久しぶりにテレビのワイドショーを見ている(昨日の暑さで疲れました)と、巨人の二岡選手とキャスターの不倫報道が始まり、二軍の試合で「モナオカ」とか「フリン」と言われて打席に立ち凡退する映像が流れてきた。
元は巨人のファンであったが、内野を守り余力を残して引退した元木選手や、理不尽とも思えるトレードで横浜に移った仁志選手の隙間を生き残った二岡選手にも嫌悪感が残り、今回の事件では自業自得との印象しか沸かず、引退した桑田投手や再起をかける清原選手の顔が思い出されてきた。
もはやプロ野球には、汗と涙の甲子園の延長線にはなく、札束と力によるチーム編成で、同じ釜の飯を食ったチームワークや同期の桜など微塵も感じさせないし、今回の事件にも最近の巨人や原監督のイメージそのもののようにも思えてきた。ここまで思うと「憎さ百倍」でもある。
この件には下記の人々のブログ↓を参照していただきたい。
http://blogs.yahoo.co.jp/tommiejunior1023/43485113.html
http://blogs.yahoo.co.jp/sotozen7676/34485833.html
http://blogs.yahoo.co.jp/donald13ck/12850975.html
http://blogs.yahoo.co.jp/aibaiipo1970/12196433.html
http://blogs.yahoo.co.jp/satoshi760503/12181357.html
しかし、こんな事なんかを面白可笑しく一日中報じるテレビもどんなものか。今日は新宿の無差別殺傷事件の現場に置かれた「献花台」前に並べられた缶ビールやジュースが持ち去られる現場を映し、持ち去るホームレスや若者を追いかけ、持ち去る理由を身勝手に聞き出そうとしていた。
こんな理由は聞かずとも想像でき、どんな理由を聞き出そうとしていたのか。事件の犠牲者を悼む人々の気持は十分に理解できるが、無数に並べられた缶ジュースが犠牲者や家族の心を癒すとは思えず、本来は公道のスペースだけに配慮すべき対応があったと思われる。
犠牲者は犬やネコではなく、人間であると思うと、ホームレスが持ち出す一本の缶ビールに複数の取材陣が目くじらをたて追いかける報道に、犠牲者の人々の尊厳まで無視されているように思えてきた。
缶ジュース一本でも人の善意には違いないが、供えられた後の処理方法を考えると、置く人々にも配慮が必要で、「何故、缶ジュースなのか」と問いたくもなってくる。
私の祖父も御嶽山に石碑(霊神場)が立っているが、缶ジュースを供えることはなく、先祖の墓にも残されればゴミとなる缶ジュースを置いてくる事はない。
我家の前の道路にも、交通事故の犠牲者となった人の家族が供える花が置かれた時があり、少年時代だっただけに、夜は異様な雰囲気(霊気)を感じていたが、花は枯れ、しばらくして供えられる事もなくなった。数年前にも交通事故(暴走事故)で亡くなった若者の事故現場に花や菓子、ジュースが供えられ、片付ける人もない事から、腐って異臭を放ち住民の困り事ともなっていた。
話が支離滅裂となってきたが、テレビの取材や報道がすべて正しいわけではなく、表現の自由の中でも触れなくてもよい(見せない方が良い)映像もあるのではないか。前記した不倫騒動の主役がテレビキャスターと思うと皮肉にも思うが、缶ジュースを1本持ち出し「生きるために見逃してくれ」と話す人を追及する取材に気分の悪い一日となった。
7月14日の一言
元は巨人のファンであったが、内野を守り余力を残して引退した元木選手や、理不尽とも思えるトレードで横浜に移った仁志選手の隙間を生き残った二岡選手にも嫌悪感が残り、今回の事件では自業自得との印象しか沸かず、引退した桑田投手や再起をかける清原選手の顔が思い出されてきた。
もはやプロ野球には、汗と涙の甲子園の延長線にはなく、札束と力によるチーム編成で、同じ釜の飯を食ったチームワークや同期の桜など微塵も感じさせないし、今回の事件にも最近の巨人や原監督のイメージそのもののようにも思えてきた。ここまで思うと「憎さ百倍」でもある。
この件には下記の人々のブログ↓を参照していただきたい。
http://blogs.yahoo.co.jp/tommiejunior1023/43485113.html
http://blogs.yahoo.co.jp/sotozen7676/34485833.html
http://blogs.yahoo.co.jp/donald13ck/12850975.html
http://blogs.yahoo.co.jp/aibaiipo1970/12196433.html
http://blogs.yahoo.co.jp/satoshi760503/12181357.html
しかし、こんな事なんかを面白可笑しく一日中報じるテレビもどんなものか。今日は新宿の無差別殺傷事件の現場に置かれた「献花台」前に並べられた缶ビールやジュースが持ち去られる現場を映し、持ち去るホームレスや若者を追いかけ、持ち去る理由を身勝手に聞き出そうとしていた。
こんな理由は聞かずとも想像でき、どんな理由を聞き出そうとしていたのか。事件の犠牲者を悼む人々の気持は十分に理解できるが、無数に並べられた缶ジュースが犠牲者や家族の心を癒すとは思えず、本来は公道のスペースだけに配慮すべき対応があったと思われる。
犠牲者は犬やネコではなく、人間であると思うと、ホームレスが持ち出す一本の缶ビールに複数の取材陣が目くじらをたて追いかける報道に、犠牲者の人々の尊厳まで無視されているように思えてきた。
缶ジュース一本でも人の善意には違いないが、供えられた後の処理方法を考えると、置く人々にも配慮が必要で、「何故、缶ジュースなのか」と問いたくもなってくる。
私の祖父も御嶽山に石碑(霊神場)が立っているが、缶ジュースを供えることはなく、先祖の墓にも残されればゴミとなる缶ジュースを置いてくる事はない。
我家の前の道路にも、交通事故の犠牲者となった人の家族が供える花が置かれた時があり、少年時代だっただけに、夜は異様な雰囲気(霊気)を感じていたが、花は枯れ、しばらくして供えられる事もなくなった。数年前にも交通事故(暴走事故)で亡くなった若者の事故現場に花や菓子、ジュースが供えられ、片付ける人もない事から、腐って異臭を放ち住民の困り事ともなっていた。
話が支離滅裂となってきたが、テレビの取材や報道がすべて正しいわけではなく、表現の自由の中でも触れなくてもよい(見せない方が良い)映像もあるのではないか。前記した不倫騒動の主役がテレビキャスターと思うと皮肉にも思うが、缶ジュースを1本持ち出し「生きるために見逃してくれ」と話す人を追及する取材に気分の悪い一日となった。
7月14日の一言








