今晩の番組で被災地で奮闘するボランティアの様子が放映され、防災ボランティアコーディネーターとして何もできない「役立たず」の自分と、愛知県よりコーディネーターとしての養成を受けたにも関わらず、何も変わっていない現実に自己嫌悪でもある。
NGO団体「ピースボード」の呼び掛けで、5人一組で1週間単位で被災地に出向き、被災地の流出土砂の搬出にあたる若者の映像から、「自分には何ができるのだろうか」と考えると、数年前に現地からボランティアを断られた悪夢が甦ってきました。
平成16年10月に飛騨高山地方が水害に襲われ、鉄道や幹線道路が寸断されたが、直後に名古屋市の団体に所属する知人からボランティアとしての参加を誘われながら、現地の市職員に確認の電話をすると、身勝手な押しかけボランティアである事が判りました。
詳しくは当時の内容を読んでください↓↓
ボランティアを断られた経験から 平成16年12月
3年ぶりにJR高山線が復旧し 平成19年9月
ボランティアを断られた経験を知った津島市の関係者から、ボランティアコーディネーターの養成講座を薦められて受講したものの、現実には災害被災地はコーディネーターではなく体力に自信のある若者が求められ、「高血圧」の薬を常用する私は足手まといになる現実と、コーディネーターになって7年近く経過して、益々不要となる年齢になっている事から、自分の役立つボランティアを確立する必要も感じました。
さて、防災ボランティアについては、コーディネーターになった直後に、オートバイや二輪車によるボランティアグループの設立を仲間と目指していたものの、私の忙しさからそのままになっており、改めて早期の結集を図ることと、自分の利害に関しない他地域での純粋なボランティアとして実際に参加したいと思います。
現実には「福祉タクシー」車輌を所有しており、被災地の人々の移送ボランティアに関われる事から、選挙後の話となりますが、現地に走って「狼少年」から脱却したいと考える夜となりました。
4月7日の一言








