本日は朝から曾祖母と祖父の五十回忌法要ですが、今年五十回忌を迎えるのは昭和36年に亡くなった人が対象となり、これからは平成5年に亡くなった私の父親以外は先祖代々となります。
 
 我家では久しぶりの法要となりましたが、集まる親族の顔ぶれがほとんど代わり、主人が夫人や子供に替わっており、その為か集まる時間が早く、「そろそろ始めようか」と言われても来るべき人の姿がありません。
 
 我家の一族では最長老となる叔父は浄土宗の僧侶ですが、昨年12月に叔母を亡くし、自身も難病である後縦靱帯骨化症により身体中が痛み、歩行も困難な事から毎回私が送迎しているものの、今回は放置したままでした。
 
 
 「身体が痛くて動けない…」
 「迎えに行きましょうか」
 「来てもらっても、動けるかどうか…」
 
 「一番来て欲しい人なのに…」(母親)
 「体調の良い時に来てもらったら」(住職)
 「迎えに行ってもらえないか」(母親)
 「あんたが行ったらどうするの」(住職)
 
 こんなやりとりで、叔父が不在のままで法要が始まり、途中休憩の後にまもなく読経が終わる頃になって、叔父が長女に支えられて玄関に到着し、私に両手を差し出し、仏壇の前に案内しました。
 
 カバンの中には煌びやかな法衣が入っていますが、着替える時間もなく衣だけの読経となったものの、自分の祖母と父親の五十回忌だけに、来てもらっただけでも幸いでしたが、話す間もなく我々は叔父を残して食事会場に向かいました。
 
 「ところで、あんたは何所の人?」
 「〇〇の家内です」
 「〇〇さんはどうしたの?」
 「亡くなったんだわッ」
 「フーン、亡くなったのか…」
 「ところで、お宅はどういう関係?」
 「ワシは▽△の…」
 「なにー、〇〇ちゃんの旦那さんかね」
 
 こんな調子で、お互いの家の存在は判っていても、伴侶の死によって初顔合わせも多く、かつての法要のような当り前の親戚関係とは違う、余所者の寄せ集めのような感覚の法要となりました。
 
 もっとも、次は我家の訃報で集まる可能性も高く、その時には本日集まった親族も健在とは言えず、親族の顔ぶれが大幅に変わっていく事が実感される一日となりました。唯一の救いは、長女の連れてきた子供(私の初孫)の元気な姿で、一族に一筋の光明のようにも感じられました。
                                10月10日の一言
追伸
夕方に覗いた叔父の家で、後継者のない家(寺)の将来について切実な会話となりましたが、「阿弥陀堂」の看板を玄関に付ける約束をして、なんとか笑顔での別れとなりました。