本日は午前9時より市議会の一般質問に先立って、今週日曜日に現役のまま病魔に倒れて亡くなった、市民病院事務局長に対する黙祷が行われましたが、痩せていく本人に何度も「精密検査」を進めていた事から残念でたまりません。
 
 亡くなってから膵臓ガンだったとの話を聞き、肝臓ガンや膵臓ガンに驚異的な治療を施す埼玉県の三浦病院の話をした事がある事から、何も知らずに語っていたとは言え、死の直前まで入院せず病院に勤めていた、本人の気持はどうだったかと思うと辛いものがあります。
 
 「おい、今度はスッポカシは無しにしてよッ」が、故人から私が直接聞いた最後の一言で、病院副院長との約束を忘れたままに時間が経過してしまった過去に対する皮肉で、冗談半分だったものの、冗談に思えない印象が残ったのは、この頃に病状はかなり悪化していたか、死を覚悟した生活を送っていたためか…
 
 同僚となる職員の話では、本人は自分の病状をほとんど語っておらず、上司ゆえに聞く事もできなかったようですが、本人が死を意識していたと思われる時期に、私は自分の検査や、お節介にもガンの話をしていた事を思うと、胃が痛くなってきます。
 
 葬儀が行われた時、私は中学校の卒業式で義母が救急車で運ばれたとの連絡を受け、稲沢市(旧祖父江町)の病院に急いでいる途中の交差点に、故人の葬儀を伝える看板があり、「人生とはこんなものなのか」と思いながら、私は逆方向に走りました。
 
 さて、私の父親は定年まで名鉄の職員としてサラリーマン人生を送りましたが、ちょうど私の年齢の頃に膀胱に腫瘍が見つかり、定年退職の直前に足の靭帯を切るケガを負い、64才の時に胃ガンが肝臓に転移しており、余命1ヶ月の診断を受けて半年後に他界しました。
 
 自分が40数年勤めた会社の運営する名鉄病院に入院した事から、自分の先輩や同僚の見舞いを受け、我家にいるよりも多くの知人に囲まれた耐病生活は、父親にとっては幸いだったと思っていますが、局長は定年にも達していない事と、勤めていた病院で最後を迎えた事が不憫に思えてなりません。
 
 本日は、こんな悲しい一言になってしまいましたが、本日の一般質問は5人しか終わっておらず、明日に6人の質問が残されており、一般質問終了後に議会運営委員会が開催予定である事から、明日も市役所閉庁時間を経過する帰宅となりそうです。
                                   3月10日の一言
追伸
私は明日の最終質問となる事から、午後4時頃の質問になりそうです。