
「生きるヒントある」津島・神守の伝説、創作民話に 朝日新聞10月30日
この「郷土研究・神守村」は、昭和14年に発行されたもので、今から20年ほど前の話となりますが、神守町にある「養源寺」の先代住職(故人)が復刻され、当時ミニコミ誌で郷土史を紹介していた私にも「絶対に次に引き継いでもらいたい」と渡された冊子が残されています。
本来はもっと多くの資料が存在し、ガリ版刷りではなく本格的な郷土史を目標にしていたらしいが、何らかの障壁が発生し、せっかく集めた資料を眠らせないために手作りで即興の発行となったようで、旧神守村の中でも神守学区と比較すると、蛭間学区と高台寺学区の資料は尾張名所図会などからの引用も多い。
この冊子は貴重なもので、私の町内の古老が養源寺の住職に所望したところ、貴重な物だからと断られ、私に渡してあるから見せてもらうように言われ、貸し出してあった事もありますが、託された目的は果されておらず反省するばかりです。
今回の「神守のむかしばなし」発行は、これまで旧津島地区(神守村は昭和30年に津島市と合併)の歴史ばかりが脚光を浴びていたことを考えると、合併後も余所者扱いだった旧神守地区の歴史の経過を感じさせられます。
さて、旧神守村の資料については、合併後に散逸し、神守支所(旧村役場)の新築移転によって多くが破棄されたと聞きますが、この「郷土研究」が発行されて70年が経過しており、その後の歴史が記録されておらが、戦争中の米軍機の墜落事故や、伊勢湾台風、塩害を防ぐための「百間堀」など残すべき歴史が欠けています。
私が議員になって12年近くが経過し、昭和48年当時に当地方では歴史の第一人者であった樋田豊先生と一緒に地域を廻った資料や写真を含め、ミニコミ誌のためにランカ堂写真の高橋さんに戴いた写真など、山積みとなった事務所の下敷きとなっています。私もこれからは人生の最終章を迎えており、過去の整理も必要と思う一日となりました。
10月30日の一言








