北海道大雪山系に出かけた登山ツアー客の遭難が相次ぎ、10名が死亡する事故が報じられてきた。猛暑や真夏日のニュースが続く中で、北海道では残雪が残り、体温の低下によって多数の死傷者が出た事と、参加者の年齢が高い事から、日程に無理がなかったか検証が重要だ。
さて、私は昨日に続き社会福祉法人の運営する特別養護老人ホームでホームヘルパーの養成研修会に参加していたが、昨日の肉体労働とは違い、本日は外出願望が高く、常に外に出歩く事を考えておられる認知症のKさんの見守りなど、話し相手やボール渡しやカラオケなど精神的作業の一日となりました。
Kさんは津島市や天王川公園の昔話を時々され、年代や家族構成は意味不明なものの、自分の筋書きはしっかりとしており、話を聞いていると信じてしまうが、むかえに座るSさんとの会話になると、2人は近所の知り合いで何でも知っているような会話がかみ合っていくのである。
Kさんの話を「うん、うん」と聞いていたSさんであったが、Kさんが突然に「ところで、あんたは誰-?」と私の存在が判らなくなり、「私は大鹿だったでしょう」と言うと、「大鹿さんと言うと、〇〇の大鹿さん知っとるー?」との一言がSさんから飛び出してきた。
私は大鹿姓について研究している事から、〇〇の大鹿さんについて判っており、「学校の校長先生だった大鹿さんですか?」と問うと、「そう、そう、あんた知っとるの?」の返事が返ってきた。
「Sさんの家は〇〇なの?」と問うと、「そうだよ」と返事があり、「それじゃー、お寺の〇〇もあるでしょう」と問うと、「〇〇さんはまだ元気かなー」と会話がつながり、「昔は店もあって」、「それは〇〇の店ですか?」、「そう、今でもやっとるかなー」、「今は止めてしまったけど」と、稲沢市(旧平和町)の話ですが、私が詳しい地域のため、かなり細かい話となりました。
「Sさんの認知症は軽いんですか?」と、担当する職員に確認したほど正しい認識で会話が続きましたが、昔の記憶は正確に残されているためで、今までの事は忘れてしまい、「忘れてしまうでいかんわー」と、本人も自覚があるものの、Kさんが語りかけると仮想で会話が始まるのである。
ただし、Kさんの津島市の話に幼馴染か近所の人として会話がかみ合うSさんであったが、私とSさんの稲沢市の会話についてKさんに問うと、「わしには、さっぱり解からんわー」と、これは解からない事が正常なので、期待した仮想の会話には至りませんでした。
第三者から見ると、本日の私の研修を仕事として考えると、遊びのように見えるかも知れませんが、私の見守りが無いとKさんはイスから立ち上がり歩いていってしまうので、担当職員の仕事が中段してしまう事と、ボール渡しについても、車イスでオムツをした人にとってはかすかに動く手を瞬間的に動かす貴重な機会ともなったようです。
私の現場研修もあと2日間となりましたが、自分の親ですら抱かえた事がないのに、老人ホームでベットから車イスに移動させるためにほとんど動けない入所者を抱かえ、自分で食事ができない人の口にコップを当てて、飲み込むのを確認した経験は、我が子ですら家内任せだった私には緊張の連続でした。
家内の父親は家族の名前も判らない重度の認知症でしたが、身体が健康だった事と、食事と排尿などは自分でできた事から90才を超えても自宅で生活し、亡くなる前に3日間だけの入院で済んだ事から、私の認知症の在宅に対する大きな影響を与えていましたが、家内の里は専業農家であった事など、極めて稀な例であった事も実感させられました。
夜になり、日曜日に福島県石川町で開催されるロードレースのために、次男の運転する車に自転車を積み込んだ三男と家内が出発していきましたが、出発間際まで高速道路の経由についても確認されておらず、「3人寄れば」とは言うものの、知識もないままでは認知症よりひどいと家族のノー天気にびっくりさせられました。
7月17日の一言
さて、私は昨日に続き社会福祉法人の運営する特別養護老人ホームでホームヘルパーの養成研修会に参加していたが、昨日の肉体労働とは違い、本日は外出願望が高く、常に外に出歩く事を考えておられる認知症のKさんの見守りなど、話し相手やボール渡しやカラオケなど精神的作業の一日となりました。
Kさんは津島市や天王川公園の昔話を時々され、年代や家族構成は意味不明なものの、自分の筋書きはしっかりとしており、話を聞いていると信じてしまうが、むかえに座るSさんとの会話になると、2人は近所の知り合いで何でも知っているような会話がかみ合っていくのである。
Kさんの話を「うん、うん」と聞いていたSさんであったが、Kさんが突然に「ところで、あんたは誰-?」と私の存在が判らなくなり、「私は大鹿だったでしょう」と言うと、「大鹿さんと言うと、〇〇の大鹿さん知っとるー?」との一言がSさんから飛び出してきた。
私は大鹿姓について研究している事から、〇〇の大鹿さんについて判っており、「学校の校長先生だった大鹿さんですか?」と問うと、「そう、そう、あんた知っとるの?」の返事が返ってきた。
「Sさんの家は〇〇なの?」と問うと、「そうだよ」と返事があり、「それじゃー、お寺の〇〇もあるでしょう」と問うと、「〇〇さんはまだ元気かなー」と会話がつながり、「昔は店もあって」、「それは〇〇の店ですか?」、「そう、今でもやっとるかなー」、「今は止めてしまったけど」と、稲沢市(旧平和町)の話ですが、私が詳しい地域のため、かなり細かい話となりました。
「Sさんの認知症は軽いんですか?」と、担当する職員に確認したほど正しい認識で会話が続きましたが、昔の記憶は正確に残されているためで、今までの事は忘れてしまい、「忘れてしまうでいかんわー」と、本人も自覚があるものの、Kさんが語りかけると仮想で会話が始まるのである。
ただし、Kさんの津島市の話に幼馴染か近所の人として会話がかみ合うSさんであったが、私とSさんの稲沢市の会話についてKさんに問うと、「わしには、さっぱり解からんわー」と、これは解からない事が正常なので、期待した仮想の会話には至りませんでした。
第三者から見ると、本日の私の研修を仕事として考えると、遊びのように見えるかも知れませんが、私の見守りが無いとKさんはイスから立ち上がり歩いていってしまうので、担当職員の仕事が中段してしまう事と、ボール渡しについても、車イスでオムツをした人にとってはかすかに動く手を瞬間的に動かす貴重な機会ともなったようです。
私の現場研修もあと2日間となりましたが、自分の親ですら抱かえた事がないのに、老人ホームでベットから車イスに移動させるためにほとんど動けない入所者を抱かえ、自分で食事ができない人の口にコップを当てて、飲み込むのを確認した経験は、我が子ですら家内任せだった私には緊張の連続でした。
家内の父親は家族の名前も判らない重度の認知症でしたが、身体が健康だった事と、食事と排尿などは自分でできた事から90才を超えても自宅で生活し、亡くなる前に3日間だけの入院で済んだ事から、私の認知症の在宅に対する大きな影響を与えていましたが、家内の里は専業農家であった事など、極めて稀な例であった事も実感させられました。
夜になり、日曜日に福島県石川町で開催されるロードレースのために、次男の運転する車に自転車を積み込んだ三男と家内が出発していきましたが、出発間際まで高速道路の経由についても確認されておらず、「3人寄れば」とは言うものの、知識もないままでは認知症よりひどいと家族のノー天気にびっくりさせられました。
7月17日の一言








