運送会社もお休みです
2022年12月
👆ここに今晩の除夜の鐘の写真を添付予定です。
今年(令和4年)は、3日前に鐘楼が完成して落慶法要が行われたばかりの桑名市の大福田寺の除夜の鐘を撞いてから、本堂で令和5年の元旦を迎える予定で、夜8時過ぎに自宅を出発し、車中で年越しそば(どん兵衛のカップ麺)を食べてから、お寺を訪れたいと考えています。
本日も普段と同じようにウォーキングに出ました。
本日の写真です。
大晦日でも元旦でも何も変わることなく生活していますが、来年は真っ新な気持ちで健康でストレスを感じない一年にしていきたいと思っています。
平成16年から毎日ブログ発信することを前提にして生活してきました。歳を重ねるとともに体調の不調や病に苦しむ発信が増えましたが、今年もご覧いただいて有難うございました。
来年も休むことなく発信していきたいと考えておりますので、飽きる事なく訪問していただき、私自身への苦言も遠慮なくコメントして下さい。皆さんの体験や意見が私自身を鼓舞し励ましにもなりますので、令和5年も宜しくお願い致します。
ウオーキングの目的地 スプーンベル津島市葉苅町
私が昔からお気に入り登録しているブログに、「久しぶりの1万歩超え」の記事を見つけ、のんびりと新年を迎える休息ムードに入っていた身体を奮い立たせて、私も久しぶりとなる「1万歩」ウォーキングへ出かけました。
上高地が11月15日に閉山となり、上高地では自然と2万歩も歩くことが私の体調維持にもなっていたため、最近の不摂生と膠原病からの回復には適度なウォーキングが必要で、来年からの目標とする毎月遍路の糧にしたいと思います。
午後3時50分 自宅を出発
本日の写真です。
平成26年に初めて現在の管理栄養士さんの指導を受け、一年後に80キロから68キロまで減量した記録と、その後の健康診査の血液検査で全てが正常範囲に治まっており、歩くことと食生活の改善が健康診査の結果に有効である実体験でもあります。
2014年06月26日 初めての指導された日
初対面の管理栄養士さんを信用できず、過去に指導を受けた管理栄養士さんでなければ「効果は出ない」ととんでもない言葉を発しているものの、この日から野菜摂取とエレベーターを使わない指導を受け、体重を記録するようになりました。
2014年09月04日 3ヶ月後の体重変化 途中経過
体重を減らして10月に受診する基本検診の数値を改善することを目標にして、間食やアルコールの節制を管理栄養士さんから指導されていました。
2014年09月21日 3ヵ月で3キロの減量は実現
日常生活を見直し、深夜族のため夜間の間食を減らすこととなどが指導されています。
2014年10月10日 80キロから74キロへ 4ヵ月で5キロ減へ
この日の指導により、月曜日と水曜日、金曜日は珈琲店まで歩いて行く習慣が始まりました。指導されてから野菜の摂取量が増えたものの、糖分の摂取が減って体重が減っていることと、現状では主食となる「ごはん」が欠けている指摘もありました。
2015年01月16日 半年後に8キロ減量となりました
8キロも減量して身体が軽くなったことと、シューズの中敷を換えたことで、小走りが可能になり、体重が減らない場合は500メートルほど走れば体重が落ちることが判りました。ウオーキングで体重が管理できるようになりました。
2015年04月12日 一年後の体重は68キロ台へ 12キロの減少
あまりにも順調な体重減少によって、周りから別人と思われたり、私がガンか病気になって痩せたと思われている笑い話のような記載が残されています。
2015年08月28日 体重の安定から健康診査の数値の改善を目標へ
015年11月07日 医師もびっくりの健康体へ
今年は膠原病に罹患したことで6月と7月は完全休養(療養)となり、その後も上高地と四国遍路以外は身体を休めることばかり考えてきましたが、来年は暦や占いの運勢も良いことから更に外出機会を増やして、身体を動かすことで健康体へ回復を図っていきます。
本日の夕暮れ
本日は家内が餅つき器を使って餅をつきあげました。
私の少年時代の餅つきは石臼と杵を使った餅つきで、朝からかまどに薪を炊き上げて、もち米を蒸して一日かけて家の一大行事になっていました。
我が家で使用する餅つき器は、平成5年に他界した父親が生前に購入した時代物ですが、現在まで故障することもなく動いてきました。
もち米を餅つき機に入れるだけで機械が勝手に蒸して簡単に餅が出来上がります。
ただし、かつては大家族で、現在でも6人家族ですが、本日のお昼は私と家内と母親の3人しかおらず、あんこときな粉に大根おろしの3種類の餅が食べきれずに夜も残った餅の夕食となりました。
さて、明日も今年の残務処理の一日となります。
本日の写真です。
今年は膠原病のため6月と7月の上高地にドクターストップがかかり、コロナ禍の中で外出が出来なかったと思っていましたが、上高地は4月から11月までに13日訪れており、四国遍路も3月、9月に2回と10月、12月に訪れていました。
そして、上高地と四国遍路しかないセカンドライフの中で、8年ぶりにご開帳となった善光寺と諏訪大社や、桑名では人生初体験となった火渡り神事も体験し、安曇野や京都の真言密教の古刹も訪れていました。
膠原病と共存していることで、出かけられる時に積極的に出かけるようにしており、結果的に2ヵ月のドクターストップはあったものの、コロナ禍で外出ができなかった昨年よりも多くの場所に出かけていたことになります。
本日は一年間の外出を読み直してみました。
2022-12-03
2022-11-15
2022-11-01
2022-10-26
2022-10-10
2022-09-18
2022-08-14
2022-07-02
2022-06-12
2022-05-21
2022-05-15
2022-04-23
2022-03-20
2022-02-13
2022-01-23
来年はもっと外出したいと思っています。
本日の写真です。
今年の私の運勢(下記に添付の暦)を見ると真っ黒●でしたが、一年を振り返ってみると3月末に交差点で車に追突されて右手にシビレが残り、一ヵ月後には両手と両肩が激しく痛み出し、6月と7月は外出どころか車の運転もできない生活となり、病院で膠原病の診断を受けてステロイドと免疫抑制剤を飲み続ける生活となりました。
結果論となりますが、まさに運勢どおりに真っ黒な一年となりましたが、かつては新聞販売店を経営していたため、年末には購読者へ配布する大量の高島暦を仕入れていましたが、これまで暦の運勢を真剣に見たこともありませんでした。
さすがに昨年10月に手術を受け、今年の事故による頚椎挫傷のシビレと膠原病が続くと無関心ではおられず、これまでは無料でもらう新聞店の暦だけでしたが、今年は書店まで高島の暦を買いに走ったばかりか、細木数子さんの継承者である細木かおりさんの六星占術による「あなたの運命」も購入してきました。
幸いなことは来年の運勢は良さそうで、高島易断によると私の「二黒土星」は発展運となっており、「今まで何かうまくいかなかった事も一気に開花できる吉運年に入ります。勢いに乗って、自分の夢や目的を実現させるためにスタートさせる時です」と記されていました。
そして、家内の「八白土星」の運勢も真っ白の光華運となっており、私との相性も良さそうなのでひとまずは安心となりました。生年月日から天王星人と判った細木さんの本を読むと、私の性格まで知っているかのようで引き込まれてしまいました。
もっとも、暦は生まれ年で全員が一緒の星まわりとなっており、同級生全員が一緒の運勢とは考えられないことから、本日購入した2冊の本を参考にして、共通して悪い日は注意して行動するなど生活の戒めにしていきたいと思います。
添付した吉方位サーチは同級生が信奉するアプリで、これも参考にすると良い結果が出ているとの話ですが、私は吉方位よりも悪い方位を避け、高島の暦や運命の本も併せて共通する悪い日や方位が重なる時に注意して、来年は平穏な一年にしたいと思っています。
泣いても笑ってもあと一週間で令和四年は終了します。
今年は膠原病に罹患したことで、6月と7月は身体を横にして休めることに専念し、全く歩かない生活を余儀なくされました 。
8月から外出するようになったものの、未だに元の体調には回復しておらず、上高地と四国遍路に行くために体調を整えてきました。そんな中でCoke ONのウィークリーチャレンジのスタンプの存在は有り難く、そのおかげで不調時でも重い身体を奮い立たせてウオーキングに出たこともありました。
あと3個で1本無料
先週日曜日に高野山へ行くため軽自動車のタイヤは冬用に交換しましたが、家内のセレナと私のキャラバンはまだ交換が済んでいないため、本日は家内の車を交換しました。息子たちの油圧ジャッキと十字レンチを借りたためずいぶんと楽なタイヤ交換になりました。
最近では当り前となっているガソリンスタンドや車のディーラーに持ち込む人も多いようですが、我家には私の3台の他に息子たちの車も3台あり、以前は息子たちのタイヤ交換もしていましたが、最近は交換する度に体調不良となることから昨年は軽自動車以外は業者に依頼しました。ただし、今年は交換料金が高額になっていることからボツボツと交換することにしました。残るは一番大きいキャラバンだけとなりました
3月末に交差も
愛西市の八開村の中に
愛西市の八開村の中に
本日は私の住む愛知県西部地方も大雪に見舞われました。動画は我家の駐車場です。
午前5時頃に降りだした雪は道路を真っ白にしましたが、午前中から雪は溶け出し夕方には道路の雪はほとんど無くなったため、お墓掃除とお花を供えに名古屋市にある横井庄一さんのお墓を目指しました。
誰かがお花を供えて下さっていました
本日の写真です。
平成9年に亡くなった横井さんにはお墓が2ヶ所あり、死後横井夫人が建立した千音寺霊園のお墓と、横井家の菩提寺となる行雲寺には横井さんの母親が昭和32年に建立した「陸軍軍曹」と刻まれた横井さんのお墓があります。
横井庄一記念館が開館してからお墓の場所を問い合わせてお参りくださる方もできましたが、千音寺霊園のお墓には小動物を慰霊する碑もあり、夫人は横井さんから行雲寺のお墓には入りたくない事と、グアム島で殺生した小動物の慰霊碑を一緒に立てて欲しいとの遺言であったとして建立されました。
夫人が鬼籍に入った今となっては事実を知ることはできませんが、生前の横井さんから「生きとる自分が入るお墓までおふくろが残してくれたから」と私と私の父親の前で笑って語っていたことを考えると、横井さん自身はわざわざ二つ目のお墓を建てて欲しいとは思っていなかったと思います。
私の推測では、行雲寺のお墓は母親の横井家が建立したお墓で、横井さんの死後在所となる横井家から色々言われることを嫌った夫人が、自分の兄と相談して小動物の慰霊碑という理由と話題性を考えて建立したものと思います。
今となっては、子供の無い横井さんのお墓は夫人が他界したことと、夫人が横井さんの在所や横井家の親族と懇意にしていなかったと言うよりも、横井さんは小学校五年生になってから我家の大鹿庄一から母親の再婚によって横井姓になっており、血縁者の居ないお墓に共通した現代社会に共通する社会問題でもあります。
私自身も我家の先輩としての横井さんのお墓掃除には訪れるものの、二ヶ所のお墓掃除を子供たちにまで託すことはてきず、我家のお墓やお寺とは別に、横井さんのお寺とお付き合いしていく気持ちも無いことから、こんな生活がいつまで続くかを考えると苦痛です。
本日早朝に岩屋寺から発信されたFacebookの写真です。
岩屋寺は愛媛県にある四国八十八か所のお寺ですが、標高八百メートルの久万高原にあるとは言え、高知県境に近い四国の中央部に位置しており、まさかこんなに雪が積もるとは思えない場所だけに驚きの写真として眺めました。
そして、雪は高知県でも…
高知県桂浜の写真
高知市では23日、明け方に雨が雪へと変わり、高知地方気象台によると、午前8時には観測史上最高となる積雪14センチを観測した。
高知城の天守も雪で覆われ、路面電車は一部で運転を見合わせた。市中心部では、車輪が空転する車を数人で押したり、転倒したミニバイクを通行人が助け起こしたりする様子がみられた。雪は夕方まで降り続く見込みという。 朝日デジタル新聞引用
そして、徳島県でも…
徳島地方気象台によると、徳島市では23日午前10時までの24時間の降雪量が10センチに達した。2013年に統計を取り始めてから最高の降雪量だという。
高知県で積雪を記録したということは四国全体が降雪に見舞われており、この日から四国遍路を始めたとFacebookに発信していた人や、現在巡拝中の歩き遍路には大変な試練となりますが、突然の寒波襲来とはいえこんなに厳しい降雪はお遍路の足を鈍らせてしまいます。
もっとも、コロナ禍においてはコロナウイルスに感染したり、濃厚接触者となって閉鎖される納経所も存在し、何も知らずに訪れて朱印がもらえないお遍路も多く、リアルな天候や道路状況と併せて納経所の閉鎖状況など四国の情報を集約するサービスが必要ですね。
奈良公園の鹿
奈良県警によると、京奈和自動車道の県内区間では午前6時~8時半、積雪や凍結が原因の交通事故が少なくとも5件相次いだ。このうち午前6時20分ごろに発生したトラック2台が絡む事故で、それぞれの車両の運転手2人が軽傷を負ったという。23日午後5時現在も御所南IC―橋本東IC間の上下線で通行止めが続いている。奈良国道事務所によると、通行止め解除の見通しは立っていないという。
【速報中】ヤマトと佐川、クリスマスを前に配達に遅れ 大雪の影響:朝日新聞デジタル (asahi.com)
先週日曜日(18日)の高野山は降雪に見舞われ、真っ白になるだけでなく道路が完全に凍結しており、あわてて下山して奈良県橿原市へ移動し、翌日は雪をさけて橿原神宮と大神神社へ参拝しましたが、本日の報道では奈良県も雪によって交通事故が相次ぎ、道路の通行止めが続いており、しばらくは外出を控えたよさそうですね。
18日の高野山
四国60番横峰寺に通じる有料道路は、12月末から2月末まで冬季通行止めになっており、冬季は雪を覚悟する必要のある高野山と併せて、冬のお遍路をシーズンオフとする人も多く、冬のお遍路は注意が必要です。
慈尊院山門
慈尊院は、弘仁七年(816)、弘法大師が、高野山開創の時に、高野山参詣の要所に当たるこの地に、表玄関として伽藍を創建し、高野山一山の庶務を司る政所を置き、高野山への宿所ならびに冬期避寒修行の場とされました。
土塀
多宝塔と鬼子母神
弥勒堂
香川県善通寺から我が子、空海を訪ねてこられた弘法大師空海の御母公、玉依御前(たまよりごぜん)が高野山上へ大師を尋ねようとされましたが、当時、大師自から七里(28km)四方を女人禁制としておられたので、山麓の当院へ迎えられました。
大師は、月に九度は必ず高野山上より二十数キロもの山道を下って母公を尋ねられたので、この地名を❝九度山❞と称されるようになりました。
詳しくは→ 女人高野について | 慈尊院 (jison-in.org)
ゴンの碑と弘法大師像
昭和60年代に、慈尊院近くに住みついていた紀州犬と柴犬の雑種である白い雄の野良犬がおりました。誰が教えたわけでもないのですが、不思議なことにその犬は高野山への参詣者の道案内をするようになったのです。当院から聞こえる鐘の音を好んでいたため、いつしかこの野良犬は「ゴン」と呼ばれるようになりました。
詳細は→ 高野山案内犬「ゴン」 | 慈尊院 (jison-in.org)
本堂
大師堂
多宝塔の奥が町石道入り口
狩場明神と空海の出会いの図
丹生官省符神社 正面参道119石段 一ノ鳥居
二の鳥居
拝殿
丹生官省符神社の草創は古く、弘仁七年(816)弘法大師(空海)によって創建されたお社であります。空海は、真言密教修法の道場の根本地を求めて東寺(京都)を出で立ち各地を行脚され途中大和国宇智郡に入られた時、一人の気高い猟師に出会い高野という山上の霊地のあることを教えられました。猟師は従えていた白・黒二頭の犬を放たれ空海を高野山へと導かれました。
真言密教の聖地となった高野山ですが、今から1200年前にこの地で空海は漁師(高野明神)と出会い、山上に霊地(高野山)があることを教えられるとともに、連れていた二頭の犬を案内役として現在の高野山まで連れて行かれたと考えると感慨深いものがあります。
そして、善通寺から空海を訪ねて高野山へこられた母親の玉依御前(たまよりごぜん)を、大師自から七里(28km)四方を女人禁制としていたため、この地で迎えられるだけでなく、月に九度は必ず高野山から会いに来られたと伝承されています。
八年前の話となりますが、この慈尊院から7時間かけて高野山まで歩いたことがありましたが、当時でも悲鳴をあげた町石道を今は歩く気力も沸かないことを考えると、大師は月に九度も往復していたという体力と強い精神力にも驚かされます。
2015年06月20日
大鹿一八「本日の一言」 : 慈尊院から丹生都比売神社へ (livedoor.blog)
2014年10月20日
大鹿一八「本日の一言」 : 高野山 町石道を金剛峯寺まで (livedoor.blog)
さて、高野山まで町石道を歩く人々を案内していた「ゴン」についても、1200年前に空海を高野山まで案内した2頭の犬の再来としか思えず、教えもしないのに高野山まで案内していた犬の本能と、女人高野と言われていた慈尊院へ病気治癒を祈願する女性が手を合わせている現代社会と、空海が存在した時代と目に見えない糸で結ばれているようも思えてきます。
今から15年ほと前の先達となる以前の話となりますが、空海が修行したと伝わる四国各地の修験場で空海が発したと言われるご真言を唱えていたことがあります。九度山の慈尊院のゴンと、丹生官省符神社の2頭の犬から当時の想いをよみがえらせてくれたように思います。
高野山奥之院 一の橋
あ、同期の桜
同期の桜の塔
高野山奥の院参道入り口となる一の橋を渡り、左側を見ると白い大きな塔が見えますが、それは昭和18年学徒出陣で出征した第十四期海軍飛行予備学生の慰霊碑「あゝ同期の桜の塔」で、昭和42年に大圓院墓地内へ建立されました。
毎年9月第二日曜日に慰霊祭が開催され、俳優の鶴田浩二さんは亡くなられる(昭和62年)前年まで、自前で演奏するバンドの仲間を引き連れて毎年欠かさず出席しておられました。
高野山一の橋にある鶴田浩二さんのお墓ですが、私が高野山を訪れた際には必ず立ち寄っているものの、今年は10月に予定していた弘法会の高野山参拝が中止になったため、半ば諦めていましたが何とか年内に訪れることができました。
さて、昭和62年に亡くなられた鶴田さんには、東京都の港区にある父方「大島家」と練馬区に母方「小野家」のお墓があり、神奈川県の鎌倉霊園には生前の本人の希望から夫人によって建立された本人のお墓があります。
この高野山のお墓は、高野山別格本山大圓院の住職、藤田光幢が鶴田浩二と同期の桜であったことから、生前の昭和47年12月22日に戒名を授かっており、先に逝った戦友と三途の川原でいつでも話し合えることと夢みていたことから、鶴田さんの死後夫人によって建立されました。
お墓の詳細については過去に何度も書き残しているので、下記に添付した私の過去ログをご覧下されは幸いです。
2021-11-26
高野山 あゝ同期の桜之塔と鶴田浩二さんのお墓 | 大鹿一八 『今日の一言』 (ameblo.jp)
2017年04月03日
大鹿一八「本日の一言」 : 高野山 あゝ同期の桜の塔と鶴田浩二さんのお墓 (livedoor.blog)
今年6月に膠原病(関節リュウマチ)の診断を受け、これからは身体と相談しながらの生活となりますが、8年前には歩き遍路の仲間と麓にある九度山町の慈尊院から奥の院まで一日かけて歩いており、リーダーであった上野さんも他界している現実を考えるとこれからの時間は大切にしたいものです。
仲間がお墓とツーショットの写真を残してくれました。
2014年10月21日
大鹿一八「本日の一言」 : 高野山町石道から帰りました (livedoor.blog)
初めて鶴田さんのお墓と出会った時の書き込み
2008年05月29日
大鹿一八「本日の一言」 : 本日は高野山で鶴田浩二さんと出会い (livedoor.blog)
平成13年に四国遍路をスタートし、翌年5月に高野山へ御礼参りに訪れ、ああ同期の桜の塔にもその後毎年訪れるようになりましたが、この塔と鶴田さんの関係を知って訪れていたものの、塔の後ろに建立されていた鶴田さんのお墓には平成20年まで気づかなかったことも今となっては不思議で可笑しな笑い話となりました。
生前の鶴田浩二さんは大スターであり、私なんかは会いたくとも会えないような有名人でしたが、そんな私が突然に訪れて墓前で勝手に手を合わせて、好き勝手なことをつぶやいていますが、ご本人が顕在なら「礼儀も知らない無礼者」と叱られるだろうと思いますが、今では我が物顔で勝手に訪れる親のような存在となっています。
鶴田さんの残した映画と全く同じイメージが一の橋の塔やお墓にはあり、私自身の生活を反省して見直す機会ともなる聖域でもあります。ここだけはお大師様と同行二人ではなく、鶴田さんと同行三人になるように感じ、しいては国のため若き命を散らした多くの戦没者も一緒になったように思えてしまいます。
12月20日の一言
昨日の凍結した高野山の道路
快活CLUB奈良橿原店 本日午前5時53分
受付カウンターで清算
店内のコミック
鍵付き個室のブース
スペース
車は真っ白です
今年になって最強の寒波と予報されている中で高野山に参拝して、道中の坂道と高野山の凍結したツルツルの道路を走り、長居をしたい心境を殺して急いで高野山から下り、道の駅九度山や御所南パーキングで買い物や食事を楽しみ、奈良県橿原市の橿原ぽかぽか温泉で入浴後に快活CLUB奈良橿原店へ到着しました。
快活CLUBは私のお気に入りで、旅先でもパソコンが置かれたブースで眠れることは、最高の環境となり、何よりもゲストハウスより定額で宿泊でき、鍵付き個室は完全に隔離された自分だけのスペースとなり、昨晩は家内と妹と隣同士で三部屋利用しました。
朝マック 午前6時14分
自宅では朝8時過ぎに起床し、午前中は役立たずの爺さんですが、上高地と四国遍路では早朝の起床も苦にならず、24時間営業しているマクドナルドは有り難い寄り道となりますが、wi-fi 環境を無くしたコンビニがある中でwi-fi を維持していることも魅力です。
橿原神宮へ
第一鳥居
神橋と第二鳥居
参拝所前の広い境内
本殿
予定では長谷寺と室生寺へ参拝する予定でしたが、奈良県の南部では閉鎖された道路もあったことから、本日は久しぶりに雪の橿原神宮と、今まで一度も訪れたことのなかった大神神社と、身体健全と病気平癒にご利益のある狭井(さい)神社に参拝しました。
JR桜井線 三輪駅
本日の写真です。
冬の高野山は雪を覚悟して訪れる必要がありますが、今回の大寒波の中で坂道だけでなく、真っ白に凍結した高野山へ参拝した経験は、最近忘れていた若かりし頃は苦にもしなかった雪道の運転を思い出し、これまで回避していた冬の四国遍路への希望ともなりました。
とりあえず、電車で訪れる予定だった1月と3月の松本行きも車で訪れ、体調が許せば四国遍路にも行く可能性を実感できる2日間となりました。
本日の写真です。
本日は朝8時に愛知県を出発して、西名阪自動車道から国道25号、天理市から京奈和自動車道へ入り、かつらぎ西インターから高野山を目指しました。
道路は途中から真っ白となり、高野山が近づくと凍結状態となりました。
高野山の大門から中門の道路はツルツルの状態となり、金剛峯寺、奥の院御廟へ参拝を済ませました。
本日は一の橋にある同期の桜の塔に手を合わせ、私の尊敬する鶴田浩二さんのお墓にお参りしてから高野山を降りました。
本日は九度山町の慈尊院へ参拝を済ませ、これから橿原神宮の近くまで移動します。
愛知県への手紙
明日の誕生日で孫は5歳となり、私は69歳になりますが、明日は私が外出を予定しており、一日早い誕生祝いになりました。
5年前に私の誕生日と同じ日に孫が生まれると言う奇跡のような誕生日となり、それまで忘れ去られていたような私の誕生日も、その後は孫と一緒のため祝ってもらえるようになりました。
もっとも、孫だけの誕生祝いではなく私も一緒に祝って欲しいと家族に言ってはいるものの、孫と違って私自身の誕生日は余命を減らし、棺桶に近づくだけですから「おめでとう」と言われても素直に嬉しい気分にはなれません。
ただし、孫と一緒に食事をとる喜びと、食事後に孫のプレゼントを一緒に買いに行く時間は、孫の喜ぶ顔と私の記憶に残る貴重な空間となっています。
こんな時間が永く続き、孫に私の遺言を直接伝えられる年齢まで生き永らえるまで、次の誕生日を楽しみにしていきたいと思います。
金曜日は一週間に一度処方されている免疫抑制剤が朝4錠、夕食後に3錠処方されており、朝食後に11錠の薬を飲みました。
これでも今月からステロイドの量を減らされており、これからも順調に減っていくことを祈るばかりとなります。
本日の朝、Facebook の画面に1年前の記事が現れ、二日前にブログに記した「かかりつけ医」の内容と全く同じような内容にびっくりさせられました。
2日前のブログです
ただし、1年前は現在と違い血圧の薬を1錠飲むだけの健康体で、不調と言っても現在とは比べようもありませんでした。
本日の写真です。
息子の接骨院で足の大腿部の筋肉を回復させるためミニバイクを回しました。
このミニバイクはべダルの強弱が調整でき、少し強めに設定して20分回し続けましたが、足腰の疲労よりも息苦しく頭がボーっとして痛くなってきました。
息子の話では、このバイクは足腰だけを鍛えるものではなく、心拍数を高める目的で使用するもので、運動不足と病気療養中のため心臓に負荷がかかったようです。
これまでは Coke ON のスタンプ目的で、ウォーキングを意識してきましたが、これからは雨天時や荒天の外出できない日のウォーキング代わりに使用したいと思います。
週末に予定する高野山行きのため、本日は冬用のスタッドレスタイヤに交換しました。
昨年は冬用タイヤから夏用タイヤに交換する5月と、12月に夏用から冬用に交換しましたが、ともにタイヤ交換後に体調不良に陥りました。
2021-12-22
タイヤ交換でめまいと吐き気 今年2回目です | 大鹿一八 『今日の一言』 (ameblo.jp)
2021-05-03
2台のタイヤ交換でめまいと吐き気が | 大鹿一八 『今日の一言』 (ameblo.jp)
さて、本日はタイヤの小さい軽自動車だったので昨年のような悪夢とはなりませんでしたが、福祉有償運送の主役となる私のキャラバンと家内のセレナのタイヤ交換が終わっていません。
添付した過去のブログを読み直すと、まだタイヤ交換の済んでいない2台の交換後に体調不良に陥っており、今年は膠原病に罹患して昨年より 体調や体力も低下しているため、自分で交換する場合は覚悟も必要となりそうです。
2020-12-05
スタッドレスタイヤに交換して | 大鹿一八 『今日の一言』 (ameblo.jp)
2018年12月24日
大鹿一八「本日の一言」 : 冬用タイヤに交換しました (livedoor.blog)
2016年12月29日
大鹿一八「本日の一言」 : 冬用スタッドレスタイヤへ交換 (livedoor.blog)
過去のブログを読み直すと、知人の応援を受けてもいますが、歳を重ねるとともに年々体力が衰えているのは確実で、闘病中の今年はさらに衰えてしまいました。
毎日同じような生活を続けていますが、過去の一言を読み直すと確実に老人になってきたことを実感させられます。
もっとも、この方位学にこだわると、次に高野山(南西方向)へ行ける吉方位は来年9月8日から10月7日となっており、10月8日から翌月の7日まで吉方位が続くものの、その次は2年先の6月7月(6月5日~8月6日)となり、その次は3年先の3月と12月にならないと吉方位はありません。
ちなみに、特定の(日盤)日の吉方位は、今月18日、19日と28日の次が、1月5日と6日、1月15日と23日、24日、2月2日と10日、11日、19日、20日と28日、3月は1日、10日とありますが、上に添付した図からも判るように、「暗剣殺」などいかにも縁起が悪そうな方位も同じように存在します。
そうなると高野山だけでなく、同じ南西方向に位置する四国遍路も1年に一回とか2日間隔だけしか行けませんから真剣に考えたら行動もできず、現在はシーズンオフとなっている上高地の北東方面にも安心して行けませんが、こんなアプリを見てしまうと気になってしまいます。
さて、
さて、問題は…
本日の予報です。
高野山の天気予報は土曜日こそ雨のち曇りですが、日曜日と月曜日は雪マークがついています。標高が高いため高野山は雪になりそうです。
以前の私ならわずかな降雪など気にすることもなく目的地まで走ってきましたが、膠原病と言う持病持ちの老人になっていることから考えさせられてしまいます。
せっかくの高野山行きとなるので、雪道を無理して走らず、麓となる九度山町に車をおいて久しぶりに九度山駅から電車で高野山を目指した方が安全かもしれません。
四国遍路や高野山への参拝が後々後悔することのないようにしたいものです。
最近の我が家では、月曜日の午前中は必ずコカコーラの Coke ON 対応自販機まで走ってドリンクを購入することが日課となっています。
月曜日の午前中に Coke ON の自販機でドリンクを購入するとスタンプが2個もらえます。そして購入したジョージアをスキャンするとさらに一個のスタンプがもらえ、本日は3個のスタンプをゲットしました。
偶然にも自販機の前でスマホ画面に一年前の記事(一言)が現れ、一年前にもCoke ONの記事を残していた事にびっくりさせられました。
2021-12-12
歩いただけで飲料水をゲットしました コークオン | 大鹿一八 『今日の一言』 (ameblo.jp)
冷静になって考えてみるとCoke ON対応自販機のあるスーパーで低額なコーラ製品が販売されており、店員さんから「店内で買った方が安いよ」と言われたこともありましたが、わざわざ車のガソリンを使って自販機へ行くのは健康にも良くはありません。
それでも Coke ON 対応自販機で購入してしまうところにスタンプの魔力がありそうです(笑)
1年前のコークオン記事から、かつては一日五千歩のノルマを歩き、一週間に一個のスタンプを獲得しており、ドリンク一本を獲得するために約3ヶ月要していた不調と言いながらも元気な私の姿がありました。
最近は膠原病に罹患しているため、歩かずしてスタンプを貯めようとしており、本来の目的とCoke ON の原点を見直す反省が必要なようです(笑)
地泉院 愛知県稲沢市祖父江町神明津231
昨日の夕暮れ時に愛知県で一番西に位置する祖父江町の地泉院を訪れました。家内の在所から近く、住職は書道の大家で家内たち兄弟の書の先生だったこともあり、以前は家内が毎年節分に訪れており、住職が私の叔父と同級生だったことから身近に思っていましたが、最近は素通りばかりでした。
過去のヤフーブログ(現ライブドア)を読み直してみると、孫の安産祈願と御礼にも訪れており、書道仲間と祖父江町の七福神を歩いて訪れたことなど懐かしく思い出されました。
2011年08月20日
017年07月22日
2017年12月26日
2018年04月07日
かつては私の住む津島市から地泉行きの路線バスが走っており、書道でも有名となっていた住職の商売上手と言われていましたが、お寺だけでなく地域住民にとっても貴重な交通の足となっていたことはバス路線が廃止してから実感させられることとなりました。
さて、参道入り口には2年前に建立された大きな寺標(石柱)が立っておりびっくりとしましたが、お寺の参拝は自分の都合や気分しだいで訪れており、これからはお寺の年中行事にあわせて参拝することも有効と思う一日ともなりました。
市役所1階ロビー
本日の写真です。
さて、私の住む津島市は海抜ゼロメートル地帯にあり、子供の頃は小川や水田の細い江には多種多様の小魚が生息していました。
最近は、小川とは言えない生活排水の悪水路と化しており、魚の姿すら見えませんが、懐かしい小魚を見つけて飼育することにしました。
そんな訳で、早速アマゾンから…
「そんな虫取りの網では魚は撮れないぞ」
「冬の間は水も無いのに…」
「それでもそんな子供用の網では」
「これでやってみてからにしたら…」
よくよく考えてみると、過去に何度も高額な四手網を買ったものの、一度も継続して使わないままに捨てられてきた自身の性格を実感させられ、とりあえず家内の言うように子供用の網ですくってみることにして購入してきました。
4月まではセカンドライフとする上高地も閉鎖されており、その間のリハビリを兼ねて小川程度の川を散策するのも良しと考えることにしました。
本日の写真です。
孫の幼稚園の生活発表会が開催され、家内とともに鑑賞に訪れましたが、私には4人の子供がありながら一度も発表会を訪れたことがなく、孫のためなら何でも参加するリタイヤ後の現在と現役時代を対比させてしまいました。
今年 令和4年12月4日の写真です
相棒が逝って2年半が経過しましたが、四国遍路の巡拝中には至るところで相棒リマの元気だった姿を回顧してしまいます。
2019年7月15日
第71番弥谷寺の駐車場
令和1年10月13日
第73番出釈迦寺・捨身ヶ嶽禅定
名古屋市中村区稲葉地町付近 鳥居西通
処方箋
「血液検査の結果が良くなっているね(笑)」
「えっ、そうですか」
「これなら上高地も大丈夫だよ(笑)」
「身体も随分と回復してきました」
6月に膠原病(関節リウマチ)と診断され、投薬によって身体の痛みは減ったものの、先月の診察では血液検査の結果は改善しておらず、身体の動きは軽快になっても体内の血液や免疫細胞は思うように改善せず、本日の診察でやっと改善を実感することができました。
「前回も身体は良くなっていたからね」
「前回の数値は何故悪かったのでしょうかね」
「心配していたけど良かったね」
「心配されていたんですか…」
身体の痛みは減り、確実に快方に向かっているのに血液検査の結果は改善しない怪現象に主治医も首をかしげますが、心配していたとの言葉に、毎月薬の処方を代えながら思うように改善しなかった医師の苦悩を理解していませんでした。
本日の検査でやっと数値の改善が見られ、処方されているステロイドを少しづつ減らしていくことになりましたが、毎月増えていた薬の量が今回の診察で初めて減ったことは嬉しい半面で、減らされて1か月後は大丈夫か心配にもなってきます。
今年6月の血液検査で関節リウマチの根拠とされた3種類の異常を示す数値
6月から12月までの推移
CRP(基準値 0.00ー0.14) 体内の炎症や組織の一部の損壊の有無を診断する検査
(6月)4.85→ (8月)2.32→ (9月)2.89→ (10月)3.78→ (11月)3.69→ (12月)0.50
MMP-3(基準値 35.2ー123.8) 関節リウマチ患者の関節には大量にMMP-3 が含まれており、関節破壊の指標とする検査
(6月)162.4→ (8月)212.3→ (9月)213.3→ (10月)231.9→ (11月)201.7→ (12月)153.0
RF(基準値 20未満) 血液中のRF(リウマトイド因子)という物質の量を調べる検査
(6月)24.5→ (8月)26.7→ (9月)45.1→ (10月)67.8→ (11月)63.6→ (12月)36.8
3種類とも正常な基準値の範囲内にまでは入っていませんが、本日の血液検査で先月や先々月よりかなり改善された事がはっきりと判ります。
本日の写真です。
3月末に追突事故で頚椎を痛め、6月から膠原病に罹患して一時は起き上がることもできず、やっと先月から体調が戻ってきたものの、血液検査の結果が伴わないため体内で膠原病が進行していく心配もありましたが、本日の検査結果と医師の「心配していた」との過去形の言葉から明るい兆しを感ずる一日となりました。
本日の写真です。
本日は朝から福祉有償運送のボランティアで、患者さんを市外の医療機関まで送迎するとこれだけでお昼になってしまい、昼食後に家内は名古屋市の病院まで搬送した患者さんを迎えに走り、私は理髪店経由で家内と合流して珈琲店に行くと夕方になりました。
何か仕事をしたという感覚はなく、出費するために外出しているような生活ですが、年金暮らしのボランティア生活のためこんなものでも普通なのでしょうか。
添付した「へんろ」は四国八十八か所霊場会が監修する情報誌で、毎月1日付で発行されて発送されているため、今月は四国遍路から帰宅した翌日5日に取り出しましたが、四国から日常生活に入ろうとする気持ちが四国へ戻っていってしまいました。
今年は3月に逆打ちで香川県からスタートし、4月から毎月上高地と四国遍路に行くことを目標にしていたものの、3月末に交差点で追突事故に遭って首を痛め、その後6月に膠原病に罹患して6月と7月はドクターストップがかかりました。
8月から上高地行きが解禁になり、四国遍路は9月から再開して10月と先週末にやっと訪れることができました。しかし、上高地の滞在時間を半分として松本市や安曇野市に点在する真言宗の古刹巡りや京都の三弘法などへ行ったことで、違った角度から密教のすばらしさを体験できまる機会ともなりました。
さて、明日は膠原病の主治医の診察を受けるため名古屋市の中村日赤へ通院となりますが、生活する上での体調は随分と回復しているため、診察前に受ける血液検査や尿検査の結果も前回より改善していることを願うばかりの診察となります。
6月から手首や指の痛みからブログの発信もスマホの「音声入力」としていましたが、パソコンで打ち込んでも苦痛にならないため本日はパソコンで打ち込みました。
体調の回復によって、昨年の目標だった「毎月遍路」も開始できると幸いですね(笑)
第56番泰山寺前の寺標
駐車場から見える参道
参道
伊藤萬蔵寄進の道標
四国霊場の寺院では至る所で「伊藤萬蔵」さんの名前を見かけますが、本堂や大師堂前の香炉など参拝前に必ず目にする場所と違い、お寺へ急ぐ参道や道路に残された寺標や道標に残された「伊藤萬蔵」さんの石は見落としてしまい、泰山寺前の寺標は今回初めて目にしました。
今回のお遍路は2日間だけでしたが、2日目は昼まで巡拝してから愛知県へ帰る余裕の行程だったこともあり、本堂と大師堂だけでなく薬師堂や不動明王へも参拝し、樹木や草花などを眺めていると午前中に終わるはずだった巡拝は午後3時までかかってしまいました。
伊藤萬蔵さんは愛知県一宮市で生まれ、名古屋へ奉公に出て米や相場で財をなした実業家で、それらを原資として多くの寺社に石造物を寄進、現在関東以西約400余ヶ所が確認されており、四国八十八か所のお寺の香炉などに「名古屋市塩町」の住まいも刻まれています。
伊藤 萬蔵(いとう まんぞう、1833年(天保4年) - 1927年(昭和2年)1月28日)は、尾張国出身の実業家、篤志家。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「石の語り部」として全国各地の寺社に香炉や道標など石の寄進を繰り返したことで知られる。寄進した石には「名古屋市塩町」と「伊藤萬蔵」の印が入っている。今回は第56番泰山寺前だけでなく第71番弥谷寺と第60番横峰寺でも寄進された香炉を見かけました。
さて、昭和2年に亡くなっておられる伊藤萬蔵さんの偉業についてはさておき、何よりも名古屋から遠く離れた四国各地へ寄進した石を見るため、萬蔵さんが現地まで来られた旅程を考えると鉄道や道路が整備された現代社会とは全く違う白黒の景色が思い浮かんできます。
第71番弥谷寺の香炉
私が過去のアメーバブログ(2019年以降)に記した伊藤萬蔵さんの記事一覧
四国各地においても、私の生まれた愛知県の大先輩たちの名前を見つけると、歩くしか無かった四国遍路の厳しさと同時に、名古屋から四国へ行くこと自体が大変だったお遍路の先輩たちの苦労も偲ばれ、私のジェット巡拝も笑えてしまいます。
全国を寒波が襲来すると予想される天候の中を、今年最後となる四国遍路に行きたいため、体調不良という言葉は封印して移送ボランティアに励む一日となりました。
毎週1回だけ金曜日の朝と晩に膠原病の免疫抑制剤を処方されていますが、薬効が切れてくる木曜日と金曜日は体調不良になり、週末から週明けにかけて体調が回復する生活になっています。
「体調が悪い」と言うのは嘘ではありませんが、膠原病の影響で罹患前のようなスッキリとは言えないものの、「本当に悪かったら上高地なんか行かないもんね」と主治医が言うように、外出意欲は満々で、外出するために体調を整えて行きます。
医師から十分な睡眠をとり、身体を休めるように言われていますが、横になって休めてばかりいると身体が重くなり余計に身体が強張っていきます。
さて、今回の遍路は愛媛県今治市の54番寺から香川県三豊市の71番寺までを目標として、一泊二日のお遍路となります。
我が家から愛媛県の第60番横峰寺までの距離は425キロあり、車で約6時間かかり、前日である今晩深夜の旅立ちとなりますが、多少の仮眠は必要なため香川県三豊市の第71番弥谷寺を明日一番の目標として走ります。
ちなみに、我が家から弥谷寺までの距離は341 キロあり、 約5時間かかります。
先月15日に閉山した上高地のインフォメーションセンターから本日のFacebook に久々の発信がありました。
閉山後も毎日五千尺ホテルのライブカメラを視聴していますが、本日までは閉山前と変わらぬ雪のない風景が続いてきました。
インフォメーションセンターの Facebook は下記のリンクをクリックしてご覧ください。
やはり現地からの発信は新鮮ですね。
さて、本日は早朝から町内の簗川(やながわ)八幡社で毎月1日に開催されている宮年番と神主さんによるお参りに参加してきました。
お宮の年番にならないと全く判らないことですが、月始めの1日は毎月町内から神主さんをお願いして月参りが行われています。
来年は私の住む地域が当番になっているため、見物を兼ねてお参りに参加した次第ですが、過去に体験済みなのに完全に次第を忘れて何も覚えていません。来年は覚悟が必要です。
本日は津島市民生児童委員の全員協議会が津島市文化会館で開催されました。
昨年の全員協議会は新型コロナの感染拡大によって開催されておらず、久々に全民生児童委員が集いましたが皮肉にも過去最高の感染状況になってしまいました。
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