本日は議会運営委員会が開催され、12月議会の日程や議案説明に続き、請願などの委員会の付託先を決めて散会したが、国からの方針で議員年金の廃止も含めて議会で意見集約も求められており、廃止になるのは公費負担を考えて個人的に異論はないが、国の都合で廃止となるのに、今までに支払ってきた年金負担分が全額返還されない事には絶対に納得ができない。
このあたりの温度差は、年金受給資格となる3期以上議員を続けた者と、初当選したばかりの議員とは感覚が大きく違い、今議会には議員の期末手当の減額も議案として提案されているが、平成11年に議員になってから報酬も含めて減額だけが続いている。
国会議員は地方議員とは桁違いの報酬を受け取り、政党助成金も自由に使える立場にあるが、このままでは地方議員は副業か定年後のボランティアしか成り立たなくなるのではないだろうか。
一方で、廃止となれば、現在受給中の元議員についても全額支払いを停止すべきであり、駆け込みの引退による年金受給も絶対に見逃さない必要がある。
さて、数日前に一緒に旅行に出向いていた知人の訃報を知らず、喪中の手紙で知った悲しみを記しましたが、本日は更に私の家族と一緒の上高地行きだけでなく、私が7回巡拝した四国遍路のうち4回も一緒に結願を果たした知人の訃報がご家族よりもたらされました。
本日の午前2時頃に亡くなられたとの話に、私が四国から自宅に到着した頃に亡くなられていた事と、今回の四国行きの案内を投函しただけで、直接声をかけなかった事が残念でならない。もっとも、家族の話では、声をかけても体調不調だったようですが、10月の高野山行きが最後となり、その時はお元気だっただけに悔いが残ります。
「投函された写真のお礼も伝えないままで…」との家族の言葉に、もっと早く持参して本人に直接手渡さなかった事の反省と、本人が昭和5年生まれであった事から、こんな日が突然に訪れる事も考えてお付き合いすべきだったとも思われます。
事務所の入り口には瀬戸中央大橋から撮影した夕陽の大きな写真が置かれていますが、最後の四国遍路から帰った直後にいただいた写真で、役務的に写真を配布している私とは違い、運転手の私が景色を見られない事から助手席から撮影されて届けられた写真で、改めて親を亡くしたような気持ちにもなります。
息子さんは私の妹と同級生で、お孫さんは私の三男と同級生だっただけに、親と同年代でありながら体力自慢の人だっただけに年齢差をあまり考えた事もありませんでしたが、四国、西国、坂東、秩父と一緒に寝食を共にしてきた知人だけに悲しみも最大級の訃報となりました。
11月24日の一言
追伸
偶然にも本日は、私の盟友であった落語家「浪漫亭砂九」さんの命日でもあり、四国で家内とそんな話をしていたのでしたが…
まだ、3年しか経過していないのに、はるか昔のように思えてきました。
このあたりの温度差は、年金受給資格となる3期以上議員を続けた者と、初当選したばかりの議員とは感覚が大きく違い、今議会には議員の期末手当の減額も議案として提案されているが、平成11年に議員になってから報酬も含めて減額だけが続いている。
国会議員は地方議員とは桁違いの報酬を受け取り、政党助成金も自由に使える立場にあるが、このままでは地方議員は副業か定年後のボランティアしか成り立たなくなるのではないだろうか。
一方で、廃止となれば、現在受給中の元議員についても全額支払いを停止すべきであり、駆け込みの引退による年金受給も絶対に見逃さない必要がある。
さて、数日前に一緒に旅行に出向いていた知人の訃報を知らず、喪中の手紙で知った悲しみを記しましたが、本日は更に私の家族と一緒の上高地行きだけでなく、私が7回巡拝した四国遍路のうち4回も一緒に結願を果たした知人の訃報がご家族よりもたらされました。
本日の午前2時頃に亡くなられたとの話に、私が四国から自宅に到着した頃に亡くなられていた事と、今回の四国行きの案内を投函しただけで、直接声をかけなかった事が残念でならない。もっとも、家族の話では、声をかけても体調不調だったようですが、10月の高野山行きが最後となり、その時はお元気だっただけに悔いが残ります。
「投函された写真のお礼も伝えないままで…」との家族の言葉に、もっと早く持参して本人に直接手渡さなかった事の反省と、本人が昭和5年生まれであった事から、こんな日が突然に訪れる事も考えてお付き合いすべきだったとも思われます。
事務所の入り口には瀬戸中央大橋から撮影した夕陽の大きな写真が置かれていますが、最後の四国遍路から帰った直後にいただいた写真で、役務的に写真を配布している私とは違い、運転手の私が景色を見られない事から助手席から撮影されて届けられた写真で、改めて親を亡くしたような気持ちにもなります。
息子さんは私の妹と同級生で、お孫さんは私の三男と同級生だっただけに、親と同年代でありながら体力自慢の人だっただけに年齢差をあまり考えた事もありませんでしたが、四国、西国、坂東、秩父と一緒に寝食を共にしてきた知人だけに悲しみも最大級の訃報となりました。
11月24日の一言
追伸
偶然にも本日は、私の盟友であった落語家「浪漫亭砂九」さんの命日でもあり、四国で家内とそんな話をしていたのでしたが…
まだ、3年しか経過していないのに、はるか昔のように思えてきました。








