「ミニアルバムのサービスは先月で無くなりました」と、カメラの大手チェーンの窓口で店員が張り紙を指さし、今まで写真の現像と同時プリントに付いていたアルバムは今後30円が必要になったと告げた。「近いうちに安売りのフイルムも無くなりますよ」との一言も加えられた。

 数年前まではフイルムを現像と同時プリントすると、1本のフイルムがサービスで付いていたものが無くなり、今年の9月までで200円引きのサービスが廃止され、追い討ちをかけるようにアルバムが無くなり、近いうちに格安のフイルムも無くなると聞くと、フイルムカメラが瀬戸際になった事を実感させられる。

 富士フイルムはフイルムの製造を続けると発表しているものの、このままでは高価なフイルムしか無くなり、カメラ店のサービスもデジタルカメラのみとなると、確実にフイルムカメラの利用客は減少し、特殊な撮影やこだわりの利用客(何のメリットも無くなりつつあるが)でもデジタルカメラに移行していくのではないか。

 さて、今年の夏に、久々に高校野球を撮影した際に、カメラの電池が切れて撮影ができず、予備のカメラを使用した事から、電池やカメラの調子に関係なく、確実に一枚一枚撮影できる、かつての機械式カメラの魅力を再認識し、2年前にオーバーホールしたカメラを机の上に置いたが、いずれはデジタル化への流れには逆らえない運命なのか。

 しかし、時代の流れに逆らってみても、機器の近代化はカメラをより身近な存在とし、最近では携帯電話のカメラでも事足りるようになっているが、フイルムカメラでも自動式カメラに慣れた事から、機械式カメラではシャッターチャンスにフイルムが巻き忘れてあったり、フイルム感度(ASA)が換えてなかったりと不便な事は間違いがなく、何度も撮り直しのきくデジタルカメラが便利と言えば便利には間違いがないのだろうが。

 昨年の春にカメラのストロボが壊れ、メーカーに出したものの部品が無いと修理ができず、代わりのストロボを入手したものの、カメラでも自動式カメラは部品がないと修理はできず、不思議な現象ではあるが、それ以前に製造された機械式カメラは修理ができるのである。

 頑強な金属を使用し、一生使えるカメラと性能抜群のレンズも、使用者がフイルムのハイリスクを覚悟しないとならない時代となりつつある。かつて小さなカメラ屋に電池を購入しに入ったところ、「そんな旧い物は無い」と迷惑そうに言われたが、当時は品揃えが悪かっただけだったが、現在では完全に製品そのものが製造されずに無くなっているのである。

 学生時代に白黒フイルムの暗室作業に熱中し、何とかカラーフイルムにも挑戦しようとした経験は何だったのか。印画紙に文字を写し込んで自慢していたのは誰だったか。遥か昔の時代話のようでもあり、あえてサービスの悪くなるフイルムをいつまで使えるのであろうかと…
                                   11月12日の一言