2023年06月
三宝荒神社へ 金剛峯寺の西隣です
高野山の荒神様
朝一番の参拝
高野山入口 女人堂前
護摩祈祷の案内
日曜日の写真です。
志賀弘法会はメンバーが高齢化していますが、高野山参拝の前には必ず慈尊院を訪れ、金剛峯寺と奥之院のほかに、添付した三宝荒神社と女人堂、波切不動尊へは必ず立ち寄って参拝してきました。
かつては大所帯で八十年以上の歴史を重ねてきましたが、最近は高齢化だけでなく車イスも必要になり、今回の高野山は2台の車イスと同行する参拝となっており、運転手の私だけでなく家内の介助も必要になってきました。
四国遍路も参拝時は午前中は何も口に入れてはならず、帰宅する最終日の午後にならないと買い食いやお土産も購入できない厳しい巡礼でしたが、最近は私が良いと言えば代表から許しがでるようになりました。
そんな訳で、奥の院一の橋にある「あゝ同期の桜」の塔に立ち寄り、私個人が尊敬する鶴田浩二さんのお墓に参拝する間も全員で待っていただけるようになり、志賀弘法会の高野山の巡拝日程にも入っています。
時々ですが参拝中に、高野山を案内するガイドさんから「この奥に鶴田浩二の墓があります」との声が聞こえることがありますが、敬称の有無は別にしても、お墓は指さすものではなく手を合わせるもののため、せめて「合掌」でも薦めて欲しいものです。
奥の院には戦国武将から有名人のお墓も奉られていますが、「織田信長の墓」とか「上杉謙信」と敬称もなく呼び捨てにされるのを耳にすると、慰霊のために建てられた先人のお墓がないがしろにされているようで一抹の寂しさを感じさせられます。
明日は金堂で催されていた弘法大師生誕1250年法会や、壇上伽藍、御社、六角経蔵、宝亀院の参拝を貼付する予定です。
2022年12月22日の一言
コロナ禍で2年ぶりとなる志賀弘法会の高野山でしたが、車イスが2台必要となり奥之院の駐車場から参道を押していくことが困難になったため、宿泊場所となる総持院さんのご配慮によって、奥之院納経所横に車を停めることができました。
2021年11月22日の一言
「ここは撮影禁止なんですよ」と言っても、無視して御廟橋の奥でカメラを構える観光客と、注意もしない旅行社の先導役に、世界文化遺産になりコロナが沈静化して参拝客は増えたものの、燈籠堂奥の大師御廟前にも参拝しない物見遊山の観光客が増え、読経中の参拝客の横で遠くから神社のように投げられる賽銭が音を立てます。
志賀弘法会では数十年前から御廟前で豆を持って7回往復して参拝してきましたが、観光客の多さから高齢のメンバーでは危険なため今年は断念しました。ましてや、参拝目的でない団体の観光客と遭遇すると車イスは御廟前に行くことも困難となります。
宗努所へ
高野山は土曜日と日曜日に参拝を続けましたが、奈良県内で京奈和道路の整備が進捗したため、愛知県から大幅に時間短縮ができたことと、今回は奥之院の奥まで入れたことで参拝にかかる時間も大幅に短縮されました。
高齢のメンバーで、2台の車イスと同行する高野山ですが、納経所の温かい対応や案内によって日曜日は1250年を記念する法会の僧侶の行列も見物でき、総持院のスタッフの協力によって観光客では判らない名所まで足を延ばすことができました。
昨日の様子は明日に貼付します。
名古屋第一赤十字病院 中村日赤
「痛みは無いけど尿路結石のようです」
「内視鏡で診てみましょう」
「えっ、今からですか…」
「あったら取った方が安心でしょう」
9時から余裕の診察だったものの、急遽処置室で検査を受けることになり、結石が外来で対応できる大きさより大きかったため、無理すれば取れそうな雰囲気でしたが、万が一の痛みを考えて改めて手術で取りだすことになり、2週間後に入院することが簡単に決まりました。
医師の話では太い内視鏡で外来でも処置できそうな雰囲気でしたが、「痛いのは嫌でしょう」の一言に、手術の前日入院して手術の翌日に退院する予定で7月5日の入院が決まりました。
これからが大変です。入院前検査で血液の採血と心電図、レントゲン検査があり、その合間に入院手続きと、看護師さんと薬剤師さんの説明と案内があり、普段は10時には自宅に帰っているものの、本日は昼を過ぎても帰れないばかりか、予定しない検査で支払い金額も心配になる通院となりました(笑)
「経尿道的膀胱結石摘出術」は2年前にも受けていますが、身体に傷は残らないものの、下半身麻酔で生々しい手術室の様子が判るため、痛みよりも手術の怖さとその日までのストレスは大きく、ガンとか心臓や脳内の重大な手術ではないものの、手術の2日後に予定していた上高地行きは文句無く断念となりました。
さて、70歳を前にして病院への通院が必須となっており、上高地や四国遍路に行くために健康管理をしているような状態ですが、私よりも体調が悪いのに診察も受けていない知人が存在することを考えると、何か異変が起きるか痛くなるまで病院へ行かないくらいの性格になれたらとも思う一日ともなりました。
さて、明日から2日間は久しぶりとなる志賀弘法会のメンバー10人との高野山行きとなりますが、メンバー全員が重篤な病気か高齢者ばかりのため、私の身体の心配をかけ私への加持祈祷になってしまうのを避けるため元気印で旅立ちたいと思います。
最近のクマ目撃情報
小梨平キャンプ場へ
2020年8月9日の一言
三年前の8月に上高地の小梨平キャンプ場でクマによる人的被害が起こり、小梨平キャンプ場周辺のササが刈り取られ景色も一変してしまいました。
三年前の事故についても、元々は県外へ出てはならない外出自粛中の東京都の女性がテントに匂いがする食料を持ち込んでいたことが原因で、これまでクマの人的被害の無かった上高地はこれによりキャンプ場は休止となりました。
日曜日は偶然にも取材を受ける野生動物香取専門官と出合い、取材する記者が元朝日新聞社の山岳専門記者だったことから、ずうずうしくも同行させてもらいました。
三年前の事故当日も現場近くにおり、事故後の対応も見てきたわけですが、外から見ただけでは判らないキャンプ場内で改善された対策を細かく聞くことができ、クマの生息地である上高地へ人が入っていくという現実を改めて実感させられました。
もっとも、上高地で半年間テントを張ってきたホームレス画伯こと渡辺さんは、一度もクマの脅威を感じないままに生活しており、適切な行動によってクマの被害に遭わない対応が重要です。
現実には三年前の事故によって、それまでのように家族とテントを張って楽しむ気分にはなれませんが、人の居ない離れた場所へ一人だけでテントを張っている人を見ると、クマの被害を起こさないため観光客への啓蒙の重要性を実感させられる同行となりました。
大胆に刈り取られたササ原によって、小梨平の風景は変わってしまいましたが、キャンプ場で実施されていた細かいクマ対策を聞くことができ安心感も実感させられました。
水の美しい梓川 河童橋と穂高連邦
岳沢湿原の水
小梨平を流れる中川
明神館近くの水
一年を通じて約6度の水温
上高地を訪れる観光客の多くは透き通る梓川の水に感動させられますが、上高地で一番綺麗な水は清水橋の下を流れる清水川で、六百山から湧き出した水が毎秒1トン流れ、一年を通じて約6度の水温は夏に涼しく冬でも凍りません。
2022年8月17日の一言
そして、上高地の帝国ホテルや各施設の飲料水は清水川の水が利用されており、六百山から湧き出してわずか300メートルで梓川と合流するため、清水橋で飲む水は安全と言われており、私も過去から現在まで何度も口にしてきました。
「清水川の水は安全ですね」
「飲んではいけないよ」
「えっ、飲んでも大丈夫でしょ?」
「良いとは思うけど、もっと綺麗な水があるよ」
これは日曜日にボランティアの先輩との会話です。
そして、一番綺麗だと言われた場所が下記に添付した場所です。
現在地は河童橋の近く
添付した場所は、河童橋からバスターミナル方向へ30メートル歩いた場所で、特別名勝天然記念物の碑の道路沿いに湧き出る水路で、近くに公共トイレが存在するため排水路のようでイメージは悪いものの、確かに山から湧き出てくる湧き水でした。
わずか湧き出して300メートルでも清水川にはマガモが泳いでいたりニホンザルも生息しているため、100パーセント安全とは言えませんが、ここから汲んできた水を飲み忘れていたことがあり、半年後に飲んでも何も体調異常は起こりませんでした。
かつて、小梨平から明神まで梓川左岸側に湧き出ている水を飲んで、「美味しい」と感じたことがありますが、その場所が何処だったか思い出せないため、今年は上高地から湧き出る美味しい水を探してみたいと思っています。
新宿行きの高速バス 停留所
奈良井大橋
ダイナミックです
大橋東側
奈良井川 上流木曽方面
昨日の写真です。
5月31日に記した奈良井宿の一言
先月上高地の帰り道に訪れた奈良井宿ですが、昨日は展示保存されているSLを国道19号線から道の駅奈良井木曽の大橋から奈良井川を渡って訪れました。
観光地である奈良井宿は中仙道を行き来した江戸時代までタイムスリップしたような感覚に浸れる宿場ですが、 その裏側でごく普通に生活する 地元の人たちの生活を垣間見ることもできました。
奈良井宿に展示 保存されている 蒸気機関車の横を走るJR中央本線を、長野行きのワイドビューしなのや、中津川行き普通列車が音を立てて走っていくことにも時代を感じさせられます。
個人的には 奈良井宿と薮原の宿場をつなぐ 鳥居峠へ行きたいものの、車の通行が禁止されており歩いて行くことはできても時間の余裕がない 生活が残念です。
2日前に家族で食したパイナップルのヘタの部分を、本日は2年前と同じコーヒーカップの中に入れて、挿し木にするための発根を待ちます。
2年前にスーパーで購入したパイナップルは食べられる代物ではなく、収穫から日数が経過して葉の先が枯れかかっていましたが、その子供にあたる2年後のパイナップルは親よりも大きく甘くなり、葉の先も青々としています。
過去に何度も失敗したパイナップルの挿し木も、直接土に挿さず水の中で発根したのを確認してから植えると成功する可能性が高く、植えつける土に水はけの良い鹿沼土や赤玉土を混ぜ、冬は温かい室内に入れると大きく成長して実をつけます。
もっとも1回だけの成功例ですから、本日からまた2年か3年先の結実を目標にしていますが、収穫後の親株の葉の脇から生えるくるる吸芽(きゅうが)も次の果実を成らせることができるので、しばらくは親株の成長にも期待しています。
ただし、パイナップルは葉(冠芽・かんが)が尖っており、大きく成長すると通るたびに突き刺さって痛いため、置く場所も考えると大きなスペースが必要となります。
昨日のパイナップル
先週収穫しました 6月6日
先週収穫した我家のパイナップルですが、一週間の経過によって黄色に色づくだけでなく、甘い香りも発するようになってきたため、昨日包丁を入れて食べることにしました。
可哀想ですが…
台湾から輸入されるパイナップルは、完熟前の青い時に収穫され、スーパーに置かれて売れるまでに時間が経過するため、完熟間際で収穫した我家のパイナップルは甘いだけでなく、挿し木用に残した挿し穂も青々としています。
3年以上かかると思っていた結実が2年で収穫できたことから、2年前のパイナップルの孫にあたる挿し穂の発根を待って2年後の収穫を目標に育てていまきす。
八事山興正寺 中門
愛知県名古屋市昭和区八事本町78
茶堂竹翠亭への入口
墓地と奥之院への道
尾張徳川家の祈願所として、歴代藩主とそれに連なる人々と深い縁を結んできた興正寺。その関係は、開山天瑞圓照和尚が八事の地に草庵を結んだことに始まります。
長い修行の旅のすえ、高野山に至り、弘法大師の五鈷杵を授かった天瑞和尚は1686年(貞享3年)、穏やかな起伏に松が茂り、豊かな水、静寂に満ちた八事の地に密教と戒律の寺の建立を発願しました。真言密教の教学・修行道場として、境内は西山普門院と東山遍照院に分かれ、東山は女人禁制の修行の場でした。
尾張徳川家二代藩主光友公は天瑞和尚に、六代藩主継友公と七代藩主宗春公は五世の諦忍妙龍和尚にそれぞれ帰依をされ、諸堂建立や多くの宝物のご寄進など力を注がれました。
時が流れ、現在、国の重要文化財に指定されている五重塔建立は、「藩主の寺」から「民衆に開かれた寺」へと変化をとげる契機ともなり、今なお、多くの参拝者をお迎えしています。
長い修行の旅のすえ、高野山に至り、弘法大師の五鈷杵を授かった天瑞和尚は1686年(貞享3年)、穏やかな起伏に松が茂り、豊かな水、静寂に満ちた八事の地に密教と戒律の寺の建立を発願しました。真言密教の教学・修行道場として、境内は西山普門院と東山遍照院に分かれ、東山は女人禁制の修行の場でした。
尾張徳川家二代藩主光友公は天瑞和尚に、六代藩主継友公と七代藩主宗春公は五世の諦忍妙龍和尚にそれぞれ帰依をされ、諸堂建立や多くの宝物のご寄進など力を注がれました。
時が流れ、現在、国の重要文化財に指定されている五重塔建立は、「藩主の寺」から「民衆に開かれた寺」へと変化をとげる契機ともなり、今なお、多くの参拝者をお迎えしています。
本日は NPO法人の運転履歴という申請書類を受理するため 名古屋市天白区平針にある 愛知県運転免許試験場の安全運転センターを訪れました。
わずか10分の仕事で駐車料金 500円は高いと実感すると、数日前の西国巡礼の 高額 駐車料金が脳裏に浮かびました。
基本的に真言宗のお寺は駐車料金とか拝観料とは無縁のお寺が多く、そんな反動から帰り道に存在する八事山興正寺へ参拝することとし、本堂だけでなく奥之院や山内総てのお堂にお参りしてきました。
興正寺は高野山真言宗のお寺で、歴史は新しいものの愛知県では真言宗を代表するような存在で、誰もが本堂の中の御本尊の前まで進んで手を合わせられる庶民的な寺院です。
西国巡礼の観光客のような巡拝とは違う四国遍路の感覚で参拝してきました。久しぶりの感覚です(笑)
裏庭のアンズ
2020年6月13日の一言
2018年6月1日の一言
2013年6月9日の一言
三日前の土曜日の朝、西国巡礼に出発する前にかつては我が家のアンズの木に登って アンズを収穫し、毎年アンズジャムを届けてきた恩師のお宅に立ち寄りました。
しばらくして、涙を流した 家内が戻ってきて、恩師の奥様が 昨年8月に亡くなり、恩師も今年5月に亡くなられていたことを告げました。
今にして思えば、お二人とは平成13年に一緒に 四国遍路へ旅立ち、西国 、坂東、秩父の百観音も一緒に巡拝したことから、家内は恩師の奥様とは親子か姉のように接してきただけに、家内は親を亡くしたかのようなショックを受けていました。
我が家のアンズを通じて、多くの交流が続いてきましたが、毎年同じように当たり前のように熟するアンズとは違って、多くの知人が鬼籍に入って行きました。
そんな想いを懐古しながら本日もアンズジャムが作られていました。
第10番寺から第15番今熊野観音寺まで
昨日訪れた今熊野観音寺は京都の泉涌寺の中にある弘法大師が開基したお寺です。泉涌寺の山内にあるため、泉涌寺の塔頭寺のように思われますが、空海がここで熊野権現に授けられた十一面観音を自ら彫った観音像の胎内に納め、嵯峨天皇の勅願で堂宇を建立した歴史あるお寺です。
新那智山観音寺 鳥居橋 通称名は今熊野観音寺
京都市東山区泉涌寺山内32
観光寺院の多い西国三十三所の中で唯一拝観料も駐車場も無料の寺院で、開基した空海が熊野権現に授けられた観音像を本尊の胎内に納めたお寺だけに、修験者や山岳信仰の流れを残しており、本堂前の境内には神様の熊野権現の社が奉られています。
「西国の二ヶ寺で一万円近くかかって」
「うちは駐車場も拝観料も無料だから」
「やっと四国遍路のような雰囲気で参拝できました」
「秋のモミジの紅葉の時にも寄ってよ」
「はい、勿論ですね」
土曜と日曜日の2日間で初めて大きな声で読経し、納経所でゆっくりと会話を交わすことができましたが、西国だけでなく拝観料と駐車料金が当り前の京都市の中で、何度訪れても賽銭だけで巡拝できる環境と、真言密教と山岳信仰の雰囲気を残す雰囲気は西国巡礼で私が一番好きな環境にあります。
昨日に引き続いて西国観音巡礼です。
開門前から長い行列です
第10番三室戸寺
山門まで行列が続きます
やっと石段へ
本堂境内
アジサイ鑑賞の観光客
本日最初に参拝した三室戸寺の納経時間は8時30分からで、30分前に駐車場に到着したもののすでに駐車場は満杯状態で、開門を待つ人々で長い行列ができていましたが、覚悟して納経所を訪れると朱印を待つ人は殆ど無く、本堂へ参拝する人も皆無の状態でした。
ただし、西国三十三所会の監修した「西国巡礼」には500円と記された拝観料が千円になっており、わずか30分の駐車場の料金も千円徴収され、家内と2人の参拝で3千円と納経料の出費は参拝の対価としては「ぼったくり」としか思えない朝になりました。
第15番今熊野観音寺
大師堂
そんな中で次に訪れた第15番観音寺は、四国遍路と同じように拝観料や駐車場は無料のままで、観光客のいない雰囲気から久しぶりに「弘法大師」を身近に感じ、「秋のモミジの時期にも来てください」の一言に「はい、必ず」と素直に応えていました。
第11番醍醐寺 五重塔
大師堂
醍醐寺の駐車場自動清算機
「紙幣が飛んでいく」西国巡礼の典型は次に訪れた「醍醐寺」で、本来の参拝場所である上醍醐寺(拝観料無料)への厳しい山道が麓の醍醐寺観音堂で済ませられるものの、かつて千五百円だった拝観料が千円で澄んで喜んでいると駐車場の清算機が示した2千円の料金の高さにびっくりです。
門前にある民間の有料駐車場に一日最高六百円の看板があり、1時間程度で2千円もの駐車料金をお寺の運営する駐車場が徴収する現実は、観音堂巡拝だけに訪れる参拝者としては「お金持ちの西国巡礼」を象徴するような参拝です。
先に添付した三室戸寺と醍醐寺だけで家内と一万円近い出費は切実で、「貧乏人はお寺に来るな」と言って欲しい心境になってきます。
貧乏人を実感させられる本日の西国巡拝となりましたが、本日は六ヶ寺のうち四ヶ寺が真言宗のお寺で、それぞれに大師堂が存在したことから、弘法大師と一緒に歩く「同行二人」のような自分に正直な巡拝になりました。
そして、ここから滋賀県を東向きに一直線で、永源寺から三重県いなべ市経由で一般道の運転を楽しみましたが、かつて自動二輪で走っていた当時とは道路環境が大幅に改善されており、まだまだ未踏の地が存在することから足を向けたいと思います。
こんな元気なままに「お大師」と行動できる日々が続いて欲しいものです。
愛知県警察運転免許試験場
玄関前
中央ホール
自動車安全運転センター
本日は福祉有償運送ボランティアに参加するメンバー全員の運転履歴証明書の申請に愛知県天白区にある安全運転センターを訪れましたが、申請代金だけでなく新装となった駐車場代金500円も必要となり、昨年度は赤字のNPO法人だけに私の出費となっていきます。
もっとも、元々が利益を期待しないボランティアだけに、こんな気持ちになるのは私自身が年齢を重ねた老化が原因と思いますが、そろそろ自分自身がサービスを受けられる体制への改善は急務で、今年は少し頑張ってみようと思います。
本日提出した申請書は、来週火曜日の夕方以降に受理できるとの話で、再度出向くことが必要となりますが、どうせ車を走らせるのであれば名古屋で寄り道できる楽しみを見つけて走りたいと思います。
裏庭のアンズが当たり前に熟して家内がジャムにしていますが、同じくオニユリも毎年同じ場所で大きく成長して、たくさんの花を咲かせます。
2022年7月25日の一言
2013年7月15日の一言
植物にも病気はあり、枯れてしまうこともありますが、自分たちに適した場所で毎年繰り返される世代交代はひじょうに強く、私が植木鉢やプランターに植えた草花とは違い、毎年同じ場所で花を咲かせるオニユリは今年も昨年より太くなって成長しています。
今から10年前に「二十年来のオニユリ」と記していますが、今年は「三十年来のオニユリ」として、私の父親が健在だった頃と同じ花を咲かせると考えると感慨深いものがあり、私が鬼籍に入っても咲き続けてくれるものと思われます。
ミニきゅうりが続々と…
では、また明日へ
私のかかりつけ医 津島市東愛宕町
健康診断へ
かかりつけ薬局へ
本来の予定では火曜日の夜に四国へ出発する計画でしたが、ボランティアの福祉有償運送の申請書や納税を済ませたものの、来月開催される運営協議会の日程を逆算すると、本日は自分の健康診断を受けて、警察に提出する申請書を届け、明日名古屋市の運転免許試験場にある安全運転センターへメンバーの運転記録証明書の申請に訪れることにしました。
三年に一度開催される運営協議会ですが、三年前に次の協議会に役立つようにパソコン内に整理して記録したことが逆にアダになって、過去のように文書として紙に記録して残した方が年寄りには楽なことを実感する一日ともなりました。
逆に、それは仕事を後回しにしていると大変な来週を迎えていたことになり、出発を断念したことでゆっくりと明日以降の段取りが進められました。
本日はパソコンと格闘する一日となりましたが、有償運送の申請書類は特殊な仕事で、誰でもができない専門知識を必要としており、当たり前に続けてきたNPO法人を移送サービスを維持するためには責任を分担して維持する必要性も感じさせられます。
今回作成中の申請書類を司法書士に依頼すると20万円を提示されたことがあり、利益を求めない福祉有償運送を維持するためにも目に見えない苦労があることは、参加しているボランティアにも理解されているとは思えず、これまで当たり前に行ってきた活動にもストレスを感ずるようになりました。
明日も今日の続きとなりますが、週末は完全なる解放感を実感したいと思います。
本日の写真です。
2年前にコーヒーカップで発根したパイナップルの実が熟し、実の重さで倒れたままとなたため、本日覚悟を決めて収穫しました。
まだまだ青いと思っていましたが、下部は黄色くなっており、切り口からパイナップルの甘い香りがただよってきました。挿し木することを決めた時は、まさか熟して食べられるとは思ってもおらず、3年はかかると思っていましたが、2年で購入した親よりも大きく成長しました。
真冬でも夜間も20度以上に温めた私の事務所で育てていたことが、他のミニトマトやブーゲンビリアとともに部屋を彩ってきました。
今年4月15日の一言
さて、しばらくは皿の上で鑑賞し、切なくて切って食べたいとは思えませんが、2年前に購入した親は腐って食べられなかったため、家族全員で食してから再度孫となる上の葉を挿し木して次世代へ引き継いでいきます。
津島税務署
本日の写真です。
福祉有償運送はボランティアですが、低額であっても移送の料金をいただいて活動しているため、税務署の確定申告が必要となり、料金はそのまま運転者に支払われ、NPO法人としての利益は1円もないため基本的に税金の支払いは発生しないものの税務署への申告は必要なため本日訪れて手続きを終えました。
その税務署の申告済みの控えを持って県税事務所に出向きますが、津島市にある愛知県の海部事務所でも申告は可能なものの、法人税に手馴れた職員が不在で手続きが面倒なため、一宮市の県税事務所まで直接出向きました。
NPO法人としての利益は無いどころか、必要となる経費を差し引くと赤字となりますが、法人として最低となる定額の法人税は支払い義務があり、愛知県の手続きと納税を終えてから津島市の税務課に出向いて、こちらへは法人税の納税猶予を申請しました。
毎年のことゆえに簡単にいきますが、法人の手続きとしては3月に愛知県社会福祉協議会へボランティア保険を契約し、確定申告後に愛知県へ活動報告書や収支報告書を提出すると書類の申請は終わります。
ただし、ボランティアとは言え有償で活動しているため、運輸局の許認可が必要で3年に一度開催される運営協議会へ提出する書類は50ページ以上となり、毎年報告する運行実績表は集計には数日かかります。
ボランティアの高齢化は深刻で、利益にならないのに責任のある移送ボランティアは不足し、何よりもタダ働きとなる一連の書類作成と各種の行政への申請や報告は、私が不在となれば大変なことになり、先のことを考えると大きなストレスとなってきますが、とにかく今年の半分は済ませたためホッとする一日とはなりました。
我家のミニきゅうり
キュウリの花
本日の写真です。
2年前にプランターのイチゴから出たランナーによって、昨年は20本以上のイチゴに増えていましあが、真夏に放置してあったことから全滅してしまいました。
ところが、全滅したと思っていた中に1本だけ芽を出していた苗があり、大切に冬を越させたところ5月には甘いイチゴをたくさん実らせました。
2020年7月25日の一言
2018年5月10日の一言
2017年2月13日の一言
そんな我が家のイチゴのルーツを調べてみたところ、6年前にホームセンターで購入したイチゴであることが判りました。
ブログに貼付してきたことで読み直して判ったものの、畑のイチゴはいつからあるものかルーツも判りませんが、身近なプランターゆえに継承して我が家の家族のような存在になっていました。
本日、愛知県は朝から晩まで激しい雨が降り続ける一日となりました。
貼付したアンズジャムは、我家に2本のアンズの木があるため今から二十年以上前から当たり前に作られてきました。
2020年6月7日
事務所前のアンズは長野県更埴市出身の知人からいただいた樹木で、この木に咲く花が綺麗だと地域で評判になったため、私の父親が何処からか購入してきたのが裏庭のアンズの木です。
2014年6月7日
同じアンズの実ではありますが、花も結実も事務所前のアンズが一週間ほど早く成熟し、事務所前のアンズは黄色で柔らかく、裏庭のアンズは大きく桃のように赤みがさしますが、今年は一気に温かくなったため、同じように成長しておりまもなく裏庭のアンズも熟してきます。
さて、しばらくはアンズが熟してジャム作りが続きますが、5月のサクランボからアンズ、そしてこれからブルーベリーが実をつけますが、年齢を重ねたことで月日の移り変わりが早まっており、気がつくとあっという間に秋の柿が終わっているのかも知れません。
旧中仙道奈良井宿
日曜日の写真です。
日曜日に訪れた奈良井の宿を添付しましたが、三ヶ所の資料館と10軒の宿泊施設があり、五十軒以上の土産物店と食事処のある木曽路を代表する宿場町です。
木曽11宿には奈良井から次の塩尻方面の宿場は贄川宿となっていますが、奈良井と贄川の間には木曽平沢宿が存在しており、今回は通過していますが贄川宿より昔ながらの建物が残されており、次回の上高地の帰り道に立寄ってみたいと思います。
奈良井宿から木曽平沢宿は徒歩で30分程度の距離にあり、木曽路の難関となる鳥居峠から薮原の宿場まで三時間程度で歩けると案内されていることから、JR木曽平沢駅から奈良井の宿を通ってJR薮原駅まで歩くと江戸時代の雰囲気が味わえる魅力を感じます。
車は国道19号線で鳥居トンネルを通過してしまいますが、車で鳥居峠を目指すのも道中の一里塚や茶屋等の存在から魅力あるコースで、先週立寄らなかった奈良井宿に保管されたSLとともに訪れてみたいと思います。
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