「144-89」、「154-89」は、昨日と本日の私の血圧(市役所内)です。こんな事を記したのは、家族で心拍数の数字が話題になったためで、心拍数の「40」を基本にしてスポーツマンの心拍数が話題となり、「86・昨日」、「114・本日」の私の心拍数は問題外との話です。
こんな言われ方をされると病人のような気持になりますが、パソコンで検索↓↓したところ異常ではなく、本日の心拍数は運動後のために高く、さほど心配とは思えません。
心拍数 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%83%E6%8B%8D%E6%95%B0
心拍数と運動強度 http://www.geocities.jp/jitensha_tanken/pulse.html
さて、日曜日の一言に「足のむくみ」を記し、検索した対処法まで添付しましたが、足を少し高く上げて寝ていたところ本日には回復しており、よけいな心配をしたようでしたが、そろそろ心配する年齢になっている事は間違いがありません。
本日は経済建設委員会が開催されましたが、昼には帰宅できる事となり、議会中に空いたわずかな時間に、同級生ながら独り暮らしで寝たきり状態となった知人の自宅を1年ぶりに訪問しました。もっとも、1年前の訪問時には寝たままで反応もなく、彼と話したのは数年前の事となります。
彼は私にとっては貴重な支持者でありますが、2年前の選挙には投票も頼めない無反応状態に陥り、本日も生きている事の確認のような気持での訪問でしたが、無反応の玄関から勝手に寝室へ上がりこみ、無反応の身体を揺すったところ、元気に起きたではありませんか。
声も大きく久しぶりの私に喜んでくれましたが、彼が訪問時に全く反応を示さなかったのは、彼は耳が全く聞こえない状態になっているためで、眼も満足に見えない事からテレビも片付けられていますが、見えなかった眼は見事に回復し、スポーツ新聞が開いてありました。
本日は彼に指で指図され、広告の裏の白紙にマジックで筆談となり、月・水・金の午前中にヘルパー2人が訪問し、目と耳と内臓の治療には津島市民病院に通院し、週に一度はリハビリにも通っているために、以前の死人のような状態からは見事に回復(何とか立ち上がれる程度ですが)していました。
訪問する度に無反応であったのは、大声で呼びかけても耳が聞こえないためで、これからは寝室まて入って布団の上から身体を揺さぶる必要がありますが、ヘルパーの存在によって身体も清潔で、病気で独り暮らしだった以前とは段違いで、頑張れば一緒の外出も可能かもしれません。
ただし、職を失って10年以上となり、身体を壊しても家族は無く、一度は仮死状態の彼を病院に運んだ事もあっただけに、訪問する度に悲惨になっていた生活が、介護保険制度の恩恵から何とか向上していたものの、介護が必要な彼を訪れる友人は1人もなくなっている現実は変えようがありません。
「おい、暇かッ」と、知人達と行き先も告げずに広島まで出向き(平成8年)、飲み屋の女性に宝石を買い込んだ姿を知っているだけに哀しい現実ですが、数年ぶりの会話となる私が唯一の友人と言われると、何とか自立できる身体になってもらいたいものでもある。
6月11日の一言
こんな言われ方をされると病人のような気持になりますが、パソコンで検索↓↓したところ異常ではなく、本日の心拍数は運動後のために高く、さほど心配とは思えません。
心拍数 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%83%E6%8B%8D%E6%95%B0
心拍数と運動強度 http://www.geocities.jp/jitensha_tanken/pulse.html
さて、日曜日の一言に「足のむくみ」を記し、検索した対処法まで添付しましたが、足を少し高く上げて寝ていたところ本日には回復しており、よけいな心配をしたようでしたが、そろそろ心配する年齢になっている事は間違いがありません。
本日は経済建設委員会が開催されましたが、昼には帰宅できる事となり、議会中に空いたわずかな時間に、同級生ながら独り暮らしで寝たきり状態となった知人の自宅を1年ぶりに訪問しました。もっとも、1年前の訪問時には寝たままで反応もなく、彼と話したのは数年前の事となります。
彼は私にとっては貴重な支持者でありますが、2年前の選挙には投票も頼めない無反応状態に陥り、本日も生きている事の確認のような気持での訪問でしたが、無反応の玄関から勝手に寝室へ上がりこみ、無反応の身体を揺すったところ、元気に起きたではありませんか。
声も大きく久しぶりの私に喜んでくれましたが、彼が訪問時に全く反応を示さなかったのは、彼は耳が全く聞こえない状態になっているためで、眼も満足に見えない事からテレビも片付けられていますが、見えなかった眼は見事に回復し、スポーツ新聞が開いてありました。
本日は彼に指で指図され、広告の裏の白紙にマジックで筆談となり、月・水・金の午前中にヘルパー2人が訪問し、目と耳と内臓の治療には津島市民病院に通院し、週に一度はリハビリにも通っているために、以前の死人のような状態からは見事に回復(何とか立ち上がれる程度ですが)していました。
訪問する度に無反応であったのは、大声で呼びかけても耳が聞こえないためで、これからは寝室まて入って布団の上から身体を揺さぶる必要がありますが、ヘルパーの存在によって身体も清潔で、病気で独り暮らしだった以前とは段違いで、頑張れば一緒の外出も可能かもしれません。
ただし、職を失って10年以上となり、身体を壊しても家族は無く、一度は仮死状態の彼を病院に運んだ事もあっただけに、訪問する度に悲惨になっていた生活が、介護保険制度の恩恵から何とか向上していたものの、介護が必要な彼を訪れる友人は1人もなくなっている現実は変えようがありません。
「おい、暇かッ」と、知人達と行き先も告げずに広島まで出向き(平成8年)、飲み屋の女性に宝石を買い込んだ姿を知っているだけに哀しい現実ですが、数年ぶりの会話となる私が唯一の友人と言われると、何とか自立できる身体になってもらいたいものでもある。
6月11日の一言








