西日本で続いていた豪雨による水害が、熱帯低気圧から発達した台風9号によって中国、四国地方に壊滅的な被害を与え、この台風が紀伊半島や東海、関東地方にも豪雨をもたらし、本日早朝の静岡県を震源地とする大地震によって、東名高速道路まで寸断する大災害へと発展した。

 私が四国遍路に旅立った6日には、中国大陸に上陸した台風8号の影響による雨が心配されていたが、日曜日には心配どころか存在も知らなかった台風9号によって、四国も日曜日には雨足との競争となり、午後には徳島県で自動車道や鉄道が不通となっているニュースを聞きながらの遍路となった。

 午後5時に今治インターからしまなみ海道に入ったが、岡山県に入った山陽自動車道では豪雨によって水たまりが発生し、滋賀県から三重県に走る新名神高速ではスピード規制ではなく、運転する安全性から50キロか60キロでしか走行できず、愛知県に入っても雨の激しさから自宅にも入れない状態での帰宅となりました。

 今にして思うと、この豪雨によって人的被害を出した岡山県や兵庫県を同時期に走行していたわけで、翌日には台風9号が東海地方に接近する可能性が心配されており、コースを外れた事から安心して昨日の夜を迎えていたが、本日早朝の地震は久々に家族全員がびっくりさせられる事となった。

 7月の梅雨時から西日本を襲った豪雨により、多くの洪水や土砂崩れが起こり、多くの人命が当り前のように奪われてきたが、この中で気になるのは被害者の多数が高齢者である事や、多くの高齢者を対象とした施設が被害に遭遇している事であった。

 地方の施設は必ずしも恵まれた土地環境に建てられてはおらず、施設が川の通り道のようになった映像が何日も流されていたが、施設ばかりではなく農村や山村に残された高齢者も豪雨の被害者となった現実を直視し、台風ではなく雨が続いただけで被害がでる山林の保水対策も急務となる。

 さて、早朝に突然の地震は我家の家族もびっくりとさせられたが、愛知県が本腰を入れてきた防災対策は我家には浸透しておらず、「地震だっ!」の大声にも、疲れからそのまま眠っていた私は論外だが、全員がバラバラに避難しており、学生である三男に至っては裸足で軒先に立っていたようだ。

 「そんな所に裸足では何ともならないだろう」、「何故?」、「ガラスが割れたら歩けないし、屋根から瓦が落ちてくるぞ」、「じゃー、どうすれば?」、「座敷の座卓の下に寝ていれば良かった」、「そんな所では生き埋めじゃないか?」、「おい、地震は土砂崩れじゃないぞ」、「それでも阪神大震災では…」

 こんな馬鹿げた会話が朝の食卓で交わされていたのであった。地震も台風も一緒にした息子の感覚は、我々が子供時代には海抜0メートル地帯に住み、台風の度に水が溢れた時代との経験や、「地震は竹やぶに走れ」と言われた竹やぶも、村から町に環境が変わって皆無となった現実から、改めて家庭内での防災対策の議論も必要となっている現実が実感させられました。
                                  8月11日の一言