本日は91才で亡くなられた恩師の葬儀があり、多くの参列者だったものの教え子の姿は見えず、教師仲間も(年齢から)ほとんどなく、私たちの小学校入学から3年生までの担任だった事から、50年の月日の経過を考えると悲しい別れとなりました。
美人で厳しい恩師で、時には手の平で叩かれるような厳しい半面で、我々には母親のような存在で、退職後に自分で経営された保育園の園長も務められ、我家の前の道路に車を停めて訪ねてもらった事もありますが、遥か昔の姿が今のように思い出されました。
「あんたはいつも隣に座らされていたなァ」と、幼馴染みに言われますが、女子をいじめたり泣かせたりすると、必ず教壇の先生の隣に座らされ、給食も食べさせてもらえず、全員の給食が終わった後で、皆に見られながら一人で給食を食べた苦い思い出があります。
嘘をついたり乱暴な生徒には平手で叩かれていましたから、厳しい中にも使い分けて生徒を厳しく指導されていたと思いますが、教員退職後はやさしく可愛い小母さんに変身され、晩年はあまり外出もされなかった事から、訃報を知らない教え子がほとんどと思われます。
さて、冒頭に「教え子の姿も見えず」と記しましたが、かつては連絡を取り合って同級生と一緒に参列していたものの、男子は仕事を持っており、女子にも「お節介」と思われるのも嫌で、最近は一人での参列となっています。出来の悪かった私が見送るのは皮肉のようですが…
私にとっては小学校時代の恩師は全員が亡くなっており、本日も「私の担任だった」との一言に驚く人が存在し、もはや我々の年齢は「教え子」とは思ってもらえぬ年齢になっているのかも知れないと思った次第です。
恩師に見送られた小学校時代の記憶は白黒でしたが、恩師を乗せて出棺した霊柩車は金ピカに輝いており、我々の母親たちから姉のように慕われていた恩師との別れが、我々の親の出棺ラッシュにならぬ事を祈りたいが…
9月8日の一言








