身は次男のためお寺の後継者ではなく高校教師をしていたものの、住職の兄で先代住職が病で倒れられたため、64歳で僧侶になった経緯など時間を忘れて雑談に花を咲かせてきました。

こんなことが相性というのか、巡り合わせというのか分かりませんが、住職が私と同じ昭和28年生まれ(学年は住職が1年上)であり、真言宗や弘法大師を信奉する私にとっては久しぶりとなる初対面の僧侶と意気投合する出会いとなりました。


 住職との会話で毎月一日に桑名聖天月例祭が行われており、信者や参拝者が書き残した護摩木のお焚きあげが行われると聞き、来月に再度訪れる約束をしてお寺を後にしました。

大福田寺は愛知県津島市の我が家から車で40分程度の距離にあり、これから新たに参拝できる真言宗のお寺が増えました。

体調不良の一日となって


本日の歩数


 今日まで6日間の歩数


ノルマ達成です

本日の写真です。

毎朝起きた時の体調に変化があり、夜間の睡眠が浅いのが原因かどうかはわかりませんが、本日は朝から身体が重い一日となりました。

 明らかに膠原病が関係していることは間違いありませんが、身体が重い時に横になって休息するか、リハビリ感覚で苦痛を払拭して行動に移すか非常に迷うところでもあります。

本日は休養の一日として、家内の運転する車に同乗して移動したものの、車を降りる元気も湧いてきませんでした。

そんな中でも夕方になってマックまで歩き、一日のノルマとする5千歩を歩きました。

本日はそれだけですが、今週は一日五千歩のノルマを課してきたため6日目で一週間分のノルマ3万5千歩を達成することになりました。

通院の後で名古屋市中村区を歩いて

名古屋第一赤十字病院 中村日赤 

 バス停まで歩きます

 入ってしまいそうなお店

 昔ながらの建物

 中村保健センター

保健センターから見える中村日赤 

懐かしい喫茶店 

 名古屋太閤通り

太閤通りから見える中村日赤 

昔ながらの氷屋さんです 

 名鉄バス楠橋停留所

津島行きの 時刻表

 閑散としたバス車内
本日の写真です。

 本日は名古屋の中村日赤の診察日でしたが、昨年10月に手術を受けた前立腺肥大症の定期的な経過観察で、経過が良いので薬の投薬をなくす方向で様子を見ることになりました。

現在闘病中の膠原病については来週の水曜日が診察日で、こちらは薬の投薬を減らすなんてことは考えられず、大量に処方された薬に頼らざるを得ない状態です。

本日の通院は一番早い午前9時からの診察で、あっという間に終わったため病院の近くに住んでおられる膠原病の先輩へ連絡し、病院内の喫茶店で病状やボランティア活動について雑談に花を咲かせました。

本日の体調は決して良くはありませんでしたが、同じ病気を持つ知人との雑談は私のストレスを大きく取り除いてくれ、私を迎えに来るという家内の送迎を断り路線バスで帰宅することにしました。

日赤のある名古屋市中村区へは病院の治療と通院のために訪れていましたが、これからは昔ながらの街並みを眺め、懐かしい雰囲気を残すお店へふらっと立ち寄れるような余裕を持った通院にしたいと思いました。 

鉛色の雲に覆われた一日に


 午前12時10分


雨雲レーダー  15:56

 こんな中を歩きました

16時32分 

本日ガソリン格安デー  149円

 16時54分

外科でリハビリ中

本日の写真です。


本日の天気予報も終日雨の予想でしたが、時々差し込む日差しのもとでなんとかノルマの5千歩を達成しました。

 Coke ON の週間ノルマ3万5千歩まで三日間で一万歩を歩く必要があり、台風の進路や雨模様の予想の雲の合間になんとか歩き通そうと考えています。

本日も午前中から体調は不調で、ガソリンを入れ、かかりつけ医で交通事故のリハビリを受けただけで、何もしないままに一日を終えました。

明日は中村日赤 へ通院することだけが私の唯一の仕事となります。

ギャラリー
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