今年は高校生も目指せ「読書王」  

●津島市立図書館、3回目 2010年04月15日 朝日新聞

 あなたも「読書王」を目指しませんか――。津島市立図書館が、借りて読んだ本の冊数を競ってもらう企画の参加者を募っている。子どもの読書離れに歯止めをかけようと始め、今年で3回目。大人たちからも「励みになりそう。やってみたい」との声が上がったため、今年は新たに高校生以上の部も設けた。
 期間は「子ども読書の日」の23日から9月30日。期間中の貸出冊数が多かった上位10人は、10月下旬、小中学生の部、高校生以上の部に分け、館内の掲示板に名前を張り出す。張り出す名前は仮名でもいい。上位者の冊数は公表しないが、期間中に何冊本を借りたか、どんな本を読んだかについては本人には知らせる。
 県内でもあまり例のない企画は女性職員(33)が発案した。「読書離れ、活字離れが進む子どもたちに、もっと本に親しんでもらいたかった」
 同図書館に子どもたちが訪れる回数は年々、減少傾向にある。15歳以下への貸出数は毎年、前年比で3%前後落ちている。特に中学生の「図書館離れ」が目立つ。
 過去2回とも津島市内や近郊の120~130人が参加し、期間中、子どもの来館は確実に増えたという。読書王には初代も2代目も小学高学年が輝いた。初代は500冊弱、2代目は1250冊ほどを読破。名前が張り出された子どもたちは、うれしそうに掲示板を見ていくらしい。
 園田俊介副館長は「本に親しむきっかけになるし、自分の読書量を測る物差しにもなる」と意義を説明。発案者の女性は「今まで手を出さなかったような本も読んでもらいたいですね」と話している。
 申し込みは22日まで。事前に利用カードを持参して登録する。企画が始まってからの参加も可能という。
(中村尚徳)




●津島市デジタル博物館、開館  2010年4月8日 中日新聞

 津島市教委は、所蔵する美術品や市内の文化財などをインターネット上で公開する「市デジタル博物館」を開設した。絵画や工芸、建物や祭りなど520件を網羅。市の“文化財図鑑”として楽しめそうだ。
 市内に博物館がない同市では、美術品350点を公共施設で分散保管。これに加え、国や県、市の文化財173件も集めて鑑賞してもらう場をつくろうと、ネット上に設けることにした。
 市ホームページのトップで「美術品」か「文化財」を選んで検索画面に進み、絵画や重要文化財など種類を入力。検索結果の一覧が表示され、見たい項目をクリックすると美術品や文化財の写真と説明が表示される。
 美術品の目玉は、市出身の洋画家真野広さん(90)のコレクション。題材は中近東や欧州の古代文明などが中心だが、故郷の風景も情感豊かに描き続けている。「博物館」では、2006年7月から市に寄贈している93点など計106点をまとめて見ることができる。ほかに書や彫塑、工芸などもある。
 文化財では、いずれも国の重要文化財の津島神社本殿や、300年前に建てられた堀田家住宅などがある。 
(稲垣時太郎)




●反骨詩人に光再び 2010年02月01日 朝日新聞

日光橋にある「町の碑」。この地で金子光晴が生まれたことも記されている=津島市
【金子光晴の生地に「町の碑」】
新たな一面 知る契機に
 津島市の日光川にかかる日光橋の袂(たもと)に、小さな「町の碑」がある。失われた光景、遠くに去ったにぎわい。旧佐屋街道筋や日光湊(みなと)の往時をしのばせる碑には反骨の詩人、金子光晴(かね・こ・みつ・はる)が、この地で生まれたことが記されている。
 金子は1895(明治28)年、街道筋で米やみそなどを扱う店の三男として生まれた。翌年、家業が行き詰まり、一家は名古屋市へ移る。金子は養子に出され、義父の転勤で京都、東京へと転居。早稲田大、東京美術学校、慶応大をいずれも中退し、21歳のころから詩作を始めた。
 日中戦争が始まった1937年に発表した詩集「鮫(さめ)」で日本の体制を批判した。「鬼の児の唄(うた)」など多くの反戦詩も残した。長男の徴兵を免れるため松葉をいぶした煙を吸わせ、医師にぜんそくの診断書を書いてもらったという逸話もある。
 金子の研究を続けている県立春日井南高校の中村誠教諭(55)は、金子の詩は60年代後半から70年代にかけてよく読まれた、という。「反戦」「抵抗」といった金子にかぶせられる印象が、戦争の記憶がまだ残っていた当時の空気と合ったらしい。
 70年代後半以降、読者は減り続けた。国語の教科書からもほとんど消えた。中村さんは「民主主義や平和が当たり前のようになり、管理への従順さが求められがちな時代と波長が合わなくなった面もあるでしょう」とみる。
 金子は62歳の時、一度だけ津島市に戻った。だが、それ以外、生まれ故郷とかかわりを持たず、75年、この世を去った。生家は跡形もなく、地元出身と知る人も少なかった。同市出身の国際的詩人、野口米次郎(1875~1947)の銅像や石碑が、市民の憩いの場、天王川公園にあるのとは大きな差がある。
 9年ほど前。同じ橋の袂で生まれ育った元美術教師、加藤秋朗さん(74)が、橋の架け替えと旧街道拡幅の計画を知った。旧家や商店はやがて姿を消す。「幼いころから親しんだ光景を形に残せないか」。思いが募り始めた。2003年、金子の遠縁で元市職員桑山史郎さんが集めた資料の展示を見た。20代初め、金子の詩集に強烈な印象を受けた記憶がよみがえった。「金子が生まれたことも伝えなければ」。消えていく町の姿と、金子の生き様が重なり合った。
 資金集めに駆け回り、昨夏、町の碑はできた。形も、大きさも異なる三つの根府川石に思いを刻んだ。三つの石面にわたる碑文は、「人間の誇りを輝かせた反骨の詩人/金子光晴は明治二十八年日光橋の袂で生まれた」で締めくくられている。
 07年、金子の強い家族への愛がにじむ手作り詩集が東京の古書市で見つかった。昨年4月、「反戦詩人」としてだけではない側面にも焦点をあてようと、「金子光晴 〈戦争〉と〈生〉の詩学」(笠間書院)を出版した中村さんは言う。「生地にできた碑が、再び金子光晴を見直すきっかけにつながればいいですね」(中村尚徳)