本日の夕刊に、『酒気帯び?衝突死亡事故』の記事が掲載されてきた。本日午前5時15分頃の事故であるが、酒気帯びと思われる車との事故によって尊い命を失った纐纈彰良さんは、私の主催するまちかど座談会に出前寄席として出演していた『浪漫亭砂九』さんであった。
早朝から鳴り響く電話で、訃報が知人より伝わったが、まったく信じられない事だけに、間違いであればと思っていると、直後に鳴った携帯電話の発信者は『砂九』と表示され、一度は「良かった」と思ったが、受話器の相手は砂九さんではなく、息子さんの声であった。
この頃から、本日は無気力な一日となり、何も手がつかずに経過したが、明日の『バリアフリー検証会』と、産業フェスタの展示品は待ってはくれないので、夜になって取り掛かっていると、再度『砂九』さんの表示であったが、電話の声は奥さんであった。声と言うより泣き声であった。
連日のように、飲酒運転の事故が報道されてくるが、悲しみや怒りは、親しい人物が被害者にならないと判らない。49才の命…。家業の仕事はどうなるのか。親の体調を心配していたが…。まだ学校に通っている子供達は、と考えると涙が止まらない。
最後に会ったのは、今月の11日に津島市の喜多神団地で開催した『出前寄席』であった。私と市民との意見交換のため満足な会話も無いままに別れ、その夜の電話で「来月10日の出前寄席にはゆっくりと話そう」と発した言葉が最後となった。今となっては、再会どころか、10日には実施どころではなくなり、「話そう」ではなく、話しておくべきだったと後悔の念のみが残る。
過去を振り返ろうと彼のホームページを見ると、訃報と葬儀の案内に一新されており、自分の過去まで失ったようで気力も失せる。
私の主催する『浪漫亭砂九』の落語会は15年2月8日が初めてである。以来、今月まで36回の勉強会を津島市で開催し、彼のホームページには私が『私設マネージャー』と記されるようになり、勉強会から『大鹿寄席』に昇格されていた。
過去を振り返ってもしようがないが、突然の別れは後悔も多い。「いつでも呼んで下さい」と、気軽に落語をPRしていたが、これからは呼ぶ人がなく、こんな別れは予想もできなかったが、現実に起こった事件でもある。家族の心痛を想うと涙が止まらない…。
11月24日の一言
早朝から鳴り響く電話で、訃報が知人より伝わったが、まったく信じられない事だけに、間違いであればと思っていると、直後に鳴った携帯電話の発信者は『砂九』と表示され、一度は「良かった」と思ったが、受話器の相手は砂九さんではなく、息子さんの声であった。
この頃から、本日は無気力な一日となり、何も手がつかずに経過したが、明日の『バリアフリー検証会』と、産業フェスタの展示品は待ってはくれないので、夜になって取り掛かっていると、再度『砂九』さんの表示であったが、電話の声は奥さんであった。声と言うより泣き声であった。
連日のように、飲酒運転の事故が報道されてくるが、悲しみや怒りは、親しい人物が被害者にならないと判らない。49才の命…。家業の仕事はどうなるのか。親の体調を心配していたが…。まだ学校に通っている子供達は、と考えると涙が止まらない。
最後に会ったのは、今月の11日に津島市の喜多神団地で開催した『出前寄席』であった。私と市民との意見交換のため満足な会話も無いままに別れ、その夜の電話で「来月10日の出前寄席にはゆっくりと話そう」と発した言葉が最後となった。今となっては、再会どころか、10日には実施どころではなくなり、「話そう」ではなく、話しておくべきだったと後悔の念のみが残る。
過去を振り返ろうと彼のホームページを見ると、訃報と葬儀の案内に一新されており、自分の過去まで失ったようで気力も失せる。
私の主催する『浪漫亭砂九』の落語会は15年2月8日が初めてである。以来、今月まで36回の勉強会を津島市で開催し、彼のホームページには私が『私設マネージャー』と記されるようになり、勉強会から『大鹿寄席』に昇格されていた。
過去を振り返ってもしようがないが、突然の別れは後悔も多い。「いつでも呼んで下さい」と、気軽に落語をPRしていたが、これからは呼ぶ人がなく、こんな別れは予想もできなかったが、現実に起こった事件でもある。家族の心痛を想うと涙が止まらない…。
11月24日の一言








