本日は横井庄一記念館の留守番となりましたが、久々に開館した午前10時から閉館する午後4時半まで訪問客が続く一日となりました。

 さて、以前の事ですが、館長(横井夫人)より、私が話すと横井庄一のイメージを変えるとの一言があり、私の気になる一言となっていましたが、それは私が知る横井庄一が、一般の人々がイメージする横井庄一像とは違う、本当の素顔を語ってしまう事にあるようでした。

 人々は自分の苦しい時の話はあまりしたくなく、横井さんも夫人に対しても自分の幼少時の苦しい話はあまりしなかったようで、私は横井庄一が幼少時を過ごした大鹿家の跡取になる事から、当時を思い出しながら語られた話を知る事から、初対面の訪問者に語ってしまう事があり、今にして思えば我家の恥かき話でもある事から言われて納得です。

 その横井庄一が我家に生活した当時を知る人は今はほとんどなくなり、同居した先祖は曾祖母を除いて全員が没して50年以上が経過しています。そして本人が没して来年は13回忌を迎えようとしています。

 横井庄一さんと関係のあった人々も多くが天上の人となっており、本日も久しぶりに朝日新聞社の編集委員を務められた大鹿八郎さんの話となりました。私も朝日の販売店ではありましたが、ミニコミ誌を発行していた事と、名前が一字違いのために人々に同一人物と勘違いをされ、横井さん同様に可愛がられておりましたが、八郎さんのお兄様が宝塚市に存命であり、六月に連絡をいただいたままとなっている事から、年内には是非とも訪問したいとの話題にもなりました。

 そういえば、私の親と生き別れとなっていた祖父の在所を知る三重県の人が、横井庄一記念館を訪れられてからちょうど一年が経過している。↓
http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/25547245.html

 忙しさにかまけて積み残した仕事の後回しにしてある『人との縁』が、ギリギリの限界まできている事も実感する一日となりました。
                            9月7日の一言