本日からは仕事再開となり、印刷用紙を買いに走るものの文具店は正月休みのままであったが、ホームセンターを覗くと印刷用紙が山積みとなっており、大量の用紙を買い込んで帰り、元日より待ち続けたカメラ屋も本日より営業をはじめており、「時間がかかります」の一言があったが、2時間後には写真が出来上がってきた。

 さて、このまま印刷となる予定であったが、娘から電話があり、4月に予定されている結婚式に使う写真をスキャナーからパソコンに取り込んで欲しいとの話から、深夜までかかって新郎新婦の幼い頃からの写真をパソコンに取り込む作業に関わる事となり、肝心の私の仕事は(親バカから)明日へ後回しとされてしまったのでした。

 そうなると、明日には年始直後の日曜日にもかかわらずボランティアとして仕事を依頼してある知人は、何も知らずにやってくる事から、私が朝から頑張ってみてもそれは長い一日となる事は必死で、私の親バカの理由では許されないと思われるが…

 朝一番で親の月参りに訪れた住職から、「お墓の場所を移動させなければならない」と言われ、今後計画されている本堂の建て替えによって、我家の先祖代々の墓を移設させて欲しいとの話を聞かされた。
 全く納得はできないものの、年末に京都の本山でお世話になってきた事と、今年は父親の17回忌と来年は曾祖母の50回忌が予定されている事から無言のままとなったが、こんな事は建て替えの寄附の説明をする前に話すべきであり、墓があるから平均とされる寄附金額よりわずかでも余分に提示した気持は寺側に理解されているとは思えない。

 四国遍路や京都のお寺からすがすがしい気持をいただいて帰ってくるが、地元のお寺は「先祖供養」のお勤め役のみとなっており、寺から示された代替地は本堂の裏側の日陰のような口ぶりから、道路拡幅に引っかかって用地買収される土地のように先祖の墓が思われているようでがっかりとさせられた。

 先祖代々にわたり、我家の供養をお願いしてきたお寺であり、私の叔父も出家してお世話になったお寺ではあるが、私が生きていく中では先祖供養のみで、私自身の精神的支えとする寺ではないだけに、先祖の墓の事務的な移設から、先祖の位牌の精についても疑問を感じさせられてしまう。

 「お寺は檀家の物」との発想から、事あるごとに寄附の話が当り前のように出されるが、こんな事はいずれ通用しなくなると思われる。少なくとも、私は四国遍路や訪れたお寺からすがすがしい気持をもらいながら、その恩を無にしてきてはいない。

 「お寺は檀家の物」とは言え、お寺の考えで運営されており、檀家は言われるままである現実と、生きる者に対する精神的支柱となろうとする寺院も存在する事から、改めて四国88ヶ所霊場会からいただいた先達教典を読み直す深夜となった。
                                  1月3日の一言