大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2023年02月

お気に入りブログの転載です

私のヤフーブログ時代からのお気に入りブログです。愛犬の薫りと体温が伝わる発信です。


 かつて、上高地や遠方まで相棒リマを同行させるため始めた車中泊ですが、3年前からは車中での相棒のニオイと体温が消え、寂しさは隠せません。


愛犬の薫りが伝わってくる発信と、久々に自分も行きたくなる発信だったためここへリブログさせてもらいました。


夕陽に輝く串本の橋杭岩へ

この景色が見たくて和歌山へ

私のスマホ待ち受け画面です


2019年12月8日に和歌山の串本を訪れた際に眺めた橋杭岩が印象に残り、翌年5月に天国へ召された相棒リマの写真を合成してスマホの壁紙にしました。


以来、毎日眺めてきた橋杭岩の景色ですが、ここへ夕日が沈む風景を見るため土曜日に訪れました。


 安濃サービスエリア 伊勢自動車道

 獅子岩

三重県熊野市井戸町

 道の駅パーク七里ヶ浜

 三重県南牟婁郡御浜町阿田和

 七里ヶ浜

 那智の滝

和歌山県東牟婁郡那智勝浦町

 那智大社

 春の息吹を感じます

 道の駅たいじ

 串本橋杭岩と紀伊大島

和歌山県東牟婁郡串本町

橋杭岩

別世界です 

橋杭港

夕暮れの漁船


 紀伊水道に沈む前の夕陽が、輝くように橋杭岩を照らす風景は最高で、日が沈んでいく一刻、一刻に橋杭岩と天空、そして海の色が刻々と変わっていきました。

西国観音巡礼の合間に訪れた串本町ですが、夕日の沈む橋杭岩の光景を眺められただけで十分なる和歌山行きとなりました。

 道の駅くちくまの 休憩

和歌山県西牟婁郡上富田町


道の駅四季の郷公園

和歌山県和歌山市明王寺 

土曜日の車中泊場所 

 道の駅のキャラクター


和歌山市で初めての道の駅となる四季の里公園は別名をフードハンターパークと呼ばれています。


今回は車中泊の場所として選びましたが、駐車場とトイレの距離が遠いだけでなく、夜間の移動は向いていないと思われ、日中のバーベキューやレストランなど食事をテーマに選んだ方が良さそうですね。


紀三井寺 

 和歌山県和歌山市紀三井寺

 和歌山市街と紀伊水道

和歌山市の古い町並み 


 根来寺の六地蔵
和歌山県岩出市根来

根来寺 大塔

 施福寺参道

大阪府和泉市槙尾山町

 境内からの変形

 花の楽園です

 西国で1番厳しい参道

椿の花のお見送り 


 藤井寺

 大阪府藤井寺市藤井寺一丁目

 道標

 藤井寺山門

 藤井寺近くの樹木

 まるで巌窟王です
土曜日と日曜日の写真です。

さて、 西国巡礼については私の巡礼の主題ではなく、あくまで四国八十八カ所霊場の合間に巡拝する程度ですが、とにかく拝観料や駐車料金が高いことは覚悟していたものの、コロナ禍によって更に高額になっていました。

四国遍路で訪れるお寺は基本的に拝観料が無料で、高野山に至っては駐車場の料金も無料ですが、四年ぶりの西国巡礼は予想以上に出費が増えていきました。

そんな中で西国第4番藤井寺だけは拝観料も入山料も取られなかったことで、さすがは真言宗のお寺とホッとさせられました。

やっぱり自分には体質的に四国遍路が似合っていると実感する西国順礼ともなりました。

西国巡礼中 根来寺へ参拝して

西国第2番紀三井寺から見える遠景

山門


ここからは根来寺です

参道

受付

大谷川にかかる伝法橋

石標

大伝法堂(本堂)

案内板

大塔

大師堂

根来の無縁仏

六地蔵

案内板

龍見橋

本坊入り口

本坊寺務所

光明殿

渡り廊下

聖天池

聖天堂

名勝庭園

裏庭

大広間

大黒天

客間

聖天池

聖天堂(左)と行者堂

鐘楼門

参道


本日一番長く滞在したお寺が根来寺です。根来寺は高野山で修行された興教大師覚鑁上人が興された新義真言宗の総本山で、真言密教のエキスが凝縮されたような魅力あるお寺です。

そんなわけで、道草となる寄り道が西国順礼のお寺より長くなった次第です。

第3番粉河寺へ

本堂


第4番施福寺へ

本堂


第5番藤井寺へ

本堂


 本日は西国巡礼第2番紀三井寺から第5番藤井寺まで参拝しました。昨日は1番青岸渡寺に参拝し、午後7時に愛知県の自宅まで戻りました。

初めて西国巡礼に出たのは平成14年秋でしたが、その時の2日目は2番寺から7番寺まで参拝し、8番の長谷寺の門前まで到着して大和屋へ宿泊しました。

本日の予定も、当然7番寺まで参拝する予定でしたが、第5番藤井寺で巡拝を終えました。40代だった20年前と69歳となった老いた年齢差もありますが、根来寺の寄り道だけでなく参拝にかける読経の時間が長くなったことも大きな原因です。

藤井寺の近くで停めさせていただいた工場

参拝後

 本日の写真です。

「ここに停めていいよ」
  「えっ、本当ですか?」
「ここを行けばすぐだから」
  「ありがとうございます」

 藤井寺の近くで細い路地に入り込んだ私へ、工場でフォークリフトに乗る親爺さんが声をかけてくださり、工場の前に車を駐車させていただきました。 

今にして思うと、昔から知る知人のような会話となり、何か因縁めいた出会いで、今は亡き知人が導いてくれたとしか思えない出会いでしたが、参拝後に車へ戻るとその親爺さんは工場を閉めて帰られた後でした。

知人のようでもあり不思議な出会いでした。

昨日の書き込みを読み直して

本日の日の入り


昨日あま市の蜂須賀城と蓮華寺について発信しましたが、他の人の発信を見ていると自分の知っていることばかりで、ネットで発信された記事を添付して簡単に発信したものの、自分の過去の一言を読み直すと昨日の記事がいかに手抜きであるかを実感させられました。

そんな訳で、書き直すのではなく、再度掲載(添付)することにしました。

 2021年2月8日


かつてのヤフーブログには、「愛知限定歴史レポ」なるブログが存在したものの、運営者の牧さんが鬼籍に入られ、その後もyahoo!ブログから記事を見ることができましたが、2019年12月15日をもってyahoo!ブログそのものが全て閉鎖されたため、このブログも消えてしまいました。

   2021年2月4日 私の残した記事



寂しい現実ですが、ネット社会と言われる中で、現地を実際に訪れ史実を調査して記された記事が最近は少なくなりました。

Google 検索で出た記事




 これも私の記事です。

 2016年4月22日の一言

 2016年4月22日の一言


最近はブログだけではなく Facebook や Instagram など多種多様なネット配信が存在しますが、過去のブログに発信されたような時間をかけた研究論文のような発信が減ってきました。



 ここからは愛西市の勝幡城です。

 アプリ城🏯めぐり

 2019年11月12日の一言


最近になり NHK の大河ドラマでは、織田信長の出生地を那古野城として放送されましたが、織田信長の出生地については、愛西市と稲沢市にまたがる勝幡城というのが定説となっています。


最近のネット発信を見ると、稲沢市の城跡を示す石碑たけが勝幡城の城跡のように添付されていますか、正確にはそこだけが城跡ではなく、愛西市にも石碑が残されています。そして、推測される城の中心地には現在入れません。


勝幡城についても過去の一言を読み直し、改めて愛西市と稲沢市にまたがる城址を訪れてみたいと思います。

戦国武将蜂須賀子六ゆかりの蜂須賀城(愛知県あま市)へ

蜂須賀城址の石標 愛知県あま市

蜂須賀城址全景

蜂須賀城址

蜂須賀正勝公碑


蜂須賀小六の生誕の城 

木曽川の川並衆であった蜂須賀氏の城で、蜂須賀小六(正勝)の生誕地と云わります。
小六は、織田信長や豊臣秀吉に仕え、最後は阿波徳島藩の藩祖になっています。




本日は蜂須賀子六の居城だったあま市の蜂須賀の郷を訪れました。3日前の日曜日に娘の家族に誘われてニッポン城めぐりのアプリを入れましたが、近くのお城や城址くらいは訪れてみたいと足を運びました。


本日の映像


菅安社

あま市蜂須賀北本郷1343番地1 祭神は天照大神と菊理姫神


蜂須賀村由来記によると弘法大師が菅安の地で白山大権現に会ったことにより白山社を祀ったのが始まり。昭和29年に現在地に遷り、菅安社と改名され今に至る。村社。


池鈴山蓮華寺 真言宗智山派

愛知県あま市蜂須賀大寺1352


手水舎

境内

観音堂

三十三観音

新たな堂が造営中

蜂須賀家の菩提寺である蓮華寺


弘仁年間(810年 - 824年空海の開山により創建されたと伝えられる[1]。この地から出たとされ、阿波国徳島藩主となった蜂須賀氏の帰依を受け、尾張徳川家からも寺領が安堵されている。蜂須賀小六の菩提寺であり、蜂須賀小六・家政親子の位牌が安置されている[1]。仁王門は家政の寄進と伝わる。南西には、蜂須賀小六の旧宅や1ヘクタールに及ぶ蜂須賀城があったと伝わっている。

地元の伝承では、弘仁9年に弘法大師が熱田神宮の神託により創建したと伝えられているが、弘仁9年(818年)は弘法大師が45歳にあたり、その2年前に高野山開創の勅許が出たばかりで、勅許後始めて高野山に登って翌年に伽藍建立に着手していることから、まったく史実とは違う伝承ではあるものの、弘法大師の弟子となる高僧の影響を受けて建立されたものと思われます。伝承とは言えこんなに古い歴史があることから、実際の高僧の名前や記録が残っていないことは残念です。

ミニ四国八十八ヶ所霊場



奥之院

秋葉堂

蜂須賀山標高10.87m

奥之院から見る霊場

神社と蓮華寺

御嶽神社


お寺の中や隣接して神社が混在する景観が私は大好きです。



蜂須賀城のあった場所の隣に、は菅安社(神社)と規模の大きい蓮華寺が存在するため、訪れた人は蓮華寺や神社を含めて蜂須賀城の跡地と思ってしまいますが、実際には神社とお寺は平安時代に開創されていたことを考えると戦国時代の武将の心理が理解できそうで、ネット時代のアプリから新しい景色が拝めそうです。

アプリ城めぐり 輪中サミット

甲冑劇 


関ヶ原合戦の前哨戦を、「ぎふ輪之内武将隊」と殺陣サークル眞、古戦場おもてなし武将隊関ヶ原組によって見事に演じられました。
 

 丸毛サミットのポスター

輪之内プラネットプラザ

会場入口

二階へ

有名らしい!? キャラクター

長蛇の列です

輪投げ

 私もヨイショっと!!

輪之内文化会館大ホール



 武将隊の演舞



 終演の挨拶


岐阜のお城マップ

城めぐりグッズの即売

2階から1階へ 

人だかりのできた一階ホール

丸毛戦記作者 渡辺浩行先生のサイン会

ゆるキャラと記念撮影

輪之内町文化会館


城めぐりのアプリ


輪中の城完全制覇


10のお城を巡りました

日曜日の写真です。

 城めぐりのアプリがどんなものかも知らないまま、孫の家族に勧められるままにスタートした城のスタンプ集めでした。

 輪之内町周辺の地域限定の城めぐりでしたが、ノルマとされる城のスタンプを獲得してから、サミットの会場となっている輪之内町文化会館を訪れました。

びっくりさせられたのは、城のスタンプを獲得するために多くのファンと遭遇したことで、地元だけでなく遠方から訪れた車のナンバーに驚かされました。

一部マニアの城めぐりと思っていましたが、城のスタンプを獲得するために地域を走り回る姿は、まるで戦国時代の武将や足軽のような気分にさせられました。

とりあえず一日だけの体験でしたが、城の名前がそれぞれの地名からつけられており、若い人たちが地名を覚えるだけでなく、地域の歴史や成り立ちを知る良い機会になると思いました。

毎日ノルマとした歩数を歩くとスタンプが獲得でき、スタンプがたまるとコカコーラのドリンクがもらえるCoke ON と同じく、スマホを利用して外出機会となる城めぐりも仕事に疲れた現代人にとって有効な手段と思われます。

さて、身体に堪える寒波が襲来していますが、半病人の私もボランティアに借り出されており、体調を整え週末には自分自身の次なる外出を考えていきたいと考えています。

羽島市歴史民族資料館と観光交流センター

 羽島市歴史民俗資料館

 はしま観光交流センター ぐるっと

 円空仏風 木彫り護法神

美濃縞の手織り機

糸巻き機 

ぐるっと 

 歴史民俗資料館正面

 羽島市映画資料館

玄関 

 名鉄関係グッズ

資料館館内

旧竹鼻駅の写真

 駅全景

 開業当時の新幹線羽島駅

 資料館内部

漁具の 点字

円空仏 

昔の映写機 

写真暗室道具やカメラ 

竹鼻東映 

映画鑑賞ホール 

上映された映画のポスター 

 鶴田浩二終焉のポスター
昨日の写真です。

 昨日訪れた羽島市の歴史民俗資料館と観光交流センターぐるっとの写真です。

最初に訪れたぐるっとの1階には地域の名産品が売られており、2階には木綿の糸巻き機や、美濃縞の手織り機が置かれ、女性スタッフが案内や説明をされていました。




私の祖母たちが若い頃は、自宅前の小屋で機織りをしていたと聞きましたが、毛織物の産地であった津島市にはそれらを伝承する資料館が存在しません。


羽島市には歴史民俗資料館が存在し、かつての生活環境や漁具や農機具が展示されており、交流センターでは実際に機織り機が展示され実践できる女性スタッフが案内されていました。


さて、資料館の2階には映画資料館が存在し、かつて使用された映写機やカメラが展示されており、映画スターや俳優の映ったポスターが展示されています。





ここでは、毎月第2土曜日に一日2回、映画を上映しており、私が大好きな鶴田浩二さん主演の映画も昨年上映されていましたが、当面は鶴田さんが出演する映画の上映はないそうです。残念(笑)


私が議員時代に津島市にも歴史資料館を建設するよう質問したことがありましたが、当時の市長は「そんなもん造ってもガラクタの物置場になってしまう」と全く関心も示されませんでした。


木曽三川を挟んだ岐阜県側では地域の歴史やかつての生活環境を記録する資料館が点在していますが、羽島市の映画資料館の上映と美濃縞の機織り機は現役で稼働しており、市民参加型の施設だけに継承されていくことに期待したいものです。


城めぐり 輪之内町サミットへ

真宗大谷派 福束山福満寺 安八郡輪之内町福束926


丸毛兼利と福束城の案内板


城めぐりのアプリ


新たな城を攻めます


墨俣城を攻略


攻略した墨俣城を撮影中

豊臣方のひょうたんの欄干 天王川千成橋

太閤出世橋の石碑

出世橋から見る墨俣城

犀川と墨俣城

立派な天守閣です


近隣の12城を攻略


羽島市歴史民族資料館

はしま観光交流センター「ぐるっと」

輪之内町プラネットプラザ

本日開催された丸毛サミットのポスター

輪之内町文化会館 大ホール

本日の写真です。

 スマホのアプリにある城めぐりに熱中する人たちを無関心に眺めていましたが、本日は岐阜県輪之内町で開催された城巡りのサミットと周辺の城めぐりへ孫の家族とともに出かけました。

日頃から車で通り過ぎていた地域ですが、城の名前からその地区の地名がわかり、カーナビのない時代に地名の記された看板を頼りに走った懐かしい思い出が思い浮かびました。

 整備された道路を高速で走り過ぎてしまう地域を、城の名前を目標にして走って行くことで、昔ながらの街の景色が浮かんできます。

車を走らせ城のスタンプを獲得するくらいなら、一つでも多くの四国のお寺を巡拝した方がありがたいと思っていましたが、家族が一丸となって目的地へ走っていく姿から、今まで思ってもいなかった感覚を体験させてもらいました。

さて、城めぐりの途中で立ち寄った羽島市の歴史民俗資料館で、昔懐かしい映画のポスターを展示する映画資料館では、現在でも過去の名作を上映されていました。

城めぐりによって、今から500年前に我が家から近い勝幡城で誕生した織田信長が、京の都に向かって進軍していた姿を想像する一日ともなりました。

輪之内町のサミットと羽島市の歴史民俗資料館の詳細については後日添付します。

愛知県は終日雨の一日となり

 本日の愛知県は終日雨の一日となりました。

10日前にスマホのバッテリーを交換に出し、現在代替え機として家内のスマホを代用しているものの、スマホのホーム画面に存在したアプリが消えており、気づかないままに疎遠になっている他サイトのブログやニュースから遠ざかっていることすら気づきません。

 学生時代の昭和52年に朝日新聞販売店を起業したため、それ以来、毎日目にしてきた朝日新聞についても、最近は91歳となった母親の独占状態となり、私はデジタル新聞と紙面ビューアーから視聴していましたが、スマホからアプリが消えているためニュースからも遠ざかってしまいます。

 今にして思うとスマホの朝日新聞とともに、連日視聴していた Yahoo ニュースも見ないため世の中の出来事や事件にうとくなっています。


そして、何よりもかつての Yahoo ブログ時代からのお気に入りブログについても、アメーバ以外のブログがつなげにくくなっています。

 このブログは更新されるたびに LINE リーダーへ情報が入るため視聴できますが、他サイトのブログはその存在すら忘れてしまいます。


 矢島さんのブログは、現在 Goo BLOG から発信されていますが、私より一回り年長に当たる元フジテレビの記者だった経験から毎日発信されています。


私のスマホにはこのようなお気に入りブログが直接検索できるようになっていましたが、私のスマホが戻ってくるまではしばらくのお預けとなります。


さて、こんなことがあってお気に入りブログを探すうちに、随分と発信が滞ってしまっているブログや、ご本人が亡くなられたため更新が止まってしまったブログや Facebook が存在します。


特に自分自身の闘病生活や治療体験を発信されていたブロ友が新たな記事を更新されない寂しさとともに、Yahoo ブログのサービス停止にって全てが消えてしまったブログは読み直すこともできません。


 明日は楽しみな外出が待っています。 何か分かりますか?

身体のメンテナンスとなる一日に

中村日赤 名古屋市中村区 

 外来の案内板

 会計


 管理栄養士さんにもらった

絵手紙


 一日の終わり
本日の写真です。

病院の自動受付器の画面に「予約がないため、直接外来受付にお問い合わせ下さい」とのメッセージが出ました。

2日前に連絡して9時の予約をとって訪れたのに、何かの間違いで忘れられたのかと慌てて外来受付へ向かいました。

「今日の予約はありませんよ」
  「2日前に電話して9時に予約したんですが」
「昨日の9時に予約が入っていました」
  「えっ、今日じやないの?」

主治医の外来は金曜日だけと思って予約をとっていましたが、木曜日も外来があり一日も早くと手配してもらったものの、「金曜日の予約が取りたい」と連絡したため全く聞く耳を持っていませんでした。

「私も復唱しなかったから申し訳ないです」
  「復唱されても頭に金曜日しかなかったので」

こんな受付のハブニンクも寛大な主治医によって10時から診察してもらえました。

もっとも、診察の結果検査が必要となり、検査結果が出るのを待って再度の診察を受けるとお昼を廻っていました。

さて、年齢を重ねたことで次から次へ身体の不具合が出てきますが、気軽に通院できる地元のかかりつけ医と、名古屋市の中村日赤の良き主治医に恵まれて安心して帰宅できることは幸いです。

帰宅後に昼食をとり、午後に予約してあった管理栄養士さんの栄養相談へ出向くと、何もしないままに一日が過ぎ去ってしまいました。

そして、家内とマクドナルドへ

帰宅後に三男の接骨院で施術を受け、身体が強張っているとの話でしたが、本日は私の身体のメンテナンスともなる一日になりました。

ボランティアの移送と私の通院が天秤にかけられて

午後5時41分

マックのレモンティ

本日の写真です。

 本日の午前中は地域の民生委員の協議会が開催され、午後は福祉有償ボランティアのメンバーの訪問を待って一日の仕事が終わり、マックまで歩いてから帰宅すると本当に一日の終わりとなりました。

 明日は自分自身の体調不良により、急遽名古屋の中村日赤で診察を受ける予約を入れましたが、地元にも歩行困難者のため家内と2人がかりで搬送している車イスの患者さんの通院があり、家内一人では移送できないと言われるものの、我が身と天秤にかけ先送りにして犠牲にはなりたくありません。

 そもそも、左膝にたまった水を抜くだけで、一ヶ月以上経過しても改善しないばかりか、患部の炎症を治す根本的な治療が行われているとは思えず、歩かないため右足の脚力も無くなり、家族の介助だけで車イスにも座れない現状は、せめて段差の大きい田舎の玄関を改良して車イスのまま出入りできるようにしないと、タクシー会社にも断られている現状から一生外出はできません。

 そんな本音を言わないままに2人で移送してきたものの、松葉杖とか車イスの通院の手配も考えず診察する町医者と、炎症のある患部の根本的治療をしない医師にいくら通院しても治るとは思えず、私の家族なら迷わず名古屋の日赤に連れていきますが、ご夫婦にはかかりつけ医もなく、これまでも病院にも行かない家庭環境で悪化した現状は先の見通しもつきません。

 家内だけでなく、私と奥様の3人がかりの移送は普通ではなく、本来ならば入院して患部を治してからリハビリで歩けるようにしないと、残された人生は真っ黒となっていきます。市役所経由で連絡があった患者さんですが、歩けなくなってから1ヶ月以上寝たままで、病院へも通院しなかったというから驚きです。

 自分自身が体調不良になると、ボランティア精神なんて言ってはおれず、とにかく明日の診察によって万全な身体に回復させないと、四国遍路や上高地とも言ってはおれないため、節制に努めて次の外出に備えたいと思います。

挿し木したパイナップルが成長して

我家のパイナップル


パイナップルらしくなりました

本日の写真です。
2月3日のパイナップル

とんがり頭が出てきました

1月25日のパイナップル ↓

1月25日のパイナップル

綺麗な花弁です

1月23日のパイナップル

初めて花実を発見

1月8日のパイナップルです


2023-01-08の一言




 一ヶ月前に花芽を発見したパイナップルが丸みを帯びてそれらしくなってきました。

下記は21年6月にコーヒーカップへ入れた直後の発根前のパイナップルです。

2年前に買ってきたパイナップルの頭を切ってコーヒーカップに入れてた時には、まさか挿し木に成功するとは思ってもおらず、しかも、わずか1年半で花芽をつけるとは思ってもいませんでした 。

最近になってやや丸く膨らんできたことから、食べられるかどうかは判らないものの何とか収穫はできそうで、収穫したら次はパイナップルの孫までお付き合いしたいと考えています。

空海とわのいのり展が開催されている名古屋へ

本日はここへ行ってきました

ささしまライブ駅から見える名古屋駅のビル群

ささしまライブ駅

ささしまライブ グローバルゲート

ショッピング街のロビー

3階コンベンションホール

会場入口











ここから会場内は撮影禁止でした


詳細は下記をご覧ください。

ご加持も受けました





善通寺の記念品売り場

回廊の広場

名鉄バスターミナル入口

名古屋モード学園のビル

笹島交差点

 ナナちゃん人形

名鉄電車で

帰宅しました。

授かった御守り

記念のリストバンド

本日の写真です。

 弘法大師が誕生して1250年を記念して企画された「空海とわのいのり」展が開催された名古屋市のささしまライブに行ってきました。

 テレビコマーシャルと、電車のつり広告を見ただけで訪れたため、白衣と輪袈裟をジャンパーの下に着込んでいたものの、閑散とした会場にそんな人は存在せず、ちょっと拍子抜けの感は否めませんでした。

 今から10年前にも、愛知県の常滑市で四国八十八ヶ所霊場会の主催した出開帳が盛大に開催されており、そんなイメージを持ったまま、四国八十八ヶ所分の賽銭を袋に入れて訪れ、会場でジャンパーを脱いだ白衣姿で参拝しようと考えていました。

2013年03月16日


 現実には、弘法大師の生まれた善通寺や、満濃池を改修した場所にある神野寺など、東寺、神泉苑、高野山、慈尊院のお砂踏みだけで、お砂踏みの行列で1時間はかかると思っていた時間はあっという間に終わりました。

 しかし、人が少ないことで、会場内の僧侶と会話ができ、会場の入り口で記念品を販売されていた善通寺売店の女性と雑談を交わしていると、善通寺の前管長である橿原禅澄さんの特別講演会が4月に開催されるという情報をいただきました。

 名古屋では今週いっぱいの開催です。

豊川市の進雄(すさのお)神社と祇園山徳城寺へ

弘法大師の錫杖井戸 愛知県豊川市


豊川稲荷楼門 豊川閣妙巌寺


↓ 👇 ↓


圓福山薬師如来堂 豊川市門前町7

豊川稲荷楼門から百メートル東

参道の千本のぼり

本堂

そして、豊川いなり表参道へ

表参道 もうすぐ駅という所

ここで…

弘法大師の錫杖井戸の看板を見つけました

百メートル歩くと突き当りです

神社の右隣のお寺です

錫杖井戸の案内

曹洞宗祇園山徳城寺 愛知県豊川市豊川西町151

本堂

本尊は阿弥陀如来、三河准四国八十八ヶ所13番霊場、穂の国三十三観音28番霊場

修行弘法大師像

井戸への入口です

曹洞宗のお寺に弘法大師の幟が延々と続いています

ずいぶんと立派なミニ八十八か所です

そして、その奥に…

錫杖井戸のお堂

堂内に井戸がありました

八十八番の石仏


 日本中に弘法大師の名前を冠した井戸や湧き水が存在しますが、豊川市にも弘法大師のお告げで掘られたと伝承される井戸が存在しました。

 豊川稲荷の表参道の角に立てられた看板を見つけて訪れた物見遊山の参拝でしたが、何よりも曹洞宗の大きな寺院の境内に、真言宗のお寺の境内にあるミニ四国八十八ヶ所よりも大きなミニ霊場が残されていたことに驚かされました。

 境内にはお寺の歴史を示す案内板が存在せず、帰宅後にネット検索したところ弘仁13年(822)年の創立と記す発信があり、空海(弘法大師)の年表を見るとこの年は49歳で、前年に四国の満濃池の改修を陣頭指揮されていました。

 どちらにせよ、曹洞宗は鎌倉時代に中国から伝わった宗派であることから、それ以前からお寺が存在しており、空海ではないものの真言宗の高僧とご縁があり、そんな関係から井戸が残されて伝承されてきたものと思われます。

 そんなことよりも、隣にも広大な敷地を有する神社があり、地形的にはかつて徳城寺と一体ではなかったかと思われ、となりの神社にも足を運びました。

それにしても何と読めばよいものか…

豊川進雄神社

広大な境内

本殿

案内板


 豊川進雄神社(とよかわすさのおじんじゃ)は、愛知県豊川市豊川西町134にある神社。明治期以前は豊川牛頭天王と呼ばれていたが、神仏分離によって進雄神社に改称されたとあります。

 大宝元(701)年の大干ばつの時、旧鎌倉街道沿いの元宮の地に牛頭天王をお祀りして、雨乞いのお祭りを行ったことが始まりと伝えられています。毎年、7月20日に近い金土日曜日には豊川連区内の26町を東と西に分けて行う例大祭が斎行されます。

進雄神社の奉納綱火  出典: フリー百科事典『ウィキペディア』
1968年(昭和43年)指定[2]。例祭2日目の中祭で奉納される[2]。『花火縁起録』によると、万治3年(1660年)に小笠原四郎右衛門が長らく途絶えていた綱火を再興したという[2]明治時代までは境内ではなく本町で奉納されていた。拝殿から鳥居の間に、約120mの2本の麻綱を張り、麻綱に噴出煙火を仕掛けて走らせる[2]。なお、綱火のほかには手筒花火も奉納される[3]

 進雄神社は貞観十一年(869年)に各地で疫病が蔓延していた際、時の清和天皇の詔(みことのり・天皇の命令)により尾州(現在の愛知県西部)津島神社から神様をお招きして今の場所にお祀りしたのが始まりです。

 何も知らずに訪れた神社でしたが、進雄神社はすさのお神社と呼び、私の住む津島市の津島神社から神様をお招きしたと神社のホームページに記されており、明治以前は豊川牛頭天皇と呼ばれていたことから、となりの徳城寺とともに歴史を刻んできたことに間違いはありません。

駅前ロータリーのキツネ像

JR東海の豊川駅

先週土曜日の写真です。

 明治時代の神仏分離によって歴史が歪曲されたり、記録があいまいになってしまったことは残念ですが、豊川稲荷しか眼中になかった外出によって、いにしえの弘法大師や私の住む津島市とも行き来のあった歴史を感ずることができました。

 同じ仏教の中にも、自分の宗派以外は邪教と発する新しい宗派もありますが、私は神仏分離以前からの神様と仏様の境目のない参拝環境が大好きで、境内に大きな鳥居を有する豊川稲荷とともに、進雄神社や徳城寺の存在は久々に新鮮な外出となりました。
 

愛知県豊川市の豊川稲荷 

豊川稲荷楼門

境内の出店

鐘楼堂

山門

天文5年(1536年)今川義元公が寄進した建物で、当山の現存する中で最古の建物

鳥居と本殿

本殿

豊川稲荷は正式名を「妙嚴寺」と称し、山号を圓福山とする曹洞宗の寺院です。鎮守は豐川吒枳尼眞天(とよかわだきにしんてん)


香炉台

大提灯

千本幟

本殿から奥の院参道、裏門にかけてぐるりとはためく幟は全国より参拝にみえた御信者方が奉納されたもので、その数の多さから通称千本幟と呼ばれています。

奥の院への参道

景雲門

奥の院参道の中間にあり、安政5年(1858年)の創建で、旧奥の院拝殿を昭和5年の大本殿の御開帳に際し、現在地に移転し、景雲門と名付けられた

納符堂

 奥之院
文化11年(1814年)の建築で、昭和5年の大本殿の新築に伴い、旧本殿の拝殿を奥の院拝殿として移築したものです。

弘法堂

万燈堂(禅堂)

霊狐塚への参道

霊狐塚に置かれた狐像

 もとは納めの狐像を祀る場所でしたが、祈願成就の御礼として御信者の奉納された大小、多くのお狐さんがお祀りされており、その数はおよそ一千体にものぼります。

霊狐塚

昨日の写真です。

 昨日訪れた豊川市の豊川稲荷です。私が主催していた朝日旅行友の会では昭和63年から各地へ観光バスの日帰り旅行を企画し、とりわけ多くが京都のお寺を目的地にしていたため、私自身を昔からお寺好きと言われる人は多くいます。

 しかし、平成13年に四国遍路を始めてから次第に空海の残した真言密教に魅了され、真言宗の寺院を中心に参拝するようになりましたが、自分自身に厳しい曹洞宗のお寺も大好きで、共に共通するのはお寺の中に鳥居や神社が混在していることです。

 つまり、信心には仏教も神教にも境目はなく、真言密教のご本尊は大日如来であり、空海は若い頃四国各地の岩窟や山の厳しい自然環境下で修行されていますが、大日如来は山岳信仰のシンボルともなっており、自然崇拝にはお寺も宗派や神社も関係ありません。

 豊川稲荷については、お寺のホームページにもはっきりと曹洞宗の寺院であることが記されていますが、境内に大きな鳥居が存在し、神社の楼門とお寺の山門が混在しているため、参拝客のなかには拍手を打つ人もあります。

 さて、豊川稲荷は愛知県内にありますが、私自身が唯一電車を利用して参拝するお寺で、年寄りになって本当にお参りに行ってきたような感覚にさせてくれました。そして、豊川稲荷に近い曹洞宗の寺院には、弘法大師のお告げで湧いたと伝わる井戸が存在し、お寺の境内にミニ八十八ヶ所が存在する姿は真言宗のようでした。昨日は感慨深い一日となりました。

新たな出会いと豊川稲荷の参拝

午前11時24分豊橋行き特急 金山駅

午前12時32分 豊川稲荷口

名鉄豊川稲荷駅(右)と豊川駅

豊川稲荷の参道商店街

昼食

シンプルです

団子屋の出店

豊川稲荷山門 午後1時24分

うん?

明らかにボランティアの人?

救助犬

トーマスさんと救助犬グーニー


「頭の白さは一緒だね」
   「そう言われれば…」
          「毛の量は違うけどネ」(同伴の奥様かな、女性の声)
「何歳ですか?」
   「69歳です」
「ボクよりも一つ若いね」
   「じゃー、1952年生まれですか?」
「そう」

 アウンの呼吸という言葉があります。多くの参拝客が通るなかで、目が合ったとは言え会話が始まり、私たちが同世代で1歳違いであることと、トーマスさんが熊本地震で活躍した救助犬による救助活動をしていたことを聞かされました。

手渡されたミニレター

 「トルコへは救助に行けないから支援金を」と手渡された紙には、在名古屋トルコ共和国総領事館の銀行口座が記されており、各種の支援団体経由の寄付は何処に行くか判らないが、ここは直接トルコの現地に届けられるからと聞きました。確かに…



 トーマスさんは昭和50年にデンマークから来日し、愛知教育大学付属岡崎小学校で英語の教鞭をとっておられたため日本語も流暢ですが、何よりも同じ頃に生まれて同じ世代を送ってきたことを語り合いたくなるような人柄でした。


 さて、帰宅後にネット検索したところ、トーマスさんは平成11年に愛知災害救助犬協会というNPO法人を設立されており、平成23年に腰の手術後に障がい者になられていることから、平成19年にNPO法人を設立したものの、ボランティアの高齢化と自身の体調不良に悩まされている自分自身を重ね合わせて、ボランティア共通の苦労も実感させられました。


 トーマスさんは豊川稲荷の門前だけでなく、名古屋の三越前でも募金活動をされているとお聞きしたので、名古屋なら再会ができるかもしれませんね。


境内の出店

鳥居と参道

本殿

霊狐塚への参道

無数の狐像

豊川駅前ロータリー

豊川稲荷駅ホーム

国府行き普通列車 午後3時06分

岐阜行き特急 国府駅午後3時23分

弥富行き普通 金山駅午後4時14分

本日の写真です。

 本日は豊川稲荷とその周辺に点在するお寺にも参拝しました。高野山から遠く離れた豊川市にも弘法大師由縁の場所が曹洞宗のお寺にあり、ミニ四国八十八ヶ所まで存在することに驚かされました。

 豊川稲荷と周辺のお寺は明日以降に添付します。

過去の書き込みを読み直す一日へ

本日のFacebookです


本日の写真です。

 最近のスマホのフェースブックから、「過去の思い出を振り返ってみましょう」の発信が続き、クリックすると3年前に記載した記事が現れたものの、勉強不足で過去1年前や2年前の記事を簡単に取り出す方法を知らず、ブログの1年前や過去の記載を見ていました。

2022-02-10
 何よりも驚いたのは、一年前の今日10日にも過去を振り返る発信があり、偶然にも本日と同じ画面を見ていたことですが、シェアしないと記事を探すのが大変です。

2021-02-10 
 2年前はまるでタクシー会社の運転手よりも忙しい生活をしていたようです。これも昨年私が膠原病に罹患したため、私をあてにしない2人で一人のボランティアとなっており、一寸先は闇のことわざを実感させられます。
 
2020-02-10
 昨年膠原病に罹患して、一時は握力ゼロになってしまいましたが、この当時は170や160台のスコアを出しており、更に高得点を狙っていたことを考えると3年前の記事とは思えませんか、これまで投げていた15ポンドのマイボールから8ポンドに替えてこれからカムバックしていきます。

019年02月10日 この年までヤフーブログです

2015年02月10日  平成27年

2013年02月10日

2010年02月10日 平成22年
2009年02月10日
2008年02月10日
2007年02月10日 平成19年

 歳とともに一言の話題も大きく変化しており、4年前にリタイヤして年金生活者となっており、公的な仕事や他人からの依頼が減って、個人の好き放題の生活になってきました。

ヤフーブログ以前の一言
2006 02 10
平成16年2月13日のつぶやき 
私の初めての一言です。

 平成16年(2004年)2月13日は、私が初めて地元のケーブルテレビのクローバーネットから発信した一言で、最初は「つぶやき」としてスタートしていました。こうして読み直すと感慨深いものがあり、この日以来一日も休むことなく、現在まで20年近く続けてきたことになり、多くの恩師や知人が亡くなっているばかりか、我家の愛犬や愛猫、小鳥だけでなく、亀やコイまで登場していました。

 毎日読み直しても20年分を読み返すまでに寿命がつきそうです(笑)

スマホの交換で四苦八苦しながら


本日午後5時40分の自宅前です
昨年11月29日午後5時42分

昨年11月30日午後4時57分


 随分と夕陽の沈むのが遅くなりました。
 
さて、本日は…

私のお薬手帳


 昨年3月末に交通事故に遭遇し、その後に膠原病に罹患したため、処方された薬は多種多様でしたが、本日かかりつけ医の診察を受け、隣のかかりつけ薬局へ処方された薬を受け取りに行くと、これまであったスマホ内のおくすり手帳が存在しないことが判りました。

 2日前に訪れたスマホショップでバッテリーの交換に出し、代替のスマホになったため2日かかってデータを復活させたものの、本日までお薬手帳も移行していると思っていたものの、アプリそのものが存在せず、ログインする情報にも無頓着だっため過去のデータに入れなくなってしまいました。

そんな訳で…

 新しいお薬手帳を作りましたが、数年前から利用していたスマホのお薬手帳は、そもそも不要と思っている時に勧められて作り、そもそもがログインできない状態で使用していたものの、最近は手書きの手帳は使わず完全にスマホの手帳に依存していました。


金曜日の薬

一週間に一度上の4錠が増えます


 そもそも、膠原病に罹患したことで、かかりつけ薬局ではなく、名古屋の中村日赤の前にある薬局から薬を受け取っていたものの、かかりつけ医から処方される薬は1錠だけで、かかりつけ薬局も私の情報は見せてはいましたが、スマホのアプリとともに全て消えてしまいました。

 今回の反省から、スマホだけでなく、今までどおりの手帳でも記録を続けていくことにしました。半月前から、スマホの不具合いで苦労していますが、スマホのお店も安いスマホを勧めるだけで、スマホ内の情報については個人情報を盾にしてしっかりと対応してはくれません。

本日の写真です。

先月再発行してもらった通帳です。


 そもそもは、先月6日の縁起の良い「一粒万倍日」と「天赦日」の日に、新しい通帳を作るとどんどんお金が入ってくるとのネット情報によって郵便局を訪れて通帳を作ろうとすると、無いと思って一度も使ったことのない私の通帳が存在し、再発行には1100円必要との話となりました。家内に確認したものの、郵便局には一度も行ったことが無いと言います。

そもそも無いと思っていた通帳ですから…

「その通帳は破棄して、新しい新規の通帳を作りたい」
      「解約した人は新たな新規の通帳は作れません」
「その通帳にはいくらの残高があるの?」
      「それは、個人情報だから教えられません」
「再発行に必要な1100円よりは多く入っていますか?」 
      「教えられません」

 こんなやりとりから、気分を変えて、縁起の良い日だから、意外に多くの残高が残って新年のお年玉になるかもしれないと、再発行された通帳が届くのを心待ちにしました。

そして、届いた手紙に同封された通帳を見ると…

通帳の中身です

ガーン

 再発行された郵便局の通帳には264円の残高しかなく、そもそも存在しないと思っていた通帳から電話料金が毎月引き出されて、残金不足で2年前からそのままになっていたことが判りましたが、264円の残金のために1100円の手数料を支払った新年早々の損失を受けました。そもそも、私だけでなく家内も一度も行き来したことのない郵便局に、いつ通帳が作られて、大きな残高の金額が眠っていたことにも驚きです。

 歳を重ねて終活に入った我が身も考えずに、金運にすがった大きなお年玉となりましたが、残金が判れば収入も限られた年金受給者が新たな通帳を作る必要もなく、こんな無駄使いも当たり前となった社会ルールとサービス精神皆無の社会を恨むしかありません。

 見方を変えれば、高齢者の孤独死や独居老親が増加する中では、存在すら忘れられた銀行通帳が所有者不在によって眠ってしまうため、今一度家の中を見直す必要も感じさせられました。

 この通帳がお金を残すことに期待したいと思います(笑)

スマホのバッテリー交換によりスマホ店に篭城して

本日の写真です。

 今日はスマホのバッテリー交換(修理)のため午後2時にソフトバンク店の予約がしてありましたが、修理中も同じ環境でスマホやネット発信をしたいため、同じ日に購入した私と同じ機種である家内のスマホにデータを移し替えたものの、まったく画面が違い操作不能に陥り午後7時まで店内に缶詰状態となってしまいました。

 そして、午後7時から毎週我家の2階事務所で開催されている書道会へ参加したため、ブログは午後9時過ぎから書き込むことになり、それもスマホから写真が発信できない環境下で、何とかブログを更新したところで本日は終わりです。

 書き込もうとしていた京都細見酒店は添付しただけで、明日補充して書き込むことに、と言うよりも書く時間がなくなりました。

昨日の写真です。

京都大徳寺門前 山国屋細見酒店


店内の様子

細見酒店のオリジナル日本酒

店の前に置かれた商品

大徳寺納豆

店内の書 大徳寺前管長の揮毫


2007年08月16日
2011年08月16日
2012年08月18日
013年12月31日
2016年12月07日


昨日の京都 大原宝泉院

本日の写真です。

 昨日訪れていた京都大原の宝泉院から、本日御札と福豆が同封された手紙が届き、昨日は住職と顔をあわせていなかったため、お礼の電話を入れました。

 毎年節分の直後に届けられる手紙ですが、住職のご厚意に甘えて何のお礼もしないまま年月が経過し、いつ頃から御札と福豆が届けられているかは不明で、私の過去のヤフーブログには平成20年に初めて写真を添付していました。

 朝日旅行友の会の日帰りバス旅行を昭和63年に開始し、平成3年に初めて京都大文字送り火を企画してから20年以上にわたって送り火へのバス旅行を企画しており、宝泉院へは平成6年の8月16日の送り火の日に初めてバスで訪れています。

 議員になった平成11年から5年ほど前までは、家族や知人と12月の大晦日に必ず京都を訪れており、宝泉院を訪れてから知恩院や百万遍で除夜の鐘を撞いてきましたが、節分の手紙がいつから届いているのかは住職に聞かないと判りません。

 まったく横着で無礼な性格ですね(笑)

朝日旅行友の会の行き先リスト

 さて、ここからの写真は昨日の雪の宝泉院です。過去の書き込みを見ても不思議なことに雪の宝泉院の写真はありませんでした。

宝泉院参道入口

山門

拝観受付所

境内

法然上人 衣掛けの石

五葉松

玄関への参道

玄関横の庭

手水石

額縁の間から見る五葉松

額縁の間から見る竹林

多くの観光客

ここでは自然と正座したくなります

ここで抹茶をいただきます

抹茶とお菓子

宝泉院のために作られたお菓子

竹林横の日本庭園

水琴窟

竹林と大原の借景

西方の鞍馬山方面

囲炉裏の間

北の庭


 宝泉院と言っても判らない人もあると思いますが、有名な三千院の奥にある勝林院の塔頭となるお寺で、JR東海が「そうだ京都へ行こう」のキャッチフレーズで初めて紹介されたお寺となり、女性が何度も訪れる人気のあるお寺です。

 厳冬期の大原で、しかも四方が開けっ放しの本堂ですが、ここに座っていると時間の経過を忘れてしまう居心地の良いお寺です。


隣の勝林院

三千院前


 久しぶりと思っていましたが、昨年9月にも訪れており歳のせいか3ヶ月の経過でも随分と昔のように勘違いしてしまいます。

2022-09-25 

2020-11-01 20 令和2年

滋賀県から京都大原まで | 大鹿一八 『今日の一言』 (ameblo.jp)


2008年02月06日 平成20年

大鹿一八「本日の一言」 : 目的と結果の大きな違いを自覚して (livedoor.blog)

 初めて宝泉院の御札と福豆の写真を添付した平成20年の写真です。


2010年08月16日 平成22年

大鹿一八「本日の一言」 : 大文字送り火に走り (livedoor.blog)

 送り火と宝泉院の書き込みです。


2012年02月06日 平成24年

大鹿一八「本日の一言」 : 京都より届けられた福豆に (livedoor.blog)

2019年02月06日 平成31年

大鹿一八「本日の一言」 : 京都から節分会の福豆が届いて (livedoor.blog)


 宝泉院の住職とは高校時代の同級生で、私の出生地である愛知県祖父江町の出身であることや、住職と親戚となる親しい知人が存在するため、京都でも数少ない居場所のように感じてしまうお寺です。


 さて、過去の書き込みを読み直すと、大徳寺門前の山国屋細見酒店には宝泉院よりも多く訪れており、先代店主が鬼籍に入っておられることから明日まとめて添付したいと思っています。


京都大原から東山の安井天満宮まで

京都大原に残る民家

大原は雪化粧

茅葺(かやぶき)の家

三千院への参道

魚山橋

道標

大原温泉湯元 芹生


京都大原三千院前に佇む、お料理と庭園が自慢の宿。露天風呂付客室もあり、山並みを一望しながら静寂さに心癒される寛ぎのひとときを。地野菜や旬野菜をつかった懐石が人気。 ホームページ:https://www.seryo.co.jp/index.html

勝林院への参道

三千院前の土井志ば漬本舗

明治34年(1901年)に創業をした土井志ば漬本舗


三千院山門

天台宗 京都大原三千院 (sanzenin.or.jp)

本堂へ

三千院山門から見えるお店

三千院から勝林院へ

末明橋 律川

  さらに歩きます

勝林院

 魚山大原寺勝林院は長和2年(1013)に寂源によって声明による念仏修行の道場として創建されました。約90年のちに来迎院が創建されると、二つの本堂を中心として僧坊が建立され、多くの僧侶が声明の研究研鑽をする拠点となりました。こうして勝林院と来迎院を中心とした大原東部の寺院群は、魚山大原寺と総称されるようになります。
 勝林院は火災や水害のたびに再建されてきました。現在のお堂は安永7年(1778)に再建されたもの。幅七間・奥行六間の総欅造りで屋根は木の板を重ねて葺いた杮葺です。欄間や蛙股などに彫り込まれた立体的な彫刻は当時の木彫技術の素晴らしさを今に伝えています。


ここは私の京都の立寄り場所

魚山 宝泉院

京都府京都市左京区大原勝林院町187

京都三大五葉(松)

額縁庭園

宝泉院は本日一番目の目的地で、本日の宝泉院については後日添付します。


参道を戻ります

法華堂 本尊は普賢菩薩

勝林院参道

魚山 実行院


後鳥羽天皇・順徳天皇 大原


三千院前

正面はかつて老舗料理旅館魚山園のあった場所

念仏寺

境内

出世稲荷神社入り口

参道

出世稲荷神社の標柱(しめばしら)

鳥居

出世稲荷神社

三石大神 勝負の神様

左が(禄石)打出し石 中央が(壽石)勝石 右(福石)取り石

その昔は、博徒や相場師に信仰され、現代も勝負の神様として強運を祈願されています。

向拝新築の鳥居

社務所


大原から大徳寺のある北区紫野へ

ここも京都の立寄り所 左の山国屋細見酒店


「先生(せんせ)ですね」
   「お久しぶりです」
「両親の所(仏間)までどうぞ」
   「…本当に…お久しぶりです…」

 今から20年ほど前の話となりますが、平成3年から平成17年まで毎年8月16日に、朝日旅行友の会のバス旅行で京都の大文字送り火を鑑賞に出かけ、私自身が船岡山が好きだったことから毎年大徳寺の駐車場に観光バスを停めていました。

 登山が趣味で北アルプスから帰った直後だった細見酒店の先代店主と店先で出会い、山の話から意気投合して、8月と12月の大晦日は必ず立寄っていたお店ですが、8年前からお盆は上高地に滞在しており、5年ほど前から大晦日も出かけなくなりました。

 「せんせ」は、先代に呼ばれていた呼称で、個人的に知人と訪れた送り火でも3階の屋上に招待されたこともある間柄でしたが、先代は7年前、翌年には奥様が他界され、親からの慣習で私にお奨めのお酒を差し出される若い息子さんの姿に、申し訳ないので足が遠のいていました。

 二十年以上前の親の代からお付き合いのあるお店で、商売(利益)にもならない私の来店を喜んでくださる姿に、案内された仏間でご両親と生前中とおなじように会話ができたことから、これからも忘れず訪れる約束をしてお店を後にしました。

安井金比羅宮 京都市東山区下弁天町70

縁切り縁結び碑(石)


京都で強いパワースポットとして注目される天満宮です。怖いくらい凄い縁切り神社として有名な安井天満宮についても後日添付します。


安井天満宮前の人力車「えびす屋」のお姉さん

「維新の道」高台寺方面でも出会いました

がんばってね


京都から帰ります

草津パーキング入り口

本日の写真です。

 リタイヤしたセカンドライフとして、上高地と四国遍路を挙げているものの、議員になる前から京都へ出かけ、知遇を得た多くの人たちと温めてきた交友関係が未だに存在することから、京都を上高地と四国遍路のように私の居場所にし続けたいと実感させられました。

 本日は次男の車に乗せてもらった京都行きとなりました。

国府宮はだか祭りの大鏡餅となおい布

古いなおい布の納め所

国府宮神社西の鳥居

参道の出店

楼門前

楼門

標柱(しめばしら)に触れる参拝客

尾張大国霊神社 本殿

重要文化財の高札

大鏡餅授け所入り口の看板

満員の行列

右奥が最後尾です

大鏡餅を授かるまで2時間かかりました

本殿前

昨日の国府宮はだか祭りに使われた「なおい笹」


本堂内では…

大鏡餅

大鏡餅が切り分けられています

なおい布をもらう行列

近づいてきました

なおいの授け所

神男と記念撮影

神男は41歳

今年の神男はあま市の矢沢謙二さん

古いなおい布の納め所です

昨年のなおい布を返しました

次々と納められます

帰ります

国府宮駅北踏切の名鉄電車

本日の写真です。

 昨日行われた国府宮はだか祭りに奉納された大鏡餅となおい布を授かるため稲沢市の尾張大国霊神社(国府宮神社)を訪れました。

 神社近くの道路は駐車場を探す車で大渋滞になっており、道路に停めた車によって行き来もできない状態で、近くのスーパーやドラッグストアの駐車場が空くのを待つ車が駐車場を占拠していましたが、名鉄国府宮駅周辺には有料ですが駐車場が点在しており、神社の境内では警察が取り締まりの予告をしていました。

 我家には6台の車があり、6本のなおい布が必要となり、車を持たない母親の自転車と妹、そして名古屋の娘に手渡すため10本のなおい布を購入しましたが、本日は昨日の国府宮はだか祭りで神男を務めた矢沢さんから直接手渡されるたる長い行列ができていました。
 神男は41歳で、私の子供たちと変わらぬ若者ですが、69歳の爺さんであることを忘れて、子供になったような気持ちで神男と握手し、肩を支えられて写真におさまっていましたが、今年一年間何事もなく生活できれば幸いです。

 さて、大鏡餅を授かるために行列に並んだ家内は、およそ2時間がかりで大鏡餅の切れ端を授かりましたが、行列に耐え切れぬ高齢者が多数行列から離脱し、救急車も2台走ってきたと聞くと、参拝者の多くが高齢者であることから何らかの対策は必要に思われます。

 仲間があれば一度くらいは「はだか祭り」に参加しても良いかなと思っていましたが、今では膠原病に罹患した高齢者になってしまい、参加もできない身体になつていることもどうしようもない現実です。

夕暮れのウォーキング

地域から見える伊吹山


目比川堤防

配水機場の工事現場

力強さを感ずる重機


 8年前から現在の管理栄養士さんの指導を受け、直後から月曜日と水曜、金曜に行きつけの珈琲店までウォーキングで約30分歩くことにした散策道ですが、何も変わっていないように見えるものの、実際には家が建て替えられたり添付したような工事がどこかで行われてきました。


 通り過ぎる家の中には今から40年ほど前、学生時代に起業した当時にお世話になった方々が多数存在するものの、その大半はすでに鬼籍に入っておられ、リタイヤして何も利害のない今こそ訪れて遺影に手を合わせたい心境にさせられます。


帰り道です

本日の写真です。

 午後4時過ぎに自宅を出発し、30分後に行きつけの珈琲店に到着し、ここで車で買い物に出かけた家内と合流し、5時30分になったら家内とは別々に歩いて自宅を目指します。

 一ヶ月前には真っ暗だった帰宅も、最近は日の入りが遅れて薄暗い中の帰宅となりましたが、西の山に日が沈んでいく環境の中を一人で歩くと、中学時代に学校をズル休みした当時の光景や、世話になった恩師や恩人の姿が瞼に浮かんできます。

 中学時代には腕時計を持っていないため、学校や塾をズル休みすると帰宅する時間が判らないため、西の山の日の入りや通りかかる家々から匂ってくる夕食準備の匂いによって家路を急いだ懐かしい思い出がよみがえってきます。

 本日の歩数は9千歩をこえましたが、毎日のノルマを5千歩とし、一週間に3万5千歩歩くとコークオンのスタンプ1個が付き、スタンプが目標ではありませんが、「明日に頑張ろう」と先送りすると週末の追い込みが大変なことになります。

 残念なことは、最近になり大きな工場が建てられるたびに子供の頃から見慣れてきた伊吹山や養老の山並みが見られなくなったことで、子供の頃には西の山に日が沈んだら家に帰っていた感覚が、街灯や時計をみて帰宅する時代になったことです。何よりも夕方のそんな時間帯に屋外にいる子供の姿もありません。

 さて、明日と明後日で1万歩歩くことになりますが、明日は国府宮はだか祭が行われた稲沢市の尾張大国霊神社を訪れ、日曜日は京都大原の宝泉院と大徳寺前の山国屋細身酒店に行きたいと思っていますが、京都は気まぐれの次男の機嫌しだいとなるため、さてどうなるのでしょうか(笑)

昨日訪れた桑名市の大福田寺と九華公園

神宝山法皇院 大福田寺

三重県桑名市東方1426

自由に参拝できます

本堂への参道

書初め大会の作品です

昔ながらの書初大会が継承されていました

本堂から見る境内

お寺の境内に神社の鳥居

聖天堂への参道

ご本尊 神宝聖天尊

日本三大聖天の一つです

昨日の桑名聖天祭




 毎月一日に聖天堂で開催されている聖天祭は午前中に護摩供養やお勤めが行われていますが、午前中は移送ボランティアがあるため午後の参拝となり、私自身は本堂のご本尊である阿弥陀如来像よりも弘法大師像の前へ近況報告に行く気持ちで訪れています。


 さて、大福田寺では明日の3日に節分と鬼負い祭りが開催されますが、昨日と同様に午前中は病院へ移送する患者さんがあり、夕方には車検に出した車を取りにいく必要があるため参加することはできませんが、本堂に置いてあった福豆をいただいてきました。


 大福田寺の福豆は黒豆で、家計が黒字になるように黒豆を使用しており、豆ご飯にしても美味しいとの案内がありました。


九華公園

公園から見える柿安本店

大きな店舗です

野菜や果物も

さすがに肉の種類は多彩です

常時入れ替えられるお弁当

人気コーナー

火曜と水曜はコロッケがどれでも100円

店前の小庭

創業者のプレート

初代桑名城主本多忠勝公の銅像
昨日の写真です。
  

津島町並ミュージアムから引用


 私がヤフーブログ時代からお気に入り登録していたブログですが、桑名市の情報とともに、本多忠勝公の書き込みが続いており、せっかく桑名市まで出向いておりながら、大福田寺の参拝だけで帰るのはもったいないため、今回は九華公園まで足を運びました。


岐阜県海津市の木曽三川公園でカップ麺とウォーキングへ

揖斐川と油島大橋 遠景は多度山


係留中のボート

漁船 岐阜県海津市海津町油島

県道桑名海津線 右は長良川

治水神社

社務所と神門

神門

拝殿

 本殿

千本松原

治水神社と木曽三川公園展望タワー

昼休みです

緑のたぬきと赤いきつね


 毎月一日(1日と16日)は桑名市の大福田寺で桑名聖天祭(月例会)が催されており、本日は移送ボランティアが終わるのを待ってから、家内と昼前に自宅を出発しました。


 目的地の大福田寺へは弥富市から尾張大橋を通るのが最適ですが、本日は愛西市から木曽川と長良川の立田大橋を渡り、木曽三川公園の駐車場に車を停めました。どうせ、自宅近くの犬の便所と化した道路でウォーキングをするくらいならと、三川公園や治水神社のある長良川や揖斐川沿いを歩いた方が健康的でもありますね。


岐阜県海津市の国営木曽三川公園は、公園内の散策も芝生が張られており、長良川沿いにある駐車場沿いは芝生になっているので、足に優しいウォーキングが可能です。


本日の写真です。

本日は、岐阜県海津市の木曽三川公園から三重県桑名市へ移動し、聖天祭(午前中)の行われていた大福田寺に参拝後に、九華公園を訪れお堀沿いを散策後に柿安本店で買い物をしてから帰宅しました。

ギャラリー
  • ようこそ 大鹿一八の納経所へ
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  • 令和6年 上高地開山式の様子です
  • 三重県桑名市大福田寺の聖天祭へ
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