「大鹿さん、今度の選挙はどうされるの?」の一言は、本日出かけた歯科医師の言葉で、「私は無所属無党派ですからねェ…」と言葉を返すしかありませんでしたが、自民党現職の海部代議士の動きが全く無い事への質問が続きました。

 あと一年で代議士生活50年を迎える海部代議士であるが、体力の衰えは隠せず、今回の選挙では年齢制限によって比例代表に名前が無い事から、選挙区での敗退は引退となる瀬戸際にあるが、それにしては末端にある自民党系地方議員の動きも鈍く、このままでは不戦敗の様相すら漂います。

 私は政治の道に転じた11年前から無所属無党派であるが、初めて選挙に臨んだ時に海部代議士には我家の事務所前に立って熱心に応援演説をしてもらい、当選後には自由党(海部さんは当時自由党でした)の全国大会に若手として派遣してもらい、箱根のホテルで食事をご馳走になった事もあった。

 私の家内の父親もかつて海部系の地方議員であった事から、懐かしい話に花を咲かせていたが、こんな関係も1年後の市長選挙に海部代議士の応援する候補者を支援しなかった事から、地元の海部系関係者から落選の戦犯として批判の対象とされ、海部事務所にも足を運べなくなりました。

 もっとも後援会の幹部や市外の議員から「しばらくの辛抱」と言われていたものの、私と海部さんを結びつけていた海部さんの秘書で地元の番頭格であった弟さんも亡くなられ、津島市から最年少の県会議員となっていた盟友の井桁亮君が海部代議士とは反目する立場で、県知事選挙や衆議院戦に立候補した事から、私の意思とは関係なく海部系地方議員の選挙応援には出向くものの、海部代議士とは断交状態のままになっていきました。

 「おい、力が入りすぎ少し破れてしまったが…」と海部代議士が笑顔で語られた一言は、私の事務所に掲げてある「拓道在志」の書で、私と会った直後に東京に戻って書き込まれた大作で、こんな関係が続いて欲しかったが、地元の海部系後援会関係者と井桁君の行動がその思いを断ち切りました。

 10年の歳月はあっという間に過ぎ去り、元気だった海部代議士は見るからに足元が弱々しくなられたが、こんな時に受けた恩を返しに行けない立場に心苦しいものがあり、このまま不義理のままにするのは私の心情には反するが、それができない政治にも嫌悪感を感じさせられます。
                                  8月5日の一言