
さて、添付した看板は、昨年の秋から開館時に置いてある記念館の看板ですが、作ったのは広告看板を本業とする職人さんで、昨年名古屋市から大治町に事務所と工場が移転しましたが、私とは旧知の津島市民で、私がボランティアで留守番に行っている事から、この看板もボランティアで無償の提供となりました。
この看板が出来たのは昨年の11月の事で、私はこの看板を無償で依頼したわけではなく、「安く仕上げて欲しい」とは思っていましたが、まさか全額無料とは思ってもおらず、「本当に良いの?」、「大鹿さんも無償のボランティアだから貰えません」の一言が返ってきました。
18年6月24日に開館し、門柱と玄関には私の恩師が筆を下ろした看板があったものの、記念館を目指す人々には目立たない事から素通りする人が多く、いつかは看板をと思いながら3年間も放置してありましたが、やっと昨年から置く事ができました。
置いて半年も経過していますが、提供していただいた垣見さんのご厚意に応えるためにも添付するとともに、本業の広告や看板の宣伝として、少しは仕事の足しになればとの思いで紹介しておきます。
アート化工社(垣見さん) 海部郡大治町三本木字柳原53
電話・ファックス (052)526ー1073
本日の訪問者には遠くの東京都からオートバイで訪れた若者があり、服装は奇抜な若者だったものの、私の到着する開館前に訪れ、清洲城に立ち寄ってから再度の訪問でしたが、館長が「笑顔が素敵な若者だった」と語っていたとおり、私にはスマップの木村拓也(サン)のイメージを残して立ち去りました。
もしかして、兄弟? 記念館の縁側で当時の雑誌を読んだ後、さわやかに立ち去りました。
4月11日の一言








