朝日新聞の夕刊に「議会未来形」として、シリーズで議会の先進的事例や議会改革の具体的内容が記事となって伝わってくる。本日の記事の中に、「仕事は口利きと言われてきた議会が変わりつつある」との一文があり、見方を変えると口利きは前時代的で悪のようにも取れますが、改革の言葉に隠れて議員が住民の生活とかけ離れた存在になるのも問題と思います。

 そもそも、口利きと言う言葉の意味が抽象的であるが、議員が選挙の集票を目的としたり、金銭的な見返りを期待した場合に問題があるのであって、議員が持つ行政とのパイプや企業などへの関係が、口利きと言われる行為であっても、理不尽にも相手にされない人々や、相談相手のない人々の役に立つのであれば意義も見出せるものでもある。

 市民が訴えても全く聞く耳を持たない行政の窓口にも問題があるが、議員がパイプ役になる事で地域社会の生活に役立ったり、個人の問題でも市民生活が改善される事は大いに結構だし、我々が議員であり続けるためには、良い意味で口利きのできるような人脈やパイプ役になる努力も必要と思われる。

 問題は公正であり、特別な計らいではなく、総ての人々にあてはまる対応である事が重要となるが、地域社会や組織の中では何ともし難い問題も存在し、家庭内の問題まで踏み込むと、我々議員のもとには、まるで弁護士か警察の仕事と思われるような相談も多く、どこまで関わって良いのか考えさせられる問題も多い。

 本日は子供(40代)の暴力に耐えかねた母親から相談を受け、家庭内の様子が判らない事から身の上話に始まり、深刻とは思うものの子供も知っている事から、警察沙汰にもしたくないし、万が一を考えると放置もできない問題だけに、知り合いの警察官に相談する事で別れたが…

 高齢となった親の金をあてにして、貸さないと暴力では堪らない話だが、同居していないとは言え親子の問題だけでなく、可愛い孫も存在する事から、何とか穏便に済ませたいが、話では何度も繰返し続いている事と、暴力による体のダメージも大きく放置できない問題であった。

 口利きの解釈を善意として考えるか、悪意で考えるかによって違うが、困って何ともならない問題を解決するためには必要な口利きもあり、議会の改革や議員の理想像からこういった問題を封印してしまう事は議員の存在価値もなくす事になりはしないか。
                                  1月8日の一言