三年前の夏の部活動中に熱中症で死亡した、一宮市立北部中学校の当時2年生の事故に対して、名古屋地裁一宮支部の一審判決は、生徒に対する学校と教師の配慮が不足していたとして、両親ら原告の主張を全面的に認める判決が先月26日にあった。
この事件の新聞報道
http://www.asahi.com/national/update/1010/NGY200710100009.html
我が子を亡くした親の心情は理解できるが、この判決がこのままに結審となれば、中学校のクラブ活動の顧問となる教師は安心してスポーツの指導もできず、今まで普通に行われてきた学校での部活動そのものについて大幅な見直しが必要ともなる。
放課後のクラブ活動において、教師による生徒の肉体的限度を超えた指導でもあれば問題と思うが、生徒の自主的な運動まで教師の責任が問われれば、ほとんどの部活動が対象となり、生徒が完全に下校するまで教師の責任を問われる事となる。
一審判決の後で、両親は谷一夫市長を訪ね、「控訴しないように」と訴え、弁護団からの申し入れもあったと報じられていた。
しかし、この裁判で学校と一宮市は、事故の原因を亡くなった生徒の体質として、学校や教師の指導に問題があったとは認めず争ってきたのでもあった。そんな状況下で、市民としての原告の訪問を受けた市長の心情は複雑であったと思われる。
この件について、一宮市は控訴する事を10日に発表し、谷市長は「この判決を認めると、今後の教育活動や部活動のあり方について学校現場としての対応が難しい」と述べ、「判決で指摘された個々の生徒の判断や性格まで配慮するのは現状では困難」と馬場教育長も発言している。
学校内で起こった事故ゆえに、学校に何も責任が無かったとは思えないが、生徒の自主的な運動による事故の全責任を教師や学校に求める事には無理がある。この件では、原告市民の訪問を受けた後で、上級審に控訴を発表し会見に臨んだ谷市長にはエールを送っておきたい。
我が身に置き換えた時、果たして控訴に踏み切れたかと思うとはなはだ疑問である。金銭的な問題については、スポーツ保険が存在する事から、ややもすれば人情に流されやすいものである。ここで、教育現場の指導の限界をはっきりさせておく事は重要でもある。
10月12日の一言
この事件の新聞報道
http://www.asahi.com/national/update/1010/NGY200710100009.html
我が子を亡くした親の心情は理解できるが、この判決がこのままに結審となれば、中学校のクラブ活動の顧問となる教師は安心してスポーツの指導もできず、今まで普通に行われてきた学校での部活動そのものについて大幅な見直しが必要ともなる。
放課後のクラブ活動において、教師による生徒の肉体的限度を超えた指導でもあれば問題と思うが、生徒の自主的な運動まで教師の責任が問われれば、ほとんどの部活動が対象となり、生徒が完全に下校するまで教師の責任を問われる事となる。
一審判決の後で、両親は谷一夫市長を訪ね、「控訴しないように」と訴え、弁護団からの申し入れもあったと報じられていた。
しかし、この裁判で学校と一宮市は、事故の原因を亡くなった生徒の体質として、学校や教師の指導に問題があったとは認めず争ってきたのでもあった。そんな状況下で、市民としての原告の訪問を受けた市長の心情は複雑であったと思われる。
この件について、一宮市は控訴する事を10日に発表し、谷市長は「この判決を認めると、今後の教育活動や部活動のあり方について学校現場としての対応が難しい」と述べ、「判決で指摘された個々の生徒の判断や性格まで配慮するのは現状では困難」と馬場教育長も発言している。
学校内で起こった事故ゆえに、学校に何も責任が無かったとは思えないが、生徒の自主的な運動による事故の全責任を教師や学校に求める事には無理がある。この件では、原告市民の訪問を受けた後で、上級審に控訴を発表し会見に臨んだ谷市長にはエールを送っておきたい。
我が身に置き換えた時、果たして控訴に踏み切れたかと思うとはなはだ疑問である。金銭的な問題については、スポーツ保険が存在する事から、ややもすれば人情に流されやすいものである。ここで、教育現場の指導の限界をはっきりさせておく事は重要でもある。
10月12日の一言








