本日は横井庄一記念館の一日でしたが、本日の訪問者は記憶に残る人々ばかりで、福岡から訪れた方は循環器の医師で、名古屋で医師会の研究発表に出席した機会に立ち寄られたが、横井さんがグアム島のジャングルで「無塩生活」を28年送っていた事から、昭和47年に発見された当時から注目されていたようで、報道された記事から自分の専門である血圧の数値を記憶されており、帰国後の健康管理について館長(横井夫人)に熱心に尋ねられ、「6月に横井さんの発表をすれば、名古屋の連中もびっくりするだろうな」と語って帰られた。

 若い時に「無塩生活」を続けた人は、中高年になっても血圧が低い人が多いらしく、帰国後の横井さんの血圧も低く、低血圧だったとの説得力のある話に、名前を記帳して帰られたが、スポンサーとなっている薬品会社の社員が随行していた事から、医学界では名のある医師と推測された。

 その他の人々もついでに立ち寄った訪問ではなく、浜松から訪問した若者は平成元年生まれながら、中学時代から各地の記念館や史跡を巡っているとの話に、簡単な説明では済まぬものの、発見された当時の様子を全く知らない世代だけにどこまで理解されたかは解かりません。

 帰宅後にも本日の訪問者から電話があり、私が津島市の「大鹿」姓であった事から、記念館で自分の小学校時代の恩師であった津島市の大鹿先生(女性)の話題となり、帰宅後に新たな情報を調べて連絡されてきたが、偶然にも来週にお会いする機会がある事から伝えることとなりました。

 不思議に思われるかも知れませんが、私の苗字である「大鹿」は、全国的にも珍しいものの、私の住む地域に限っては多くの大鹿姓が集中しており、私のかつての仕事が新聞販売店であり、その後に議員となっている事から、住まいと名前を聞けば同族の家くらいはほとんどが記憶されています。

大鹿一族の歴史探訪↓
http://red.ap.teacup.com/oshika18/20.html

 さて、閉館まで1時間で客足が止まり、館長と雑談していると、私の預かっている愛犬リマちゃんの話題となり、私の切ない心情を館長がまん丸の瞳で聞いてくる事から、リマちゃんのまん丸の瞳が思い起こされ、涙混じりの話となってしまい「50を過ぎた男の涙は重症だ」と言われましたが、80を超えた館長の機転で、記念館の配置代えにより悲しみを忘れた帰宅となりました。
                                  3月28日の一言
追伸…本日も一緒の夜が迎えられました。タイムリミットは3日?