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 会報津島の風(第32号A4版8ページ)が完成し、本日の早朝(3時半)より戸別配付をはじめました。

 出会った人々から「久しぶりだね」には気恥ずかしいが、「来月の旅行は何処に行くの?」には今年に入って企画をしていない事から、議員活動とは一線を引いている『朝日旅行友の会』については、会員独自への全く別物の案内と報告が必要と実感させられた。

 さて、本日は朝一番で親族の訃報の連絡である。家内の在所の母親からの電話は、家内の姉のご主人(私にとっては義兄にあたる)が肺がんにより66才で亡くなったとの連絡であった。
 私にとっては初めての兄弟間の訃報であるが、家内の親族ゆえに状況も詳しく判らず、夜に訪問した通夜で見た死顔にびっくりである。

 昨年に在所の父親が亡くなった時にも具合が悪いとは聞き、その後に入院されて家内らは見舞いにも訪れているが、その後の容態については悪いとは聞きながらも、絶望的とは最近まで知らされず、抗がん剤と食事も取れなかった事から、骨と皮だけで、90才をこえて亡くなった在所の親よりも老けて見えたのである。

 私の父親も胃がんによって65才で亡くなっているが、がん患者の最悪の状況を見せ付けられたような気分で、改めてガンの厳しい現実を見せられたと思うのと、34才で家を離れて生計を営む息子さんにも、将来計画を語り合う事もなく亡くなった現実が淋しく感ずるものである。

 こんな突然の訃報に接して、先週末の胃がん検診や、明日には基本検診を控えている自分であるが、自分が発病した時に家族はどのように対応するかによっては、健康診断の意味も無い社会の現実を本日の通夜で聞かされてきた。

 「主人は医者嫌いだったから…」は誰しも同じであるが、亡くなった当事者が家族の経済的負担と、見舞いにくる家族の足を考えて、十分とは思えぬ治療を自覚しつつ入院治療していた現実である。
 「何処で治療を受けても料金は同じだから…」と、手術を必要とする人々にはできるだけ高度な病院を薦めているが、レベルの低さを知りながら、付き添いにくる家族や仕事を考えて病院を選択している人々は結構多い。

 昨年すい臓ガンで亡くなった叔父にも、埼玉県の医療機関を薦めたが、「そんな所まで行けないだろう」と、本人にも情報が伝えられず、「せめて名古屋の大学病院に…」と伝えたが、「どこでも同じ」として、治る可能性も低い手術を受けて他界していった。

 百歳を超えた老人が水泳の日本記録を樹立したとの報も伝わる中で、田舎では随分と命が粗末にされて若くして命を散らしている現実を実感する。義理とは言え、初めての兄弟の葬儀を経験し、自分にも差し迫りつつある寿命の短さも実感させられた。
                            10月29日の一言