昨日の一言に市民病院の緩和ケア病棟の「お茶会」の様子と、叔母の看病を知り合いの看護師さんにお願いした顛末を記しましたが、昨日の様子がウソのような悲しい結末を迎える事となりました。

 「おい、容態が急変したので急いで病院に連れてってくれー」
 「はい、じゃーすぐに行くので」と、叔父から電話を受けたのが午前7時12分。慌てて車のエンジンをかけて上着を羽織っていると、「父は私が乗せていくから」と叔父の娘から電話で、「じゃー、頼むよ」と電話を切りました。

 叔母は今週初めには昏睡状態となり意識もなくなっており、家族とともに医師から「今週いっぱいが山」と聞かされていたが、戻る事のないと思っていた意識が昨日は完全によみがえり、個室から緩和ケア病棟に移された1日目が「お茶会」にあたり、お茶どころか菓子も口にして、カラオケのマイクも握っていたのである。

 ありえないほどの復調に18日のクリスマス会どころか、年内は大丈夫かとさえ思っていたものが、翌日の朝にはひっそりと息をひきとったのである。眠ったまま意識のない時に見舞った私の母親に話しても信じてもらえない昨日の回復は何だったのか。

 トイレも娘の介助とはいえ立って歩き、車イスではあったが「お茶会」の会場に行き、病院の周りの風景を案内してもらい、私なんかの世話まで心配していたのである。
 病棟を移って1日目で、私の知り合いの看護師さんは昨日が休みで、早めに出勤して病室を覗いてくれた時には既に亡くなっていたのである。

 ただし、この訃報が判ったのは昼になってからで、私はそれまで連絡がない事から小康状態を保っているものと思い込んでおり、昼になって叔父から「なんだ、知らなんだのか」とびっくりの展開で、親族への連絡をすませて葬儀場に走り、叔父の着替えに付き添い、仮通夜のあとに明日からの段取りを終えて帰ると時計は11時を示していた。

 さて、叔父は我家の生れで、本籍地は80才になった現在も我家に残されていると本日知った次第だが、住まいは愛西市(旧佐織町)にあり、40年以上前から津島市民ではないが、葬儀会場が津島市に建っている事から、選挙管理委員会に問い合わせると、私は叔父の本家の長男で跡取でありながら、私が議員である事によって葬儀場に私の名前で花やお供えを出してはいけないという事である。

 父親の葬儀にも叔父から花やお供えをいただいており、本家の長男の私はお返しの意味でも花やお供えは当然の責任とも思われるが、公職選挙法ではこのような行為を厳しく禁止しており、一般市民の常識である儀礼も果たせないのである。

 もっとも、私の名前でなければ良いので、私は「越津町大鹿家」として親族と同じように体裁を整えたが、選挙目的でもなく、売名行為でもないのに、親族のお付き合いもできない法律には矛盾があり、親戚付き合いばかりか、お寺や近所の当り前の付き合いができない現実を久々に実感させられました。
                              12月4日の一言
追伸
葬儀のある12月6日は私の結婚記念日にあたり、私の誕生日である18日は祖母(母親の母)の命日に当たります。年齢を重ねるとこんな偶然も増えていきます。