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 本日は叔母の通夜が津島市の愛昇殿で開かれました。叔父は難病の手術を受け大きな声が出にくいために喪主を長女に頼んだものの、多くの知人に駆けつけていただいた事に感動し、通夜の御礼に自らマイクを持って挨拶に立ちました。

 独り残された叔父は、「これで独りぼっちになってしまった」と呟いていたが、叔母は姉をはじめ、兄弟が健在で残されているものの、叔父は兄弟がすべて亡くなっており、私にとっても父親の兄弟や先祖は叔父が唯一残された存在のために今後の生活が心配です。

 叔父や私の父親は幼くして母親を交通事故で亡くしており、叔父は幼少時にお寺に貰われていくなど人に言えないような苦労をしており、この当時の苦しかった経験は子供にも語られておらず、叔父や父親には戦死した兄が存在しているが、2人いる娘達にも兄の存在すら語られておらず、今回の叔母の葬儀のために葬儀場に家族環境を問われて初めて兄の存在が判った様子でもあった。

 この事は、かつて我家で大鹿庄一として生活していた「横井庄一」さんも同じで、苦しかった幼少期の記憶は自分の胸に収め、夫人にも語っていなかった様子で、在所の跡取である私には当時の苦しかった思い出を語っているものの、夫人や知人には絶対に話さなかったのでもあった。

 もっとも私が大正から昭和初期の我家の苦難の歴史を知ったのは、平成5年に父親が死の宣告を受けたことから、父親から色々と聞き出し、親が亡くなってからは横井庄一さんや叔父から記憶する当時の家庭環境をできるだけ聞き出して記録しておいたもので、父親や叔父の幼少期の悲しみは語ると涙が出てくるような内容ですが、肉親としては絶対に忘れてはいけない事ばかりです。

 「お父さんは、何でもかずやが、一八がばかりだから…」と叔父の長女が語っていましたが、これは私が在所の大鹿家の長男だからと言う事ばかりではなく、苦しかった叔父たちの幼少期の記憶を聞きとめ、先祖を守っているからだと確信します。

 さて、そんなにあてにされているにも関わらず、私は母親や家内を早くから通夜の会場に走らせた事から、訪問する必要のあった知人宅に「顔を出すだけだから…」と言って寄り道しましたが、共通する知人の話などお話に夢中になってしまい、3時間近くもお邪魔してしまいました。

 これも私の悪いクセで、再訪問すれば良かったものを、応対されたご夫婦にも辛い思いをさせ、手作りとは思えないお土産(添付したケーキ)までいただいてきました。この事は通夜の受付を依頼した知人達には秘密ですが、通夜から帰宅後に家族で美味しくいただきました。

ケーキについては下記のブログをご覧下さい。↓↓
http://blog.goo.ne.jp/sugiura57/e/2529d7303a67c7bfa0df107919521cd1
ありがとうございました。

 明日は叔母とは最後の別れとなる葬儀ですが、あの世には私の父親も曾祖母も、横井庄一さんも叔母も叔父もと、多くの肉親や知人や仲間たちも渡っており、別れは悲しいものの、あの世がつながっていると思えば残された者が助け合って後悔のない交友に務めたいと思っています。
                                 12月5日の一言