本日の報道では、京都府宇治市の住民が訴えていた葬儀場の出棺風景が家の中から見える事に対して、最高裁は「主観的な不快感にとどまり、我慢すべき限度を超えているとはいえない」として、住民の訴えを退けたとあります。
 
                        http://www.asahi.com/national/update/0629/TKY201006290228.html
 
 2008年9月の一審・京都地裁判決は「遺体が納められたひつぎの出入りが見えるのは限度を超える」と指摘。2階からも見えないよう1.2メートルのかさ上げと20万円の賠償を命じ、大阪高裁もこれを支持していた。
 
 最高裁の判決では、住民の家と葬儀場が道を隔てている事と、見えるのは家の2階からだけで、葬儀などは月20回程度で出棺はごく短時間などとして、住民側が我慢すべきだと判断したようだが、我が身に置き換えて考えると絶対に納得できるものではない。
 
 テレビ画面に写された葬儀場と住宅の現場を見る限り、営業とか建築法上の違法性はないと言うものの、閑静な住宅地に突然葬儀場が建築され、遺体を納めた棺桶が見えるようになり、月に20回位は我慢せよとの判断には、最高裁の判断とは言えども理解ができない。
 
 私の地元にもスーパーマーケットが閉店した後に葬儀場ができたケースがありますが、人々が買い物に集まり賑わった地域から完全に人が消えました。
 
 本来は仕事の疲れを癒し、貴重な休日を過ごす家庭が、葬儀場の登場によって一日たりとも苦痛を感じる事自体が迷惑で、葬儀場を誰もが必要とする施設として我慢を強いるのはあまりにも勝手ではないか。
 
 最近は自宅での葬儀が減り、葬儀場に持ち出すケースが増えているが、家族の一員が亡くなっても自宅から出棺しないのに、他人の棺の出し入れを自宅から目にする事は堪えろと言われても堪えられない。
 
 冷静に考えて見ると、遺体の入った棺の搬入や、葬儀後の出棺風景を葬儀場の外部から見えない施設にする事は可能であり、京都地裁や大阪高裁の判断に従いフェンスをかさ上げするか、出棺風景を見えない改築により、地域の迷惑施設とせぬ配慮が重要だったと思う。
 
 葬儀後の出棺は、亡くなった人にとっては人生最後のセレモニーともなる。人生最後の旅立ちが地域の迷惑施設では淋しいではないか。我家の隣が葬儀場になり、他人の亡骸の入った棺を見せられる事になったら…
 今回の最高裁の判決に納得ができないばかりか、司法の最後の判断としてはあまりにも能の無いお粗末な判決と言わざるを得ない。
                                 6月29日の一言