本日は議会の厚生委員会が開催されるために、葬儀に出席できないため朝一番で町内で亡くなられた95歳の方の祭壇に出向いたところ、棺桶の上に見慣れた白衣が置かれてあった。

 「これは御嶽様の白衣ですね?」と聞くと、最近は先達が不在で奉られていないが、昔から御嶽山の信者である事を遺族より聞かされた。我家にも昔から御嶽様が奉ってあり、新屋のお爺さんも先達であり、我家のご先祖様である横井庄一は、グアム島から発見された直後の記者会見で、「おまえは御嶽様の申し子と母に言われていた」と延べている。

 偶然ではあるが、私の母方の祖父も御嶽山の先達をしており、西尾張地方では知らない人がいないくらいの熱心な先達であった事から、現在もその関係の先達さんに時々来てもらってはいるが、親族に白衣を着る後継者はおらず、御嶽山に残された石塔にも時々出向く程度になっているのであった。

 かつては母親の在所で毎月人が溢れていた信者も今は皆無となり、バスを何台も連ねていた夏や冬の御嶽山行きも中止せざるをえない状況であるが、御嶽山がスキーやハイキングで開発されるのと反比例して、信者が細る一方となった現実は止めようもなく、四国遍路の人気と比較すると時代の移り変わりを実感せずにはおられない。

 白衣と言えば四国遍路と同じであるが、御嶽山の先達の修行は厳しく、真冬でも水をかぶって神前に向かう姿は、ハイキングとアルプス登頂くらいの違いがありはしないか。そんな厳しさから白衣を着る先達の後継者ばかりか信者まで激減させ、御嶽山にある霊神場の石塔も歯抜けのようになりつつある。

 さて、棺桶の上に置かれた真っ白な白衣も一緒に火葬されたようだが、「お父さんも入れてあげるから」と言われて、自分の集めた収集品が気になり、「絶対に捨ててくれるな」と言うと、「亡くなる前に自分で処分しといてよ」との言葉が返ってきた。家内は白衣や遍路関係品を思い浮かべた言葉だったが、三男が「上高地に埋めてやる」と言った物はカメラだった。

 私自身は鶴田浩二のコレクションを思い浮かべており、三者三様の思い違いは滑稽だが、事務所の2階には親父の残した絵画や書が多く残されており、親父の日本画の先輩の家族から託された多くの書物も残され、ご先祖様である横井庄一の遺品もミニ記念館とよべるほど残されており、私の死後は大変な仕事が残される事は確実であろう。
                              12月12日の一言