昨日は一日中外出するとともに、目まぐるしいスケジュールから、パソコンで鶴田浩二さんの映像と唄声に浸っていたが、来週開催予定の新聞折込用のチラシの印刷が終ると、朝刊を配達するバイクが店先を通過していき、読みたい心境を抑えて仮眠を取ると、朝一番で市役所や市民病院からの電話が続き、新聞を読む時間も無いまま外出となった。
さて、明日も午前中より車イスによるバリアフリー検証があり、夕方からはセミナーの講師やパネラーとの事前打ち合わせがあり、夜は名古屋まで走る事から、休憩は今しか無いと知人を誘うと、セミナーの広告を公共施設に配布中であり、終了を待って珈琲屋行きとなったが、この休憩も本日は書道会の書初めがあり、新聞折込も数千枚残している事から、本当の休憩は連休の出初式や成人式を終え、最終日の地域セミナーが終らないと来ないらしい。
それも、セミナー用に借りた車イスや視聴覚機器の返却を済ませ、自分の会報と旅行会の新年号を発行しない事には心が収まらず、セミナーの全費用も開催後に愛知県から支給されるものの、支給されるまでは私のヘソクリで立て替えとなる事から、春が来るまでは気候と共にフトコロも寒いままの生活となりそうです。
こうなると私の金銭と戻ってくる公金の境目が判らなくなり、自分のお金が戻ってきても公金を使っているようで気が治まらず、ヘソクリはボランティア用に封印されたままにしてあるが、こんな時に国からの交付金を愛知県の各部署が不正流用したり、裏金としていた事から、せめてボランティア用には直ぐに費用が支払われるようにして欲しいと願う。
正月が来たらとか、来月になったらとか、自分が伸び伸びと自由気ままに旅先で寝そべってみたいと考えるが、積み残した仕事は残ったままで減らない事から、私の行動範囲は大幅に見直して行動しないと、「何をやっていたのー」とお叱りを受けることとなり、議員専業ではやりくりのつかない家計と、無償の仕事との狭間に悩まされる。
「来年からはお父さんも働くから」と、息子の進路と自転車競技への応援を力強く語っていたが、春には娘の結婚式も迫ってくることから、議員専業も風前の灯火となるか、「貧乏人は麦を食え」の精神で堪えしのぐか、人生の際どい選択のようにも感じられるが、家内の働きを頼りにしては亭主としては情けないばかりでもあるが…
「ところで、働くって何をするんだ」との知人の一言に、「?」返す言葉も出せず、「朝の新聞配達ならできそうだ」の言葉に、「そこまでするのか」の言葉が返り、自分にできる事が見いだせず、議員になって先祖伝来の遺産を減らしたとは言われたくないと思うと…、つい「税金が高すぎる」との社会への怒りへと発展する。
こんな顛末ばかりの一言となると、読まれる皆さんにも苦しみと惰性の暗さを与えそうですが、新聞をじっくりと読む事もできない状態ではご勘弁をいただき、明るい光明を見出すように祈って下されば幸いです。ちなみに光明真言は「おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん」です。(暗ーい)
1月6日の一言
さて、明日も午前中より車イスによるバリアフリー検証があり、夕方からはセミナーの講師やパネラーとの事前打ち合わせがあり、夜は名古屋まで走る事から、休憩は今しか無いと知人を誘うと、セミナーの広告を公共施設に配布中であり、終了を待って珈琲屋行きとなったが、この休憩も本日は書道会の書初めがあり、新聞折込も数千枚残している事から、本当の休憩は連休の出初式や成人式を終え、最終日の地域セミナーが終らないと来ないらしい。
それも、セミナー用に借りた車イスや視聴覚機器の返却を済ませ、自分の会報と旅行会の新年号を発行しない事には心が収まらず、セミナーの全費用も開催後に愛知県から支給されるものの、支給されるまでは私のヘソクリで立て替えとなる事から、春が来るまでは気候と共にフトコロも寒いままの生活となりそうです。
こうなると私の金銭と戻ってくる公金の境目が判らなくなり、自分のお金が戻ってきても公金を使っているようで気が治まらず、ヘソクリはボランティア用に封印されたままにしてあるが、こんな時に国からの交付金を愛知県の各部署が不正流用したり、裏金としていた事から、せめてボランティア用には直ぐに費用が支払われるようにして欲しいと願う。
正月が来たらとか、来月になったらとか、自分が伸び伸びと自由気ままに旅先で寝そべってみたいと考えるが、積み残した仕事は残ったままで減らない事から、私の行動範囲は大幅に見直して行動しないと、「何をやっていたのー」とお叱りを受けることとなり、議員専業ではやりくりのつかない家計と、無償の仕事との狭間に悩まされる。
「来年からはお父さんも働くから」と、息子の進路と自転車競技への応援を力強く語っていたが、春には娘の結婚式も迫ってくることから、議員専業も風前の灯火となるか、「貧乏人は麦を食え」の精神で堪えしのぐか、人生の際どい選択のようにも感じられるが、家内の働きを頼りにしては亭主としては情けないばかりでもあるが…
「ところで、働くって何をするんだ」との知人の一言に、「?」返す言葉も出せず、「朝の新聞配達ならできそうだ」の言葉に、「そこまでするのか」の言葉が返り、自分にできる事が見いだせず、議員になって先祖伝来の遺産を減らしたとは言われたくないと思うと…、つい「税金が高すぎる」との社会への怒りへと発展する。
こんな顛末ばかりの一言となると、読まれる皆さんにも苦しみと惰性の暗さを与えそうですが、新聞をじっくりと読む事もできない状態ではご勘弁をいただき、明るい光明を見出すように祈って下されば幸いです。ちなみに光明真言は「おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん」です。(暗ーい)
1月6日の一言








