本日まで開催されていた茜合同展が終わったが、これまで22年にわたって続いてきた歴史よりも、茜屋という一珈琲屋に毎週入れ替わり出展されてきた街の芸術家の層の厚さと、そのレベルの高さに驚かされている。
かつては百人を超える参加があったと言うが、さすがに22年も経過すると亡くなる人も多く、昨年には私の書の恩師(中学校の恩師)と一緒に3人展を開いてみえた木村輝夫さん(日本一の雪駄職人)が病床にあった事から、マスターに出展を勧められ迷った挙句に出展を決めた。
「それじゃー、写真を出します」
「いやー、あんたは書でいいわッ」
「えっ、写真なら何とかなるけど」
「あんたは書で良いの」
「書は下手だから…」
「それで良いの」
「えッ、それでは恥ずかしいでしょ」
「あんたは書で恥をかいたら良いの」
そんな理不尽な会話で書を出展したものの、マスターは口には出さないものの恩師や木村さんなど去っていった人の存在もあり、病気も体験したことから寂しさは隠せず、私のように芸術とは無縁でレベルも低い者に声がかけられたと思われる。
さて、今回の作品は昨年に引き続き「写経」であるが、忙しさから筆が走らず、昨年より出来栄えが悪く、そのために写真も出展することとしたものの、何を出展すべきか迷い、写真の心得のある人に選択してもらった作品を出展した次第です。
こんな間に合わせの出展は私の自己嫌悪を増幅させ、この日のために最高の作品を仕上げられる人との大きな差となり、普段どおりの書は勿論のこと、写真にしても最低の安い額に入れたこと自体に作者としての思いやりが不足していました。
しかし、こんな私に出展を勧めてもらったマスターのおかげで、来年1月の上高地の写真展が決まりましたが、私にとっては十数年ぶりの写真展となり、これからは「書」と「写真」についても作品として仕上げる課題ができました。
昨日から広島県三原市に出かけていた家内と息子が帰り、結果は19位と私の期待よりは低かったものの出場選手が多く(187名)、スタート時点で先頭集団にいないとコースが狭く、抜き去ることもできないため、息子の後ろにも強い選手が多かった様子です。
それでも今回の成績によって9月の「全日本選手権」への出場が決まり、次の目標につながったのは幸いで、ケガもない事から来週も富士山へのレースが続きます。子供の心配より自分の心配の方が必要な現状なんですがね。
6月21日の一言
かつては百人を超える参加があったと言うが、さすがに22年も経過すると亡くなる人も多く、昨年には私の書の恩師(中学校の恩師)と一緒に3人展を開いてみえた木村輝夫さん(日本一の雪駄職人)が病床にあった事から、マスターに出展を勧められ迷った挙句に出展を決めた。
「それじゃー、写真を出します」
「いやー、あんたは書でいいわッ」
「えっ、写真なら何とかなるけど」
「あんたは書で良いの」
「書は下手だから…」
「それで良いの」
「えッ、それでは恥ずかしいでしょ」
「あんたは書で恥をかいたら良いの」
そんな理不尽な会話で書を出展したものの、マスターは口には出さないものの恩師や木村さんなど去っていった人の存在もあり、病気も体験したことから寂しさは隠せず、私のように芸術とは無縁でレベルも低い者に声がかけられたと思われる。
さて、今回の作品は昨年に引き続き「写経」であるが、忙しさから筆が走らず、昨年より出来栄えが悪く、そのために写真も出展することとしたものの、何を出展すべきか迷い、写真の心得のある人に選択してもらった作品を出展した次第です。
こんな間に合わせの出展は私の自己嫌悪を増幅させ、この日のために最高の作品を仕上げられる人との大きな差となり、普段どおりの書は勿論のこと、写真にしても最低の安い額に入れたこと自体に作者としての思いやりが不足していました。
しかし、こんな私に出展を勧めてもらったマスターのおかげで、来年1月の上高地の写真展が決まりましたが、私にとっては十数年ぶりの写真展となり、これからは「書」と「写真」についても作品として仕上げる課題ができました。
昨日から広島県三原市に出かけていた家内と息子が帰り、結果は19位と私の期待よりは低かったものの出場選手が多く(187名)、スタート時点で先頭集団にいないとコースが狭く、抜き去ることもできないため、息子の後ろにも強い選手が多かった様子です。
それでも今回の成績によって9月の「全日本選手権」への出場が決まり、次の目標につながったのは幸いで、ケガもない事から来週も富士山へのレースが続きます。子供の心配より自分の心配の方が必要な現状なんですがね。
6月21日の一言








