大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2022年11月

一年前の生活を繰り返していることにびっくりして

本日の夕暮れ 16:57

 本日帰宅後に一年前のブログを読み直すと、全く同じ場所まで買い物に出向いていたことが判りました。


ただし、一年前は15%の割引券を落としたため引き返していましたが、一軒のドラッグストアに5種類の割引券があるだけでなく、支払い方法についてもドラッグストアのポイントだけでなく楽天のポイントカードにもポイントが貯まっていきます。



昨年はスマホの中に割引券があることも知らずに引き返していましたが、最近はスマホを使いこなす生活に慣れたためスマホ内のサービスを有効に利用するようになりました。 


もっとも、スマホを持ち歩く前からJAFの会員でありながらカードを持参せずサービスを受けられなかった事も多く、行き当たりばったりの生活の見直しも重要と思います。


過去のブログを読み直すと、上高地や四国遍路など全く過去と同じような生活を繰り返していることを実感させられます。


一方で、一年前のブログには「コークオン」と「あいち健康プラス」によって、毎日の目標を立てて歩くことが記されていますが、今年は膠原病に罹患したことで目標を立てた無理なウオーキングはノルマにしなくなりました。


年齢を重ねることで身体の不調部分が増え、同じことをしていても行動範囲や中身が少しづつ変化していることも見逃せません。



終日の移送ボランティアが続いて

朝から名古屋市内へ 午前8:48

午後も名古屋市内へ 午後 14:34

雨に霞む名古屋駅前のビル群 

終日の雨でした 

 日課のマックへ 午後17:42
本日の写真です。

 膠原病と診断されて(今年6月)から早朝の体調不順が多かったため、自分が代表となっている福祉有償運送のボランティアも午前中は家内に任せて避けてきました。

もっとも、6月と7月は車の運転は全くできず、10月まではほとんど家内の運転で上高地も出かけていました。

今月から一人で上高地へは車で出かけるようになりましたが、朝起きてみないと判らない体調から午前中のボランティアは家内の仕事としてきました。

本日はその家内が体調不良のため、私が頑張ることになりましたが、元々車の運転が苦痛には思わないこともあって終日雨の中で無事に活動を終えました。

患者が患者を搬送すると冗談で話してきましたが、膠原病は一生完治しないと言われており、患者と思えは元気でも何もできません(笑)

さて、何事もなく一日が終わり、毎週火曜日の夜に開催される書道会の準備と、民生委員として担当している地域の人へ応対しているとびっくりの情報が飛び込んできました。

私の知人が新型コロナに感染しているとの情報で、私自身は一週間ほど顔をあわせておりませんが、それでも心配すれば全く安全とは言えずに心配となってきます。

無症状でも感染していることがあると聞くものの、何の症状もなくては病院へ行くこともできず、夜の書道会では元気に顔を出したメンバーと筆を置いたままコロナ談義となってしまいました。

知人の感染については感染前に市民病院と市役所を訪れているとの話ですが、わが家でも家内が市役所までマイナンバーカードの申請に度々訪れており、公的な施設については職員の感染状況についてもっと詳しく公開しないと怖くて近寄れません。

最近はいつ何処で感染するか判らないと言われていますが、高齢者施設や児童施設から感染する話が伝わってきます。

最近のコロナは重症化しないと言われるものの、感染者が出た幼稚園や学校が休校や閉鎖されないことは、無症状で家庭に持ち帰ったウイルスが家族を感染させる可能性も否めす、持病を持つ立場からは安心して外出もできません。

感染した人が再度2回目に感染となった話は、感染した抗体を持ってしても無力であり、ワクチン接種の効果にも疑問が湧いてきます。

コロナのワクチン接種をしないように呼び掛ける宗教団体もあると聞くと、まさに神頼みしかないようにも思われてしまいました。

天国の相棒リマへ手紙が届いて

ホームセンターが大好きだったリマ


本日、私の相棒だったリマへ予防接種の手紙が届きました。残念ながらリマは2年前に天国へ召されており、生年月日まで記された手紙が届いたことでリマの存在が公的に残っていた喜びの半面で、我が子を亡くしたような当時の悲しみがよみがえり涙がとまりません。

リマの生年月日2008(平成20年)年7月11日
リマの没年 令和2年5月25日

2011年04月12日
予防接種に訪れたリマとモモ

わが家では私が生まれた時から愛犬が飼われており、愛犬と共に生活するのは当たり前の環境でしたが、リマの登場から寝食を共にするような生活をしており、私の大好きな上高地や四国遍路も一緒に同行させていました。

 
小梨平キャンプ場の相棒リマ
2020-05-27

私の少年時代には犬は屋外につながれるのが当たり前でしたが、リマの先代となるモモがやってきた平成14年からは台所で生活させるようになり、リマは寝る時にはケージに入れましたが私と3メートル離れた場所で眠り、家の中で全く我々と同じように生活させていました。

そんな訳で、リマは現在でも庭のお墓でそのまま眠っていると思うようにしており、上高地や四国遍路に行く車の助手席にはリマのウエアをかけ、後部座席にはケージとリマが我が家へ一緒に持って来たストレス解消に振り回していた人形を同行させています。


我家にとってリマの存在は大きく、家の中だけでなく車の中で家内と口論になると自分のケージに入ってしまうため、リマが存在することで大声による口論も自制していました。

その反動は大きいですね。自分の父親が亡くなった時でも感じなかった悲しみがずいぶんと続き、私と家内はリマの後継となる愛犬は一生飼わないことにしており、リマが居ないことで家庭内の和やかな環境はずいぶんと減ってしましました。

リマの先代 モモ

2011年04月28日

こんな心境になったのは、リマの先代となるモモが人一倍人恋しく、雷が鳴っても悲鳴をあげ、私たちが上高地や四国遍路に行って不在の時は食事を一切口にせず、一晩中ヒーヒーと鳴いていたことから、小さなリマは完全に我が子のように生活させた反動と思います。


久しぶりに過去の懐かしい生活環境を懐古する一日ともなりました。


不調に渇 ウオーキングへ

 ウオーキング中の影

夏の残像

 ご苦労様

夕方の影 

 足がながーい私の影

 到着です

 ダットサン フェアレディ

本日 唯一の外出です

 夕暮れのマック

 周りの景色

 本日の写真です。

「今日の○○は何時だったかな?」
 「えっ? なんですか?」
「花見に行くんじゃなかったかな?」
 「花見って?」
「花見じゃなくイチョウかな?」

2年ほど連絡のなかった恩師から突然の電話ですが、元気な様子は判ったものの周りから聞こえる雑音から介助施設内からの電話でした。

自由に外出できないはずの恩師からの電話を施設へ再確認すると、現在は老人ホームに入居中で、面会はできないものの本人が電話をかけることは可能との話で、多少の認知症があるとの話でした。

本人は外出意欲満々ですが、家族の同意なくして施設から出ることはできず、施設での面会も禁止されているため会いに行くこともできません。

住宅型有料老人ホームのため、庭先から声をかけることはできそうですが、恩師の居場所が判ったので手紙や差し入れ位はできそうです。

それにしても、現役時代には校長まで務められた元気な人で退職後に立派な自宅を新築しておられるものの、高齢になると希望もしない老人ホームへ入らざるをえない現実には寂しさを覚えます。

さて、先週木曜日から続く体調不良のため何もしないまま夕方を迎え、身体に喝を入れるため家内とともにウオーキングへ出かけました。

本日はもう1件リハビリ病院へ入所中の知人からも電話がありましたが、電話を受けている私自身が膠原病の患者のため明るい話題も提供できません。

 今週は公的な外出予定も多く、週末は2日間ですが四国遍路を予定しているため、明日から体調を回復させていくことになります。

捨てられない過去の品々に

小さなプレートですが…

1998年 平成10年

裏側の記し
本日の写真です。

断捨離のため捨てる予定の箱の中に混ざっていたプレートですが、間違って(と言うよりも未練が募って)混入していたため本日取り出しました。

このプレートは朝日新聞社から頂いたもので、平成9年度に新聞社へ情報提供した件数と特ダネが存在したため翌年編集局長から特別に表彰された時の副賞です。


私は大学時代の昭和52年に朝日新聞の販売店を起業しました。

今にして思うと、新聞配達すらしたことのない、海のものとも山のものとも判らない学生の私を販売店の店主として指名した社員と英断した上司の正直な心境を知りたいものです。

一方で、経営者とは言え、休みの無い新聞販売店を躊躇なく決断した当時の心境が今現在の私にも信じられません。

しかし、やる気とは恐ろしいもので、数年後には地方紙の強い東海地区の朝日新聞販売店としては珍しい新聞の普及率3割を達成していました。

そのためには朝日新聞社が主催する高校野球や大学駅伝などはもちろんですが、朝日旅行友の会の企画旅行や、水郷釣り大会を開催し、昭和63年から平成5年まで地域のミニコミ誌「ふるさとアサヒ」を発行するなど販売店店主としては横道にそれた仕事が多かったことが結果的には良かったのかもしれません。

そうやって考えると議員になるためとは言え、議員との兼業禁止によって新聞販売店を廃業したことは一生の後悔にもなりますが、現在上高地や四国遍路をセカンドライフにしている起点ともなりました。

6年前に三男が接骨院を開業したため、事務所を2階に追われて朝日新聞社に関係する品々の大半を破棄しましたが残された物の整理も急務と思う一日となりました。。

本日も上高地をライブカメラで

五千尺ホテル河童橋ライブカメラから

早朝 ↓

↓ 車が入っています

↓ 人も居ます

本日の夕暮れ


上高地の閉山式から帰って10日となりましたが、体調不良もあることから何もせずにパソコンの前に座ると上高地のライブカメラが気になり、眺めているとダイナミックに変わる映像と、仕事中の車両の動きや登山者の動きがあり眺めていると一日が無気力のまま終わってしまいます。


そして、一年前にも同じように上高地の余韻に浸った一言を記していました(笑)


21年11月25日 一年前の一言です

 閉山式が終わったといっても、釜トンネルの入り口までバスは走っており、釜トンネルを歩いて行けば上高地へ入ることは可能で、ライブカメラにも河童橋を通過する登山者や仕事で入ってくる車の姿が眺められます。

  

昨日のライブカメラ 人が居ます


さて、体調不良もあって身体を休めていると余計に身体が重くなり、不調であっても外出する目的を作らないと身体が鈍ってしまうことが自分でも実感させられます。


もっとも、有償とは言え低額のボランティアしか仕事が無い年金受給者ゆえに、外出すればするだけ出費が増えるため、動いたら動いただけ年金が減っていくことになってしまいます。


セカンドライフは上高地と四国遍路としているため、しばらく上高地は行かないものの、体調維持と健康のためとは言えお金のかからない外出も考えてみたいと思います。


喪中はがきが届けられて


私は20年以上前から年賀状を出していないため、届けられる年賀状も限られていますが、そんな中に高校の大先輩でありながら無礼な後輩のために毎年年賀状をいただいていた貴重な先輩の奥様から喪中のハガキが届きました。

はがきに記された年齢を見れば驚くことではないかもしれませんが、昨年7月に個展を主宰されていたことを考えると想像できない便りでもありました。

21年7月15日

久々の個展 よったりの5日間展へ 愛知県一宮市 | 大鹿一八 『今日の一言』 (ameblo.jp)


今にして思うと、車椅子で会場に居られたことから、個展が最後の顔合わせになることを周りは予感されていたのかもしれません。


かつての喪中はがきは両親や年長者の案内でしたが、最近は同世代の知らせも届く為そのたびに心が滅入るようになりました。


 昔ながらの田んぼ道

かつては当たり前の田んぼ道が最近では珍しくなりました。

 疲れた時の居場所


 さて、昨日から体調が不調に陥っており、身体を休めても一向に回復せず、風邪とは思うものの何が原因か判らず、コロナ禍であることと膠原病を罹患していることから行くべき病院の選択すらできません。


そんなわけで身体を奮い立たせて外出したものの、体調が悪いと気休めにもならず、明日の起床時に回復していることを祈るしかありません。


上高地のライブカメラの一週間

本日23日の写真です。
午前中の河童橋
 本日の愛知県は午前中から雨の一日となり、夕方には激しい雨が音を立てて地面を叩きつけました。

閉山式から一週間が経過した上高地も本日は吹雪かと思いましたが、ライブカメラを確認すると上高地も終日雨の一日となったようです。

21日のライブカメラ


20日のライブカメラ





18日のライブカメラ

後片付けの車が入っています。
ここからは夕暮れです




16日のライブカメラ




閉山式翌日です
閉山式翌日には上高地に雪が舞いました。

15日の閉山式

閉山式から来年4月まで上高地へ入るためには釜トンネルを歩いて行かなければならず、以前ならどうやって行こうかと考えましたが、膠原病に罹患した今となっては自宅のパソコンからライブカメラの映像を眺めるだけになってしまいました。

さて、上高地の帰り道に立ち寄ることにしていたさわんど温泉「梓湖畔の湯」が本日紹介されていたものの、温泉の写真が一枚も無いため11月14日の写真を添付しました。










 さわんど温泉郷には多くの温泉があり、日帰り温泉も複数存在しますが、気軽に利用してゆっくりできるのが梓湖畔の湯です。

冬期も週末は営業していると聞きましたが、私は上高地が開山する来年4月までは暫しのおあずけとなります。

名古屋駅で御座候(大判焼き)をお土産に

 御座候(大判焼き)

 名鉄勝幡駅から 12:40

 須ヶ口駅で乗換 12:50

 名古屋駅前へ 13:20

打ち合せのお店 


 本日午後は、3年後に開催予定の高校同窓会の打ち合わせのため名古屋駅まで移動しました。

名古屋駅は我が家から車で30分の距離にありますが、駅周辺には車が駐車できないため、車を勝幡駅へ駐車して電車で移動すると結構面倒な行程となります。

本日は同級生の車に同乗して二人の移動となりましたが、途中駅で同級生が乗り合わせ雑談に花を咲かせながらの名古屋行きとなりました。

そして、ランチ会場へ…

ここからは

スタート 

 早い!早い!!

あっと言う間に 

 カンバン

アンコを乗せます 

まもなく出来上がりへ

 また繰り返しへ

長蛇の列です 

次々と売れて行きます 

 包装も手早い



本日の写真です。

本日の名古屋行きは同窓会の打ち合わせが目的ではあるものの、孫が大判焼き「御座候」が大好きだと、出かける前家内に聞いていたことからこちらが主目的になっていました。

現実には待たされることが大嫌いで、普段なら行列に並ぶ気持ちにもなれませんが、大好きな孫のためですから喜んで並びます。

「おーい、御座候を買ってきたぞ」
「今は食べられません」
「えっ、なんでー」
「今パンを食べたばかりなんで…」
「ガーン!!」

孫のために買ってきたお土産ですか、喜んで食べる孫の姿を見れないと何のために買ってきたのかわかりません。 がっかりです。

ただし、夜になってから孫が空になったカラ箱を持って見せに来たため、「まだあるぞー」と心にもない言葉が出るところに孫の可愛い存在があります。

さて、今までは孫の好き嫌いや好みを聞いてお土産を購入していましたが、最近になって私の好物であるみたらし団子や大判焼きなど孫の好物も私に似ていることも分かってきました。

本日のように行列に並んだ買い物や、ケージで飼われているニワトリ
のようで大嫌いだった回転寿司も孫のためなら行けるようになりました。

孫が一人前の大人になるまでは死ねませんね。

21日はお寺で写経と阿息観へ

本日の般若心経

参道の幟旗

津島市越津町 高野山真言宗弘盛寺

弘法大師と十三佛

本堂

境内

四国椿堂ゆかりのツバキ

本日の写真です。

毎月21日はお寺の日と決めてあるものの、上高地や四国遍路ばかり考え不在が続き、本日は久々に町内のお寺を訪れることができました。

久々に訪れてお寺の境内を見渡すと、私が四国別格霊場の椿堂さんから頂いて持ち帰った弘法大師ゆかりの椿の木が主を待つかのように迎えてくれました。

改めて案内板を読んで、この椿は弘法大師が地域で流行していた病を封じ込めたと言う伝説の椿で、町内のお寺でも病気平癒の案内が出されていました。

今年7月に膠原病と診断され、四国霊場や真言密教のお寺に病気平癒と手を合わせながら、町内のお寺だけでなく我が家にも一緒に持ち帰った「病気平癒」の椿があることを改めて認識させられました。


 
写経道場


さて、本日は阿息観に参加するためにお寺へ向かいましたが、ちょうど若い女性達が写経を始める時に訪れたため私も写経に参加することになりました。

2010年06月03日

かつては般若心経や座右の銘を書道展に出品しており、複数の知人から作品を所望されていたことを考えると今年になって膠原病を患ったとはいえ随分と書の腕が低下したことを本日の写経で実感させられました。

お寺でリラックス


真言宗のお寺のありがたみは、本堂でもリラックスしてくつろげる環境があることで、月に1回はお寺に座ってゆっくりすると心が落ち着きます。

阿字観掛軸ご本尊
阿字観道場 (本堂)
 阿字観(あじかん)とは、真言密教の瞑想法の一つであり、瞑想により「世界と自分はひとつである」ことを実感することです。 密教の根本経典の一つである「大日経」で説かれ、平安時代に弘法大師空海によって日本に伝えられた瞑想法です。

2011年07月21日

本日開催された阿息観は阿字観の入門編とも言える瞑想法ですが、過去のブログを振り返るともう11年も前からこのお寺に足を運んでいたことにびっくりさせられました。

上高地:日本一美しい自然の聖地 上祐史浩オフィシャルブログ     http://ameblo.jp/joyufumihiro/entry-11915696228.html

上高地の下見:自然の中での体験と陰陽の自然  2011-08-26     http://ameblo.jp/joyufumihiro/entry-10998562440.html


私は上高地で穂高連峰から降りてくる霊風を吸い込む阿字観を理想としていますが、私と同じ感覚で上高地を訪れていた上祐さんによって、上高地と真言密教の聖地高野山や四国遍路の延長線上にあることを確信させられました。

  

 抹茶とお菓子


 我が家は浄土宗の檀家ですが、かつてのお寺では当たり前だった環境が真言宗のお寺には存在し、私が元気で外出できるうちは四国のお寺や高野山だけでなく、各地の真言宗のお寺を訪れていきたいと思っています。

本日は久しぶりにリラックスできる一日となりました。

漫画家佐藤まさあき由縁の稲沢市黄葉まつりへ

祐専寺 


祐専寺(ゆうせんじ)は、愛知県稲沢市祖父江町山崎柳野11にある真宗大谷派の寺院。山号は太子山。本尊は阿弥陀如来。祐専寺は黄葉まつりのメイン会場になっています。

門前に置かれた大瓦 

 境内

 大銀杏

 祐専寺イチョウの由来

本堂
昨日の写真です。

ここからは山崎地区ゆかりの話です。

 漫画の表紙

 名鉄山崎駅

 祐専寺と近景


 佐藤まさあきは昭和12年生まれの漫画家ですが、小学校3年生の時に大阪から父親の生家であった祖父江町山崎(現在の稲沢市)に疎開し、祖父江中学を卒業するまで生活しています。

添付した「夕映えの丘に」は、昭和45年に少年サンデーへ自分を主人公として祖父江町で生活した少年時代を連載しています。


少年時代に佐藤まさあき氏の漫画を見ると時々祖父江町と思われる風景が登場しました。


そして漫画の画風について、氏の疎開時代に受けた理不尽な生活が大きく影響していたことも「夕映えの丘に」を読むとよく理解できます。


さて、氏の書き残した漫画の風景を今でも残す山崎地区ですが、戦中や戦後に疎開した子供たちを受け入れぬ封建的な土地柄だったことを考えると、この地区が祭り会場になっていることに違和感も覚えてしまいます。


 ここから黄葉まつりの会場である山崎を歩きます。

 祭のボスター

祐専寺門前 

 イベント会場と本部席

 イチョウ並木

 見事な黄葉

山崎駅と名鉄電車

 ぎんなんの里

 大量に落ちた銀杏

銀杏の実

農家の即席販売

私の恩師の残したぎんなんの説明

樋田豊校長

 校長と歴史探索


添付した写真は私の高校時代の写真ですが、樋田先生は校長のため担任や授業に出ないために生徒との縁が少なく、私を探して私のクラスの近くまで来ては「大鹿君、今度の週末はどうかな?」と毎週のように誘われ、祖父江町の旧家や郷土の歴史を調査する先生に連れられて各地を歩きました。不良で落第生の私を恥ずかしいとも思わず、何所にでも連れ歩いてくださいました。

郷土史の大家であった樋田先生は、その後祖父江町史も執筆されていますが、自分だけでなく私が同行することで地域を廻りやすかったようで、住まいが私と同じ津島市だったこともあり、地元の旧家も同行したため高名な先人との知遇を得るとともに、私の結婚式には校長会を欠席してまで出席して頂いた大恩ある恩師です。

もちろん銀杏の歴史についても詳しく調べられていました。

そんなわけで祖父江町には多くの恩師や先輩に恵まれていましたが、多ければ多いほど訃報も続き地域を廻ると寂しさも否めません。

津島市内の絵画展から祖父江町の黄葉まつりへ

 津島市南新開の紅葉

 絵画展へ

 案内板

津島市児童科学館玄関

 ポスター

 会場

 作品

 知人の作品


本日は案内のあった中部一線小品展の洋画を鑑賞するため津島市内にある津島児童科学館を訪れました。

多くの作品が展示されていましたが、私は自分の出生地である母親の在所(祖父江町)の隣に住んでおられた幼馴染であり高校の先輩にもあたる女性の作品を目的に訪れました。

女性と親交のある私の従兄弟が、案内してくれたことで数年前に開催された絵画展にも訪れましたが、幼い子供の頃とは全く容姿を変えてしまっても子供の頃の顔や、亡くなった祖父母の顔まで思い浮かべる機会にもなりました。

次に開催される絵画展にも元気な姿で訪れることができるようにしたいものです。

 本日の写真です。

神野大地くんです。私の母校である神守中学校の後輩にあたり、私が同窓会長時代には活躍する青山学院大学の彼を応援するため大学駅伝の三重県の中継店を訪れたのも懐かしい思い出になってしまいました。

神野くんのお兄さんが私の三男の同級生にあたり、神守中学校陸上部からインターハイの走り高跳びで入賞した長男や、相撲部や自転車競技で全国大会に進んだ次男や三男を彼の存在から思い出す貴重な存在にもなりました。

神野君の頑張っている姿からも元気がもらえます。

さて、ここからは祖父江町へ移動します。

 稲沢市のひまわり畑

 まだ残っていました

 となりのコスモス畑

 〒492-8409 愛知県稲沢市井堀橋下町62−2


道草です

名鉄森上駅前ロータリー 

 バス停

名鉄森上駅 

駅前の記念碑 

内閣総理大臣安倍晋三氏の揮毫です

旧のんき屋隣のたこ焼き屋 

 一宮方面からの電車

 津島行きです

 津島方面からの電車

 一宮行きと津島行きの電車


終戦直後に中国の満州鉄道から帰ってきた私の父親が、名鉄職員になった直後に勤務していたのが尾西線の森上駅でした。

私の母親は現在のアイコク工業が経営していた森上郵便局に勤めており、私にとって森上駅は自分のルーツでもあり、高校時代には駅前ののんき屋や駅周辺の人には我物顔で可愛がってもらいました。

ここの駅や線路は70年前に父親が働いていた場所であり、50年前には自分が通学していた駅と考えると感慨深いものがあります。

さて、ここからは黄葉まつりへ

 黄葉まつりのノンボリ

 名鉄電車のポスター

 黄葉まつりのポスター

 会場のイチョウ

 不動明王かな?

 本日訪れた旧祖父江町の黄葉まつりについては明日以降に添付します。

自宅周辺の雑草から上高地を回顧して

コセンダングサ

 コセンダングサは、キク科センダングサ属の一年草。道端や空き地などに生える雑草。 和名は、センダングサより小さいという意味だが、実際はセンダングサより小型ではない。 


 センダングサ
 種子
 花と種子の混ざったセンダングサ
 本日の写真です。


21年6月28日の一言

上高地と思って近所を歩いて | 大鹿一八 『今日の一言』 (ameblo.jp)


上高地のパークボランティアの仕事の一つとして外来植物の調査があり、私は田代橋から河童橋まで梓川両岸と小梨平までのセンダングサの関係植物を担当しています。


センダングサは全国各地の空き地や道路に群生し、花が終わると種子が衣類やズボンにくっついて取れない厄介な外来植物です。我が家の周辺にも多くのセンダングサが群生しています。


もっとも、昨年から私が担当する上高地では一度も目撃しておらず、担当地域には生えていないものと思います。私としては上高地にセンダングサが侵入するのを阻止する任務でもあります。


 梓川左岸

 梓川右岸

 小梨平で巡視中の私


現役をリタイアするまで私自身は植物や草花には全く無関心でありましたが、上高地の外来植物を除去したり調査する活動により、愛知県に帰ってからも雑草の名前やセンダングサが我が身のように感ずるようになりました。


上高地が閉山となってからまだ二日目にもかかわらず、随分と時間が経過したような錯覚と同時に、まだ閉山になっていないような気持ちで自宅周辺の植物を眺めてしまいます。


まさに上高地病ですね。


本日は高校時代の友人と共に一宮市に住まわれる恩師を訪れて懐かしい昔話に花を咲かせてきました。


地元に帰り自分のやるべきボランティアに専念し、上高地のシーズンオフの間にセカンドライフとする四国遍路や、懐かしい知人を訪れるなど上高地を忘れて日常生活に戻して生活したいと思う一日ともなりました。


本日の上高地には雪が舞って

雪で真っ白な河童橋

本日の上高地ライブカメラの映像です。

 毎年のことではありますが、今年は上高地の閉山式まで我慢していたかのように、本日は真っ白の冬景色となりました。

本日から4月の開山式まで、上高地ファンは五千尺ホテルとビジターセンターのライブカメラから上高地の様子を眺めるしかありません。

 閉山中でも施設には電気がつながっているそうなので、ライブカメラの映像が途絶えることなく流されてくることを祈るばかりです。

昨日の河童橋
昨日はこんなに人で賑わっていたのですが…

閉鎖された小梨平野営場

田代橋近くの公衆トイレ

閉鎖されています

冬用のトイレ

釜トンネルが閉鎖された上高地はしばらくすると真っ白な白銀の世界となりますが、人が全く出入りしない上高地は、カラーではなく白と黒の全く雑音のない無音の世界となります。

閉山中の上高地も魅力がいっぱいです。

 さて、昨日訪れた上高地帝国ホテルは陽が当たらない早朝のため、見た目の悪い写真を添付してしまいましたが、帝国ホテルのイメージに近づけるため本日も写真を添付しました。

帝国ホテル前バス停

帝国ホテル入り口

全景

ホテルから見る穂高連峰

帝国ホテル玄関ロビー

ホテル正面の全景

ホテル裏側

ホテル裏側の広場

客室から見える明神岳

裏側からの入り口

帝国ホテル社員寮

白樺と笹原

残念ながら私は一度も宿泊したことはありません(貧乏人です)が、私の主催する朝日旅行友の会の観光バス全員で珈琲とケーキを楽しんだこともあり、家族やグループでは10時から先着20名限定のケーキセットを目的に訪れたりランチを楽しんできました。

個人的な話となりますが、私の所有するジャンボタクシーを玄関に横付けすると、制服姿のホテルマンが一斉に乗客を出迎えてくれ、一緒に同行した人々は感激で、ホテルの正面横に車を駐車すると日頃のストレスがぶっ飛んでしまいます。

 しばらくは過ぎ去った上高地を懐古する私の一言を我慢してご覧いただければ幸いです。

上高地閉山式までカウントダウン 3

コスモス畑 愛知県弥富市(旧十四山村)

 コスモス畑の入り口です

 はるか遠方までコスモス

 映像

 鮫ケ池地区

 四方がコスモスです

 映像

私の影

本日の写真です。

 昨日道に迷っている間に何度も通ったコスモス畑が気になり、本日は家内と一緒に弥富市の旧十四山村の鮫ケ池地区を訪れました。

これまで何度も各地のコスモス畑を紹介してきましたが、こんなに大きいコスモス畑は海部郡では一番ではないでしょうか。

もっとも、先月の20日頃が見頃だったとの話で、最盛期の朝や夕方のコスモスは輝いて綺麗だったと思われ、来年には元気で訪れてみたいと思います。

ここからは上高地です。
 上高地ビジターセンター

 ネイチャーガイド中

 はい、チーズ

 明神橋

 穂高神社奥宮前

 上高地PV鈴木さんのコケ観察会

 上高地PV松本さんの定点解説中

 小梨平

小梨平の映像


河童橋

映像


 上高地の平山式までカウントダウン3日となりました。

環境省ビジターセンターを中心として、パークボランティアの先輩たちがネイチャーガイドや設置した双眼鏡の前で定点解説をしていた姿も懐かしい思い出となりました。

上高地の閉山まで四日間となりました

何処か判りますか? 

 2階フロア

 1階カウンター

 駐車場

 マックデリバリー

 マック大治店
本日の写真です。

 今年始めて上高地へ入った4月の大正池です。

 4月23日の大正池

 ここからは11月4日の写真です。

大正池と穂高連峰

 大正池と焼岳

 映像

 田代池

 田代湿原

11月5日

 10月22日

 映像

4月27日に開山した上高地もあっという間に半年が経ち、気が付くと15日の閉山式まであと4日になっていました。

 今年は膠原病に罹患したため、ドクターストップによって6月と7月は上高地へ行けませんでしたが、一年間に撮りためた写真の多さから目的とする写真がなかなか見つかりません。

本日は大正池から田代橋周辺までの写真を眺める一日となりました。

となりの愛西市 コロナワクチン接種で死亡

本日の夕暮れ 午後5時15分

ひまわり


上高地ビジターセンターの発信した8日の夜空です。

ビジターセンター前の広場から眺めた皆既月食(中央あたりの赤みのある天体が月です)


ビジターセンター  新着情報 (kamikochi-vc.or.jp)
  
  8日夜の天体ショーについて、私自身は直接見ることもありませんでしたが、複数の知人から LINE やブログへ写真が送られてきました。

そんな中で、上高地のビジターセンター職員により複数の写真が発信されており、遅ればせながら LINE に発信すると、月の皆既月食よりも上高地そのものの夜空の星の素晴らしさに多くの意見が寄せられました。

そんなわけでここにも夜空の写真を添付しました。改めて上高地の自然環境に感謝です。



 愛知県愛西市で今月5日に実施された新型コロナワクチンの集団接種で、40代女性が接種後に体調を悪化させて死亡した、と市が10日までに明らかにした。県医師会の柵木充明会長は同日、朝日新聞の取材に「(強いアレルギー反応の)アナフィラキシーの可能性が考えられる」と述べた。 朝日新聞引用


 さて、私の住む隣町で新型コロナのワクチン接種により40代の女性が亡くなったとの報道が全国へ発信されています。

状況からアナキラフィシーショックによって亡くなられたと思われますが、何よりも問題なことは接種会場で対応に当たっていた医師や看護師がアナフィラキシーショックになった患者に対応したことがないとの報道が出ていることです。

万が一を想定して摂取後に接種者を会場へ止めているにもかかわらず、万が一の事態に対応できない医師や看護師しかいなければ意味がありません。

自分自身が接種を受けた状況を振り返ってみると、万が一のショック状態に陥った時に果たして医師は対応できたのかと考えさせられ、あまりにもずさんなワクチン接種の環境でしかなかった現実に驚きです。

持病を持った患者は積極的にワクチン接種を受けるように宣伝しながら、接種を受けてショック状態から命を落としても、死因を自ら持つ持病のせいにされたらたまりません 。

安易に考えられがちな新型コロナワクチンや、インフルエンザに対するワクチン接種ですが、重篤な病気を持つ患者については主治医のいる病院で接種するなど安全対策を考えないとこれからの接種は受けられません。

そしてなによりも悲しいことは事故の起こった愛西市には万が一の場合に搬送される病院すら存在しない環境にあることです。そんな環境下で亡くなられた今回の事件を、徹底的に検証して二度と繰り返してはなりません。

通院日がランチと五平餅の一日となって

何だか判りますか?

入り口です

ナイチンゲール像

見つめるのは?

名古屋第一赤十字病院でした

中村日赤
本日の写真です。

「調子はどう?」
「随分と良くなりましたよ」
「でもね、数字が良くなってないんだよネ」
「身体は良くなっているんだけど…」
「だよねェ、悪かったら上高地なんか行かないもんね」

本日訪れた中村日赤の主治医との会話ですが、身体は確実に軽快になっているのに、膠原病の血液検査の数値は改善していないことに、私だけでなく主治医も首を傾げたものの原因は判りません。情けない話ですが、自分の身体のなかで起こっていることすら判りません。

「上高地が原因なんてことはないでしょうね?」
「ない、ない」
「良かったぁ」

上高地のボランティアは1日2万歩ほど歩いてしまうため、先週末に訪れた今回の上高地は午後から半日だけの活動に徹していました。


もっとも、午前中は安曇野の古刹を訪ねて歩いていたので身体を休めていたとは言えませんが、適度な運動になり私のストレス解消となる上高地は主治医からドクターストップになることはなくなりました。

待ち時間が少ない9時からの予約になっており、あっと言う間に診察が終わったため、名古屋市内に居た家内を呼んで合流後に中村公園へ移動です。

豊国神社参道

中村公園大鳥居

何処か判りますか?

中村の老舗珈琲店

食事のサンプル

ナポリタンとオムライス

ランチに訪れたチェリーは、中村公園に近い名古屋では老舗のコーヒー店ですが、先代は私と同じ津島市の旧神守村出身で、亡くなられた奥様は私と同じ越津町出身で私の父親とは小学校の同級生でした。

ここで家内はナポリタンを注文し、私は懐かしいオムライスを食べました。まさに昭和の雰囲気です。

そして、車をそのまま置かせてもらい、豊臣秀吉が祭られている秀吉生誕の地「豊国神社」を久しぶりに参拝しました。

豊国神社の鳥居

中村公園

参道

手水舎

本殿

ひょうたんの板へ祈願

おみくじ

日吉丸と仲間たちの像

ひょうたん池

太閤池
再度チェリーで珈琲を飲んでから家内とは別々に自宅へ帰りました。

その前に…

チェリー前

大鳥居方向

豊国神社方向

さて?

五平餅のノボリ

高山団子と五平餅のお店

朴乃木屋

みたらし団子と五平餅

ご主人

参道両側の出店


中村公園では豊国神社の参道両側に毎月9の付く9日と19日、29日に「九の市」が行われており、多くの出店が軒を並べ人々が集っています。

偶然にも中村日赤への通院日が九の市と重なり、通院していたことを忘れてしまいそうな一日となりました。こんな通院ならストレスは溜まりません。

安曇野市の古刹 真言宗の平福寺

4日(木)の写真です。

長尾山 平福寺
長野県安曇野市三郷温4372

門前の柿

仁王門

参道
百体観音像
稲荷大明神
弘法大師空海が遣唐使船で日本に帰るときに、中国から付いてこられた中国の神様ですが、真言宗にはお稲荷様を祀るお寺が多く存在します。

太子殿 手前は十三仏石像
太子堂には聖徳太子が祀られています

聖天堂
 富貴を授けるという大聖歓喜天尊が祀られており、商売繁盛を祈願する人々に信心されているようです

参道

大杉

大銀杏

本堂

本堂前
 高野山真言宗の寺院である長尾山平福寺は、千年以上の歴史を持つ安曇野屈指の古刹です。その開基は不詳ですが、諏訪大社下社にあった神宮寺の僧・憲明阿闍梨(?-1396)の中興とされます。

お賓頭盧様

扁額

絵馬

絵馬

千匹馬

絵馬

案内板

本堂から見る参道

修業大師像

遍照殿(客殿)

納経所

大師堂

安曇野大師

集められた無縁仏など

幡隆上人の名号碑(パンフレットから添付)

一冠木門 (通用門)
この門は悪鬼から聖域を守る意味があるそうです

11月4日の写真です。

 長徳年間 (995年~99年) の創建と伝わり、本尊の木造聖観音菩薩立像は平安末期の作風を残し、鎌倉初期の重厚さがにじみ出ていると言われる長野県安曇野市では最古の仏像だそうです。長尾の観音様と昔から庶民に親しまれてきた広大な境内を持っていた古刹ですが、明治初期の廃仏毀釈によって観音堂を残して廃寺となったことは残念の一語です。

 平福寺を訪れる前日に参拝した満願寺 (725年創建) と松尾寺 (651年創建) も真言宗のお寺ですが、先月参拝した松本市の真言宗山派の牛伏寺 (ごふくじ756年創建) も含めて、弘法大師空海の真言密教が高野山から遠く離れた信州で伝承されてきたことに驚きです。

 牛伏寺では毎日護摩木を焚き上げる密教伝来の祈願が僧侶によって行われていますが、平福寺では地域をつなぐ交流施設が新たに建てられており、ダンスや武道だけでなく宿泊もできるうえに葬儀や通夜もできるという現代風の魅力あるお寺でした。

 上高地の行き帰りの道草ですが、信州には歴史のある古刹が点在することから、四国や高野山から遠く離れていても弘法大師空海の近くに居るような同行二人を実感させられるようになりました。これも来週15日の上高地閉山式が最終日となります。

安曇野市の古刹 松尾寺と満願寺

3日(木)の写真です。

満願寺駐車場
長野県安曇野市穂高牧1812

本堂への参道

本堂

栗尾山満願寺の扁額

満願寺は、長野県安曇野市にある真言宗豊山派の寺院。山号は栗尾山。千手観世音を祀っており、信濃三十三番札所の二十六番札所である。「信濃高野」とも称される。 
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 本尊は千手観世音で、神亀年間(725年ころ)に、池から出現した1寸8分(約5cm)の仏像を安置し、堂宇を建立したのが創建の由来であると伝わる千三百年の歴史を刻む古刹ですが、

1870(明治3年)の廃仏毀釈により廃寺となった。6年後の1876年に再興された。

鐘楼堂

観世音菩薩像

聖天堂

由来

境内

弘法大師 空海像

納経所

庭の剪定中


 お経橋のたもとには地蔵堂が建ち、中には500体に上るお地蔵さまが祀られている。子授け地蔵として古くからの信仰を集めており、この地蔵を借りて行って添い寝すると子宝に恵まれると言われると発信されているが、残念ながら山門は訪れておらず、何よりも“安曇野の名水”として知られる標高900mの境内から湧く湧水を知らずに参拝してしまいました。


道祖神

安曇野から見える北アルプス

ここからは松屋寺です。

松尾寺公園入口

長野県安曇野市穂高有明7327

案内板

藤棚

紅葉したドウダンツツジ

山門への参道

山門

参道

本堂への石段

鶴王山松尾寺本堂


松尾寺は 長野県安曇野市穂高有明に在る高野山真言宗の寺院。山号は医王山。院号は常楽院。本尊は薬師如来。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 『長野県史』では本尊を安置する薬師堂を造営したのが支族の古厩氏である盛政で、創建自体は白鳳2年(651年)までさかのぼるとしているが、信府統記によると1528年、仁科盛政を開基として中興されたとされたともある。本尊は薬師如来。

 どちらにしても残念なことは、満願寺と同じく明治の廃仏毀釈によって、薬師堂(本堂)と仁王堂を残してすべて取り壊されてしまったことで、お寺周辺には、桜、水芭蕉、カタクリ、藤棚、ボタンなど、季節によっていろいろな花が楽しめると言い、大規模に藤棚や公園内には郷土資料館もあるのでゆっくりと訪れたいお寺です。

案内版

静かな境内

大師堂


地蔵菩薩

水車小屋

寺伝

樹木に囲まれた駐車場


安曇野


弘法大師空海が誕生したのが774年のことで、高野山開創が勅許されたのが816年であることを考えると、715年に池から出現した仏像を堂宇に安置したとされる満願寺の歴史は古く、松尾寺が651年に創建された(1528年創建との説もあり)とすればとてつもない歴史を有していることになります。


 長野県の松本市や安曇野市に、こんなに歴史のある古刹が残されていることには驚きで、参拝する人の姿は無かったものの、参拝できる環境が整っており感動の参拝となりました。


3日はその後午前中に上高地へ入り、田代橋から小梨平まで巡視した後の午後は、環境省ビジターセンター前で望遠鏡を出して定点解説中の先輩ボランティアを手伝って一日の活動を終えました。


新島々駅から松本電鉄波田駅へ

松本電鉄 新島々駅

切符

松本電鉄の電車

運転席

車内

車窓から見えるリンゴ畑

車内のビデオ

波田駅ホーム

松本電鉄波田駅
踏切 松本方面

波田交差点

松本市役所波田支所前

旧役場建物

支所玄関

文化祭

地元小学生の合唱

満員の会場


新島々バスターミナル 昭和42年頃

島々駅前風景 昭和30年代

波田駅ホームからの旅立ち 昭和34年4月

何の写真だと思いますか?

葬儀の風景 大正13年頃

長い葬列にびっくりです

手作りの惣菜売場

地産野菜

踏切 新島々方面

切符

波田駅ホーム

新島々行き電車

運転席

新島々駅ホーム


昨日の写真ですが、上高地の定例会に参加する前の早朝に、新島々駅から波田駅まで松本電鉄の列車に乗って波田地区の文化祭に行ってきました。


昨日にも記しましたが、その中の昔の写真展を鑑賞した際に昔の新島々駅の様子や、波田駅から就職のため旅立つ生徒の姿に感動させられ、とりわけ大正時代の葬式の様子から、地域全体で葬列を作って送った日本の原点のような写真を添付するため昨日を補完する書き込みとなりました。


コロナ禍により町内どころか近所の訃報にも無関心な世の中になりましたが、大正時代には村の住民総出で葬列を組んだ写真は日本人の忘れてはならない風景だと思います。


ここからは昨日の上高地です

雪をかぶった穂高連峰
梓川とカラマツ

まるで極寒のように感じた冬の上高地から愛知県へ帰り、環境省や多くの仲間たちの顔を思い浮かべると虚脱感すら感じられる一日となりました。


4月に開山した上高地も、来週15日には閉山となりますが、美しい上高地の風景に慣れすぎて最近は雑に発信している感があります。


上高地の素晴らしさを、下記に添付した私の発信した今年の過去ログからご覧いただければ幸いです。



3日から5日まで訪れていた安曇野の真言密教の古刹と、上高地の様子を明日からも添付します。


飛騨の味 団子の朴木屋

 人気の団子屋さん

 桑名市の大福田寺前です

 山門から見る団子屋さん

 五平餅

みたらし団子  甘辛味

みたらし団子 醤油味 

 朴木屋
昨日の写真です。

昨日訪れた三重県桑名市のお寺の門前に出店していた団子屋さんです。

高山団子と五平餅の看板の通り、飛騨の味と朴の木平スキー場のある旧丹生川村の味との話ですが、店主は愛知県犬山市から来た人だそうです。

テレビで何度も紹介されたと聞きましたが、確かに味は美味しく私好みの団子でした。

毎月1日に桑名市大福田寺へ出店しているとの話ですが、私の住む地域へは、9日に中村公園で開催される九の市の珈琲店前に出店しており、5日と13日には八事の興正寺に出店するとの話でした。

五平餅餅が250円、3玉五平餅120円、みたらし団子が80円で大福餅も売られていました。

次は愛知県で出会うことを約束してお店を後にしました。

桑名市 大福田寺の聖天秋季大祭へ

 桑名市 大福田寺

 本堂への参道

 聖天尊への参道

 聖天尊本堂


大福田寺の縁起

当山は神宝山・法皇院 大福田寺と称し、今より約千四百年前、用明天皇(在位585~587)の皇子 聖徳太子(574~622)が伊勢の山田に御創建されたお寺です。

 天武天皇(在位673~686)、持統天皇(在位686~697)、聖武天皇(在位724~749)、淳和天皇(在位823~833)各天皇の御臨幸あり、聖武天皇勅して大神宮寺と称され、淳和天皇時代に勅願寺に指定されました。

三重八十八ヶ所霊場 一番札所、伊勢西国三十三所観音巡礼 番外、伊勢七福神 大黒天。各札所となっています。


毎月1日に行われる聖天祭で、年に一度の大祭が4月1日と11月1日に行われ、この日は修験行者による柴燈護摩が焚かれ、参詣者も参加できるる火渡りが行われます。


そんなわけで本日は桑名市まで行ってきました。

 

法螺貝の音色と共に護摩壇へ点火です 

 般若心経の読経



行者の法螺貝 

 腹まで響く太鼓

読経が続きます 

ご住職 

 法螺貝行者の退場です

先導は住職 

 まだまだ準備が続きます

 火渡り式の開始です

真剣を持った儀式です 




 火渡りのビデオ


いよいよ始まります

まずはご住職から

 火の中を歩きます

 まだまだ燃えています

一般信者も続きます 

続々と火の中へ

 もうすぐ私の番です

 本日の写真です。

 本日は桑名市の大福田寺で聖天祭が行われ、4月と11月は火渡り儀式が開催されると教えていただいたので朝一番で出かけました。

膠原病患者は朝や午前中が不調の人が多く、私自身も起床後の2時間程度は動くのも億劫ですが、本日は痛む右膝も傷まず、一人で桑名市まで運転して行きました。

甲高く鳴り響く法螺貝の音色と点火された護摩壇から立ち上る煙の中で、僧侶や行者の般若心経の読経が続きます。

住職を先導にして行者や信者が次々と火の中を渡って行くのを見て、歩くのも苦痛であるものの、自分もと思って靴を脱ぎ、靴下を脱ぎ捨てていました。

足元の炎と赤い炭の上を歩いたものの、幸いにして雨も降っており程よい心地いい火渡りとなりました。

午前中の儀式でしたが午後3時になっても足の裏が温かく感じられる一日となりました。次の火渡りが行われる来年4月まで頑張ります。

ギャラリー
  • ようこそ 大鹿一八の納経所へ
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  • 令和6年 上高地開山式の様子です
  • 三重県桑名市大福田寺の聖天祭へ
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