本日は底冷えがするほど寒く、こんな日に出向くとロクな事がないと思っていると、「今日の都合は?」と朝一番で役所からの電話である。

 「何時でも良い」と言われても、電話で済みそうな用件に、「今日は行かないから」と頑固に断ったものの、出向くとついでにあれもこれもとなり、話し好きな事から寄り道にもなり、電話でとりあえずの用件を済ませたものの、18日の大阪行きの資料や弁当の手配と、なさそうでも仕事は残されているのである。

 よくよく考えてみると、27日の地域セミナーについても、講師やパネラーとの打ち合わせも十分とは言えず、当日の参加者についてもクチコミすら進んではおらず、来週は大変な一週間となりそうな気配である。
 気がつくと先月の中旬から日々の行動がホームページに記録されておらず、一月も随分経過しておるものの、仕事の修正程度が追い着かずにそのままになっており、今更思い出しても判らない日もあるが、とりあえずは書き込みも必要となる。

 そして夜には毎週火曜日に開催されている書道教室『神守丈友会』であるが、会場としている我が事務所2階も暖まらず、人々の上達ぶりと反比例で満足に筆が走らないままに終わり、元気に舌が廻り出したのは恩師が帰宅後に雑談で『四国遍路』の話題になった時であった。

 「今年は是非とも行ってみたい」とのメンバーの話から、居残った数人の会話となったのであるが、問われる当方が四国遍路の基本的な心構えや装束から話しはじめると、「格好は何でも良い」との家内の一言が入ってきた。
 「姿形よりも参拝する心が大切」とは、家内と廻った過去3回の私の口癖でもあったが、後の2回の巡拝で私自身の考えにも多少の変化ができ、それなりの姿形で巡拝しないと普段と気持ちの切り替えができないと思うようになってきた。

 「白衣だけでなく、『すげ笠』と『金剛杖』に『袈裟』も必要」との言葉に、家内は反論したい気持ちで一杯であったと思う。何故かと言うと、私自身が誰からも帽子が似合わないと言われており、すげ笠どころか杖に対しても「必要ない」と若さと反発心から姿形にはこだわってこなかったからでもある。

 関心のない人からは田舎役者のように思われるかもしれないが、寺の山門をくぐる時には巡拝の姿形から整えて参拝したいと現在は思っている。

 さて、四国遍路の人気に便乗した誘いも多い。「四国に行く前に新四国へ」との誘いが愛知県では多く、知多半島の八十八ヵ所と「四国は一緒」とまで言われると詐欺と言いたくなってくる。「どっちでもお参りは一緒」と言って、「ナンマイダブ、ナンマイダブッ」と念仏を唱える人も存在する。

 しかし、いつかは四国にと思われる人には、「いつか」ではなく、「行ける時」に出かけて欲しいと願う。「なにーッ、四国、おじん臭い事言うなッ」と言っていた知人も年末に57才で他界した。死ぬ事が判っていたら、「行っておけば良かった」と思ったであるうが、人の寿命は判らない。ただし、どんな人でも死亡率は百パーセントである事の自覚も重要と思うようになってきた。
                                   1月15日の一言