「道路では絶対に遊ばないようにして下さい」の一言は、昨日の小学校入学式で、警察官から新入生に話された訓辞の一つである。
今の世の中では当然の一言ではあり、道路を遊び場所にしていたら、交通事故や誘拐犯人の被害者になってしまう危険性が高く、誰もが自然に聞き入っていたが、いったいいつ頃から道路(路地・道)で遊びが出来なくなってしまったのだろうか。
入学式終了後に警察官と話していると、「僕の子供時代は道路で遊んでいましたよ」との言葉が返ってきたのである。そう、私の子供時代にも地域の道路は子供達の遊びに不可欠な存在でもあった。鬼ごっこや缶ケリにしても、キャッチボールをする事も可能だった。
最近の子供達について、テレビゲームや塾通いなどと、地域で遊ぶ姿が見えないために言われる言葉をよく耳にするが、家々は立派な塀やフェンスで仕切られ、かつて遊びの対象だった川にもフェンスが張られ、小川は下水道と化し、れんげ草で一杯だった田園も見当たらなくなってしまっている。
正月に凧あげをする事もできない環境下で、子供達に外で遊べとも言えなくなりつつある。これは我々大人が反省し、これからの子供達の遊び場を確保する必要性を実感し、真剣な議論を始めることが急務でもあろう。
幼馴染と楽しく遊んだ思い出もない地域を、子供達が大人になった時に『ふるさと』と呼べるはずもなく、一度出て行った子供達は戻ってはこない。「定年になれば帰ってくるだろう」との言葉を耳にするが、その子供達の孫は親の『ふるさと』を自分のふるさととは思わず、何の愛着も感じないのである。
家族とはどうあるべきかを自問自答するとともに、子供達が道路や地域、何所で遊んでも安心できる地域を実現できないものか、真剣に考えてみたい。
4月7日の一言
今の世の中では当然の一言ではあり、道路を遊び場所にしていたら、交通事故や誘拐犯人の被害者になってしまう危険性が高く、誰もが自然に聞き入っていたが、いったいいつ頃から道路(路地・道)で遊びが出来なくなってしまったのだろうか。
入学式終了後に警察官と話していると、「僕の子供時代は道路で遊んでいましたよ」との言葉が返ってきたのである。そう、私の子供時代にも地域の道路は子供達の遊びに不可欠な存在でもあった。鬼ごっこや缶ケリにしても、キャッチボールをする事も可能だった。
最近の子供達について、テレビゲームや塾通いなどと、地域で遊ぶ姿が見えないために言われる言葉をよく耳にするが、家々は立派な塀やフェンスで仕切られ、かつて遊びの対象だった川にもフェンスが張られ、小川は下水道と化し、れんげ草で一杯だった田園も見当たらなくなってしまっている。
正月に凧あげをする事もできない環境下で、子供達に外で遊べとも言えなくなりつつある。これは我々大人が反省し、これからの子供達の遊び場を確保する必要性を実感し、真剣な議論を始めることが急務でもあろう。
幼馴染と楽しく遊んだ思い出もない地域を、子供達が大人になった時に『ふるさと』と呼べるはずもなく、一度出て行った子供達は戻ってはこない。「定年になれば帰ってくるだろう」との言葉を耳にするが、その子供達の孫は親の『ふるさと』を自分のふるさととは思わず、何の愛着も感じないのである。
家族とはどうあるべきかを自問自答するとともに、子供達が道路や地域、何所で遊んでも安心できる地域を実現できないものか、真剣に考えてみたい。
4月7日の一言








