中国のチベット騒乱や新疆ウイグル自治区の民族紛争に続き、ロシアから独立したグルジア共和国でも国内の民族紛争からロシア軍が進攻する民族間扮装が起こっている。
民族紛争と言えば中近東のイメージが強いが、中近東ではいまだに米軍の空爆が続けられており、平和の祭典といわれるオリンピックが開催されている時期だけに、今までのオリンピックと比較して『みせかけの平和』と言いたいようなイメージが強い。
さて、本日は女子柔道で日本に3個目の金メダルがもたらされたが、開幕前には16個の金メダルを予想する評論家もあったが、誰もが確実に思われるのは水泳の北島選手と、柔道と女子レスリングで5個、男子体操で取れる可能性ぐらいで、マスコミの(日本の)メダル獲得にこだわる報道にはうんざりでもある。
そもそも日本人と中国人、北朝鮮と韓国人の区別はユニフォームがあってできるだけで、容姿では判別もできない事から、国境を超えた応援と交流に進展させるべきで、日の丸を振って日本人選手に絶叫する元テニス選手など応援団に私は嫌悪すら感じるものである。
もっとも、国のメダルや順位にこだわっても、陸上競技についてはオリンピックに出場できない日本人以上の記録を持つアメリカ選手が多数存在し、野球については大リーグの一流選手は1人も出場しないし、サッカーやバスケットについても金メダルでも世界一とは言いがたい。
そんな中で水泳の北島選手の金メダルについては、同じ東洋人として体格の小さい北島選手の優勝を中国も評価して選手の奮起材料として報じられているが、地球の裏側から深夜でもスポーツが放映されている現代社会では、自国の選手についてもメダルの獲得がないと放映されない現実も淋しいものがある。
平和と言いながら世界には多くの紛争が存在しており、開催国の中国国内でも民族の摩擦で事件が起こっている事から、紛争を武力で封じ込んだり、報道規制によってみせかけの平和を演出する事より、現実を直視して平和を求める平和の祭典にして欲しい。
話を巻頭の武力紛争に戻すが、民族間の紛争でも国連の常任理事国であり、巨大な軍事力を有する中国やロシアの武力行使には他国の仲介もままならず、北朝鮮の核廃棄についても核を保有しているから対等のテーブルに相対できる核保有の意義すら感じさせられてくる。
世界で唯一原子力爆弾の被害を受けた日本で、核の保有を容認する発言は批判の集中砲火とされるだろうが、原爆が投下されてから現在まで一度も核爆弾が(実験以外は)使用されていない事から、武力抑止のための核と考えると平和への糸口もありそうだが、平和と言われる日本が、日の丸に誠と記して絶叫するオリンピックからはそれも難しい現実を実感させられる。
8月12日の一言
民族紛争と言えば中近東のイメージが強いが、中近東ではいまだに米軍の空爆が続けられており、平和の祭典といわれるオリンピックが開催されている時期だけに、今までのオリンピックと比較して『みせかけの平和』と言いたいようなイメージが強い。
さて、本日は女子柔道で日本に3個目の金メダルがもたらされたが、開幕前には16個の金メダルを予想する評論家もあったが、誰もが確実に思われるのは水泳の北島選手と、柔道と女子レスリングで5個、男子体操で取れる可能性ぐらいで、マスコミの(日本の)メダル獲得にこだわる報道にはうんざりでもある。
そもそも日本人と中国人、北朝鮮と韓国人の区別はユニフォームがあってできるだけで、容姿では判別もできない事から、国境を超えた応援と交流に進展させるべきで、日の丸を振って日本人選手に絶叫する元テニス選手など応援団に私は嫌悪すら感じるものである。
もっとも、国のメダルや順位にこだわっても、陸上競技についてはオリンピックに出場できない日本人以上の記録を持つアメリカ選手が多数存在し、野球については大リーグの一流選手は1人も出場しないし、サッカーやバスケットについても金メダルでも世界一とは言いがたい。
そんな中で水泳の北島選手の金メダルについては、同じ東洋人として体格の小さい北島選手の優勝を中国も評価して選手の奮起材料として報じられているが、地球の裏側から深夜でもスポーツが放映されている現代社会では、自国の選手についてもメダルの獲得がないと放映されない現実も淋しいものがある。
平和と言いながら世界には多くの紛争が存在しており、開催国の中国国内でも民族の摩擦で事件が起こっている事から、紛争を武力で封じ込んだり、報道規制によってみせかけの平和を演出する事より、現実を直視して平和を求める平和の祭典にして欲しい。
話を巻頭の武力紛争に戻すが、民族間の紛争でも国連の常任理事国であり、巨大な軍事力を有する中国やロシアの武力行使には他国の仲介もままならず、北朝鮮の核廃棄についても核を保有しているから対等のテーブルに相対できる核保有の意義すら感じさせられてくる。
世界で唯一原子力爆弾の被害を受けた日本で、核の保有を容認する発言は批判の集中砲火とされるだろうが、原爆が投下されてから現在まで一度も核爆弾が(実験以外は)使用されていない事から、武力抑止のための核と考えると平和への糸口もありそうだが、平和と言われる日本が、日の丸に誠と記して絶叫するオリンピックからはそれも難しい現実を実感させられる。
8月12日の一言








