本日は成り行き上でしたが、書道の恩師が檀家総代を務めておられる旧美和町花正(現あま市)にある、浄土真宗の光照寺を訪れることとなり、住職(老祖)と息子(現?住職)さんに多大なるご接待を受けました。
ここを訪れた理由は、叔父のお寺の説教所玄関に、「阿弥陀堂」の看板を恩師に依頼したことから、恩師の揮毫したお寺の本堂前に掲げられた書を「一度見てから…」となった次第でした。

恩師には母校の中学校の武道場が建設中であることから、武道場の入り口に掲げる看板「至誠館」と、武道場の正面に飾る「心・技・体」の書を木に揮毫するように依頼してあり、前々からこのお寺の書を見せたいと言われており、見れば無責任ではおられない事から固辞していましたが、難病で出歩く事もままならない叔父の依頼だけに、「行きたくない」とは言えずに同行した次第です。
私は浄土真宗のお寺があまり好きではありません(我家は浄土宗)が、訪れた光照寺の本堂は10年程前に立て替えられていますが、隣接する住まい(庫裏)は、古刹の雰囲気が漂ういかにも質素倹約な佇まいで、お寺の歴史を伺うと元は天台宗の寺院との話でした。
さて、叔父は難病である首の横縦靱帯骨骨化症に悩まされ、日常的な痛みと同時に歩くのもままならない状態で、若い頃は写真やアマチュア無線を趣味とする「生臭坊主(教員)」でしたが、昨年叔母を亡くした事から「早く死にたい」が口癖となり、叔母の京都への納骨と家の行く末だけが生きる望みのようにも感じます。
そうやって考えると、我家の親族には跡継ぎの無い家も多く、主が不在になった先を真剣に考える必要に迫られる半面で、「おまえは4人も子供があるだろう」と言われても、情けないことに子供さえ説得できる力がありません。
本日訪れた花正の光照寺の近く(隣)に、まるで四国遍路にでも訪れたような錯覚を受ける小さなお寺(観音堂・無人)が存在し、かつては浄土宗の尼寺だったとの話ですが、定年後に僧侶になる人が増えている半面で、深刻な後継者不足の解消には大きな難題が立ち構えていることを実感させられました。
10月13日の一言








