
本日は自分の母校も地元の津島球場で対戦しているが、東海北陸道を利用して岐阜県関市まで他県の高校野球を観戦したのは、大垣日大高校の遊撃手で2年生ながら主力メンバーとして活躍する平野選手が、私が同窓会長を務める地元神守中学校の卒業生で、活躍する母校のOBを追っての観戦です。
試合は日大の投手が不調で緊迫する試合展開となったが、平野選手はチーム初ヒット(写真中)と一点目のホームを踏む活躍を見せてくれ、試合は2対1の接戦ながら大垣日大の勝利となった。
「おい、入場券はいるのかね?」とは、私が長年朝日新聞の販売店を営んでいた事から、無料の入場券でしか観戦した事のない知人の一言で、私自身も入場券(写真上)を支払って高校野球を観戦したのは、昭和48年に名古屋瑞穂球場で東邦高校と西尾高校が対戦した試合までさかのぼる。
この試合では後に早稲田大学から巨人に進み、正捕手として活躍した東邦山倉選手がランニングホームランを放った試合で、私は2回戦で母校と戦った西尾高校への返礼の応援に行き、この試合から山倉選手のファンとして巨人時代まで応援する事となったのでもあった。
今から30数年前の話となるが、当時の東邦監督で「鬼監督」と言われた阪口監督が、数年前から大垣日大の監督となっており、試合終了後の取材陣に答える姿を頭上から見ると(写真下)、かつて青年監督のイメージとは大きな時の経過を実感した。
阪口監督と津島市との縁は深く、20年ほど前に東邦高校が日本一を達成した当時は津島市で合宿し、奈良天理高校との練習試合にも津島球場が使われ、次の夏の大会も津島からのスタートとなり、勝利後に私とのツーショットを撮影してもらったが、撮影者の不手際に鬼監督の鼓動が聞こえるような緊張感があったのを覚えている。
さて、当時の監督の写真と対比しようと探すものの、大量に撮りだめ山積みされた中からは見つからず、半年分の汗をかいた試合観戦と同じくらいの汗をかいたものの、発見には至らなかった。私と阪口監督の写真も、撮影する私の写った写真は珍しく、撮影してもらった仁村さんも今は天上にある。
さあ、来週は長良川球場で対戦との事である。試合後に平野選手とお父さんに「甲子園が決まったら地元神守からバスを出そう」と約束したが、3人の息子が世話になった愛工大名電高校が甲子園を決めたら、三男が最後の在校生のために甲子園にバスを出す事を決めている。大変な夏になる期待と、一生の記憶に残る夏になりそうな期待は実現するだろうか。
ガンバレ!大垣日大高校 ガンバレ!愛工大名電高校
7月6日の一言








