本日は1年に一度の中学校の同窓会総会が開催されましたが、昨晩から私の心の中に一抹の不安があり、それが早朝より現実となってはじめて、会長としての責任を痛感する事となりました。

 昨晩、戦後になって新制中学が創立されてから十数年勤務された最古参の先生に、出迎える車の配車時間を連絡したところ、毎年楽しみにしてみえる総会について認識されておらず、「理髪店に行く時間もないなァ」とつぶやかれたのであった。
 車を配車する時間を約束はしたものの、昨日開かれた元教育長の葬儀会場で出会った恩師から、総会の時間を確認されたことから、案内となる同窓会報が届いていない可能性も危惧していたのであった。

 それでも90歳に手が届く恩師の話ゆえに、忘れられたものと解釈し、車で二人の恩師を迎えて学校に到着すると、例年であれば早々と到着して校庭を眺めてみえる恩師達の姿はなく、玄関の受付にも記帳された様子もないため、教頭先生に確認すると「どこまで案内して良いか判らず、してありません」との言葉が返ってきたのであった。

 やはり、昨晩の一抹の不安が的中し、案内がなければ出席の可能性もない事から、私の迎えに行った恩師と昨日確認された恩師の3人のみとなったのである。例年であれば10名近い恩師の姿があり、「先生の同窓会」と皮肉まじりに語られた総会に、恩師への案内が忘れてあったのである。

 「今からでも連絡したら」との声もあったが、もう後のまつりである。昨年の総会で、「そろそろ、会長を辞めたい」と発言した私に、「後は大丈夫か」と厳しく言われた恩師の姿もなく、役員会のような総会になってしまったのである。
 ただし、卒業生の物故者法要は真剣である。お寺の住職が卒業生であり、先代住職は中学創立当初からの恩師である事から、二人がかりの読経と、先代の法話は物故者となった教え子を偲んで年々重みを増してくる。

 さて、本来であれば「どうなっているんだッ」とグチも言いたいところだが、引退を意識すれば自分自身にも確認を怠り、学校任せにしていた責任は重大である。昨日の桑田選手への激ではないが、このままでは終われない。引退を前提ではあるが「来年はこうしたらどう?」と適切なアドバイスを頂いたのは、十数年前に私がPTA会長を務めた時の校長先生であった。引退するから責任放棄では済まされない事を実感する一日となった。
                                  8月19日の一言