私の中学時代の教頭で、私にとっては一番の理解者であり、オヤジのような存在であった長谷川丈夫先生が本日亡くなられたとの訃報が届けられた。
中学時代に担任ではなく教頭であったが、叱られる私を唯一救ってくれた恩師で、高校で落第し不良と化した私に、顔を背けてすれ違う恩師ばかりの中で、駅前にあった「みゆき食堂」で声をかけて下さったのが長谷川先生であった。
「おい、君は大鹿君じゃないか」、「…はァ、そうです…」、「やっぱり、いっぱちだったか(笑)」、「こいつはよォー、わしの神守中学の時の教え子で…」と、一見して不良と判る私を愛知県の幹部(当時の教育次長ら)に紹介し、懐かしそうに私の思い出話を人々に語られた。
その後、恩師は校長として各校を転任され、昭和60年に天王中を最後に退職されたが、最後は海部津島小中学校の校長会長を務められ、平成8年には勲五等双光旭日章を受賞されている。
恩師との関係は高校から大学、社会人と続き、私がPTA連合会の会長を引退した平成6年に恩師のお宅に書道の指導をお願いに伺った。
「おいッ(笑)、あらたまって何だ、まあー座って、おい、かあさん、おい」
「40過ぎの大人として、せめて恥ずかしくない書が書けるように教えて下さい」
「そっちにも多くの書家がおられる中で、小遣い稼ぎみたいな事はしたくない」と頑固に断る恩師に
「先生、多くの書家があってもタダで教えてくれる人はおりませんよ」
「何ッ?どういう事だ?」、「だからタダで教えてもらえるのは先生しかないから」
「なにー?、タダだとッ」、「そうですよ、何も金を払ってとは言ってないでしょ」
「うーん…」、「そうかッ、それじゃオレは今後一銭の金も受け取れんぞッ」
こんな顛末で平成6年秋から書道会『神守丈友会』が始まり、後を後輩の後藤先生に引き継がれたものの、現在まで恩師の『丈』の字を旗印にして書道会が続いている。
長谷川先生は奥様を亡くされた数年前から認知症がすすみ、施設で晩年を過ごされたが、それまでは書道会のために毎週火曜日に迎えに走り、帰りは一緒に居酒屋で一杯を繰り返してきた。
写りの悪い写真ですが、一番上の写真は我家の玄関にかけられている恩師の書(文字不明横書き)で、事務所にも「意欲にまさる人生の知恵はない」の木片(縦書き)がかけられている。
私が発行していた『ふるさとアサヒ』にも10回にわたり「身勝手な回想の日々」を連載してもらい、多くの教え子がいる中で、私の初当選となった時には深夜まで待ってダルマに墨を入れ、真中で万歳をしてもらった写真が残されている。想いは尽きないが、明日の通夜と明後日の本葬まで思い出に浸ってみたい。
3月27日の一言
中学時代に担任ではなく教頭であったが、叱られる私を唯一救ってくれた恩師で、高校で落第し不良と化した私に、顔を背けてすれ違う恩師ばかりの中で、駅前にあった「みゆき食堂」で声をかけて下さったのが長谷川先生であった。
「おい、君は大鹿君じゃないか」、「…はァ、そうです…」、「やっぱり、いっぱちだったか(笑)」、「こいつはよォー、わしの神守中学の時の教え子で…」と、一見して不良と判る私を愛知県の幹部(当時の教育次長ら)に紹介し、懐かしそうに私の思い出話を人々に語られた。
その後、恩師は校長として各校を転任され、昭和60年に天王中を最後に退職されたが、最後は海部津島小中学校の校長会長を務められ、平成8年には勲五等双光旭日章を受賞されている。
恩師との関係は高校から大学、社会人と続き、私がPTA連合会の会長を引退した平成6年に恩師のお宅に書道の指導をお願いに伺った。
「おいッ(笑)、あらたまって何だ、まあー座って、おい、かあさん、おい」
「40過ぎの大人として、せめて恥ずかしくない書が書けるように教えて下さい」
「そっちにも多くの書家がおられる中で、小遣い稼ぎみたいな事はしたくない」と頑固に断る恩師に
「先生、多くの書家があってもタダで教えてくれる人はおりませんよ」
「何ッ?どういう事だ?」、「だからタダで教えてもらえるのは先生しかないから」
「なにー?、タダだとッ」、「そうですよ、何も金を払ってとは言ってないでしょ」
「うーん…」、「そうかッ、それじゃオレは今後一銭の金も受け取れんぞッ」
こんな顛末で平成6年秋から書道会『神守丈友会』が始まり、後を後輩の後藤先生に引き継がれたものの、現在まで恩師の『丈』の字を旗印にして書道会が続いている。
長谷川先生は奥様を亡くされた数年前から認知症がすすみ、施設で晩年を過ごされたが、それまでは書道会のために毎週火曜日に迎えに走り、帰りは一緒に居酒屋で一杯を繰り返してきた。
写りの悪い写真ですが、一番上の写真は我家の玄関にかけられている恩師の書(文字不明横書き)で、事務所にも「意欲にまさる人生の知恵はない」の木片(縦書き)がかけられている。
私が発行していた『ふるさとアサヒ』にも10回にわたり「身勝手な回想の日々」を連載してもらい、多くの教え子がいる中で、私の初当選となった時には深夜まで待ってダルマに墨を入れ、真中で万歳をしてもらった写真が残されている。想いは尽きないが、明日の通夜と明後日の本葬まで思い出に浸ってみたい。
3月27日の一言