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行燈之宮・稲沢市平和町嫁振 
 
 本日は稲沢市(旧平和町)の社会保険労務士Mさんと私の事務所で打ち合わせ後に、「送る帰り道に何か変わった場所はないの?」と聞いたところ、意外な昔話しを耳にした事から車で立ち寄り、ここに添付した次第です。
 
 訪れた場所は行燈(あんどん)乃宮で、稲沢市(旧平和町)嫁振にありますが、小さな鳥居と祠があるだけですから、誰もが知らずに通り過ぎているような所にありますが、小さいながら地元の有志の方々によって綺麗に維持されていました。
 
 「小代ねむる 行燈の池や 七日月」の石碑が、鳥居の左の石碑に刻まれていますが、Mさんによれば、江戸時代にこの辺りにあった行燈池に落ちて死んだ女性を供養する祠との話でした。
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 神社と言うよりも、昔ながらのお宮さんか、祠と言ったほうがピッタリのイメージですが、祠の後方に広々とした水田があり、それは現代でも池の名残りが残り、沼地のような低湿地の水田で、稲刈りに入ったコンバインの轍が小川のように残っていました。
 
 江戸時代に大きな池があったと聞いた事から、祠の後ろを眺めると、当時の池のあった光景が私の脳裏にも浮かびますが、ここで若い女性が池に落ちて死んだという現実と、一人の弔いのために現代まで供養が続けられてきた現実を大切に後世に残したいものです。 
 
行燈池・平和町嫁振(稲沢市むかしばなし) 稲沢市資料
 
 帰宅後にネット検索すると、稲沢市が「むかしばなし」として伝承を保存しており、かつてこの辺りに多数の使用人を雇う長者が存在し、一年に一度お盆の七日に行燈を洗うならわしがあった事と、行燈池は行燈を洗ったのでそう呼ばれるようになった事が記されていました。
 
 「おさよ」と言う女性が池に落ちて亡くなった事を、嫁振の人々は「哀れに思いおさよの霊を慰めるために、池のほとりに小さな祠をたてた」との伝承を、私の住む地域でも多くの人が川に落ちて死んでいる事と、交通事故によって多くの命が失われているものの、事故直後は遺族が悲しんでいても、十年もすれば過去の他人事のように風化してしまう現代社会との大きな違いも実感させられました。
 一方で、この祠の周りの広々とした水田が、これからもこのまま保存されて、昔話しを連想できる環境のままである事を祈って車を発車させました。
 
 昭和から平成に移行する頃、私はミニコミ誌を発行していた事から、地元に残された伝承や史跡も廻って記録していましたが、20年近い空白によって、過去の記録が散逸するばかりではなく、私の記憶も真っ白になっている現実を寂しく思う一日ともなりました。
                                 11月11日の一言