イメージ 1 本日は市長と会派要望に対する懇談会が開かれましたが、会場となった市長公室には歴代市長の写真が壁一面に並んでおり、初代平野市長(昭和22年)から第9代となる三輪前市長までが飾られています。
 
 津島市の歴代市長↓↓ 
 
 私が議員になった平成11年には第7代の山田市長(写真左)でしたが、その後水谷市長、三輪市長、伊藤現市長と、わずか11イメージ 2年の間に4人の市長に仕えた事になります。
 
 さて、山田市長は引退してわずか半年位で病に倒れて鬼籍に入っておられますが、私が一緒に行動した同志の井桁元県議の父親で、山田市長に敗れた第6代井桁克市長(昭和50年から63年)とは政敵にあたるものの、ここでは隣どおしに並んで掲示されています。
 
 私と山田市長との縁は、市長が初めて立候補して当選した選挙(昭和63年)で、私は選挙とは無縁でしたが、山田市長の兄が名鉄グループの重役であった事から、名鉄職員であった父親が応援し、私の中学時代の恩師で書の恩師ともなる長谷川丈夫先生が応援弁士として選挙の第一線に立たれた事が始まりでした。
 
 そんな事から、私が津島市のPTA連合会の会長となった平成5年には、役員や女性役員との懇談会からお茶会に発展して、微力な貧乏会長を後押ししていただいた事がありました。
 
 そんな環境にありながら、政敵となる井桁元市長の薦めで私が市議会に立候補した事から、当選直後は私を直視してもらえませんでしたが、一年後には息子となる井桁元県議と握手できる関係まで修復できました。
 
 もっとも、私に直接市議会議員に名乗りを上げるように薦められたのは、これまた井桁元市長と厳しい選挙を闘った第4代竹内市長で、昭和60年位までさかのぼる話となりますが、私を一番可愛がっていただいたのは竹内元市長だったのかもしれません。当時は32才だった事から、親にも大反対され、朝日新聞社にも「絶対にダメだ」と慰留されたものの、この薦めに乗っていたら、私の人生はどうなっていたのでしょうか。
 
 私は選挙に立候補した際に、政敵となっていた恩師の長谷川先生と、井桁元市長との和解の場を作りましたが、私を可愛がっていただいた竹内市長は既に亡くなっておられた事から、議員になっている事すら報告していない事が残念に思います。
 
 そんなことを懐古しながら、市長公室に飾られた写真を眺めるとともに、携帯電話に収めて添付することとなった次第です。
                                    8月3日の一言