
もっとも、今までに看板が無かったことから、学校始まって以来の「初めての快挙」であれば、「こんな事を売物にする事自体の今までの歴史が恥ずかしい」との市民の冷ややかな反応も交わされているのでもある。ただし、かつての公立優位の時代とは違って、最近では私学の特色ある教育に魅力を感ずる家庭も多い。
愚息を何人も抱えた我家も「私学至上主義」であり、勉強嫌いの息子達ではあるが、スポーツだけに専念することで高校生活に生き甲斐を感じている。我家においては嫌いな勉強を捨ててでも、スポーツで汗を流し続ける高校生活だけで親も満足しているが、それに応える指導(学業も含めて)が私学では行なわれている。
大学進学も様変わりして、スポーツだけに専念しても結果を残せば有名大学や、国公立への進学の道が拓け、我家も長男が東京の中央大学に進んだが、東京に行かせる事によって地元に帰る道を困難にし、反面教師で地元の大学に進んだ次男は突然に退学した事から、最後の三男については「本人の希望」に任せているが、三人の息子がいても親の思うようにはならず、家庭を第一に考えると反省すべき想いも強い。
東京を目指すも本人の目標かも知れないが、有名大学の卒業後も親元に帰らず、高齢になっても親だけ残された老々介護の家庭も多く、子供を頼れず議員となった私を頼られる人々も存在する事から、私は卒業後に戻ってくる事を条件にしないと進学を許さない超封建的な頑固オヤジに徹しており、無理矢理長男を戻した事から悪者とも変人とも言われているが、離れ離れになった親子や家庭が社会の大きな負担や問題になってきた事も現実の問題である。
こんな事を記していたら夕食時に、帰宅した三男の口から今後の進路が話題になり、高校の監督から岡山の大学の名前が出され、担任の先生からも競輪学校だけではなく大学進学も含めて将来を考えるように言われたとの話になった。
タイミングが悪く、こんな事を記しており、「どちらを選択しても良いが、地元に帰ってくる事」との私の発言が基になって家族争議となる。家族も本音は同じでも、私の発言が混乱を招くので、暫しは息子の判断待ちとなりました。
さて、前記した東大の看板であるが、いまさら東大でもあるまい。津島市からも多数の東大生が誕生しており、大学院に進んだ者も複数ある中で、なんで東大の立派な看板を立てたのか。立派すぎて撤去も大変そうな看板から、来年も続く事を願いつつ、何でも東京の時代ではない事を叫んでおきたい。
4月11日の一言








