四国遍路と御嶽山(右2本)の金剛杖
2023年01月
本日訪れた一宮市の知人が、「杖が無いと歩けなくなった」との一言だけでなく、肩を貸そうかと口にでるようなぎこちない歩きに、数年後の自分を見るような気持ちにさせられ、実際に年長者の車に乗せてもらっていた姿にびっくりさせられました。
今にして思うと、昨年罹患した膠原病の関節リウマチを予感していたかのように、我家には多くの杖を集めており、帰宅後に置かれていた杖を集めてみました。
もっとも、歩行が困難となった時を想定して集めた杖ではなく、四国八十八ヶ所霊場会と別格二十霊場会から頂いた杖は、公認先達になった際に授けられた金剛杖で、御嶽山の金剛杖も参拝のため御嶽山山頂に登頂した時のものです。
御嶽山の金剛杖に押された焼印によれば、私が初めて御嶽山山頂に登頂したのは昭和36年の8歳の時で、新しい金剛杖は昭和52年8月の焼印が押されており、家内が初めて御嶽山へ登頂した時の杖でした。
一年に一度の御嶽山登頂ですが、小学校2年生の時から中学校3年生まで8年間使っていた金剛杖は、新しい杖よりも3センチほど短くなっており、並べてみると随分と見た目も違います。3本目の御嶽山の焼印は、平成14年に押されており、家族だけでなく知人も一緒だった登山で、杖は木曽川の川原で拾ってきた流木です。
さて、アカザという草でできた杖は、名古屋の叔父が私と家内に持参した杖ですが、草とは思えない硬さで、しかも超軽量のため、同じく軽い奈良井の宿で購入した檜の杖と、我家のアキニレの杖とともに10年後に利用したいと思います。
とにかく、現在はまだまだ元気なため、四国遍路や御嶽山にどんどん活用して、コレクションと言われないように使用していきたいと思います。
私の父親が若い時に鍛冶屋さんに依頼して作ったピッケルですが、父親が他界した平成5年過ぎに綺麗に磨いて真っ白のペンキを塗ったものの、その後倉庫に放置していたため、本日手に取ると錆びだらけになっていました。
父親は私が生まれる前に富士山へ登頂するため作った物で、義父(母親の父)が御嶽山の先達だったことから毎年持参していた思い出のピッケルとなり、私も父親が他界後に御嶽山の山頂まで持って行ったことがありましたが、雷が鳴り響く荒天のためピッケルを投げながら下山した懐かしい思い出があります。
錆びているだけでなく、見た目も良いとは言えませんが、現代社会のように登山用品が簡単に入手できる時代のピッケルとは違い、近所の鍛冶屋さんに依頼して作ってもらった父親の遺品で、戦後間もない頃では自慢のピッケルだったと思います。
そして、何よりも錆びついても現役で使用できることに、戦後間もない頃の農機具を作る鍛冶屋さんの物づくりの職人の腕にも驚かされます。
私自身が歳を重ねてピッケルを必要とする登山とは無縁となっており、せっかくなので近所のウォーキングにでも使用しようかと考えていたところ、家族から「そんな物を持って歩いたら警察に捕まる」と心配するものの、これぐらいの物を持って歩かないと危険な世の中になっている現代社会を実感です。
近鉄アーバンライナー
特急名古屋行き
準急名古屋行き
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津島市から名古屋市港区へ移動中、近鉄戸田駅東の踏み切りで近鉄電車を眺めていると、普段眺めている名鉄電車とは違って遠くまで来た遠出の感覚を覚えました。
まさき動物病院 名古屋市港区春田野
かつては我家の相棒リマだけでなく、家族が拾ってきたヒヨドリのひな「ピーコ」の折れた足の治療にも訪れていた動物病院です。
まさき動物病院はこの近くに住んでいた娘の犬が通っていた病院で、この病院に私と親交のあった名古屋競馬場の獣医さんの息子さんが勤務していたこともあり、我家の相棒も通院するようになりましたが、その息子さんが弥富市で独立開業したため8年ぶりに病院前を通りました。
2011年09月12日
2014年04月17日
2015年12月19日
懐かしい思い出の詰まった動物病院です。
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久々の戸田川緑地です
農業科学館
花壇
ピクニック広場
羨ましい家族の姿
戸田川緑地公園も懐かしい場所で、娘や孫が近くに住んでいたことから、孫の相手を頼まれると時間つぶしに訪れていた馴染みの居場所でもありましたが、孫が小学校に入学する直前に引っ越したため、ここも久しく訪れていませんでした。
2012年07月03日
大鹿一八「本日の一言」 : ジジーは孫の子守役へ (livedoor.blog)
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本日の写真です。
かつては毎週のように訪れていた名古屋市の港区や中川区ですが、コロナ禍になり3年前から参加していたコロナワールドのボーリング場への足が遠のき、横井庄一記念館も休館となったことで足が遠のいており、本日は久しぶりの外出となりました。
久々の港区で、保育園児だった孫か娘たちとの思い出と、我が子でもある相棒リマや保護したヒヨドリのピーコなど、懐かしい思い出もよみがえってきました。
全国各地の積雪とは違い多い所でこんな状態です
小筆から筆ペンへ
かつて購入した筆ペンはサインペンの延長でしかありませんでしたが、最近の筆ペンは小筆の毛筆と遜色なく、むしろ墨の付け足しが必要なく、墨液の量が一定のため写経には向いていると思われ、とりあえず四国遍路の納め札は筆ペンを使うことにしました。
平成13年に初めて遍路を始めた時は、納め札どころか般若心経も唱えられないまま、人を追い越して納経帳へ朱印を受けるだけで良しとしていましたが、現在では徳島県の第23番薬王寺で販売されている納め札にこだわって使用しており、これからはボールペンではなく筆ペンで書き込むことにしました。
雪の中を無理して外出せず、「こんな時は家の中でやれることをやれ」との弘法大師の教えかも知れませんね。
本日の写真です。
「こんな雪で音をあげては何もできんぞ」の声も弘法大師の声で、四国の僻地にある岩窟や人も入らぬ山中で修行されたお大師様を考えると、あえて小雪(雨)の舞う中を長靴を履いて外出することにしました。
使用した長靴は、上高地のボランティアで使用している長靴で、上高地では一日中歩くと2万歩以上になるため、昨年はリハビリ中のため使用を控えていたものの、今年の上高地はすべて長靴姿で何でもできるボランティアとしてカムバックしたいと考えています。
問題は添付した長靴が私の生活圏のホームセンターや靴屋には見当たらず、ハイカラな見た目の良い長靴はあっても、靴底が生ゴムでできた添付したような長靴でないと、一日中履き続けると足腰が悲鳴をあげてしまいます。
本日の歩数は8千歩ですが、上高地が開山する4月までに、長靴で2万歩以上歩いても苦痛にならない身体に回復させていきます。
東海大橋の対岸は岐阜県です
本日は久々となりますが、岐阜県との境になる東海大橋まで出向いて、車内で水を沸かして珈琲タイムとしました。キャラバンの車内には数日間車中泊のできる食料と水が載せてありますが、軽自動車にも一食分の食料とともに、ドリップで摘出する珈琲も常時積み込んであります。
本日はインスタント珈琲にしましたが、温かい車内から眺める木曽川と養老の山並みを眺めながらの珈琲タイムは極寒の冬とは思えないホットタイムとなりました。
2020-11-18
2020-10-15
2年前には生活習慣を見直すため朝5時30分に起床して、車で10分程度で到着できる景色の良い場所まで出向き、モーニング珈琲を楽しんでいましたが、昨年膠原病に罹患したこともあり、最近は朝の起床時間を遅らせ、8時15分に目覚ましをセットしてから気分で起きるようになりました。
せっかく飲料水が積み込んでありながら、外出する度に新しい水と入れ替えているばかりのため、これからは夕方のウオーキングと珈琲タイムを、時間があれば車で外出して周辺の散策と水を沸かして珈琲を楽しみたいと思います。
小回りがきき何所でも駐車のできる軽自動車は散歩の足代わりには最適で、車体の大きいキャラバンは駐車場の留守番が続きますが、しばらくは積極的に外出に心がけます。
本日は10年に一度の寒波により全国的に大雪となっており、私のすむ愛知県も早朝には道路も真っ白になっていましたが、午前10時頃には道路の雪は消え、午後3時頃には雪そのものも無くなりました。このままで終わって欲しいものです。
そんな中でも家内は移送ボランティアに出動し、私は約束のあった訪問者を待つだけの一日となりましたが、身体を持て余してやることも無いため、棚に山積み状態になっていた過去の写真を整理していると、昭和60年頃から撮りだめた学校のPTAや同窓会の写真から、主催していた朝日旅行友の会のバス旅行や、上高地と四国遍路の大量の写真があり、眺めているとあっという間に夜になってしまいました。
そんな中でも…
平成11年4月の写真 まだ片目も入っていません
平成11年に初めて立候補した時の写真ですが、地域や組織の応援を求めず、5回の選挙を自分個人だけで戦ってきたと思っていたものの、初めての選挙は海部俊樹元首相に応援をいただき、今にして思うと多くの人たちに集まってもらっていたことにびっくりさせられました。
そして、ご支援いただいていた人の多くが鬼籍に入ってしまわれた現実も実感し、過去に撮り溜めた写真を年代順に整理して、朝日旅行友の会や四国遍路など一緒に同行した人や、ご遺族の方に届けられないかを考えたいと思います。
手渡す予定でプリントした大量の写真ですが、手渡す相手の多くが亡くなっておられる現実と、整理しても自分が懐かしく見るだけになってしまう現状の中で、少しでも多くの人々に届けるか見てもらいたいと思います。
本日のスマホにフェースブックの3年前の記事が現れ、3年前と変わらぬ生活を送っているように思っていましたが、添付していた志賀弘法会もコロナ禍で巡拝の中止が続き、代表者の体調の悪化も重なり昨年は知多半島だけでなく高野山にも訪れていない現実を再確認させられました。
雨の中を巡拝していました
満願の御礼参り 名古屋八事興正寺
2016年11月03日
大鹿一八「本日の一言」 : 遍路の難所 車イス利用者と岩屋寺へ巡拝 (livedoor.blog)
2017年10月31日
大鹿一八「本日の一言」 : 志賀弘法会 四国遍路満願の一日 (livedoor.blog)
5年前には車いすに座る弘法会代表を、四国八十八か所総ての大師堂前まで腕を担いで参拝した私自身も、昨年罹患した膠原病によってメンバーに心配されるような体調に陥っており、自分のお遍路だけで精一杯になっているのも現実です。
さて、三年前のブログを読み直してみると、1月には叔父が他界しており、新型コロナが蔓延する前のため当時開館していた横井庄一記念館にも足を運んでおり、本日は昭和47年に横井庄一さんが発見された日に当たるものの、記念館は館され横井さんを語れる人も存在しなくなったのも寂しい現実です。
10年に一度の寒波が襲来すると気象庁が呼びかけていますが、ここ数年の間に過去最大との予報を何度も聞かされたようにも感じ、昨年末に今シーズン最大の寒波とも表現されていたことを考えると、信憑性には疑問もありますが、膠原病に罹患している我が身には足先の凍るような寒さから猛烈寒波の襲来を予感させられます。
ここからは昨日訪れた多度大社の写真です。
昨日の写真です。
2021-10-03
過去に記した団子や五平餅の一言の一覧
2年前の夏から五平餅の食べ比べを始め、東三河や岐阜県や木曽路の五平餅を添付してきましたが、各地で一番美味いと宣伝されているものの、お店の対応が横柄であったり、大量に焼いて作り置きされていると味気なく2度と行きたいとは思えません。
過去に記したお店で何度も訪れているのは、個人的な趣向はあるものの、私自身が食べたいと思える団子屋さんやお店であり、昨日訪れた「車久米穀店」は餅米の団子ですが、何度でも訪れたいと思える名店です。
農家で生まれ育った私にとって、自家製の米はとても丹精込めて育てたとは言い難く、地域で味を自慢する人も存在しますが、最近ではほとんどの農家が耕作を営農専門業者に委託しており、味についても食べ比べると確実に劣ります。
そんな感覚を一掃させてくれるのが車久米穀店で、自家製米があるので買うことはありませんが、米を購入するならこんな米穀店で食べ比べみたいものです。
春を予感する桜の開花
岐阜県海津市南濃町羽沢
まだ咲き始めです
道の駅月見の里・南濃
蔵出しの幟
南濃みかん
足湯
記念写真のコーナー
かつては岐阜県海津市南濃町の医療機関へ通院する人があったため、毎月訪れては近くの神社やお寺へ立ち寄り、当り前のように道の駅や農産物売り場を訪れていましたが、最近は訪れる機会も減っており久しぶりに足を運びました。
さて、かつては無くなるたびに訪れて購入していた南濃みかんですが、年末に訪れた和歌山県で買ってきたみかんの美味しさから、あまり期待はしていませんでしたが、本日のみかんは和歌山産のみかんと遜色なく、生産する農家によっては見事な味であることを実感させられました。
2021-01-28
多度大社
三重県桑名市多度町多度
本日の写真です。
8年前から上高地のパークボランティアに参加するようになり、自分自身はそれまでと同じ生活のように思っていましたが、それまで人を乗せて走っていた四国遍路へ行く機会は大幅に減っていたように、生活環境は変わっていなくても行動範囲は少しづつ変わってきます。
かつてお盆の16日の「送り火」と、大晦日は必ず京都の「をけら火」と除夜の鐘に訪れていましたが、お盆は上高地に滞在し、年末は自宅に篭るようになり足が遠ざかってきましたが、それでもお盆と年末に立ち寄っていたお寺やお店から届く年賀状によって縁は切れません。
昨年9月に初めて訪れた桑名市の大福田寺は、初対面の私にご住職が境内を案内していただき、お寺の「火渡り神事」など紹介いただいたことで、その後毎月訪れていることを考えると、それまで度々訪れていた知多半島から毎月届けられていた手紙が滞っていることも足が向かない原因と実感させられます。
せっかくの土曜日と日曜日も、体調が今ひとつだったためコタツに篭っていると、家内から何所にも行かないのとの一言があり、目的も無いままに道の駅や多度大社へ走りましたが、昨年から時間があれば横になって身体を休めようとしている自分があります。
スマホのSMSに繰り返し送られてくるGoogleからの連絡ですが、グーグルが何故に電話銀号を確認する必要があるのか理解もできずそのままにしてありますが、最近スマホの交換に販売店を訪れてからアカウントの変更が必要となったものの、送られてくる情報の何が本物か偽物かを見極めるため神経質にならざるをえません。
フェースブックの記事ですが、日本人の名前を名乗り、アメリカ軍の医師との紹介でしたが、友達申請に応じて相手していると、添付したような知人の生死に関わるような書き込みがあり、航空会社へ誘導するQRコードが添付されてきました。
2022-08-25
ネット社会の中で、情報を必要とせざるを得ない時に、SMSから送られてくる情報の発信先が信じられない世の中になっており、ニックネームや架空の名前で発信できることが「なりすまし」や詐欺メールの温床になっているとしか思えません。
マック専用車と化した家内の福祉タクシー 午後4時21分
毎日の日課となっているマクドナルド通いですが、マックへ行くことを目的にしている訳ではなく、患者さんを病院まで搬送してから診察が終わるまでの時間が判らず、待機するのに好都合なマックで休憩し、一日の仕事と買い物が終わってホッとするのもマックになりました。
搬送する患者さんの自宅です
乗車中
午前9時30分 乗車しました
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午前9時41分 医療機関へ到着
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名古屋の高度な医療機関を利用される患者さんも多く、搬送する時間がかかるものの、診察が終了する時間が判らないため一旦は自宅に戻って待機しますが、本日の搬送は患者さんの自宅から近い医療機関までの搬送ですが、自宅の玄関が高いうえに、患者さんがほとんど歩けないため家内と両肩を支えて車イスまで降ろす二人がガリの搬送となりました。
半年前には罹患した膠原病によってほぼ寝てばかりの病人となり、痛みから握力ゼロだったとは思えない回復力によって、いまだ半人分ですが私が手を離したら患者さんが倒れてしまう現場では大汗をかいた移送となりました。完全復活ですね。
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そんなわけで近くのマックで待機
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治療が終わりました 午前11時33分
本日の写真です。
「タクシーを頼みたいんですが…」
「車いすを利用されている方ですか?」
「来週火曜日に雪が降るから病院まで行きたい」
「雪が降ったら一般のタクシーを利用して下さい」
「電話したら雪は危ないと断られたので…」
「うちだって雪なら危ないので…」
「役場に聞いたらお宅を紹介された」
本日送迎が終わって帰宅した直後にかかってきた電話です。我が家は自家用車でボランティアが移送する福祉有償運送と、青ナンバーの福祉タクシーは私が上高地や四国遍路へ観光目的で移送するジャンボタクシーに、添付した車いす移送のできる福祉タクシー(家内専用)を運営しています。
タクシーと一口に言っても、添付した記事のように歩けない患者さんを二人がかりでも搬送する福祉タクシーに、病院へ通院する患者さんとは言え、雪の移送が危険だと一般タクシーに断られた人からの依頼は腹立たしく情けない気持ちにさせられます。
一般タクシーに雪道は危険と断られた後で、市役所へ電話して相談する感覚も理解できませんが、そんな役場の紹介で連絡される私も情けないもので、現実には病院までの通院が困難なため、自宅に籠っている病人も多く、名古屋の病院で治療すれば救われる命が、町医者のレベル以下の医師が多い市民病院で失われていく現実をこれまで眺めてきました。
高額な福祉車両を維持するためには無償ボランティアではできませんが、もう少し頑張る必要があることを自覚する一日ともなりました。
名古屋第一赤十字病院 (中村日赤)
日本赤十字社愛知医療センター名古屋第一病院 (正式名称)
「数値がずいぶん良くなったね」
「体調も良いですよ」
「明日からステロイドを減らそう」
「減らして大丈夫ですか…」
「次の診察は二ヶ月後にしよう」
「心配だから、もっと短くして下さい」
昨日の中村日赤の主治医との会話ですが、血液検査の結果が大幅に改善し、「CRP」という炎症や組織の損壊を示す数値は正常な基準値内に治まり、昨年6月に膠原病と診断されてから7か月目にして痛みは皆無となり、「MMP-3」という関節リウマチの数値は相変わらずですが、「RF」はあと少しで基準内に治まりそうな結果となりました。
今年6月の血液検査で膠原病と診断された3種類の異常を示す数値の変化
6月から今月までの推移
CRP(基準値 0.00ー0.14) 体内の炎症や組織の一部の損壊の有無を診断する検査
(6月) 4.85→ (8月) 2.32→ (9月) 2.89→ (10月) 3.78→ (11月) 3.69→
(12月) 0.50→ (1月) 0.12
MMP-3(基準値 35.2ー123.8) 関節リウマチ患者の関節には大量にMMP-3 が含まれており、関節破壊の指標とする検査
(6月) 162.4→ (8月) 212.3→ (9月) 213.3→ (10月) 231.9→ (11月) 201.7→
(12月) 153.0→ (1月) 184.9
RF(基準値 20未満) 血液中のRF(リウマトイド因子)という物質の量を調べる検査
(6月) 24.5→ (8月) 26.7→ (9月) 45.1→ (10月) 67.8→ (11月) 63.6→
(12月) 36.8→ (1月) 21.7
昨年3月末に交差点で車に追突され、頚椎挫傷によって右手の指がシビレ、毎週病院へ通院する中で一ヵ月後のゴールデンウィーク頃に両手が腫れあがり、その後に両手と両肩に激しい痛みが走り、6月には膠原病と診断され県外の外出にドクターストップがかかりました。
6月と7月には車の運転もできず、歩くのも苦痛に陥りましたが、8月にはストレスが大敵なため医師から上高地への外出許可はでたのを機会に、9月からは勝手な判断で石段ばかりの四国遍路にも出向くようになりました。
12月になって検査結果がずいぶんと改善したことで、「これで上高地も大丈夫だね」と医師から言われた半面で、「心配だった」と私が思っていた以上に深刻な病状であったことが告げられましたが、私はノー天気に上高地と四国を走り廻っていました。
それでも四国遍路ではお大師様に病気回復を祈願し、上高地の帰り道に立ち寄る御嶽山の霊神場と弘法堂のお大師様に手を合わせてきたご利益としておきますが、私には同じ医師に診察を受ける膠原病の先輩が存在し、普通に生活するまで回復したその神様の存在が大きな希望となっていました。
発病直後に手の平の腫れた写真をこのブログに掲載したことで、その神様から「私の病気と一緒ではないか」との助言があり、早期の診断と治療が始まったことが順調な回復につながり、一年後には回復している神様によって随分と安心感をいただいてきました。
さて、私の住む津島市にも膠原病の患者が存在しますが、病状が随分悪化してから膠原病と診断され、診断後も専門医が一週間に半日だけしか診察しない病院に通っている現状があり、30分も走れば何時でも専門医の適切な治療が受けられる良き見本になりたいと思っています。
本日の一枚です。
ここからは日曜日の写真です。
御嶽山 午前6時46分 木曽町三岳
雪と凍結した道路
霊神場前に到着です
日の出滝旅館 長野県木曽町三岳屋敷野
祖父の石碑(手前)です
濃い霧のため弘法堂が見えません
御嶽山黒沢口(4合目)にある日の出の滝横にある明栄講(御嶽本教明栄分詞殿)霊神場に奉られている、御嶽山を開山した覚明霊神と講祖覚礼霊神に参拝した後、私の祖父の石碑や知人の碑に参拝してから隣にある「明栄講ろ組」の霊神場を訪れて、我家の分家や知人の石碑に参拝して、更に場所を移動して、真言密教の弘法堂に手を合わせるのを毎月の行事としてきました。
となりの「ろ組」の霊神場を訪れると…
護摩祈願へお誘いを受けました
毎月御嶽山に参拝する習慣は、上高地のボランティアから帰る帰路に立ち寄り、今年5才になった孫の誕生を祈願して願が叶った御礼に毎月訪れるようになりましたが、上高地を午後に離れて沢渡から薮原経由で到着するのは夕方か薄暗くなります。
朝7時から訪れる御嶽山は新鮮でした。
そして、再び「ろ組」の霊神場へ…
明栄講ろ組 霊神場入り口
神事の準備中
神事が始まります
講祖像の前に教会長が座ります
2人が対座しています
降霊が行われています
講祖の霊が降りてきました
ここから先の様子は写真には撮れません。
毎月訪れている御嶽山の霊神場ですが、となりの「ろ組」の先達さん達とは過去に2回ほど出会って挨拶していたことから、護摩祈願と講祖前の神事へお誘いを受けて参加させていただけましたが、詳細をブログに添付したいものの、霊を降ろす神事(降霊術)や神事を写真に収めるのはさすがに無礼と言うより罰当たりと思いながらのギリギリの添付です。
西野川
2日前の日曜日の話となりますが、御嶽山黒沢口4合目の日の出滝に隣接する明栄講霊神場へ午前7時に手を合わせたいと車を走らせると、目的地を目前にして道路は完全なる凍結状態で、まだ薄暗い道路を確認しようと車を降りると靴が滑って一歩も歩けない状態でした。
一瞬にして御嶽山は観光地ではなく多くの霊神の碑が居並ぶ霊山であることと、自分の都合だけでまだ陽も昇らぬ凍結した道路を進む私自身への神様と祖父(道成霊神)の戒めかもしれないと閃き、御嶽山の入り口となる里宮にも参拝していない無礼な自分への警鐘と頭に閃光が突き刺さったように感じました。
そんな訳で一度通った道路を戻って里宮の御嶽神社の社務所前に車を停めました。
そしてこれで今日の御嶽山も終わりかもしれないと思い、これまで急ぎ足で参拝を終えていた神社周辺を眺めると、社務所の裏側に石段があり観音像があるのを見つけましたが、観音像や祠に気がつく人は居ないと思われます。
西野川にかかる大社橋を渡ると、かつては現在の道路の北側に橋があった遺稿が残っていることが判り、私が初めて御嶽山へ訪れた際には通っていたことと、神社の本殿横から進む御嶽古道をかつては先達について歩いていたことも偲ばれてきました。
さて、御嶽山の頂上にある奥社は宝亀5年(774)に勅命を受けた信濃国司によって山頂に祈願したのが始まりと言われていますが、里宮となるこの御嶽神社も奥社と里社若宮とともに三社を以って御嶽神社と称されており、古い歴史を考えるとあまりにも疎かにしていたことが判ります。
かつては、御嶽山に参拝する人は限定され、しかも登拝する祭には「百日間精進潔斎」という厳しい修業をしていたことを考えると、観光やスキーで訪れる車と一緒になって自由に参拝できる現代社会の甘さも実感させられます。
私の祖父が大祭を前にして真冬に百日間も冷たい水を被って修業していた御嶽山の先達の厳しさを、何の修業もしないまま数回巡拝すれば先達となる四国や西国巡礼の甘さも、同じ先達という言葉は一緒でも全く次元の違う信仰の奥深さも思い知らされます。
そんな想いをめぐらせていると、鉛色で包まれていた御嶽山の霧が晴れて、わずかでも山頂の姿が拝めるようになり、輝くような陽射しによって立つことも出来なかった道路の凍結が溶け出し、神様の登拝の許しが出てきたように(身勝手に)悟り、再度霊神場を目指しました。
そして、到着後は濃い霧に包まれていた霊神場にも陽が射し、講祖覚明霊神や諸霊神に参拝していると、祖父の霊神場の隣にある「明栄講ろ組」の霊神場で、寒山登山の神事を準備中の教会長や先達さんから一緒に護摩行や神事に参加しないかとお誘いを受けました。
昭和46年に他界した祖父が生前中に行っていたお勤めや修業の回顧となる参拝となりました。護摩の焚き上げや神事は明日書き記します。
国宝松本城
松本市役所大手事務所
環境省上高地パークボランティアの勉強会
新聞販売店 信毎松本専売所
1922年創業の小松パン店
松本市で100年続く老舗のパン屋さんです。ボランティアの先輩女性から、「美味しいから食べてみて」と差し出された「アンパン」の味に魅了され、案内していただいたパン屋さんですが、目的としたアンパンは売切れており、自宅へのお土産に各種の手作りパンを買ってきました。
松本市で絶対に行くべきパン屋さんの中に入っており、ガイドブックには「小松パンと言えば牛乳パン」と紹介されており、地元民が口をそろえて牛乳パンを挙げるというパン屋さんの老舗ですが、店頭に目立った看板もなく案内がないと探すのが大変です。
星3つの名店です。
土曜日の写真です。
四柱神社(よはしらじんじゃ)のご祭神「天之御中主神」は、天の中央にある主の神として産霊神のはたらきを統一される神様と言われます。四柱神社には高皇産霊神と神皇産霊神は宇宙創造の根源の神様で、これら三神の神意を地上に具現化される天照大神の四柱が奉られています。
四柱神社
ナワテ通りは江戸時代にはただの土手だったようで、明治に入って四柱神社が建立され、お城の周辺に市役所や警察所などが建てられるのと平行して栄えていったと聞きます。
現在は魅力あるナワテ通りも、終戦直後は大陸から引き揚げてきた人や、都会から疎開していた人たちがテントを立て、闇市や祭礼に屋台を出すテキヤと言われる人たちが商いを始めたそうですが、汚水で汚れた女鳥羽川の清掃をすすめてテントからプレハブの店舗に変わっていったようです。
シンボルとなっているカエルについても、清流にしか生息しないカジカが再び生息されることを目標として、昭和47年に「カエル大明神」をお祭して、毎年1月2日と6月に開催される「松本かえる祭り」には神主による神事も行われています。
汚れたとは言っても、元々が美しい川であったことと、ボランティアの人々による清掃によって最近はカジカが戻ってきたとの話も聞きましたが、今では市町村合併によって松本市になった上高地のボランティアと共通するものも感じさせられます。
私の住む愛知県では、テレビ放送が東海3県を対象としているため、木曽路や松本市のある信州についてはあまり放送されませんが、木曽路から松本市には魅力ある自然環境と景観が多く、松本周辺の安曇野には愛知県より古い真言密教の古刹も多く存在します。
次の松本行きは3月に開催される上高地PVの定例会となりますが、私の大好きな上高地と併せて松本市や安曇野市なども廻ってみたいと思います。
本日午前6時46分の御嶽山
道の駅日義木曽駒高原 午前5時43分
今日のスタート
道の駅三岳 6時28分
完全なる道路の凍結です
どんどん進みますが…
黒い部分はツルツルの完全凍結です
四国遍路は納経所の朱印が朝7時に始まるため、お遍路の感覚として7時には参拝しようと道の駅日義木曽駒高原を5時45分に出発し、6時半に道の駅三岳でトイレや洗顔を済ませて日の出の滝にある御嶽山明栄講の霊神場を目指しましたが、道路は完全に凍結しており、車を降りると滑って一歩も歩けない状態です。
「出直せ」の言葉が一瞬脳裏に浮かびました。参拝にこだわって車が道から落ちたり、転んでケガでもしたら罰当たり者です。
午前6時51分 ここから引き返します
7時09分 ふもとの御岳神社まで戻ってきました
御嶽神社 社務所
太陽の丘公園 7時40分
里宮で御嶽神社に参拝し、道路の反対側にある平和観音や祠に手を合わせてから、最後の御嶽山との別れを惜しんでいると、山頂方面のガスが晴れて青空が見えてきました。
今にして思うと、危険と隣り合わせの道路を進んだことと、里宮に参拝しないまま霊神場に進むことを神様と霊神(祖父)によって戒められたのかも知れず、厳冬期の御嶽山参拝は太陽が昇ってから登ることは先人の教えかもしれません。
途中で山頂が頭を出しました
日の出滝前 日の出旅館 8時05分
よく頑張りました
霧に包まれた霊神場
田中旅館と弘法堂 8時52分
道路の先に御嶽山が見えます
午前10時25分の御嶽山
山頂の噴煙も見えます
さて、霊神場で明栄講の講祖覚明霊神から祖父や恩人の石碑に般若心経を唱え、となりの「明栄講ろ組」にある我家の分家や知人の霊神碑へ参拝に訪れると、ろ組の教会長や先達さんが寒山登山の神事を始める準備をしておられ、護摩の焚き上げとお勤めに誘われました。
明栄講ろ組の開祖「徳開霊神」は私の住む津島市のとなりにある七宝町の先達で、本日出会った方々は七宝町の霊神ゆかりの人たちで、昨年にも出会って挨拶していたこともあり、一緒に護摩の焚き上げに参加させてもらい、弘法堂参拝後に再度訪れて神事に参加させていただきました。
こんな出会いを考えると、早朝の引き返した参拝は御嶽様のお導きとしか思えず、毎月訪れている御嶽山と郷里の人々とのご縁に感謝する参拝ともなりました。
感激の詳細は明日以降の後日書き記します。
帰路
本日の写真です。
昨年と一昨年に愛知県と岐阜県や木曽路の五平餅を食べ歩き、その中で一番の味と評価している上松宿の中村さんですが、毎月上高地の行き帰りに通っているものの、行きは夜か早朝で、帰りは閉店後の夕方か夜のため、久しぶりの来店となりました。ご店主と世間話をしながらゆっくりできる居場所は味とともに貴重な存在です。
昨日から松本まで往復の走行距離450キロをガソリン22リットルの給油は驚きで、愛車キャラバンでは50リットル以上給油していることを考えると、軽自動車を利用すれば上高地も昨年の2倍は行ける勘定となり、車中泊の予定は無かったものの、幸いにして暖かかったこともあり、通常に積んでいる寝袋だけで温かい車中泊となりました。
昨日の一言です
上高地パークボランティアの定例会へ | 大鹿一八 『今日の一言』 (ameblo.jp)
昨年11月15日に閉山となった上高地の環境省に所属するパークボランティアの定例会が松本市の市民活動サポートセンターで明日開催されます。
明日は早朝から車で出かける予定ですが、2年前はコロナ感染拡大によって中止となり、昨年も出席を予定していたものの感染拡大によって自粛せざるを得なくなり、今年は3年ぶりの参加となりますが年末の豪雪も和らいだため愛車キャラバンではなく、小回りのきく軽自動車で松本を目指すことにしました。
2022-01-13
2021-01-12
家族は長距離であることと、普段車中泊にも使用しているキャラバンで行って欲しいようですが、今年は軽自動車の車中泊で四国を廻る計画を立てていることから、雪で通行止めになっても取り回しのきく軽で行くことにきめました。
2年前の3月13日の木曽路
全国的に雨の予報ですが木曽路は雪かもしれません。
一年前の明日(1月14日)の写真
定例会は午後1時から3時までで終わるため、明日中に帰ってくることも可能ですが、天候を見ながら明後日の日曜日に帰ってくることとし、さすがに家族が心配する車中泊はしないものの、万が一雪で足止めになっても車内で籠城できる装備と、2日間は生き延びる食料や防寒衣を積み込みました。
2021-12-09 2年前の軽による車中泊
2年前の冬に軽自動車による車中泊で四国遍路へ訪れたことがあります。周りの知人からは多くの食料や荷物を積み込めるキャラバンの方が楽と言われますが、極寒となる冬季は車内空間の広いキャラバンは夜間の冷え込みが厳しく、狭い軽自動車の方が私の体験では楽でした。
狭い軽自動車の中に1週間分の食料や水を積んで、独りで四国を廻ることを考えると、明日の松本行きの楽しみが湧いてきます。
本日の写真です。
本日は家内が一宮市の医療機関まで患者さんを搬送して行きましたが、私は市内まで一人の患者さんを送迎しただけで、遠方から訪れた知人と珈琲店へ出向いて昼食となり、午後4時に予約したジェームスの車検の見積もりに出かけて一日が終わりました。
さて、患者さんの病気の内容について詳しく語れないものの、本日もあまりにも無責任な市民病院の医療体制に腹立たしい話を聞くことになりました。
一宮市まで搬送した心臓疾患の患者さんは市民病院でカテーテルの処置を受け長期入院したものの、手術ができないため海南病院へ転院して手術を受け、その後の対応が十分でないことから、一宮市の総合病院を紹介されて本日訪れて相談したとの話です。
私の個人的な判断では、最初から私の通院する名古屋の中村日赤を紹介されておれば患者が転院を繰り返すこと無く治療ができた事例と思われます。
以前に市民病院ではカテーテルができないため名古屋市の病院へ搬送した患者さんがありましたが、一週間に一日だけ診察に訪れる大学病院の医師によって治療を受けても、その医師が居ない平常時は治療に限界があり、そんな体制でも患者さんを入院させることは問題です。
一週間に一度しか訪れない医師にとっては常勤の大学病院で日常の当り前の治療や手術も、この医師が不在となる市民病院においては、体調が急変しても専門の医師が居ないため患者は苦痛だけでなく、精神的にも大きな恐怖を味わうことになります。
こんな顛末になってから話を聞くことが多く、医療費や治療費は町医者でも大学病院でも一緒のため、ガンや心臓疾患など手術や高度な治療が必要と思われれる病気は迷わず大きな総合病院を訪れるべきですね。
私たちがボランティアで搬送する患者さんの中には、長年信頼して通院していた市民病院でなすべき治療が行われず病状が悪化し、手術が必要になってから中村日赤や名大付属病院などへ搬送した患者さんは多く、こんな繰り返しは減らしてもらいたいものです。
2022-01-12
一年前の記事を読み直すと、嬉しい手紙が届いた様子が記されていますが、今年は運勢も良く同じような環境には思えるものの、動けば動いただけ出費が重なることとを考えると出足が鈍ります。
本日の写真です。
本日は家内はボランティアに出かけて行きましたが、私は2階の事務所に篭り何もしないままに昼食をとり、テレビの時代劇「剣客商売」を見ていると歯医者さんの予約時間となり、まさかの1時間半以上もかかり、家内と約束していたマックは夕陽が沈む間際になってしまいました。
さて、私の住む津島市の周辺では腎臓結石の患者が多いらしく、私のかかりつけ医の勤務していた市民病院の医師の間で水道水が原因ではないかとウワサされ、かかりつけ医は水道水は飲用していないとの話を聞き、その後は2ヶ所のスーパーへ飲料水を汲みに出かけるようになりました。
簡単なことですが、家族全員の飲用水を汲んでくるのは大変で、純水のあるヤマナカとドンキホーテのスーパーで買い物と同時に水を汲んで帰る生活の繰り返しとなりました。
2021-04-14
2021-04-15
過去の一言を読み直すと、2年前の4月から水汲みを始めており、私の膀胱結石によって始まった水汲みが連日の仕事となり、本日も陽が沈んだ夜にスーパーに走る一日となりました。
明日は家内が一宮市の医療機関まで患者さんを搬送し、私は市内の送迎となりますが、歳を重ねて自分の通院も必要になっており、車の維持費や燃料費も高騰し、運勢の良さに浮かれてはおれないボランティアのストレスを感ずるこの頃となりました。
母親に購入したシンプルスマホ
本日の写真です。
比較しなければ判らないでしょうが、添付した写真でもわかるようにこれまで使用してきたスマホより映りが悪いのは納得ができません。
他のソフトバンクのお店で確認したところ、新しい Xperia はこれまで使用していた Xperia8の半額程度の製品であることが判りました。
ガーン!!!
軽くなって性能も良くなって料金も安くなったと勘違いして、家内と二人で機種変更したものの全く裏切られたような気持ちになりました。
早速、稲沢市のワイモバイル店まで出向いてキャンセルし、元のスマホが使えるようにしてもらい、その足で近くの SoftBank 店で91歳になる母親の携帯電話を簡単スマホに変更してきました。家内はほとんど写真を撮らないため、小さくて軽い新しいスマホで良いとの話からキャンセルしませんでしたが、安い説明ばかりに気をとられると元の木阿弥となってしまうことを実感させられます。
91歳になった母親がスマホのインターネットを使用して、漢字やことわざを調べる姿を考えると今回の顛末を忘れて明るい気持ちになれるかと思います。
いつものマックへ
モバイルオーダーですが…
普段利用しているペイペイ払いにすると支払いができす、ペイペイにもログインができません。
とりあえずとクレジットカード払いにすると、今度はカード番号を記入するように求められ、カードは自宅のため番号が判りません。
結局、パスワードを忘れたとしてペイペイ払いをできるようにしましたが、スマホの買い替えは簡単なものの、スマホ内で設定してあったwi-fi や無線 LAN はすべて設定し直す必要に迫られました。
スマホの中にある paypay やショッピングセンターのアプリにある現金やポイントもログインできないと利用ができません。
やっと注文完了
本日の写真です。
スマホのバッテリーを交換(修理)するために訪れたYmobileの販売店で、新しいスマホにした方が低額になるとの説明から、家内と一緒に簡単に交換してきたものの、アプリへログインするパスワードと、スマホの壁紙にしていた相棒(愛犬)の写真と、電話の着信音にしていた相棒の声が消えてしまいました。
本日はそんな後始末で一日が過ぎてしまいました。
本日の写真です。
2年前の6月にコーヒーカップの中で発芽したパイナップルが、冬でも20度以上に空調管理している私の2階事務所で実になる花をつけていました。2年前も冬の間は2階へ移し、昨年は11月に二度目となる2階へ移動させていましたが、本日花がついているのを発見しました。
南国の果物であるパイナップルが、こんなに簡単に家庭で栽培できたことに驚きですが、我家のペットたちのための空調管理が、我家の2階ではブーゲンビリアやミニトマトなど真冬でも夏と同じように花を咲かせています。
発芽から現在までの記録を下記に添付しました。
2021-07-06
2021-10-02
2022-06-25
21年6月 ↓
6月20日 ↓
本日の花が今後どのように成長するかは判りませんが、小さくても成長した実から次の世代まで再度挿し木で増やしていきたいと思うとともに、現在の茎からもわき芽が出る可能性もあり、私が存在する間は家族として見守りたいと思います。
本日の写真です。
今年は正月休みが短く、正月の雰囲気を感じないような年明けになりましたが、意外なことに本日から3連休になっていることも、月曜日が祭日であることも本日まで自覚がなく、家内がボランティアの移送を受けていたことから普段と変わらぬ一日になりました。
持病を持つ高齢者にとっては正月休みや3連休より病院の診察日の方が重要で、長い正月休みは病院に行けず体調不良に陥っている患者も多く、重篤な病気や難病患者にとっては長い連休や祭日はストレスになっていきます。
そんな生活の中で、パソコンの横に置いたカレンダーから次の外出先や、上高地と四国遍路の予定を考えるとストレスだらけの地域生活を忘れておれます。
さて、私は学生時代の昭和52年に朝日新聞の販売店を起業しましたが、私にとってはその後の議員生活よりも長く関わったことと、政治との兼業禁止によって廃業しただけで、今にして思うとそのまま転業せぬまま引退を迎えたかったと猛省しています。
東海地区でシェアの少ない朝日新聞の販売店を起業するには覚悟も必要で、私は新聞配達人である地方新聞社の販売店とは違い、不偏不党で権力も恐れぬ朝日新聞記者の良識を地域へ届ける使命感によって販売店を始めました。
そんな何も判らない学生の私が営業する朝日新聞を購読していただいた愛読者は神様で、今でも縁側でお茶をいただいたお宅や、義理でもお付き合いいただいたお店は別格で、本日訪れた喫茶店「童夢」も居心地の良い環境のままで、何よりも権力に迎合しない喫煙可能(私は禁煙者ですが)の客席と、低価格のチケットなど末永く続いて欲しいと願っています。
残された人生は永くはありませんが、過去の恩恵を返しながらの生活を続けます。
ナイチンゲール像
名古屋第一赤十字病院(中村日赤)
寒桜
開花中
春を感じさせられます
自動支払機
診察が終わりました
本日は一昨年10月に手術を受けた中村日赤の泌尿器科の診察日で、最近トイレが近くなっている問題について、主治医が超音波エコーで検査した結果、腎臓にも膀胱にも結石は無くきれいで問題ないと言われ、私自身の精神的な部分が大きいと思われ、現実に診察前はトイレが気になっていたものの、診察後は何事もなかったようにトイレの心配がなくなりました(笑)
町医者とは違う大きな日赤病院の主治医がついていることだけでも気の病程度は治ってしまうような気がする診察となりました。
イオンタウン 愛知県弥富市
本日の写真です。
一粒万倍日と天赦日が重なる今年最強の開運日は、本日と3月21日、8月4日の3日間ありますが、本日は私個人の運勢も良く、吉方位となる南西方向の宝くじ売り場となる弥富市まで宝くじに長年投資してきた知人とともに訪れました。
結果は判りませんが、関東と東北に私の住む中部地区の自治体くじであることから、購入したお金が些少でも地域のためになると思えば、当たるかもしれない初夢とともに悔いのない宝くじとなりました。
そして、昨日購入した宝くじは、本日名古屋市に住む孫(長女の子)宛にポストへ投函しました。ラインから孫へ写真で添付した宝くじが、実際に孫の手元まで郵送されていくことで、孫と楽しみを共有したような気分にもなりました。
一粒万倍日と天赦日が重なる今年最強の開運日なら、郵便局に預金口座を新設すればもっと金運が上がるだろうと孫の手紙とともに郵便局まで歩きました。
「口座を新規に開設したいのでお願いします」
「すでに口座がありますよ」
「一度も利用したことは無いんですが…」
新規開設のため身分証明書まで提出したものの、すでに私の口座が存在することが告げられ、家内に確認しても通帳も存在しないため、再発行すると千百円の費用が必要になるとの話で、存在すら知らない口座にいくら入っているかも判らない(教えてくれません)のに再発行の手続きをして帰宅して通帳の再発行を2週間ほど待つことになりました。
帰宅後に、再発行のための余分な出費になってしまったと思った通帳についても、もしかしたら数万円入っているかも知れず、これも最強開運日のおかげで窓口に行ったことが宝くじのような金運になっていたら驚きです(笑)
もっとも、リタイヤした年金暮らしの生活のため、最強開運日といっても宝くじ程度しか楽しみはなく、通帳を再発行しても入れるお金はありませんね。
年末に高島暦の本と、六星占術の本を購入してきましたが、暦の上だけでなく私の運勢も最高になるのが明日1月6日で、明日は運勢の悪い人にとっても一粒万倍日と天赦日の重なる1年で一番最高となる開運日となっていたことから、方位の良い南西方向にある弥富市の宝くじ売り場を確認するため訪れました。
それでも、せっかく出かけたから…
本日も一粒万倍日で、私の運勢も良い日ですが、暦の上では不成就日という「何事も成就しない日」とされ、何をやってもうまくいかない日のため、明日のために方位の良い宝くじ売り場の場所を確認しながら家内と買い物に出かけました。
昨年の暦や運勢の悪さほ考えれば何事もどん底ではないだろうと、1枚づつ家内と購入することにしましたが、宝くじは1枚300円と思っていると、現在発売されている宝くじは「初夢宝くじ」が200円だったことと、1枚100円の長野県立美術館の写真付き宝くじがあったことから、1枚づつ購入してきました。
私の大好きな上高地のある長野県に少しは役に立つと考えれば初夢が外れてもまったく悔いとはなりませんが、一年で最高の開運日と言われる明日は朝9時から中村日赤の診察があり、宝くじは午後の購入になりますが、売り場の店員さんから開運日の明日は午前中から長い列が出来ると聞きました。
引退した年金暮らしの爺じいとなり、収入増のあては何もありませんが、明日は郵便局で新しい口座を開設して運勢の開運にあやかりたいと思います。
上高地ビジターセンターで販売されている竹フエ
河童のタケリナと言います
竹フエの解説書
音を変える空気穴
上高地が閉山されて2ヵ月近く経過しましたが、新しい年を迎えてあと3ヶ月ちょっとで開山すると考えると、大晦日と新年の大きな心境の違いを実感させられます。
さて、閉山式から一年で一番厳しい厳冬期に入っても上高地の発信は続いており、上高地ファンの多さを実感させられますが、閉山式から帰ったまま置かれていたリュックを開けると、ビジターセンターで最後の客となって購入した「竹フエ」が出てきました。
この竹フエには「タケリナ」の名前が付けられていますが、環境省パークボランティアの竹重会長によって作られた竹笛で、ビジターセンターで販売されており、8月のお盆の頃にはクラフト教室でも竹フエや各種アクセサリーを作ることができます。
そんな訳で…
私が上高地で初めて作った竹フエ(鳩笛)
本日の写真です。
6年前に上高地で初めて竹フエを作ったことが下記に添付した一言に記されており、たかだか二本の竹だけで作れる竹フエではあるものの、あまりにも私の手先が不器用なだけでなく、ノコギリや穴あけが危険と言われてボランティアの先輩に手伝ってもらっていたことが書き記されていました。
2017年08月14日
2018年11月18日
2022-08-13 昨年のクラフト教室
上高地のクラフト教室で経験した竹フエ作りは、不器用で物作りとは無援な環境にあった私にとっては感動もので、翌年に名古屋市内でも先輩ボランティアの協力によってクラフト教室を開催しており、我家には材料となる竹と工具も買い揃えました。
膠原病(関節リュウマチ)のリハビリも兼ねて竹フエにも挑戦してみます。
平成8年に長男が山梨で行われたインターハイ陸上走り高跳びで入賞して中央大学の監督から誘われて入学したことで、愛知県と三重県で行われる全日本大学駅伝では中央の旗を持って応援するようになりました。
全日本大学駅伝は朝日新聞社が主催しており、開催当日は近くの第一中継所の朝日新聞の担当になっていましたが、平成11年を最後に朝日新聞から市議会議員へ転身したため駅伝とは無援になっていきました。
そして、応援していた中央大学も古豪と言われながら低迷するようになり、応援する大学もなくなり駅伝そのものへの関心も薄れていきました。
ところが、平成27年頃から青山学院の神野大地選手が活躍するようになり、私の母校神守中学校の後輩であったことと、私自身が同窓会長であったことから応援に走るようになりました。
2016年01月02日
2014年11月02日
2015年01月02日
山ノ神と言われ日本中の人気者になった神野君ですが、同窓会から依頼した会報の原稿も丁寧に対応してくれ、彼のお兄さんが私の三男の同級生であったこともあり、彼が卒業した今でも青山学院を応援していますが、昨年から古豪と言われてきた中央大学が復活してきました。
優勝した駒澤大学の強さは勿論ですが、2位に入った中央と3位の青山も来年は優勝を狙える環境と実績を持っており、昨日から中央と青山の走りに期待して応援しました。復活した中央も勿論ですが、途中で失速した青山も最後は3位に入った強さには元気をもらえる箱根駅伝となりました。
今年の大学駅伝は現地で応援する気力をよみがえらせたいと思います。
あ
お千代保稲荷 岐阜県海津市
本日の写真です。
子供の頃は父親の車に乗せられてお千代保さんへ参拝し、結婚直後は参道近くの駐車場が家内の伯母さんの嫁ぎ先のため無料で停めてもらい、その後は仲間と参道の居酒屋で飲み歩いて、最近では子供が独立して家内と二人で参拝するようになりましたが、私は神社の西方にある弘法大師堂と併せて参拝に訪れています。
お千代保稲荷は商売繁盛の神様ですが、最近の私は引退して年金生活者となっており、個人的な身体や困りごとは「お大師様」にお願いすることにしているため、「今年はお金に困窮しませんように」と全く地味なお願いをしてきましが…。
暦の中で「一粒万倍日」と「天赦日」に、私の運勢や吉方位占いが共通して縁起の良い日が近々あり、縁起の良い結果が出ることに期待することにします。
昨年は私自身の暦の運勢が悪いだけでなく、春に追突事故に遭遇して頚椎挫傷で指がシビレ、その後は両手が腫れあがり両肩には激痛が走りだし、6月になって完治が極めて難しい膠原病と診断されました。
今年は幸いにして私の暦(二黒土星)による運勢は真っ白の発展運となり、「今まで何かうまくいかなかった事も一気に開花できる吉運年に入ります」と記され、六星占術も私の天王星人の(-)は「安定」となっており、「心身ともに充実した一年を過ごせるでしょう」と予想されています。
年齢(六十九歳)を重ねた老化による体力低下や、膠原病と共存する人生に変わりはありませんが、不調時ゆえに、私の最後の責務となるボランティア(福祉有償運送)と、セカンドライフとする四国遍路と上高地行きを、運勢の良さを信じて悔いの無い一年にしたいと思っています。
このブログを訪問される皆さんや、ずいぶんと長いお付き合いになったブロ友の発信は、病による体調不良等には随分と参考になり、生活体験は新たな楽しみを見出す指南役ともなっており、身勝手な発信を続けておりますが、私への苦言も苦痛とは思いませんから今年も遠慮なくコメントしていただければ幸いです。
本年も宜しくお願い致します。
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