本日は父親の17回忌であったが、来年には私の曾祖母の50回忌を迎えるため、家族だけの法要としたものの、法要の始まる前から市役所職員の訪問を受け、戻った時には半分が終わって中休みとなっており、終了後は僧侶3人と家族4人で昼食に出かける簡単な法要でもありました。
私の父親は平成5年に亡くなっているが、16年も経過すると親を話題にする事も少なくなり、今年は先祖の墓がお寺の改築によって場所を移動する事から、遺骨の移動も必要となり、仏壇に残された分骨についても本日の話題となりました。
「本山に収めてもらえば故人も喜ぶ」との住職の一言があったが、我家が檀家となっているお寺の本山は浄土宗の「知恩寺(京都・百万遍)」で、私の父親は訪れた事もなく、自分の祖母の遺骨を総本山の「知恩院」に収めてきたくらいで、(住職も当時は知恩院が本山と思っていた)知らないお寺に収めても喜ぶとは思えない。
「死んだら全部入れてあげるからね」の一言は、私が四国遍路に持ち歩く朱印帳や白衣や輪袈裟などの一式であるが、私は自分が死んだ時にこれらを棺桶に入れて欲しいとは思ってはおらず、むしろ後々まで残して欲しいと思っている。
「そのために廻っているんでしょう?」なんて一言を聞くと、同じ家庭に住んでいても「浄土真宗」の家から嫁いできた家内や母親の感覚はそんなものかと悲しくさえなってきます。
「南無阿弥陀仏」と唱えさえすれば天国に行けるとでも思っているかもしれないが、私は死んだ後の事を考えて四国に出向いてはおらず、朱印帳についても重ね印によって真っ赤にして末代まで残したいと考えています。
本日の法要では、仏壇の片隅でススで真っ黒になり、ネズミにかじられた「弘法大師」坐像の修復も話題となり、9月に住職により「お精抜き(おしょうぬき)」が行なわれる事が決まりました。
この坐像は、私の父親と生き別れたまま亡くなった祖父が、我家に養子に入った時に持ち込み「弘法様」として加持祈祷に参拝されていた仏像で、近所の古老から聞いた話では「婦人病に効く」と評判で、昭和初期に人力車で人々が訪れていたとの因縁が残されています。養子とは言え、幼い子供達を残したままに家を出た祖父ですので、幸せな人生ではありませんでしたが…
私には何も「法力」はありませんが、祖父が残した事から肩身の狭いままの坐像を修復する事から、私の人生の後半戦に臨み、私のライフワークとしている四国遍路の素晴らしさを近隣の人々にも発信したいと考えています。
7月3日の一言
私の父親は平成5年に亡くなっているが、16年も経過すると親を話題にする事も少なくなり、今年は先祖の墓がお寺の改築によって場所を移動する事から、遺骨の移動も必要となり、仏壇に残された分骨についても本日の話題となりました。
「本山に収めてもらえば故人も喜ぶ」との住職の一言があったが、我家が檀家となっているお寺の本山は浄土宗の「知恩寺(京都・百万遍)」で、私の父親は訪れた事もなく、自分の祖母の遺骨を総本山の「知恩院」に収めてきたくらいで、(住職も当時は知恩院が本山と思っていた)知らないお寺に収めても喜ぶとは思えない。
「死んだら全部入れてあげるからね」の一言は、私が四国遍路に持ち歩く朱印帳や白衣や輪袈裟などの一式であるが、私は自分が死んだ時にこれらを棺桶に入れて欲しいとは思ってはおらず、むしろ後々まで残して欲しいと思っている。
「そのために廻っているんでしょう?」なんて一言を聞くと、同じ家庭に住んでいても「浄土真宗」の家から嫁いできた家内や母親の感覚はそんなものかと悲しくさえなってきます。
「南無阿弥陀仏」と唱えさえすれば天国に行けるとでも思っているかもしれないが、私は死んだ後の事を考えて四国に出向いてはおらず、朱印帳についても重ね印によって真っ赤にして末代まで残したいと考えています。
本日の法要では、仏壇の片隅でススで真っ黒になり、ネズミにかじられた「弘法大師」坐像の修復も話題となり、9月に住職により「お精抜き(おしょうぬき)」が行なわれる事が決まりました。
この坐像は、私の父親と生き別れたまま亡くなった祖父が、我家に養子に入った時に持ち込み「弘法様」として加持祈祷に参拝されていた仏像で、近所の古老から聞いた話では「婦人病に効く」と評判で、昭和初期に人力車で人々が訪れていたとの因縁が残されています。養子とは言え、幼い子供達を残したままに家を出た祖父ですので、幸せな人生ではありませんでしたが…
私には何も「法力」はありませんが、祖父が残した事から肩身の狭いままの坐像を修復する事から、私の人生の後半戦に臨み、私のライフワークとしている四国遍路の素晴らしさを近隣の人々にも発信したいと考えています。
7月3日の一言








