

さすがに私へは鬼面の家内も、子供の練習について行く馬鹿親父までは引き止める事ができず、私はまんまと外出に成功しましたが、これからが大変な展開となり、寒風に向かい逆風の北西に向けて自転車を走らせるものの、息子ははるか彼方に消え去り、風に向かう坂道はペダルを踏んでも自転車が走りません。
「頼むから25キロで走ってくれ」と言ったものの、それでも息子の姿は遠くなり、「たっ、頼む、20キロにしてくれ」と言っても強風に立ち向かうとついていけません。何度も息子が戻ってきながら、息子がアップに利用している木曽川沿いの農道まで辿り着き、自動販売機をさがすものの周りは田畑ばかりで見当たりません。
黙々と自分の練習を繰り返す息子を尻目に、自分はある自転車乗りのブログにいつも写されてくる場所まで走りましたが、木曽川の堤防の上に出たのが失敗で逆風は今まで以上に強く、足の痛みよりも涙で前が見えない位の風を黙々と走って、辿り着いたのが上の写真です。(携帯の感度が悪いですが、温度計の電光掲示板です)
自転車を降りた私の足は、まるでペダルを回すように勝手に走り出し、今にも転びそうな状態で、自転車を杖がわりにして移動して記念撮影です。この傍らを見慣れたユニフォーム姿のペアが津島市の方へ走り去っていきましたが、ヘルメットもなく白いジャンパー姿のマスク人間を走り屋とは認識もされず、次々とロードマンが走り去っていきました。
ただし、ここからの帰路は追い風となり、スイスイと自転車は走りますが、寒さに手が強張る展開となり、息子の練習場所に戻ったものの、息子の姿は見当たらず、それでも親馬鹿で万が一と待ち続けましたが、どうやら行方不明の私をおいて帰った様子から、ついでに市内散策を兼ねて走る事とし、元旦を迎えて露店が建ち並ぶ津島神社(写真下)にも立ち寄り、馴染みの喫茶店経由での帰宅となりました。
これでも限界で精一杯の私ですが、帰宅後の私を待つ息子の言葉は容赦なく、「あれじゃー、ママチャリのお母さんより遅いわ」と言われる始末で、いくら頑張っても高校生の息子の前を走る可能性は皆無で、年相応の走りに徹して来年8月を目標に走ります。もっとも、4月からは息子が毎日早朝練習をはじめますから、練習する機会は増えますが、問題は私の3日坊主にありそうです。
12月30日の一言
追伸
カメラのお蔭でユーラシア号(昭和55年製)も輝いてみえるでしょう。








