大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2023年03月

サクランボの花から青い実になり

平成5年に他界した父親が私の長男に残したサクランボ


2012年(平成24年)5月12日 


平成直後に揖斐高原で入手したオニユリ


22年(昨年)7月5日の一言 


 2021年(令和3年)4月29日


 四国遍路で一週間家を留守にしている間に、サクランボやアンズの花が散ってしまいましたが、気がつくとサクランボはすでに青い実をつけていました。

そして我が家で30年以上にわたって咲き続けているオニユリも新しい今年の新しい新芽が出ていました。 

父親が亡くなってから30年が経過しますが、 父親が植えたサクランボやオニユリが毎年当たり前に花を咲かすことに、植物の生命力を実感させられます。

さて、添付したイチゴについては買ってきてから5代目になるイチゴですが、昨年まで大量に残っていた株を今年の冬に枯らしてしまい、添付した 1株だけになっており、私にとっては貴重なイチゴとなりました。

同じく新しい芽を出したミニトマトについても、今年が 4シーズン目に入りましたが、こちらは冬でも事務所の2階で花を咲かせて実を付けていましたが、病気や虫が大量発生したため放置してあったプランターから発芽したもので、生命力の強さを実感するとともに、今年は新しいプランターに植え替えて子孫へ継承したいと思います。

我家には2年前に挿し木したパイナップルや、父親が生きていた頃から残る花やアンズなど多くの植物が継承されており、新しい樹木は買ってきても植える場所がありませんが、子供や知人に譲ってでも残していきたいと考えています。

知人が送ってくれたラインの写真です

本日の夕暮れ 午後6時12分

本日のマック

黙っていても、水とケチャップが付いてきました


四国遍路から帰って6日目になりますが、四国では連日5時30分起床を当り前にして行動していたものの、自宅に帰ってからは8時30分に目覚ましをかけていますが、9時に朝食を摂ってから横になり、昼食後も昼寝して一日が終わりそうになってしまいます。


膠原病に罹患してから家内が何でもやってくれることに甘えて、ボランティアの患者移送も家内の補助役になっており、自分の好きなことばかりへ出かけることもできず、知人と珈琲屋さんかマックへ行くことが仕事になってしまっています。


 ここからは知人が送ってくれた写真です。





 ここが何処かは判りますね??

明日は朝から患者さんを移送して、午後も移送ボランティアをした後に自分の歯医者さんへ出かける予定です。 

知人から送られてきた花の写真です

浜松のカナメ神宮の源平しだれ桃だそうです






ここからは名古屋市の庄内緑地公園です





 ここからは、先週金曜日に訪れていた徳島県第11番藤井寺から第12番焼山寺までの道路に咲くさくらです。

藤井寺への参道











 浜松市と名古屋市の知人が LINE で送ってくれた桜や花々です。

昨日愛西市と稲沢市の桜見物に訪れましたが、先週訪れていた 徳島の藤井寺から焼山寺までの道路に咲く桜は比べようのない規模の桜の桜並木が続いていました。

今にして思うと一日余分に滞在しても、桜の名所を訪れるべき規模だったと思います。

お遍路生活から日常の現実生活へ

本日の夕暮れ  午後6時18分

散歩中の果樹

何の花かは判りません

新しい先達経典(右)


三日前に四国遍路から帰りましたが、本日は久しぶりに日常生活へ戻り、朝から患者さんを病院へ移送し、午後は家内とマックまでウォーキングに出かけました。わずか七日間家を留守にしただけですが、我が家のサクランボとアンズは完全に花が落ちて周りは春の新芽が地域の色彩を変えていました。

さて、 先週の四国遍路中に四国八十八カ所霊場会事務局で新しい先達経典(令和4年12月1日発行)を頂いてきました。

私が先達になった時に平成18年発行の先達経典を頂きましたが、経典そのものはお遍路に関する内容だけに基本的には変化がないものの、先達の総数や現況が全く分からないため新しい経典を入手しました。

先達の総数
令和4年8月  17.492名  平成18年2月  11.546名

現在の先達数
令和4年8月  8.591名   平成18年  8.381名

50回以上巡拝された先達数
令和4年8月 380名   平成18年 267名

「先達さんは何人ぐらいいるの?」と問われることがあっても現況がわからず、事務局まで電話で問い合わせたこともありましたが、自分の年齢と残されたお遍路人生を考えて新しい経典を所望しました。

先達手帳が新しくなっただけでなく、初めて先達に補任された当時の気持ちでこれからの遍路に臨みたいと思います。

7日間の四国遍路満願 車中泊の記録

3月18日(土)  第一日目

第21番太龍寺雨のロープウェイから見える山麓

第22番平等寺の階段に置かれた賽銭

室戸岬の青年大師像

第26番金剛頂寺から見える 土佐 の海
 前日17日夕方に愛知県の自宅を出発し、淡路島の淡路島南パーキングエリアで仮眠後の翌朝7時からお遍路をスタートさせました。

第18番恩山寺から第27番神峯寺まで巡拝 午前中は雨
入浴 高知黒潮ホテル天然温泉龍馬の湯 高知県香南市野市町
車中泊の場所 道の駅やす 高知県香南市夜須町

3月19日(日) 第二日目

第32番禅師峰寺から見える高知の海

第38番 金剛福寺
足摺岬の白山洞門

足摺岬灯台

第28番大日寺から第38番金剛福寺まで巡拝
入浴 宿毛 リゾート 椰子の湯 高知県宿毛市大島
車中泊  道の駅 すくも 高知県宿毛市坂ノ下
 現在休業中で駐車場に入れず、入口前の道路駐車スペースにて車中泊

3月20日(月)  第三日目

第39番延光寺

第42番仏木寺

第45番岩屋寺の参道

国民宿舎古岩屋荘 古岩屋温泉


第39番延光寺から第48番西林寺まで巡拝

第39番延光寺で法螺貝を吹く青年と出会い、第43番明石寺まで一緒でしたが、偶然にも我が家と近い三重県四日市の人物と分かり、四日市のお寺で再会する約束をしました。新鮮な出会い でもありました。


入浴   古岩屋荘の温泉 愛媛県上浮穴郡久万高原町

車中泊  天空の郷 さんさん 愛媛県上浮穴郡久万高原町


3月21日(火)  第四日目

松山市内の路面電車

第58番仙遊寺

第60番横峰寺

最後の第65番三角寺


第49番から65番まで

入浴 湯あそびひろば 三島乃湯 愛媛県四国中央市三島中央一丁目

車中泊   道の駅とよはま 香川県観音寺市豊浜


3月22日(水)  第五日目

第66番雲辺寺から見える雲海

第70番本山寺の五重塔

第75番善通寺の五重塔

第81番白峯寺から見える瀬戸中央大橋


第66番から第81番まで
入浴  スーパー銭湯あかね温泉 香川県高松市茜町
車中泊  マック香西店奥にある駐車場 香川県高松市郷東町

3月23日(木)   第六日目

高松北警察香西派出所 午前6時03分

前日マックへジャンパーを忘れており、早朝から警察派出所へ受け取りに走りました。


第86番志度寺の五重塔

第88番大窪寺

第1番霊山寺の六角菱灯籠


第82番から第88番、第10番から第1番まで逆打ち
やすらぎの郷  あせび温泉 徳島県板野郡板野町
車中泊  第6番安楽寺前の駐車場

3月24日(金) 第七日目

第12番焼山寺までの道中の桜

焼山寺で出会った今治市の英語教師ピーターさん

最近宿泊していない名西旅館へも陣中見舞いに立寄りました

観音寺でも奇跡的に再会しました

第17番井戸寺で満願 午後1時53分


 第11番藤井寺から第17番井戸寺まで巡拝で結願(満願)


 道の駅くるくるなるとで土産物(買い物)午後4時08分

四国鳴門市から大鳴門橋を渡り、一般道で淡路島を走った後、東浦インターチェンジから高速道路へ入り淡路サービスエリアで夕食休憩。そのまま明石海峡大橋を渡り、山陽道から新名神、西名阪を利用して愛知県の自宅へ午前0時30分到着しました。


今回のお遍路は軽自動車を利用して、毎日必ず入浴することと、必ず三食の食事を摂る車中泊でしたが、日頃車中泊に利用するキャラバンと違い、座席に寝たままで総ての物に手が届き、高速代金や燃料費は半額程度に抑えられたため、自炊は一日だけでコンビニと弁当や外食となり、睡眠時間が十分に取れました。


ブログやフェースブックの発信は、ワイファイ環境の悪い道の駅ではなく、郊外ではコンビニのローソン前の駐車場と、市街地ではマクドナルドの店内を利用しました。ワイファイ通信が途中で途切れてスマホのデータ使用量が増大した道の駅は利用しませんでした。


今回のお遍路中に、徳島市のイベントで宿が何処にも取れず、通しの歩き遍路を断念して途中からスタートしたお遍路さんと遭遇しましたが、明るくなれば自然と目覚め、次のお寺の近くに駐車することで車中泊に勝る効率の良い四国遍路はないことを確信した次第です。


私にとっては当り前の車中泊ですが、宿代が不用なため金銭的な余裕があり、これまで入浴代金や駐車料金などを全く記録していないため、今後のためにも記録しておきたいと思った次第です。何と言っても、今回もびっくりさせられる素敵な出会いに恵まれる四国遍路となりました。


四国遍路へ今晩は夜行で走ります

白衣と山谷袋 遍路必需品を積み込みました

軽自動車で出発します

狭い車内に食料と飲料水

バナナとヨーグルトに生野菜は発泡スチロールへ

しばらくの居場所へ

帰った時には散っていると思うと…


昨年12月に十四巡目の遍路から帰り、18日に雪の高野山へお礼参りの参拝をして以来となる15巡目の四国遍路へ今晩9時に出発します。


「予定はずっと」


体調が許せば満願を果たしてから帰ってきますが、昨年発症した膠原病の身体だけに家族は心配しており、最近は随分と体調が戻ってきているものの、起床時間は午前8時過ぎに設定して体調が整うまで外出しておらず、午前7時から参拝して午後5時まで廻れるかは未定です。


さて、満願までと記しましたが、四国各地の知人とら再会も遍路と同じように重要で、満願にこだわらず四国各地を楽しんできたいと思います。


旧中仙道と北国街道の分岐点 洗馬宿

中山道洗馬宿の道標

木曽路は木曽11宿といわれ、江戸と京都を結ぶ街道の1つであった中山道のうち、急峻な木曽谷を通る街道部分にある11の宿場町の総称として使われています。

 4月に上高地が開山すると、毎月木曽路を通ることから、中山道の塩尻市から木曽路に入る信濃路の2宿と、馬籠宿以南となる美濃路の宿場町に立ち寄りたいと思います。


本日は、先週11日に訪れた信濃路洗馬宿を添付しました。

中山道と善光寺道との分岐点

分岐点の常夜灯

案内板

中山道の新道

肘懸の松跡

追分

案内板

右中山道の道標

石碑や名号の被

旧道と新道の分かれ道

木曽路方面

JR洗馬駅駅舎

改札口入り口

待合室

中央本線中津川行き

塩尻長野方面ホーム

宿場の案内図

現在の中山道

洗馬宿脇本陣跡

明治天皇の休憩場所

脇本陣と志村家庭園の案内板

萬福寺赤門

松尾芭蕉の句碑

説明板


(一社)塩尻市観光協会引用

街道の別去れ

慶長18(1613)年に、下諏訪宿から小野宿・牛首峠経由で贄川宿に至る旧中山道が廃止された翌年、塩尻峠経由の路線が新たに中山道として設定された際新設された宿場です。
宿場の北方は中山道と北国脇往還(善光寺街道)の「別去れ」で道が左右に分かれ、「右中山道 左北国脇往還 善光寺街道」の道標が建っており、中山道を進むと桔梗ケ原を経由し塩尻宿へ、善光寺街道を進むと郷原宿へと向かいます。

〇洗馬宿のみどころ
洗馬宿は昭和7(1932)年の大火で宿の大部分が焼失してしまいまたが、細川幽斎にまつわる伝説の肱懸松跡、中山道と善光寺街道の分岐点の分去れ道標、常夜灯、木曽義仲伝説の邂逅の清水や願い事をかなえてくれるという言成地蔵尊などがあります。

塩尻市から木曽路を目指す旧中仙道初めての宿となる洗馬宿です。観光客であふれる奈良井や妻籠のような華やかさはありませんが、ここから中山道と北国街道が分岐する追分となり、東国を目指す人と善光寺参りの人々が別れていく重要な宿です。


観光施設もないため観光客は一人もありませんでしたが、昔ながらの街道を歩いてJR洗馬駅の改札口からホームまで、まるで大正時代から昭和初期へ戻ったような感覚を入ってきた中央線の列車の音が現実に戻してくれました。


先週金曜日と土曜日に訪れた木曽路の車中泊です

道の駅きそむら 3月10日

木曽路で一番Wi-Fi境環境の良い道の駅です

これで十分眠れました

道の駅賤母

道の駅大桑 午後6時08分 

オートレスト木曽路 

午後7時51分に到着です

ラーメン萬年家 

 夜10時まで営業 月曜日定休日

 ここで車中泊です

駐車中の大型トラック 

 24時間営業のコンビニ

休憩所のマッサージ機 

コインランドリー とシャワー室

 コンビニへの通用口

24時間解放されるロビー


翌日11日(土曜日)

 朝の駐車場

 ここで車中泊しました

7時23分出発です 

国宝松本城 

太鼓門  午後3時09分


 中山道洗馬宿 午後5時1分

JR中央本線洗馬駅 

中山道と善光寺道の分岐点

旧中山道 

道の駅きそむら 

 午後5時55分到着です

 朝の駐車場


道の駅日義木曽駒高原

木曽町三岳 午後9時01分

 霊峰御嶽山

道の駅三岳 午前11時43分 

中山道上松宿 

寝覚の床入口 

道の駅大桑  米っ子大桑

道の駅大桑 みちくさ 

 道の駅大桑 午前12時48分
先週末の写真です。

先週金曜日の夜は(中山道)国道19号線塩尻市にあるオートレスト木曽路を車中泊の場所としました。

ここは24時間営業のコンビニローソンと深夜まで営業しているラーメン店が併設されており、24時間解放されたロビーにはコインランドリーやコインシャワーが存在し、ロビーにはゲーム機やマッサージ機まで設置されています。

木曽路に存在する道の駅は、木祖村にある道の駅きそむら以外は wi-fi 環境が非常に悪く、車中からネット発信するためには大きなストレスとなりますが、オートレスト木曽路はロビーが24時間開放されているため明るい室内で発信が可能となります。

私の個人的な感想となりますが、名古屋から松本まで移動する中で、明るく安心して車中泊できる場所ではここが一番の環境ではないかと思われます。難点は大型トラックが一晩中出すエンジン音で駐車する場所の工夫が必要です。

帰路となる翌日土曜日は、wi-fi 環境の良い道の駅きそむらを車中泊の場所としました。

今時とは思いますが、 wi-fi そのものが存在しない道の駅もあり、電波の感度が低い道の駅では発信中に wi-fi が切れて、スマホ本体のアプリのデータ使用が増大しているケースが度々あります。

これからは気候的にも温かくなるため、車中泊の環境にはありがたいシーズンとなります。

我家のアンズとサクランボが満開となって

我が家のあんず(杏)です

事務所裏のサクランボとあんず

事務所前のあんず

さくらんぼと杏の動画

駐車場のさくらんぼ

満開です

可愛い花弁

甘い香がします

事務所裏の杏(アンズ) 五分咲き

事務所前のあんず

可憐な花弁

本日の写真です。

先週金曜日に今年初めてのサクランボの花が一輪咲き、一週間後に事務所前のアンズが咲き、その一週間後に事務所裏のアンズが開花すると記していますが、今年は事務所前のアンズも満開となり、裏のアンズも五分咲きとなっています。

これまで一週間ずつの差があった開花が今年は一斉に咲きだしたことが判ります。

 22年3月16日

 21年3月4日

2020年3月11日

華去三年間の開花を調べると、今年が特別に早いとは思えませんが、一気に温かくなったことで全ての花が一斉に開花してしまったのかもしれません。


サクランボは平成5年に他界した私の父親が孫の木として植えたもので、私が事務所前に長野出身の知人から頂いて植えたのを見た父親が、事務所裏にどこからか買ってきたアンズの木を植えたもので、現在では2階建て事務所の屋根を越える大木になっています。


2013-03-23

さて、添付した記事は10年前に発信された知人のブログですが、2年前に他界した一年違いの知人氷室さんが我家のアンズについて記したもので、10年前に我家の前に自転車を停めて写真を撮っていたと考えると感慨深いものがあります。


12年5月9日

この記事も11年前のもので、我家へサクランボ狩りに来た知人がお土産にお菓子を持参して訪れた懐かしい記録が残されており、最近はフェースブックを通した交流が続けていることに月日の移り変わりの早さと同時に、これからの一年一年の重みも実感させられました。


18年3月21日


15年3月18日

12年3月25日

09年3月12日


我家のサクランボとアンズの開花は、その後に花から果実が実ることから、サクランボやアンズジャムによって多くの人々との交流が継続しており、そういうことでは我家にとって大きな貢献をしてきたサクランボとアンズの木となります。


私がこの世に存在しなくなっても、これらの花が長く開花続けることを祈るばかりとなります。


雪と氷に閉ざされた御嶽山の滝めぐりへ

 三岳黒沢口から見る御嶽山

 日の出滝旅館と御嶽山

 日の出滝入口

 日の出滝

 田中旅館

大祓滝霊神場

鳥居の上に滝が見えます

 滝の入口

案内の石碑

大祓の滝

 修行者たちの滝行

田中旅館の隣にある弘法堂には毎月訪れているものの、そもそもが霊神場へ参拝する信者すらほとんど出会わない静寂な場所に、大きく響く甲高い声に導かれて声のする方向へ行くと、鳥居の奥にある大祓の滝に4人の行者が入れ替わり滝行を行っていました。

しばらく立ち止まって手を合わせていましたが、行者の発する般若心経の声に圧倒され、同じ般若心経でも仏式とは違う神教の迫力と、周りに残る残雪と水も凍りそうな極寒から響く甲高い大声に冷やかしではおれない雰囲気から滝を後にしました。

 4合目付近から見える御嶽山

松尾滝の鳥居 

 滝入り口の案内板

急な石段を登ります 

 さらに登ります

 行く手を阻む巨岩の落石

 そのむこうには凍った滝が

 氷瀑(ひょうばく)

 百間滝入口駐車場

 冬季はここで通行止めになっています。

 凍結した雪道をひたすら登っていきます

 周りは雪だらけ

 やっと到着です

 こもれびの滝

 ちょっと一服

 案内板

道標 

 百間滝は断念です

行く気満々で登ってきましたが、百間滝まで歩いて4,2キロ2時間30分とありますが、ここまで凍結した雪道を登ってきたことすら限界にあり、ましてや7,2キロあるロープウェイまでは歩けないため、150メートル先にある不易の滝を目指しました。

 百間滝やロープウェイへの道

魅力あるせせらぎ 

 不易の滝入口

 やっと到着です

 迫力ある滝です

 岩から染み出しています

 ここにも休憩所がありました

帰り道です 

 凍結した行き道は歩けません

 そして落石です


数年前から上高地の帰り道に毎月訪れている御嶽山ですが、観光目的ではなく霊神場と弘法堂への参拝に訪れており、これまでも観光目的で訪れたことはありませんが、日の出滝と大祓の滝、松尾の滝も霊神の石碑と鳥居の奥に存在することから、偶然でも行者の滝行に出くわすことになりました。


そんな感覚で中で訪れたこもれびの滝と不易の滝は、完全なる自然環境下にあり、休憩できるベンチや道標も設置されており、雪のない冬季以外ならそのまま歩いて百間滝まで散策できる魅力ある登山道になっていました。


ちなみに、私は子供の頃から祖父が先達だたため、御嶽山での石や植物を持ち帰ったり、虫すら捕獲することを厳しく禁止されており、参拝以外の御嶽山登山は考えたこともありませんが、信者の夏山登山だけでなく、観光客も激減しているものの心の静養のための登山は効果的な環境が整っていると思います。


一方で、霊神場の霊神碑や石柱が地震によって倒れたり傾いたままになっており、このまま放置しておくと益々参拝者が減り、霊峰とか霊山と呼ばれた御嶽山のイメージを低下させてしまうことは心配です。


毎月訪れている田中旅館に隣接する弘法堂にしても、屋根が朽ち欠けており、雨水によって堂内もカビや汚れが激しく、堂内に入るのも怖い環境にあり、その連絡先すら記されておらず、四国遍路のようにお遍路やボランティアによって遍路道や参拝する環境が維持されている気配すら感じられません。


こんな怖くなるような現状を、見事な自然環境にある滝めぐりなどを宣伝し、信者だけでなく観光客も手を合わせて参拝できる参拝環境へ改善していきたいものです。


雪に閉ざされた御嶽山の滝を廻って

霊峰 御嶽山

道の駅きそむら 木祖町

木曽駒ケ岳 道の駅日義木曽駒高原

御嶽神社里宮 

三合目付近から見る御嶽山

日の出滝

日の出滝旅館と御嶽山

田中旅館

大祓滝

滝行中

田中石材店から見える御嶽山

松尾滝 四合目

氷瀑(ひょうばく)

四合目駐車場 冬季閉鎖中


こもれびの滝

せせらぎ

百間滝への道標

不易の滝への道標

不易の滝

下山中

下山中

落石

御嶽ロープウェイと開田高原への分岐点

木曽駒ケ岳

乗鞍岳

道の駅三岳

王滝川

木曽駒ケ岳

上松宿 昼食

道の駅大桑

大桑から見える木曽駒ケ岳


本日は道の駅きそむらで目覚めましたが、御嶽山の霊神場へ参拝後に馬篭宿か妻籠宿の五平餅を食べてから自宅へ帰ろうかと考えていました。


御嶽山の霊神場は毎月の行事にしており、道の駅日義木曽駒高原から御嶽神社の里宮から霊神場に参拝し、最後の弘法堂に参拝して車に戻ろうとしていると、遠方から大声の叫び声が聞こえ、辺りを見渡すと大祓の滝からの発声と思われたためため訪れました。


御岳教の信者が激減している中にあっても、参拝する信者は真剣な先達や行者が多く、雪が残り凍りつく御嶽山の極寒の滝に4人の行者が大祓の滝に入り、大声で般若心経を唱えて止むことなく読経は続きます。


そんな訳で、黒沢口にある滝巡りとしましたが…


ガッ、コーン カタカタカタ…


落石です。人間の頭くらいの石が落ちたようですが、これまで経験したことの無い迫力に、まるで大砲が打ち込まれたようなどうすることもできない自然の脅威を実感されられた中を、積雪と凍結した登山道を登って「こもれびの滝」と「不易の滝」までたどり着いたものの、下山は滑って降りられないため、四つんばいとなって足から後ろへ下ってきました。雪の装備も無く登る危険を実感させられました。


その滝めぐりの顛末は後日に添付します。


我家のさくらんぼの初咲き

本日の写真です。

我が家のさくらんぼが今年初めての花を咲かせました。まだ一輪だけですが週末から週明けにかけて花で満開になっていきます。

さくらんぼが花を咲かせると一週間後には事務所横の杏(あんず)が花を咲かせ、その一週間後に裏庭にある杏の大木も花も咲かせます。

ここからは2月26日の写真です。

西国4番施福寺への参道です

十三重石塔

仁王門

ここまでも十分歩きましたが…

やっと五丁です

まだまだ山道が続きます

弘法大師が得度の際に剃髪した場所です

ここからも148段の石段を登ります

本堂

ご本尊 千手千眼観世音菩薩

大提灯

梅園

標高530メートル

観世音菩薩

帰りも大変な道程です

仁王門が見えてきました

お地蔵様

やっと仁王門まで戻ってきました

仁王門にかけられた草履

ここからも先が見えません

満願滝弁才天

やっと駐車場まで帰ってきました


かつての西国巡礼には、山道を1時間以上かけてのぼる第11番上醍醐准胝堂がありましたが、火災により焼失したため麓の観音堂の巡拝になっており、現在の西国巡礼では第4番施福寺が一番厳しい山道になっていると思われます。

およそ40分ほどの行程ですが、初めて参拝したのは平成14年の40代のことで、その後の参拝と比較しても身体に堪える厳しい巡礼となりました。

「厳しいですね」
  「(笑)」
「半分でも足に堪えます」
  「一生懸命登ってはだめだよ(笑)」

5丁目付近で出会った西国巡礼のベテランからの助言で、ここは途中まで頑張らずに散歩する気楽な気持で歩くのがコツと聞いたものの、年齢とともに身体が悲鳴をあげるようになっており、この施福寺は西国だけでなく四国遍路と比較しても一番の難所になっているものと思います。

さて、週末は松本市の研修会に参加し、再来週は四国遍路の再開となります。

演劇 遠山紀元さんの追悼展示会を訪れて

稲葉地公園 名古屋市中村区

かつての水道施設です

名古屋市演劇練習館 

 玄関ホール

 会場への案内

入り口の展示

遠山紀元 追悼展示会

 プロフィール

遺影 

展示会場 

パンフレットと台本です 

 かつてのパンフレット

 展示品

パンフレットと台本 

在りし日の遠山さん 

実際に使われた台本 

劇団の集合写真 

追悼公演の案内 

 演劇関係の本箱

 井上ひさしの全集

 本日の写真です。

 昨年5月12日に他界された遠山事務所の遠山紀元さんを追悼する展示会が、名古屋市中村区にある稲葉地公園内の名古屋市演劇練習館で開催されており本日劇団員の知人と訪れました。

遠山さんは1995年に遠山事務所を創設し、24作品を全てプロデュースし演出された名古屋演劇界の第一任者でした。

 過去の Ameba ブログ
2022-10-21 
2019-10-26

過去の Yahoo(現ライブドア)ブログ
2018年10月19日
2014年09月06日
2013年11月22日

事務所創設直後から知人が劇団員として出演していたことから、毎年のように訪れて鑑賞していた演劇ですが、過去のブログにも限られた写真ですが添付した記事(一言)が残されており、本日の夜は懐かしく読み直すことになりました。

一人が居なくなったことで、仲間や多くの劇団員にとっては大きな損失となり、利益にならない真面目な演劇を維持していくことの難しさを展示品から実感させられました。

七十八歳という享年を考えると他人事とは思えませんが、遠山紀元さんのご冥福を祈るばかりです。

松本に出店している団子屋さんと再会して

本日の写真です。
愛知県大治町のピアゴ大治店へ出店(明日まで)している団子屋、えがしら堂のナベちゃんを尋ねました。

昨年11月に松本市の道の駅「今井恵みの里」で別れてから4ヶ月ぶりの再会となりましたが、相変わらず元気な顔と大きな声が聞けたことで元気をもらって帰宅しました。
もちろんえがしら堂の大福と安倍川餅も美味しくいただきました。

昨年 11月3日の一言


さて、本日は二日前(日曜日)に訪れた静岡日本平の東照宮と三保の松原を添付します。

春爛漫の道中

東照宮鳥居

参道

楼門

家康梅


鐘楼

本殿


家康公 御廟



境内

駿河湾

案内図


駿府城

駿府城大手門


マガモ

マガモと和船

動画


NHK大河ドラマ館



八千戈(やちほこ)神社


八千戈神社は静岡県静岡市葵区宮ケ崎町、静岡浅間神社の境内に鎮座している神社です。八千戈神社は徳川家康の念持仏、摩利支天像を安置するため創建されたのが始まりとされ当初は摩利支天社と称していました。家康死去後は幕府が庇護し社運も隆盛しましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令とその後の廃仏毀釈運動により、明治6年(1873)に摩利支天像が臨済寺に移し、代わって八千戈命他十八社十三柱の神々が勧請合祀され八千戈神社に改称しています。

三保の松原と冨士山

夕暮れの富士山

三保の松原の夕暮れ


 私自身の趣向もありますが、我が家より東方にある観光地へ行くためには、眩しい朝日へ向かって運転する必要があるため、どうしても朝日を受けて走り夕陽を受けて帰る西方向を目的地にしてしまいます。

そんな訳で久々の静岡方面行きとなりましたが、朝日旅行友の会の主催する日帰りバス旅行では何度も訪れた懐かしい場所でもありました。

しかし、新東名の開通によって車がスムーズに走行できるようになり、しかも大幅な時間短縮となっていたことから、かつてと比較して静岡市が随分と近く感じられました。

天候に恵まれれば三保の松原で夕暮れの富士山を眺め、その翌日早朝の日の出と輝く富士山を眺めてみたいものです。

リタイアした年金生活者になれば、一年中旅人になれると思っていましたが、4月からは上高地が開山となり、毎月四国遍路にも行きたいと叫ぶと「そんなに遊び呆けてどうするの」と家内の口癖が聞こえてきます。

リタイヤした年金受給者が何をしようと勝手とは思いますが、膠原病に罹患して高額な医療費と薬代がかかる役立たずのため、これからは家内のご機嫌をとっての旅立ちとなりそうです。

田沼意次と相良城址へ孫の家族と

開花した近所のさくらんぼの花

我が家の近所のさくらんぼの木が開花しており、例年通りだと10日ほど後には我が家のさくらんぼも花を咲かせるものと思われます。確実に春が近づいていることを実感させられます。

ここからは昨日の写真です。

岡崎サービスエリア 新東名高速道路

牧之原市資料館

静岡県牧之原市相良275−2

日曜日でしたが偶然休館していました

相良城址と田沼意次の銅像


平安時代末期から鎌倉時代初頭にかけて、相良庄の武士・地頭である相良氏肥後人吉城主の祖とされる)の館(相良館)が築かれていた。その後、遠江は天正年間に徳川家康の治めるところとなった。天正14年(1586年)、相良城は相良御殿とされ、徳川家康鷹狩りに用いられた。
近世の相良城は、明和4年(1767年)に田沼意次が築いたものである。相良城 - Wikipedia


田沼 意次(たぬま おきつぐ)は、江戸時代中期の旗本大名江戸幕府老中遠江相良藩の初代藩主(相良藩田沼家初代)。第9代将軍徳川家重と第10代家治の治世下で側用人と老中を兼任して幕政を主導し、この期間の通称である「田沼時代」に名前を残す。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 

 資料館のポスター


 牧之原市資料館へは随分と期待して訪れたものの、偶然にも休館日となっており入れませんでしたが、資料館の前で学識のあるご老人(ご同輩(笑))と出会い雑談に花を咲かせました。

表示されていたポスターを見ながら、テレビの剣客商売で田沼意次役を演じた平幹二朗さんの写真を引用したらもっと盛り上がるだろうと会話がはずみました。

偶然出会った初対面の方でしたが、このまま語り尽くしたい心境になったものの、娘や孫の家族に同行した旅行のため残念ながら話はここまでとなりました。

駿河湾とかすむ富士山

サーファーの姿も


焼津さかなセンター

 久しぶりです

 賑やかな入り口

 はい、ポーズ

 店内の様子

すごいぞ!! 

昼食場所 

孫と一緒です 

昨日の写真です


 昨日は孫たちと静岡までニッポン城めぐりのイベントに参加しました。

城とりのスタンプは車中からも可能ですが、できるだけ現地で車を降りて城が存在した当時の光景を思い浮かべながら回ることにしています。
この歳になって残りの寿命が限られていることから、少しでも孫と一緒に行動できることもこれまでの人生とは違う魅力がありますが、孫と一緒だと子供のような気分で行動ができました。

春が近づいていることを実感する静岡行きとなりました。

静岡へ城めぐり 徳川家康と駿府

駿府城



岡崎サービスエリア 新東名高速道路

牧之原資料館

田沼意次象

かすんではいますが正面は富士山

焼津さかなセンター

ヤッター!!

東照宮




駿河湾

駿府城大手門



どうする家康 NHK 大河ドラマ館

八千戈神社

三保の松原から見る富士山

三保の松原の夕暮れ

本日の写真です。

本日はニッポン城めぐりのイベントで、静岡県牧之原市から静岡市方面のお城を巡ってきました。

久しぶりに三保の松原から富士山を眺め、冬とは思えない温かい環境下で多くの城跡を巡り、徳川家康ゆかりの東照宮にも参拝してきました。

詳細は後日に添付します。

朝一番の診察と処方箋のメール発信で 中村日赤

 本日の夕暮れ 午後5時42分

名古屋第一赤十字病院 

 午前9時12分

 寒桜

完成間近の施設 

ナイチンゲール像と病棟 



 処方箋のメール発信


処方箋の撮影 



薬局 へ送信しました


 9時前に診察終了

 誰も居ない自動精算機

 9時10分に退出です

本日の写真です。


本日は名古屋市にある中村日赤の泌尿器科の診察でしたが、2番目の診察となったため9時前に診察が終わり、10時前には自宅へ帰ってきました。


2ヶ月前までは病院前の薬局で薬を処方されていましたが、待ち時間が1時間ほどかかっていたことと、スマホのバッテリー交換によってスマホ内にあったおくすり手帳のデータが全て消えてしまいました。


そんなことがあって、昔から利用している地元のかかりつけ薬局で全ての薬を受け取る事にして、病院内でスマホから処方箋を送信して帰宅後に薬を受け取ることにしました。


これによって病院からの帰宅が1時間短縮され、薬局に行くと薬が出来上がっています。便利な世の中になったものです。


そんな訳で午前中のボランティアにも少し役に立つことができました。


私自身の病状が安定して落ち着いていることもありますが、朝一番で中村日赤へ搬送する患者さんたちの診察が終わるのは昼を回りますが、主治医のご配慮によって朝一番診察のため、待ち時間が大幅に短縮されています。


さて、病気を持つ患者にとって厳冬期の通院は辛いものがありますが、添付したように寒桜が咲き誇り、暖かい日差しを感ずる春のような通院 ともなりました。このまま体調が安定してくれれば幸いです。


桑名市の聖天祭 大福田寺へ

大福田寺山門前の団子屋さん 


門前の団子屋さん 過去の一言です


 手水舎

真新しい鐘楼堂 

 本堂

聖天堂 

 聖天堂仏前

本堂の天井 に下がる瓢箪

本堂前の境内

昨日の写真です。

昨日は毎月一日に営まれている桑名聖天祭に訪れました。

大福田寺(だいふくでんじ)では毎月1日に午前10時頃より聖天堂にて護摩法要が行われますが、中村日赤の診察日だったことから11時に到着し、本堂のご本尊である阿弥陀如来と弘法大師に読経後、隣の聖天堂へ渡り廊下から渡ります。

聖天堂には聖天尊が奉られており、堂内の大黒天やお不動様に祈願して、出入り口に置いてある福袋をこれまで持っていた福袋と交換して参拝を終え、納経所前で護摩木に願い事を書き込みます。大福田寺の本堂や、聖天堂の天井は護摩を炊き上げた煤で真っ黒になっており、そのことからも多くの信者が参拝に訪れていることが判ります。

 ここからは大福田寺のフェースブックの写真です。

境内

本堂でのお勤め

聖天堂のお勤め

大福田寺のFacebook

毎月1日に門前へ出店している団子屋「朴乃木屋」さんは愛知県の業者で、9の付く日は名古屋市中村区の中村公園に出展しており、八事の興正寺や笠寺観音にも出店する名店ですが、来月の1日と2日は地元の犬山祭りに出店するためお休みとのことでした。

事務所の入り口にも貼りました


さて、添付したポスターは、来月2日に開催される火渡りまつりの案内ですが、一寺院の行事とは思えない桑名市の一大イベントと化しており、11月に参加した火渡り神事に感激したことから、今度は家内や知人を誘って訪れたいと思っています。

ギャラリー
  • ようこそ 大鹿一八の納経所へ
  • ようこそ 大鹿一八の納経所へ
  • 令和6年 上高地開山式の様子です
  • 三重県桑名市大福田寺の聖天祭へ
  • 毎年恒例となった我家のアンズジャム作りへ
  • 毎年恒例となった我家のアンズジャム作りへ
  • 本日もボランティアの一日となって
  • 我家のきゅうりとプランターのイチゴです
  • 我家のきゅうりとプランターのイチゴです
アーカイブ
  • ライブドアブログ