大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

2023年04月

我家のサクランボが熟してきました

 我が家のさくらんぼです







本日の写真です。

今年3月に開花したサクランボが赤くなってきました。

 2023年3月14日

 10年前にはさくらんぼ狩りに孫も来ていましたが、最近は鳥のギャング「ムクドリ」の貸切状態になっており、赤く熟す前に食べ尽くされてしまいます。


 2013年5月10日

2012年5月12日


 かつては赤く熟して 枝から垂れ下がっていたサクランボですが、最近は熟す前の黄色いサクランボのうちから ムクドリに食べられてしまい、我々が口にすることもなくなりました。


今年は 一度に暖かくなり サクランボもアンズも一緒に開花しましたが、十分に 熟する前に色づきを始めており、早々に 目の良い ムクドリ たちの標的になってしまったようです。


明後日から上高地へ行くことが決まっていますが、帰ってくる1週間後には サクランボが全てなくなっていると考えると寂しいものがあります。


愛知県北西部の城跡を目指して

 萬葉公園 一宮寺萩原町

 あやめ

 大伴家持


 萬葉公園は愛知県一宮市の公園で、大伴旅人や山上憶良など歌人が百人一首に残した短歌が、広い敷地に植えられた松や桜などとともに展示されています。


 公園内へ群生するたんぽぽ

 日本伝来のタンポポでした

 ニッポン城めぐりの攻略地図

愛知県西尾張地方にある城や城跡は全部攻略することができました。

 名鉄尾西線

川島ハナミズキ街道 

 木曽川を渡ります

 岐阜県 川島町へ


松倉城は岐阜県各務原市松倉町にある城跡で、天文元年(1532)に築城 されたお城です。

国営木曽三川公園 

フラワーパーク江南 愛知県江南市小杁町一色


 クリスタルフラワー

 館内

 遠景 名古屋方面

 公園内の花壇

 本日の写真です。

本日は 統一地方選挙の投票日だったため、家族で投票を済ませた午後からニッポン城めぐりで愛知県北西部に位置する城跡を目指して走りました。

道中の一宮市で万葉公園に立ち寄り、木曽川の左岸(愛知県側)に位置する岐阜県川島町の松倉城跡を攻略後に、国営木曽三川公園のフラワーパーク江南を訪れました。


さて、これからは愛知県の尾張東部や知多半島から、三河地方の城や城跡を回って行きたいと思っています。

ホームセンターで働くロボット

ホームセンターバローのロボット君


お客さんを避けて動きます

クレジットカードのPR中

また、やって来ました

よく働きます

本日の写真です。

ホームセンターバロー勝幡店の店内で、バローのLuVitクレジットカードの宣伝役としてパンフレットを乗せてスピーカーから放送しながら働いていたロボットです。

後ろ姿からお掃除用ロボットと思われますが、前方のお客さんを感知すると停止し、お客さんを避けて迂回していく姿は、ロボットと判っていても愛くるしいパンダの顔からペットのように意思を持っているかのようにも思われ見守って眺めてしまいます。

ロボットの時代とは判っていても、店員との会話がほとんど無い無機質なホームセンターでは、ロボットから聞こえてくる宣伝の声と、広い店内を休まずに動き回る姿につられてスマホの写真に収めていました。ロボットの登場にホッとさせられました。

本日の写真です

雲ひとつ無い上高地です

そして、早くもニリンソウが咲いています


引用元 Instagram  流山のおっさん


環境省のパークボランティアとして、本日上高地で活動している「流山のおっさん」が発信した穂高連邦とニリンソウの写真です。


雲ひとつない青空の上高地は珍しく、昨日は暖かかったと の話に行っておればよかったと思っても後の祭りです。


今年は3月に続いて 今月にも四国遍路へ出かけており、外出が続いたことで、上高地はゴールデンウィークまで お預けと決めていましたが、何よりも私の身体が寒い冬用に戻ることができません。


さて、写真にあるようにニリンソウの花が開花しており、そのことからも 今年は一気に 春がやってきたことを実感させられます。


そうなると 例年より早い花の開花が見られそうで期待が高まりますが、上高地のシーズンオフに出かけていた四国遍路にも熱が入っており、身体は一つしかないことから 贅沢な選択に悩まされる一年となりそうです。


2ヵ月ぶりの阿息観で健康を実感し

本日の夕暮れ

午後6時18分

時間が止まった鉛空


本日の写真です。

毎日5千歩をノルマにしていると、月曜日から金曜日まで2万5千歩になりますが、添付したように僅かに足りません。本日の愛知県は強風が吹いているだけでなく、黄砂によって鉛色の空のためか、不足分を歩く気力も湧いてきません。

本日21日は弘法大師の日で、真言宗のお寺では何かしらの行事が行われており、家内は津島市のお寺から名古屋市の会場まで弘法会の代表を移送しており、私は午後から町内のお寺で写経と阿息観に参加していました。

先月は四国を遍路中のため久しぶりの阿息観参加でしたが、3月に戴いた法螺貝の音が出ないため練習していた効果で以前より多くの空気を吸い込むことができ、腹式呼吸が安定して過去とは違う阿息観を実感させられました。

そんな法螺貝の話や、四国遍路の不思議な話に花を咲かせていると、時間の経過を完全に忘れており、電源を切ってあったスマホのスイッチを入れると、午前中に移送してあった福祉有償移送のお迎えの時間をすっかりと廻っていました。

ボランティアと言えども患者さんを移送しているため、お待たせすることは絶対に許されないものの、家内から鬼のように厳しい顔が想像できそうな電話が届き、慌ててお迎えに走って何とか取り繕った次第です。こんな失態は許されず、有償ボランティアではありますが、本日は無償の移送でお許しを得た次第です。

さて、膝が痛くて正座できない人も多く存在しますが、柔道整復師の息子から無理に座ろうとすると悪化すると言われていたものの、お寺の本堂で正座するために自己流ですが、クッションマットを利用して痛むことなく正座できる方法を見つけました。

ホラ貝フキおじさん

最近では何処のお寺でもイスが用意されており、お寺の住職もイスに座って読経されますが、善通寺や高野山では足を痛めている僧侶も正座されている姿と、阿息観に関してはイスでも良いと言われるものの、正座しないと効果を実感できません。

年寄りになっての法螺貝の手習いですが、法螺貝によって肺活量や呼吸が安定したことを実感し、イスではなく正座して本堂に座ることで、本日は昨年膠原病に罹患して以来身体の静養ばかり意識していた生活を見直せそうな気持になれました。

大鹿一八69歳。4年後の総選挙には73歳になりますが、8年ぶりにカムバックとなるような前向きな行動を心掛け、平成11年から掲げてきた「カムバック津島」の看板を今後も挙げ続けていきます。

本日はそんな気持ちになれるお寺行きとなりました。

かつて東洋一と宣伝していた天王川公園の藤棚

津島市天王川公園の藤棚








本日の写真です。

懐かしい人です


昔懐かしい「ホラ吹きオジサン」ではなく「ホラ貝吹きオジサン」提供の本日の天王川公園の藤棚です。

10日前に四国遍路から帰ってから、一週間前には同級生と滋賀県に出かけていたため、やり残していた雑用と身体の静養に心がけていると、今週月曜日に上高地へ入る釜トンネルが開通し、毎年参加してきた上高地のボランティアが週末から始まるものの、雑用すら済ませられない現状から今年の上高地行きは一週間遅れとなってしまいました。


本日添付した藤棚は、かつて「東洋一」と宣伝されていたものの、行政の財政不足が確実に影響して藤棚の長さが短くなり、枝に隙間が空いて青空が見えていますが、「あしかがフラワーパーク」や「はままつフラワーパーク」を視察して最高の藤棚を目指していた先人の努力が忘れられていると思うと寂しい現実です。


白馬から来た朴の木が花を咲かせて

我家の朴の木が開花しました

朴の木全景

新芽が出たばかりですが…

花を咲かせています

2階から見える花弁

本日の写真です。

朴の木は日本に自生する樹木では一番大きい最大級の葉と花を咲かせますが、最近になって新芽が出たばかりでまだ大きくなっていないものの、既に花を咲かせており、大きな葉に隠れて花が咲いているのも気づきませんでした。木の上に咲くので2階からしか花は拝めません。

  2020年5月6日

この朴の木は、

「平成14年の話となりますが、宿の裏庭(山)に生えていた朴の木をいただく約束から、自分で掘ろうとしていると、雨が降り続ける中をご主人がずぶ濡れになりながら、スコップで掘り起こしてくれた50センチ位だった幼木が、現在では私の事務所の2階の屋根を越えそうな大木に成長し今年は次々と花を咲かせ、新たに蕾も出ている事からしばらくは花が見られますが、ご主人が亡くなられた年に見事な花を咲かせた朴の木に丸山さんと何かの因縁を感じずにはいられません」と、過去のヤフーブログに書き残しておりました。


丸山さんは白馬の宿「ラベニュー栄」のご主人で13年前に他界されていますが、平成12年秋に初めて訪れてから仲間や旅行友の会のメンバーとマイクロバスで何度も訪れた宿で、「大鹿さん、今回はいくらで良いかな」と我々の支払う宿代まで心配されるようなお気に入りの宿にしていました。

77歳で亡くなられる前年まで現役のスキー選手で、地域の民生委員を務められるなど温厚な人格者でしたが、私が現在民生委員を拝命していることを考えると、生きておられれは体験談にも花が咲いたと思います。

我家には先祖伝来の樹木も多く、父親や横井庄一さんが祖母と一緒にタネを蒔いた「マキの木」なども残っていますが、私の植えた木々にも朴の木だけでなくアンズや四国椿堂さんから戴いた椿など、それぞれのイワレがあることを子供たちに伝えていく必要を本日の朴の木の花から実感させられました。

釜トンネルが開通して

本日の河童橋ライブカメラ

五千尺ホテル

本日の釜トンネル

大正池

上高地インフォメーション発信の写真を引用しました。

コロナ禍によって制約のあった上高地行きが今年は平常どおりとなり、本日釜トンネルが開通し27日には開山祭が行われる予定ですが、私の上高地行きはゴールデンウィークまでお預けとなり、河童橋ライブカメラと上高地インフォメーションが発信するフェースブックを楽しみにする日々が続きます。

ここからは過去に発信した私の一言です。

新型コロナの感染拡大によって3年間中止されていた開山祭が今年は実施されます。



山の日が制定されて初めての信州四方山祭りが開催されました。女湯の小林綾子さんが気軽にカメラへ応じてくれました。



今年は毎月訪れることを目標にしていますが、年々低下する体力と体調を考えると天候に恵まれることを祈るしかありません。


大鹿のルーツとなる鈴鹿市の大鹿三宅神社へ

大鹿三宅神社

三重県鈴鹿市池田町14

石標

鳥居

境内

拝殿

本殿


今から20年ほど前に、伊勢の古族大鹿氏と由縁のある古墳とともに散在する大鹿三宅神社を訪れており、昨日はそれ以来となる訪問となりましたが、ネット上で表示される「大鹿三宅神社」に到着したものの、以前に訪れた場所とは全く違っていました。
  

それでも、正真正銘の大鹿三宅神社ではありましたが、20年前に訪れた場所を探して再度ネット検索すると、鈴鹿市国府町の三宅神社が表示され、「国府」ということで椿大神社から走ってきた道を戻って三宅神社へ走りました。


三宅神社

三重県鈴鹿市国府町1609

三宅神社の神額

境内

本殿

山ノ神

拝殿



ただし、ここも以前訪れた「大鹿三宅神社」ではありませんでした。


神館神明社

三重県鈴鹿市神戸町2-18-30

鳥居

拝殿

本殿

昨日の写真です。

そんな訳で3ヶ所目に訪れた神館神明社は、大鹿の大の字も判らない神社だったため、周りのお寺をまわり、神社の隣にお住まいのご夫人に連絡を取ってもらい確認すると、かつての十日市町にあった「大鹿三宅神社」をここにまとめて合祀した神社とわかりました。

こうなると20年前に訪れた大鹿三宅神社が何処に存在するか全く判らなくなり、再度鈴鹿市を訪れて大鹿(おおか)氏の基本から調べることにしました。

「大鹿は三宅から来た」という伝承と、私の住む津島市の下切町に現存する「大鹿」家に残された、古に現在の鈴鹿地方から海路で津島市に来たと記された古文書から、現在の鈴鹿市にある三宅町周辺から来たと考えるのが自然で、ここに存在する三宅神社が20年前に訪れた場所であることを祈るばかりです。

「三宅」とは古代朝廷の直轄地である「屯田(みやけ)」に由来すると見られ、鈴鹿市三宅町の方が鈴鹿の屯倉および式内社「三宅神社」の所在としては妥当と思われます。

一方で、四日市市に近い鈴鹿市の国分町にある伊勢国分寺跡や、木田町には大鹿山1号墳や古墳群とともに鈴鹿市考古博物館が存在するため、今から千五百年以上前の古族大鹿氏や、第30代敏達天皇の孫で大鹿の血脈となる舒明天皇や天智天皇の時代から勉強しなおす必要も実感させられました。

大鹿のルーツを調べている人が、現地に問い合わせると「愛知県の大鹿さんが詳しい」と言われて全国から連絡を受けていた時期もありましたが、私の発信した「大鹿一族の歴史探訪」は最近全く更新されておらず、私自身も過去の記憶は全く喪失してしまいました。

  

一方では、かつては皇學館大学だけと思っていた伊勢大鹿氏の研究も、各地の大学関係者や鈴鹿市の考古博物館など研究者によって大鹿廃寺や古墳が調査されており、これからは鈴鹿市へ足を運んで伊勢の大鹿氏の全体像を勉強したいと思います。


また、一時は全国で活躍される大鹿さんとの交流も心がけていましたが、複数の先輩たちが鬼籍に入ってしまわれ、新たに活躍される大鹿さんの存在も把握していきたいと思います。


鈴鹿市の椿大神社から大鹿三宅神社を探して

麓の大鳥居
椿大神社 三重県鈴鹿市山本町字御旅1871

一の鳥居

手水舎

神前挙式の御一行様

初々しい新郎新婦

次の鳥居

その次の鳥居

大杉に囲まれた参道

最後の鳥居

拝殿

外拝殿

鉄砲柱

おみくじ掛け

案内板

椿岸神社

夫婦輪石

金龍明神の瀧

茶室鈴松庵

さざれ石

行満堂神霊殿

行満堂本殿

弓道場

遠景

五輪塔(ぐりんさん)

延命地蔵堂

行満堂入口

鈴鹿の茶畑

本日の写真です。

本日は三重県鈴鹿市にある椿大神社(つばきおおかみやしろ)を訪れました。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
社伝によれば、垂仁天皇27年、倭姫命に下った神託により、猿田彦大神の墳墓の近くに「道別大神の社」として社殿が造営されたのを創始とする。社伝によれば、猿田彦大神の末裔の行満大明神は修験道開祖であり、役行者を導いたとのことで、中世には修験神道の中心地となった。なお、現宮司は、行満大明神の末裔であるという。猿田彦大本宮とも呼ばれる。猿田彦大神を祀る神社の総本社とされる。

本日の主目的は椿大神社ではなく、大鹿一族発祥の地とされる鈴鹿市の大鹿三宅神社で、今から20年ほど前に訪れていますが、最近になって大鹿一族に関する問い合わせが複数あったものの、最近は運営する「大鹿一族の歴史探訪」も眠らせたままになっていました。

  私のHPです

椿大神社の後で訪れた大鹿三宅神社は、およそ20年ほど前に訪れた場所とは大きく離れており、住宅地で規模も小さい神社だったため、再度ネット検索して別の場所にある三宅神社を訪れたものの、こことは違うため更にネット検索して3ヶ所目の神社を訪ねました。ここも大鹿由縁ではあるものの、20年前に訪れた大鹿神社とは違いました。


さて、20年前に訪れた大鹿三宅神社は何処にあるのでしょうか?


顛末は明日以降に転載したいと思います。


2年で育ったパイナップル

かなり実が詰まってきました

本日の写真です。
4月1日のパイナップル

4月1日のパイナップル ↓↑

3月6日のパイナップル ↓


2年前に挿し木したパイナップルが、肉厚になってきました。一ヶ月前にはまだとんがっていた果実が最近では四角くなり、いよいよ黄色く熟してくると収穫となります。

  令和5年2月15日の一言

最初に挿し木をスタートしてからのブログと写真です。


 21年6月

コップに入れました 

21年6月20日

発根しました 

 21年7月6日



さて、ネットでもパイナップルの挿し木について写真つきで発信されていますが、簡単に見える挿し木も失敗する人は多く、私自身も過去に何度も挿し木に挑戦したものの、一度として成功したことはありませんでした。


今回の挿し木については、ホームセンターで購入した発根促進剤にパイナップルの茎を1時間ほど漬け、その後はコーヒーカップの水の中で発根するまで待ち、十分な発根を確認してから鹿沼土と赤玉土を入れた植木鉢に移しました。


これまでパイナップルを土に挿して挑戦して失敗してきましたが、土に挿すと発根しているかどうかが判らず、これまでは茎が腐って失敗しているため、発根が確認できるコップの水の方が確実と思われます。


一方で、これまでは普通の庭や畑の土に挿し木していましたが、発根後は水はけの良い鹿沼土や赤玉土を使用しないと腐ってしまうと思われます。


 21年10月2日

 22年6月25日

 23年1月23日

23年1月23日


 23年1月25日


 2月15日のパイナップル


さて、パイナップルは葉の先が鋭く尖っているため、私は先にビニールテープを貼って刺さらないようにしましたが、大きくなるので先を切った方が安全で、11月から4月は温かい部屋で観葉植物として育てました。
3年は覚悟していましたが、予定より早い2年で熟す姿が見られそうになってきましたが、このままゆっくりと熟して、このままの姿を見続けたいと思います。

四国遍路は人と人とをつなぎます

愛知県社会福祉会館

名古屋市中区白壁一丁目50番地


目的地は四階愛知県社会福祉協議会総務部です

見事な玄関屋根

ジャン・アンリ―・デュナン像

国際赤十字社のルーツ


「すっかりと忘れていました」
    「今年はお見かけしないと思っていました」
「済ませたと勘違いしており…」

本日は膠原病の診察日のため名古屋市の中村日赤を訪れましたが、昨日になって「赤十字」つながりで今年のボランティア保険の申請を済ませていないことが判り、東区にある愛知県白壁庁舎を訪れることになりました。

ただし、本日は津島市の民生児童委員協議会の総会が開催されており、月曜日に四国遍路から帰り慌ただしさの中で欠席の連絡を入れ忘れており、朝一番で連絡する予定も完全に忘れており、白壁庁舎の看板に愛知県民生児童委員連盟の名前を見つけて忘れていたことが判ったのは午前11時を廻っていました。完全なる無断欠席です。


本日の写真です


さて、昨日の一言に善通寺の四国フォト広瀬さんから手紙が届いていたことを記しましたが、本日は善通寺の前法主樫原禅澄さんから手紙が届き、帰ったばかりですが四国が恋しく感じられるとともに、四国が身近に感じられる一日ともなりました。

多くの人と出会う中でも、お二人とは随分と気が合うと言うのか、利害関係の無い人と人とのつながりは出会いの第一印象やイメージが重要で、偶然とは思えない神がかり的な大きな出会いの設定ルールに合致しないとすれ違っていきます。


3日前に薬王寺の納経所で出会った、電動バイク旅の出川さんや森三中の村上さんとの出会いについても、多くのお遍路がいる中で、あと10秒遅ければ出会うこともなく、1分早くても先に朱印を済ませて立ち去っており、会う運命にあったとしか思えません。

そうやって考えていくと、四国で多くのお遍路と行き交う中で、ほとんどの人とは挨拶程度で声をかけることもなく、話し込むだけでなくその後も行き来が続く人間関係には偶然とは言っても、相性と言うか何か因縁めいた気がしてきます。

昨年から出会ってから交流が続くようになった知人も複数存在しますが、先月のお遍路で出会った今治市の英語教師ピーターさんについても、焼山寺で偶然の接触が3度続き、二度と会うこともないと思って別れてから四度目の遭遇がありました。


英語ができない私との会話も、車のジェット巡拝中の私にピーターさんの自転車が追いつくはずもなく、3時間後にピーターさんが3ヶ寺を後回しにして4ヶ寺先のお寺を直接目的にして走っていたことから奇跡の再会となりました。

3月に愛媛県第39番延光寺で出会ったFさん

四日市市のFさん


四日市市一心寺の法螺貝の修験者


Fさんから戴いた法螺貝


同じく先月出会った三重県四日市市のFさんについても、年齢も親子ほど離れており、何故に会話が始まったか判りませんが、5ヶ寺だけの同行の中で、偶然にも我家から近い四日市市の方であったことや、私が10年以上前に法螺貝に興味があったことから地元での再会を約束しました。

四国から帰って再会した四日市市の一心寺では、「音が出なかったから諦めた」と語っていた私に、高価となる本格的な法螺貝まで頂くことになり、私が身勝手に訪れたお寺のご住職から御礼まで言われると絶対に大切にしたい人間関係となりました。

こんなお遍路を通した人間関係が、身体にガタが出てきた年寄りにも大きな力になることは間違いがなく、「年寄りになってからどうしてそんなに親しい友達ができるの」と周りから言われますが、四国に限らず上高地でも親しい出会いが続いています。

「先生の転勤はありませんか?」
    「2年位は無いと思うけど、どうして?」
「居なくなると心が折れそうだから…」
    「ありがとう、そう言ってくれて…」

本日の中村日赤の主治医との会話ですが、膠原病に罹患した年寄りにとっては、「身体の不調時は何でも僕に電話してきて」と言ってくれた医師は仏様か神様のような存在であり、こんな信頼関係が一年でも永く続いて欲しいと思っています。

車中泊の3日間 四国遍路の記録

地元のマック駐車場へ

留守中に届いていた手紙

昨日善通寺で話をしていた広瀬さん


昨日の四国遍路で雑談に花を咲かせていた 四国フォト広瀬さんからの手紙が我が家のポストに届いていました。

私が 四国遍路に出向いてから届いた手紙ですが、昨日では手紙が届いていることもわからず 話をしたばんりで、こんなニア ミスが広瀬さんとはよくあるんですね。

本日からは日常の生活に戻りました。

 ここからは8日(土)から10日(月)までの記録です。

8日(土)午前6時 神戸淡路鳴門道淡路島南PA

約3時間の仮眠でした

第9番法輪寺の猫 午前10時27分

第11番藤井寺の藤 午前11時42分


8日は湯処あらたえ小松島店で入浴後に道の駅「公方の郷なかがわ」で車中泊

ここからは9日(日)の写真です。

道の駅公方の郷なかがわ 9日(日)午前6時5分

徳島県阿南市那賀川町工地803

トラックがいないので静かな環境で眠れます

日中の買い物も魅力ある道の駅です

車中からの景色 午前6時55分

薬王寺で出川さんと村上さんに囲まれて 午前11時19分


高知県室戸の海岸 午後1時55分

高知黒潮ホテル 

高知県香南市野市町東野1630

午後5時41分


ここからは10日(月)の写真です。

道の駅南国風良里 午前6時32分

高知県南国市左右山 102-1


善通寺市熊岡菓子店

善通寺市善通寺町3-4-11

 名物かたパン

第75番善通寺に隣接

 八十場の清水屋 午後1時58分
香川県坂出市西庄町 759-1

名物ところてん

第82番根香寺 午後3時5分

(休憩)高松自動車道津田の松原SA 午後6時6分

明石海峡大橋 10日(月)午後8時44分

淡路SA(上り)の観覧車

 上りのオープンスペースから

観覧車は下り線


 3月の2週間前にも、車中泊7日間の四国遍路を体験してきたばかりですが、四国は日帰り温泉や入浴施設と道の駅やコンビニの距離も近く、車中泊の四国遍路には便利な環境が整っています。

  3月25日の一言




車中泊による四国遍路は、明るくなれば自然と目が覚めるため、朝7時から開くお寺の納経所に確実に到着でき、午後5時まで巡拝した直後に入浴施設が存在することから快適なお遍路となります。


またコンビニの中でも「ローソン」は wi-fi 環境が良好なことから、道の駅の微弱な wi-fi 環境よりも快適なブログや Facebook の発信が可能で、今回は自炊はせずにコンビニ弁当や飲食店を多用してしまいました。


もっとも、今回はギガ数無制限のスマホを利用したため、時間が大幅に短縮されました。


予約した宿を中心に巡拝スケジュールを立てたり、現地で宿を探す苦労もなく、私自身は車中泊に勝るお遍路は考えられなくなりました。


上高地の開山式が近づいて

本日の上高地河童橋 五千尺ホテルライブカメラ


第53回上高地開山祭 令和5年4月27日(木) 午前10時50分
    ※ 上高地へは4月17日より入れます。


3年前から新型コロナウイルス感染拡大によって中止されていた上高地開山式が今年は例年通りに開催されることになり、ぜひとも一緒に連れて行って欲しいとの連絡をいただきましたが、翌日が日赤の通院日となっているばかりか、当日にも早々の予定が入っており残念ながら行くことができません。


2019年4月27日の一言

この日は雪の開山式となり、午後には吹雪の上高地となりました。


以前なら4月27日は確実に開山式参加の予定となっていましたが、膠原病となった私自身の診察が最優先となっており、四国遍路も巡拝を増やしている中では我慢するしかありません。

明日(今晩)から3日間はその四国遍路で徳島県を巡拝する予定ですが、来週は日帰りながら2ヶ所の遠方まで出かける予定を勝手に立てており、ゴールデンウィークも上高地に滞在する予定のため、久しぶりとなる開山式も我慢しないと家族の理解を得られません。

残念ながら今年の開山式はパソコンのライブカメラを視聴することになります。

久しぶりのウォーキングへ

畑の菜の花

レンゲソウ

シロツメグサ

タンポポ

裏庭の花々

本日の写真です。

先月訪れた四国遍路の6日目となる3月23日の朝に、マックの店頭前で転倒した際に右膝を痛めました。

幸いなことに歩くには何の支障もなかったため無事に遍路を結願したものの、正座をすると右膝が痛むため、しばらくは歩いての外出を控えていました。

しかし、週末に再度四国遍路へ出かけるため、身体のウォーミングアップを兼ねて本日は家内とマックまで歩きました。

わずか10日間のブランクですが 、道端に咲く花々や 畑の景色が全く変化しており、通り過ぎる用水にも小魚や亀が活き活きと 動いています。

 かつては一日一万歩を目標に歩いていましたが、昨年膠原病に罹患したことから現在は一日五千歩が目標になっているもののそれすら達成できない日々が続いています。

ただし、今月から開山となる上高地では一日2万歩は歩くことになり、車遍路とはいえ四国でも一日一万歩は歩くことになっていきます。

これからは私の身体が続くかどうかが課題となっていきます。

我家に伝承する花々が花を咲かせて

本日の君子ラン


2020年4月8日の一言 

我が家の君子蘭は、平成16年に亡くなられた水野静江さんから頂いた花で、年々株を増やして毎年花を咲かせてくれます。


 そして花が咲くたびに故人を思い浮かべることになります。

ハナニラ


 この花は、昭和60年頃に朝日新聞社のフレンドアサヒの読者サービスで応募されたご愛読者に配布されたものです。

球根だけでなく種からも増えるため、我が家から飛んで行ったタネから、隣のお寺の垣根にも群生して花を咲かせています。

事務所横のまさき

まさき


 我が家のまさきは私の父親が1本だけ 挿し木していたものが現在も残り、そして次の世代へ子供を増やしていきます。

ハナズオウ(花蘇芳)


 この木も父親が庭に植えたもので、名前すら判らないような存在ですが、毎年可憐な花を咲かせてくれます。

シャガ

 私の子供の頃から裏庭に花を咲かせていたシャガの花です。

家内が玄関に置いた花です 

このチューリップも朝日新聞社の読者サービスで来た花です 


 自宅前の道路にも増殖中です

我家のブルーベリーの花

本日の写真です。

ブルーベリーの木が多くの花を咲かせていますが、先月花を咲かせたサクランボが間もなく赤くなり、その後は大きなアンズの実も熟してきます。

我が家には先祖伝来の樹木や、父親が植えた木や花が残されていますが、父親が亡くなった平成5年からすでに30年が経過しており、私が植えたアンズやアキニレの大木などで庭は満杯となっており、プランターで子孫へ継承している花々も 置き場所に困るようになってきました。

それぞれの樹木や花々にはそれぞれの由縁があり、庭に眠る我が家のペットたちと共に 説明書きを残していく必要を感じさせられます。

人間だけでなく 草花や 樹木の血脈も考えて子孫へ 継承していって欲しいものです。

法螺貝の音がやっと鳴りました

日曜日に戴いた法螺貝

立派な法螺貝です

本日の写真です。

日曜日に訪れた四日市市の一心寺で、3月20日に四国遍路で出会ったFさんから法螺貝を戴くことになり、昨日から練習を始めて思い通りではないものの、やっと音が出るようになりました。

今から10年程前に法螺貝を購入するため遠方のお店を訪ねたこともありましたが、試験的に吹いてみたものの音が出ず、練習する機会や場所もないことと、上高地のボランティアに参加するようになったため自分とは無縁の物と思っていました。

3月に出会ったFさんの法螺貝を吹く姿を撮影させてもらい、四国遍路やお寺について雑談に花を咲かせていると、Fさんは我家から近い三重県四日市市の人物と判り、5ヶ寺ほど同行して参拝するなかで、「法螺貝をあげますよ」と言われました。

自分の69歳という年齢や、昨年罹患した膠原病と共有する身体を考えて固辞したものの、「やりたかったならやった方が良い」と言われ、練習には付き合ってもらう心づもりはあったものの、早速持参して手渡されるとは思ってもいませんでした。

そんな展開から、少しでも早く吹けるようにと昨日から練習を開始したものの、「うるさい」とか「気味が悪い」と家族からは悪評ですが、息子の仕事が休診となる午後に事務所で練習することにしました。現実には15分も吹き続けると汗が出て限界になります。しばらくは一日30分程度の練習を続けていきます。

四日市市の一心寺で吹かれた法螺貝  4月2日

Fさんはサラリーマンですが、一心寺で得度を受け四国遍路や大峯山の山岳修行を行う修験者で、とても足元にも及びませんが、何とか3年後には四国遍路で法螺貝を奏でられることを目標にして、少しでも早く法螺貝を持参する巡礼を体感したいと考えています。

3月の四国遍路では、Fさんや今治市の英語教師ピーターさんと偶然とは思えない出会いを体験し、私自身が人と出会うことで何らかのお役に立てる精進を心掛けたいと思っています。

三重県四日市市の一心寺 春の大祭

大法院一心寺 

三重県四日市市笹川一丁目156

 客殿へ僧侶が入場です

 桜が満開です

 花まつりの幟

 次々の参拝者が続きます

 釈迦誕生仏への参拝です

 甘茶供養

 元清水寺貫首の揮毫の書です

 金亀岩

 案内板

 火渡り式前の境内

 まずは魔を退ける法螺貝から

 太鼓

 僧侶を御詠歌でお迎え

 大祭法要中

僧侶のご法話 

 僧侶退場

 本堂と廻向堂

 お不動様

 役小角像

ここからは火渡りです





昨日の写真です。

 最近では御朱印ブームで若い人たちがお寺に列をなしたり、朱印が目的の四国遍路の姿も目にしますが、昨日 訪れた一心寺には熱心な信者や一般参拝者が本堂を埋め尽くしていました。

ご本尊が不動明王のためか 熱心な信者が多数存在し、法要中には雑談もなく、お寺で開催されている御詠歌の会や写経会に参加される人々と、山岳信仰である大峰山の修験者の壮烈な法螺貝の音色に圧倒される参拝となりました。

 一方でお寺の墓じまいとか檀家離れが社会的な話題となりますが、先祖供養や葬式だけを生業とするお寺と違い、真言密教では自分自身を見つめ直したり、個人的な祈願を目的とする参拝が多いためか、昨日 訪れた一心寺からもその熱気を実感させられました。


自分のご先祖や親族の供養も大切とは思いますが、弘法大師空海が目標とした生きたまま仏になる 「即身成仏」に間違いがないことを実感させられる 四日市行きと なりました。


聖天祭に三重県桑名市へ

三重県木曽岬町の桜並木

三重県桑名駅北側

大福田寺

山門前の出店

山門

鐘楼堂前

明日用のテント

境内

本堂

弘法大師

写真展

ご本尊前

聖天堂山門

聖天堂前の参道

明日の火渡り祭の準備中

火床つくり

祈願された護摩木です

明日の準備です

駐車場

桜と日の丸

お地蔵様

本日の写真です。

三重県桑名市の大福田寺(だいふくでんじ)で催された桑名聖天祭に行ってきました。

昨年9月に初めて大福田寺を訪れましたが、それ以来毎月1日は桑名へ走るようになりました。

本堂でご本尊の阿弥陀如来に手を合わせ、その隣に鎮座される弘法大師に読経し、文殊菩薩や観世音菩薩の真言をあげ、聖天堂で聖天様とお不動様に真言をあげます。

そして聖天堂にある福袋を新しい福袋と交換後に、納経所前で護摩木に名前と願い事を記入して参拝を終えました。
ちなみに 本日書き込んだ護摩木は明日お焚き上げになるとの話でした。

私の住む愛知県津島市にも多くのお寺があり、津島霊場会なる組織も運営されていますが、残念ながら参拝者が日常的に参拝する寺院は存在せず、ましてや 護摩木を日常的に焚き上げるお寺はありません。

明日開催される桑名火渡りまつりは、多くの参拝者が書き込んだ護摩木が焚き上げられ、桑名市内を稚児行列も練り歩きます。

私も参加予定でしたが、四国遍路で出会った知人に案内された四日市市の一心寺において開催される「火生三昧」(火渡り)に参加することになりました。

一心寺では明日午前10時より本堂にて大祭法要が厳修され、午後は境内にて柴燈護摩供を厳修し、火生三昧(火渡り)が行われます。

ギャラリー
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