本日は、49才の若さで去っていった落語家『浪漫亭砂九』こと、纐纈彰良さんの葬儀に参列した。あまりにも突然の交通事故死であり、本人もやり残した事ばかりと想う。
 テレビニュースでは、悲惨な事故の模様が映し出され、ペチャンコになった砂九さんの運転席も放映されたが、相手である28才の男は飲酒運転であった。しかも、直進中に突然右折してきた対向車との衝突だけに、相手を怒るどころか、家族への別れの言葉すら発しないままの別れである。
 勝手な事だが、これだけ飲酒運転に批判が集まり、連日のように新聞やテレビで報道されている中で、相手の男は事故直前の午前4時まで、中川区や中区で酒を飲んでいたとの報道から、厳しい厳罰は勿論だが、酒を提供した店への処分も絶対に必要である。
 彼と出会ってから数年であるが、私の主催した座談会と共催した『出前寄席』は36回を数え、勉強会から『大鹿寄席』と名称を代え、私と津島市民との対話の背中を押してくれる原動力にもなっていた。
 彼のホームページには、私(一八)を『周りの人々』の中にマネージャーとして紹介し、「津島市会議員だって。ちょっとかための真面目人間」と紹介してくれていた。同じマネージャーとして『兄貴分』と紹介されている茜屋のマスターも闘病中であり、最後の別れが出来なかった口惜しさを考えると涙が止まらず、帰宅後も『浪漫亭砂九』の残像を探して泣き続けている。
 「一八さん、泣いててもしょうがないじゃん」と彼が笑顔で話しかけてきそうでもあるが、茜屋のテーブルで日ごろのストレスから愚痴る私に、冷や水をかぶせるマスターのあとで、私に同情してフォローしていたのが砂九さんであった。
 最近は砂九さんの人気を理由にして、自分の忙しさから身勝手に半年間座談会を休止しており、今月から再開したばかりでの別離である。しかも、次がない永遠の別離である。
 出棺前、最後の別れとして、彼の右手あたりに『浪漫亭砂九私設マネージャー』と記した私の名刺と、遍路旅に使う『同行二人』の納め札に願意と記名をして置き、胸に置かれた彼愛用の『扇子』を握り締め、最後の別れとしたが、涙が止まらない。「それだけ泣き続ければ、きっと痩せられるでしょう」と、語りかけて欲しいが…
 ただし、一昨日から訃報と葬儀の案内だけになっていた彼のホームページが、息子さんの手によって今晩『会葬御礼』に更新されてきた。彼の残した足跡は確実に残されている事を、今晩更新されたホームページから感じるとともに、少なくとも私の2期目、ここ4年間は確実に『浪漫亭砂九』と二人三脚だった事を実感し、彼の冥福を祈り、彼の記憶と記録を永遠にとどめたい。
                               11月26日の一言