本日は叔父(父親の弟)から電話があり、出ると同時に切れてしまったが、携帯電話の履歴を見ると朝から何度も留守録履歴に残っていたことから、何事か(一大事か)と出かけると今週末に催される寺の御忌会と涅槃会の確認であった。

 私は政治の道に入ってから、毎年この行事に招かれ、一年間の政治活動を参拝する人々に報告する慣例が続いており、隠居したものの叔父が育ったお寺である事から、住職も参拝者も私のために時間を空けていただいて話をするのですが、ここ数年間は頭の半分程度が四国遍路となっている事から、宗派の違う真言宗のお寺の話を複数の僧侶の前で話してきたのでした。今にして思うと恥ずかしい限りで、今年は資料を持って初心で市政報告をしたいと考えています。

 本日訪問した際に叔父の手元に、住職から私に手渡して欲しいと言われた手紙があり、中身を見ると「大鹿一族」に関する文献で、古文書や鈴鹿市史などをまとめた一文でしたが、既に私が所持している文書であり、あまりにも簡単な文書でしたが、わざわざ赤線が引いてある事から有難く持ち帰りました。

本日手渡された文書⇒http://www.pref.mie.jp/BUNKA/TANBO/Q_A/02.htm

 私の大鹿姓や一族の研究は、昭和五十年代に始まりましたが、当時はパソコンやインターネットも無い事から、歴史書や古文書を読んだり(満足に読めませんが)コピーし、時には高価すぎる本を購入して私流の大鹿研究と資料を集めていました。

 ただし、こんな研究は時間の限度がありませんし、どうせ人の研究の集積程度であった事から、数年前まで忘れた存在となっていましたが、ある大鹿さんが全く間違った迷説を語っていた事から、過去に集めた資料を探したものの、政治への転進時に人々に捨てられてしまったらしく、探しながらもインターネット上から検索できる関係文書だけでも残そうと、資料として集積するブログを残していました。

大鹿一族歴史探訪⇒ http://red.ap.teacup.com/oshika18/

 人々の研究した資料や、公表された文書の集積だけで、今から千五百年前まで遡る歴史ですが、ここに記される伊勢の古族大鹿(おおが)氏と、私の隣町の大鹿家(大大鹿と言われてきました)とをつなぐ古文書が現存する事から、集積した難しい資料を現代用に解説する仕事が必要ですが、当分は集積に務め、議員を引退後にゆっくりと完成させたいと思っています。

 さて、最近では前記した大鹿一族の歴史探訪が私の運営と知らず、わざわざ印刷までして持ってきて下さる人や、私に得意げに教える人もあり、本日手渡された資料を見て、放置されたままのブログを見直して、新たな資料を添付した次第です。

 ここには公開しておりませんが、このブログを見て連絡をいただいた人も多く、四国の香川県にも大鹿一族がある事や、新たな情報もある事から、今後は何気ない大鹿情報も添付するか記録をして残したいと思った次第でもあります。

 昨年の6月には量子物理学の権威である宝塚在住の大鹿譲さん(大阪工大名誉教授)から連絡があり、私が親しかった朝日新聞編集委員の大鹿八郎氏の兄にあたるという話から、隣町の大鹿家の関係者でもあり、「色々話したい」と言われながら放置してある事から、改めて反省と行動したいと思う一日ともなりました。
                                   2月9日の一言
大鹿譲さんの書物一覧↓
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/%91%E5%8E%AD%8F%F7/list.html