
本来であれば、大晦日に京都で買い込んできた日本酒を開けて、賑やかな一日になっていたのかもしれないが、砂九さんばかりでなく亡くなった人々の顔を思い浮かべると、とてもそんな気持ちにもなれずに、「来年は再開します」と言っていたものの静かな一日としてしまった次第である。
先日山積みされた写真を移動する際に、浪漫亭砂九さんの落語中の写真も次々と発見され、懐かしさと同時に今でも声が聞こえそうな気がしてならず、いまだに砂九さんのホームページの掲示板にはファンの声が届けられている事から、しばらくは生きているものと勝手に解釈し、砂九さん不在の落語は封印を続けたい。
浪漫亭砂九さんのHP (掲示板以外は18年11月のままである)
http://www.clovernet.ne.jp/~sunamaru/
上に添付した写真は平成16年の姿で、下の写真は1月3日に私の2階の事務所で落語中の砂九さんである。こうして過去ばかりに気持ちが戻ってしまうのが私の欠点らしく、砂九さんのホームページの「周りの人々」の中に、3人のマネージャーの1人として私の名前がある事から、過去の足跡に目がいってしまうのでもある。
「あんたは後ろばかり見て暗いなァ…(笑)そんなんでよく議員が務まるわァ」と、悲しみを隠して強気で語っているのが、砂九さんのマネージャーで総合プロデューサーと記している兄貴分の茜屋のマスターの口癖である。
彼は「大鹿寄席」として勉強会と称して一番多くの回数を通ってくれたが、彼が私から手にするものは何もなく、唯一の報酬にあたるのが1月3日の落語の後に手渡す日本酒1本だったのである。そんなバカなと思われるかもしれないが、彼は私から交通費すら受け取らずに無償で出演を続けてくれ、私は1年に一度だけ手渡す日本酒1本を買うために大晦日の京都行きを続けていたのでもある。
こんな心境の時に年末に亡くなったばかりで、私の兄貴分とも言うべきHさんの奥さんの訪問を受けた。悲しんでばかりはいられない。「さあー、頑張ろう」と旅行友の会の会報を印刷したが、今年も私には福の神はこないらしい。元旦より掃除をすると福の神を追い出すと夜のテレビで語られていた。忙しさから年末には何もできず、元旦から少しずつ事務所を片付けている有様であるが、貧乏神にも出ていってもらいたい心境の一日となった。
1月3日の一言
朝日旅行友の会の会報 http://www.kuronowish.com/~oshika18/newpage110.htm








